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■「本が読めない人」を育てる日本、2022年度から始まる衝撃の国語教育 週刊ダイヤモンド 2020.8.10 榎本博明:心理学博士

2022-10-03 04:11:01 | 日記

 

 

■「本が読めない人」を育てる日本、2022年度から始まる衝撃の国語教育

週刊ダイヤモンド 2020.8.10 榎本博明:心理学博士

https://diamond.jp/articles/-/245339


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今、教育の現場では、あらゆる学習において、社会に出てからの実用性を重視する実学志向が強まっている。

だが、基礎知識や教養、物事を深く考える習慣を身につけさせないのであれば、先の読めない変化の激しい時代を柔軟に生きることは困難だ。

『教育現場は困ってる――薄っぺらな大人をつくる実学志向』(平凡社新書)の著者・榎本博明氏は、学校教育の在り方に警鐘を鳴らす。

今回はシリーズ5回目で、「実学重視に走る教育の危うさ」について問題提起する。

 

・小説・評論から実用文にシフトする国語教育


学校の勉強は社会に出てから何の役にも立たない、もっと役に立つ内容を教えるべきだ。

そんな声が強まり、学校教育が実用性を重視する方向にどこまでも進んでいくことに対して、榎本氏は教育の危機を感じるとしている。

このような教育改革の動きに対して、2019年1月、榎本氏も加盟している日本文藝家協会により、「高校・大学接続『国語』改革についての声明」が出された。

これは、2022年度から施行される新学習指導要領による国語科の大幅な改定に対する危機感の表明である。

簡単に説明すると、「大学入試および高等学校指導要領の『国語』改革」において、高校で文学の勉強をせずに、もっぱら実用文に重きを置いた教育をすることになったのである。

日本文藝家協会の出久根達郎理事長は、「文科省は本気でそのような教科書を作るようなので、今のうちに大きな反対ののろしをあげなければいけない。駐車場の契約書などの実用文が正しく読める教育が必要で文学は無駄であるという考えのようだ」と懸念を示している。さらに「まだマスコミでも大きくは取り上げておらず、一般には周知されていないと思われるが、文部科学省の方針に大反対をしていこうと考えている」(文藝家協会ニュース2019年1月号)としている。

この声明が出されてからすでに1年以上が経過したが、このような文科省主導の教育改革の動きについては、いまだにメディアでほとんど取り上げられることがなく、多くの国民は何も知らないのではないだろうか。

 

・「国語」改革に、教育現場からも驚きの声


国語の授業で実用文の学習に重きを置くといっても、具体的にどういうことなのかわからないという人が多いかもしれないので、もう少し説明しておきたい。

2021年から「大学入学共通テスト」が実施され、それに合わせて高校の国語の改革も行われることになった。

そして、この新しい大学入学共通テストのモデル問題が2017年に示された。

そこでは、国語に関しては、生徒会の規約、自治体の広報、駐車場の契約書が問題文として出題されたのである。

たとえば、架空の高校の生徒会規約を生徒たちが話し合う会話文を読ませるような問題が出題された。

これには教育現場にいる教員たちから驚きの声が上がった。

2022年度からは、このような問題を解けるようにするための国語の授業を全国の高校で行うようになるわけである。

これまで指導要領をいくらいじっても高校も教科書会社も動かなかったため、文科省は大学入試を変えることで、高校の授業や教科書を無理やり変えざるを得なくするという手段をとったのだ。

こうした動きに関して、日本文藝家協会による「高校・大学接続『国語』改革についての表明」では、次のように懸念が表明されている。

「あたかも実用文を読み、情報処理の正確さ、速さを競うための設問といった印象も受けます。この点に関しても、複数の識者たちから疑問の声が出されています。
このように、とくに高校と大学と接続した教育現場でこの数年で起きることはおそらく戦後最大といってもいい大改革であり、日本の将来にとって大変に重要な問題をはらんだ喫緊の課題です」(文藝家協会ニュース2019年1月号)

この改革により実用文中心の教科書が作成されることになる。

手元にある現行の「現代文」の教科書には夏目漱石、芥川龍之介、宮沢賢治、中島敦など文豪の作品が載っているが、「現代文」が「論理国語」(実用文中心)と「文学国語」(文学中心)に分かれ、そのいずれかを学ぶことになる。

そうした文豪たちの作品は当然のことながら「文学国語」に入るはずだ。

入試動向に合わせて多くの学校は「論理国語」を選ばざるを得ないだろう。

その結果、多くの学校の生徒たちは、文学でなく実用文中心の国語の教科書で学ぶことになる(形式上、文学を含む教科書も残るが、現実には入試対策の必要上、その教科書を採用する学校は少なくなることが推測される)。

