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いつだって明日はいい日

介護のお仕事 ①きっかけ

出勤して車を降りるとお隣さんの桜が咲いていました


たぶん河津桜?
いつから咲いてたのかな?
今日もすっかり春の陽気でしたもんね。

テレビのニュースでは暖かすぎる陽気と週末には真冬に逆戻りすると寒暖差に注意するように訴えていました。
その続きで介護保険報酬の改正について取り上げていました。
訪問介護の介護報酬が引き下げられるので益々、離職する人が増えるだろうと言っていました。
訪問介護の有効求人倍率が15人を超えているとのこと。
どこで情報を仕入れたのか、私のところにも求人広告が送られてきます。転職しようと思えば15以上の企業から選べるってことでしょうか(笑)。
もちろん、転職する気などありません。
医療介護の業種で働くようになり、転職や異動もずいぶんありましたが、現状で大変恵まれていると感じていますので。


とはいえ…
介護職、昔から3Kと言われ「暗い、キツイ、汚い」の代表みたいな職業でしたが今でも人気のない職業には変わりないですね。

介護職として働くようになり25年程でしょうか、多くの人々がこの仕事に入ってきて、同じくらいの人々が辞めていきました。
やる気のある若者を育てても「この給料じゃ、結婚して家族を持てない」「同世代の友人と格差があり過ぎる」と言って辞めていきました。


私個人の考えですが「介護なんて誰でも出来る。が、誰もやりたくない。やらなくていられれば幸せ。」なのです。
家族の介護とか、やらなきゃならない状況に追い込まれているからやってるだけで、介護されなくて介護しなくて済めばそれに越したことはない…のです。
それだけ、シンドい辛いことです。
明るい介護なんて綺麗事では済みませんから…。

もちろん喜びもあります。
その『喜び』を感じられない人はこの仕事に向いてないのだと思います。


私が介護職に就いた理由は2つ。
ひとつは父の介護。
父が倒れた時、オロオロして何も出来なかった母と私でしたが、介護サービスのスタッフさんはいつも元気で明るく接してくださいました。その感謝の気持と、いつかは自分も何か人の役に立てること出来ればと思っていました。

ふたつ目は働いていた会社が業績不振で私の勤務していた工場が閉鎖になりました。
ある日突然、本社からおエライサンがゾロゾロやってきて会議室に従業員全員呼び出され「工場閉鎖、全員解雇」の通達を受けました。

35歳での就活は上手く行きませんでした。
資格も経験もなく、出来そうだったのが病院の看護助手でした。
なんの知識もなく入職したのは、いわゆる「老人病院」、世間からは「あそこに入ったら生きて帰れない」「天国に一番近い病院」と悪口を言われていたようです。
まぁ、その評判通りでいろいろな経験をさせていただきましたね。
しかし、何も知らずにこんなことしてて良いのか?勉強しなくちゃ怖い!と思い、看護師長に言うと、「勉強など必要ない、余計な事を覚えると生意気になる。ここにいるなら、ここのやり方を覚えればいい。」と言われ、退職を決意。

派遣のアルバイトをしながらホームヘルパーの講座に通い、資格を取りました(当時は初任者研修の制度はありませんでした)。


続く…

(自分の記憶の整理として書いていきます)






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