第31番両子寺は、両子山の中腹に位置し、山岳修行の根本道場であり、
江戸期より六郷満山総寺院として統括してきました。
本尊は千手観音をお祀りし、不老長寿・子授けの観音様として広く信仰され、午の日の申し子祈願は有名です。
また、護摩堂にお祀りされている不動明王も、鎌倉時代の作として威厳を放っており
厄除・交通安全・安産祈願の道場として信仰されています。
山門の仁王像は国東といえば必ず紹介されるほど、最大級の大きさと造形美を誇っています。
また四季を通じて参拝者で賑わい紅葉の時期は特に美しく、県内でも紅葉の名所として知られています。
足曳山 両子寺。
パンフレットより。
仁王像と山門。
護摩堂。
奥の院。
第28番報恩寺は、元和年間(1615~1624年)に再興され現在の御堂は
天保九年(1838年)消失の後再建されたものである。幾度となく戦火や火事にあうも、本尊はじめ諸仏諸菩薩はことなきを得たのも
御本尊の御威光として信仰されている。また、県の重要文化財に指定されている鰐口をはじめ法華曼荼羅など数多くの文化財も有している。
第29番寶命寺は、通称「小城観音」として信仰され、弘安年間の蒙古来襲のさい、異国降伏朝敵退散の大祈祷を行ったという記録もあり
霊験あらたかな寺院として今日まで継承されております。本尊は六観音をお祀りいたしております。奥之院である観音堂は昭和57年に焼失の後、
再建された御堂で毎年春の大祭には地元をはじめ県内外より多くの参拝者が訪れます。
金剛山 報恩寺
小城山 寶命寺
パンフレットより。
パンフレットより。
金剛山 報恩寺。
寶命寺奥の院(小城観音)。
第24番興導寺は、空也上人の開基とされ桜八幡社の別当でもあります。踊り念仏で知られる空也上人は
生涯一介の修行僧として諸国を遍歴し、九州に上陸して興導寺を創建されたといわれています。
本尊は地蔵菩薩をお祀りし「火燃地蔵(ひともしじぞう)」として古くより信仰されてまいりました。
平素は地蔵堂に安置されており秘仏となっております。六十年に一度の御開帳として今日まで受け継がれております。
第25番神宮寺は、お寺の名前からもわかるように、神宮と深い関わりのあるお寺です。
本尊は不動明王をお祀りしており、文化財なども多数所有し当時の勢力がうかがえますが、
中でもひときわ目を引くのが八体の焼け仏です。修正鬼会の残り火で御堂が火事になった際に何とか焼け残った仏像です。
どれも立派な仏像であったことは一木造の大きさから想像できます。現在は本堂向かい側の収蔵庫にお祀りされております。
興満山 興導寺。
大嶽山 神宮寺。
パンフレットより。
パンフレットより。