これに関して、作家の三田誠広氏は、ある会議において、学力問題と絡めながら、次のように懸念を示している。

「(前略)大学入試の共通試験の問題例が出た。駐車場の契約書、レポート、統計グラフ、取扱説明書が読めるようになることが、文部科学省が考えている国語力だ」(文藝家協会ニュース2019年11月号)

「小説を読むと地頭がよくなると、進学校はみなわかっている。私立の進学校は大量の読書をさせて、議論をさせる。ところが文部科学省が考えているのは中から下、二人に一人が大学に進学する時代になり、簡単なレポートも書けない大学生がいるので、ちゃんと実用的な論理国語を学ばせる方針だ」(同)

 

・危惧される教養人と非教養人との二極化


国語の授業で、駐車場の契約書や会議の議事録の読み方、商品の取扱説明書の読み方を学ぶ――。

そんな時代がやって来るとは思いもしなかったと榎本氏は述べるが、2022年度から現実にそうなることになっている。

今の中学生や高校生、あるいは大学生の読解力が悲惨な状況にあり、かつてなら、容易に読めたであろう簡単な説明文の理解ができない者があまりに多いことは、榎本氏の著書の中で示されている。

だから実用文を学ばせるといった発想になっているのだろうが、それはわざわざ中学や高校の授業でやるべきことなのだろうか。

進学校の生徒たちは本をよく読み、読解力を身につけているため、実用文の勉強など改めてやる必要はないし、新しい学習指導要領に切り替わっても、私立進学校の生徒たちは、国語の授業や自分自身の趣味あるいは学習として小説も評論も積極的に読むだろう。

一方で、もともと本を読まず、読解力の乏しい生徒たちは、国語の授業で実用文の読み方を学ぶようになる。

先述のように現行の「現代文」から「論理国語」へという移行により、これまでは教科書で著名な小説や評論といった実用文でない文章に触れることができたのだが、今後は文学作品に触れることがほとんどない生徒たちが大量に出てくることが予想される。

これにより、文学や評論に親しむ教養人と実用文しか読まない非教養人の二極化が進むに違いない。

知的階層形成を公教育においても進めていこうとする政策に、平等な扱いを好む日本国民は果たして納得できるのだろうか。

このように大きな問題をはらむ教育改革に国民はしっかりと目を向け、その妥当性について本気で考えてみるべきではないだろうか。

これは、今後の子どもや若者の人生を大きく左右するような出来事なのである。


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「本が読めない人」を育てる日本、2022年度から始まる衝撃の国語教育
週刊ダイヤモンド 2020.8.10 榎本博明:心理学博士
https://diamond.jp/articles/-/245339

 

 

 

 

■子供も親も知らない「卒業式にいない先生」の正体

担任、部活顧問も担う「非正規教員」の実態

東洋経済 2022/06/15

https://toyokeizai.net/articles/-/595749

 

 


■文科省が蓋をする「教師の非正規率」の衝撃実態

東洋経済 2022/06/16

https://toyokeizai.net/articles/-/596089


■日本人は「休校長期化」の深刻さをわかってない 東洋経済 2020/05/23

2022-10-03 04:10:39 | 日記

 


■日本人は「休校長期化」の深刻さをわかってない

東洋経済 2020/05/23

https://toyokeizai.net/articles/-/351563


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いま教育が危機に瀕している。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行は、学校の物理的機能を停止させた。


3月2日から、全国の9割以上の小学校、中学校、高等学校など(以下「学校」とする)が一斉に休校した。

連休明けから、全国の1割程度の学校が再開した。


文部科学省によれば、9割以上の学校が6月1日の再開を予定しているという。

とはいえ、すでに2~3カ月分の授業が失われた。


感染が大きく広がった地域では、学校を再開しても、すぐには通常授業に戻れない。

ひとたび集団感染が起これば、再び休校に追い込まれかねない。


いまだ先行きの見えない状況なのである。

事態に対処するため、文部科学省は学習の遅れを複数年で解消する方針を発表した。


つまり、今の学年で学び切れなかったことを、次の学年に持ち越すということ。

要するに、全国規模の学習の遅れは必至ということだ。

 

・日本の教育の弱点


学校の物理的機能が低下した現状では、いわゆる「遠隔教育」に頼らざるをえない。

ところが、遠隔教育は、現在の日本の教育の弱点である。


教育のICT化が遅れているため、ごく一部の学校しかオンライン授業が実施できない。

多くの学校では、学習プリントを宿題として配布・回収するしかないのだ。


OECD(経済協力開発機構)の2018年の調査によれば、日本の学校のICT機器使用頻度は、OECD加盟国中で最下位。

教師のICT機器を使いこなす技能は、調査参加国77カ国で最下位。


「生徒が学習に使えるICT機器があるか」「インターネット接続があるか」といった調査項目についても、軒並みOECD平均を下回っている。

学校再開もままならず、遠隔教育もままならない。


コロナの影響は世界各国の教育に及んでいるが、その影響下での教育については、日本は明らかに不利な立場にある。

それが日本の現実なのである。


こういった状況においては、教育格差が拡大する。

学校は再開しているか、効果的な遠隔教育を実施しているか、家庭で十分な学習支援を受けられるか、児童・生徒本人が自律的に学ぶことができるか――学校の違い、家庭の社会・経済・文化的背景の違い、本人の資質・能力の違いにより、教育格差は飛躍的に拡大してしまうのである。


全国規模の学習の遅れと教育格差の拡大は、どのような影響を社会や経済に及ぼすのだろうか。

抽象的に語られることの多い話題だが、本稿ではデータを用いて実証的に論じることとしたい。

 

・学力と経済には相関がある


OECDが、2000年から3年ごとに実施している、PISA(生徒の学習到達度調査)という国際テストがある。

現在は70カ国以上が参加し、各国の15歳の生徒(日本では高校1年生)が受検する。


科目は数学的リテラシー、科学的リテラシー、読解力。国別の順位が発表されるたびに話題になり、日本では学力低下論争の発端になったテストだ。

「学力」の定義は国によって異なるが、PISAは特定の学力観に基づき、一律のモノサシで各国の「学力」を測定するテストなのである。


2015年、ジョージア工科大学のエリック・ディコラドらは、PISAの数学的リテラシーの国別平均得点と1人当たりGDP(国内総生産)に相関があるとの論文を発表した。

その国の平均得点が高いほど、1人当たりGDPも高く、そこに一定の相関が見いだされるというのである。


ただ、この分析では、PISAの科目のうち数学的リテラシーしか取り上げておらず、国情や地域特性など多様な国々のデータが混在するため、そこから読み取れることも限定的にならざるをえない。

筆者の共同研究者である、東京大学グローバルAI倫理コンソーシアムの石川光春客員研究員らが、PISAの全科目を取り上げ、国情や地域特性を踏まえて多角的にアプローチしたところ、ASEAN諸国および周辺の東アジア先進諸国のデータから興味深い分析結果が得られた。


日本ならびに韓国は、マレーシアやインドネシアなどを結ぶ回帰直線(黄色のグループ)と、シンガポールや台湾などを結ぶ回帰直線(緑色のグループ)の交点に位置する。

ここには、今なお発展途上にあるASEAN諸国のラインと、知識集約型産業中心の東アジア先進諸国(および地域)のラインが、明確に分かれて示されている。


私たちの研究グループでは、ポスト・コロナ期の成長を期待される東アジア先進諸国のラインを「成長のベルトコンベアー」、また、コロナ不況によって地滑り的に発生しうる経済リスクの予測経路として、ASEAN諸国のラインを「ASEANの滑り台」と呼んでいる。

このグラフは、学校再開もままならず、遠隔教育もままならず、教育格差の拡大する日本の未来を暗示するものともいえる。


現状で学習機会を十分に得られた層は、学力上位層を形成して、少なくとも現状にとどまるか、あるいは、東アジア先進諸国のライン(緑)にそってGDPの増大に寄与することだろう。


一方、学習機会を十分に得られなかった層は、学力下位層を形成して、ASEAN諸国のライン(黄)にそってGDPの減少を招いてしまう可能性がある。

そして、日本全体の「学力」を考えた場合、日本は「成長のベルトコンベアー」を上昇するのか。


はたまた「ASEANの滑り台」を下降するのか。

これまでの議論を踏まえて考えると、現状では後者の可能性が高いかもしれない。


また、同じく2つの回帰直線の交点に位置する韓国は、どのような推移をたどるのであろうか?

 

・日本はどうなってしまうのか~未来への処方箋


どうすれば「ASEANの滑り台」から逃れられるのだろうか?

ここで、経済効率性という観点のみから、日本の教育を根本から見直す議論をしてみたい。


もちろん、これは極論である。

現状、すでに生じている問題は、回復に複数年かかるという、国家規模の学習の遅れ。


そして、学校、家庭、本人の資質・能力の違いに起因する教育格差の拡大である。

ここで、同一年齢が同一内容を学ぶ制度(年齢主義)と、所定の授業時数をこなせば、修得の有無にかかわらず卒業できる制度(履修主義)を見直してはどうか、という議論が可能である。


格差が拡大する状況では、年齢主義は非効率的だし、修得できずに卒業・進学する層が増大すれば、さらなる学力低下を招くことになるからだ。

例えば、シンガポールでは、就学可能年齢は0歳であり(制度上は0歳でも小学校に入学できる)、義務教育修了テストでは不合格もありうる。


そして、教育におけるICT機器の活用。

ICT機器は遠隔教育に使えるだけではない。


大規模な学習の遅れを取り戻すのにも有効である。

例えば、1950年代のアメリカでは、戦争による教育の欠落、ソ連との宇宙開発競争で露呈した教育の遅滞を、「大量生産的に」回復するために、コンピューターによる学習支援システムの開発を開始している。


ここから生まれたPLATOという学習支援システムは、1960年代から2006年まで使われていた。

現在の教育ICT機器は高度に発達しており、例えば家庭で勉強しているかどうか、間違いはないかどうかを、リアルタイムで「見守る」ことも可能である。


要するに、児童・生徒がどこにいようと、その勉強をつねに監視・制御できるということだ。

「学びのプライバシー」という倫理的問題はあるが、確実に勉強させるには効率的である。


勉強しているかどうか、つねに監視されるというのは、まるでパノプティコン(全展望監視型の牢獄)のようで、耐えがたいと思うかもしれない。

だが、この非常時に個人の自律性を信じることが、はたして現実的かどうか。


また、日本の教師が熱心で優秀であっても、教育現場は以前から人手不足に悩まされており、そこにコロナ禍が加わった状況で、児童・生徒を1人ひとり丁寧に見守り、学びに向けて奮起させることができるかどうか――。

 

・日本の教育は危機に瀕し、経済は瀬戸際


ここまで極論を述べてきた。

しかし、こういった議論が必要なほど、日本の教育は危機に瀕し、経済は「ASEANの滑り台」の瀬戸際にあることを認識しなければならない。


前述のとおり、韓国も、日本と同じく岐路に立たされている。

しかし、在宅勤務や遠隔教育のインフラは、日本とは比較にならぬ高水準で整えられているし、児童・生徒の学習意欲は日本よりもはるかに高いことが各種調査で明らかになっている。


このままだと、教育と経済の関連のみでいえば、「ASEANの滑り台」を滑り落ちる日本を尻目に、韓国は「成長のベルトコンベアー」を駆け上っていくことになるかもしれない。

政府も言っていることではあるが、まずは、家庭にあるスマートフォンでも何でもよいから、夏までにICT機器を利用した、教育インフラを整備すること。


そのうえで、既存の制度や価値観にとらわれぬ議論ができるかどうかが肝要であろう。


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日本人は「休校長期化」の深刻さをわかってない
東洋経済 2020/05/23
https://toyokeizai.net/articles/-/351563

 

 

 


■「一斉休校不要だった」 政治判断に振り回された少女の訴え/4

毎日新聞 2021/10/15

https://mainichi.jp/articles/20211014/k00/00m/040/131000c

 


■戦後教育はどこが間違っていたのか 教育史の専門家がみる「改革のヒント」 GLOBE+(朝日新聞)2020.10.10 沖田行司・びわこ学院大学学長

2022-10-03 04:10:15 | 日記


■戦後教育はどこが間違っていたのか 教育史の専門家がみる「改革のヒント」

GLOBE+(朝日新聞)2020.10.10 沖田行司・びわこ学院大学学長

https://globe.asahi.com/article/13750368


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・寺子屋の発想、現代に生かせる


江戸時代に広く普及し、「読み書き」「そろばん」など実学を教えていた寺子屋では、複数の学年が一緒に学び、生徒同士の「教え合い」も日常だった。

「できる子」が「できない子」を教えるのは普通のこと。

それは「できる子」が損をする仕組みではない。

実は、一方的に聞くよりも、「人に教える」ことが、一番知識が定着したり深い学びにつながるのは、よく知られている。

「寺子屋」において、先生は、いわばファシリテーターの役目だった。

沖田氏は、江戸時代の「寺子屋」の発想を現代に生かすことはできないだろうか、という。

「戦前の国家主義など反省すべき点は多々あった。だが、日本の良いところも、GHQによって『封建的』とみなされてしまった」と沖田氏は残念がる。

明治以降の日本の教育のモデルは、当初は、フランスやアメリカだった。

明治の中期ごろからドイツ方式を採用することになったが、それらは日本の伝統的な教育観念と融合しながら、日本独特の師弟関係や学校観を築き上げてきた。

だが、戦後の教育の外形的な特徴は、アメリカ一辺倒になってしまった、という。

 

(中略)

 

・「先生主導」と「子ども中心」の揺れ

 

日本は戦争に敗れ、軍国主義は深刻な反省を迫られた。

そこで前述のように、GHQ、アメリカ教育使節団の影響を受けて、根本的な出直しをしたはずだった。

戦後、GHQのもとにおかれた民間情報教育局(CIE)は、戦争を起こした罪を日本の国民に自覚させることを「日本人の再教育」に位置づけた。

沖田学長は「日本人が戦争に至る歴史を反省すべきことはいうまでもない。だが、米国という大きな力に強制され、米国の価値観に染められたことで、主体的に反省することからかえって遠ざかってしまった」と話す。

その意味で、戦後アメリカ当局が日本の教育に取り入れようとした「個性尊重」は、真に主体性を伴った「個性尊重」を目指したのか疑問、という考えだ。


(中略)


・「複線型」による「生涯学習」を

 

では、これから日本の教育はどういう方向をめざすべきなのだろうか。

沖田氏は、一つのカギは、「複線型」の復活も含め、学生生活や人生の途中で「切り替えがしやすい」教育制度にすべきだという。

たとえば、看護師が一定の経験を積んだ上で、医学部に編入し、医師になるようなことが可能な教育が望ましいという。

教育界には、「複線型」については、もともと階級社会であったり格差が激しい国において、定着しやすい制度であるという見方がある。

そのため、「複線型」にすることによって、格差が固定化してしまうとの懸念を持つ人もいる。

この点について、沖田氏は、「戦前の複線型は早い段階で人生が決定づけられるという欠陥を持っていたことは確かだ。

その点は改め、能力の発達に応じて複線型における変更が可能となれば、個性にあった学びを自分で発見することが可能となるのではないか」と話す。

人工知能(AI)の発達などによって、人間が機械に代替されるような分野は増えてきた。

このような時代で、生徒が将来、職業を得ていくことを考えると、生徒の得意な科目、興味ある分野や個性を伸ばしていく教育の重要性は増してくる。

一方で、小学校や中学時代には、生徒本人が、自分が本当にやりたいのは何なのか、得意なことは何なのか、自分ではまだ見極めがつかないケースも多い。

早熟か晩熟かにかかわらず、自らの得意分野、やりたいことを「発見」したときに、柔軟に切り替えができるような教育制度を構築すべきだ、と沖田氏は言う。

その意味で、社会人になっても学び直しが可能な、一生学び続けられるような教育制度の構築も不可欠である。

今でも社会人入試はあるが、それを財政的に支えるような制度が必要だという。

芸術、スポーツ、テクノロジーなどの世界では、高校などでは、ある程度多様化は進んできたが、さらに個性を伸ばす方向の改革を求めている。

大学入試については、今でもAO入試や推薦入試などがあるが、さらに多様化を進めるべきだという。

「東京芸術大学に入学するのに、数学なども含めた共通テストを受けなければならないが、アーティストを育てるための大学の試験科目として数学は必要なのか」と話す。

他方、入試科目に科さない形でも、理系も文系も、哲学を学んだり、古典を読み込んだりすることはあったほうがよいという。

将来、科学者になるにしても、リベラルアーツの素養が重要だとみるためだ。

かつて民俗学者の柳田国男は前近代の「群れ」の教育を論じて、子どもたちが自ら集団のルールを作り、リーダーをつくり、そして集団の秩序を形成していった、と述べている。

沖田氏は、「群れ」の中で個性を認め合う関係を子どもたちが作り出していくような姿は復活させるべきだという。

前述のように、江戸時代のような「寺子屋スタイル」、複数学年にまたがる生徒同士の「教えあい」の手法も、広げていく価値があるという。

一部の私立の学校では、そうした試みをすでに始めているところもある。

真に「多様性を尊重」し、地域に根ざした「共同体」も支える形の「個人主義」が広がること。

そして人生のさまざまな局面で「選択可能」な教育制度にしていくこと。

そうした改革が、日本の復活を支えることになると、沖田学長は考えている。


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戦後教育はどこが間違っていたのか 教育史の専門家がみる「改革のヒント」
GLOBE+(朝日新聞)2020.10.10 沖田行司・びわこ学院大学学長
https://globe.asahi.com/article/13750368

 

 

 

■宣教師・ザビエルも驚愕!江戸・寺子屋の高すぎる教育レベル

山中 俊之2020.8.7

https://gentosha-go.com/articles/-/27749