13代藩主斉泰が三度にわたって霞ヶ池を掘り広げた時に出た土を利用して築いた山。高さは9m、周囲は約90m。左上がりで螺旋状に上って行く坂道があり、ぐるぐる上る様子が巻貝の殻のようなので、この名となった。実際のサザエの殻は右巻き右上がりで栄螺山は逆という話は、よく知られている。
また、山頂にある御亭・避雨亭が傘のような形をしており、「からかさ山」という愛称もある。山頂の一段低いところには12代藩主前田斉広を供養するために、斉広の正室と側室が二人で建立した石塔、三重の宝塔が立っている。
避雨亭
山頂に唐傘があることから通称唐傘山と言われている。この傘の下でお茶席を設けて13代斎泰公は霞ヶ池の展望を楽しんでいたのだろうが。
手前の手水鉢にはどういう訳かお賽銭?が投げ込まれている。
栄螺山の石垣が崩れてきたので昨年大改修された。その時、ついでに唐傘も新しく取り替えられた。
傘の直径2.1mあるそう。先代の唐傘はもっと大きかったような気がする。
若者の落書きが凄かった。相々傘が書かれてあったことから、新婚さんたちが記念に残していったのだろう。
というわけで、いたずら防止のため?前に策が設けられた。新婚さんにとってはちっとさびしいかな。
三重の宝塔
栄螺山から見た霞ヶ池
広さ5800㎡あるこの池は武士の家計簿でお馴染みの猪山直之が仕えたお殿様13代藩主前田斎泰(なりやす)公が琵琶湖を模して作った池で、竹生島にあたる島「蓬莱島」がある。この島は縁起を担いで亀の形を模しているので「亀甲島」ともいう。中央には琵琶湖の松の名所から種子を取り寄せたと言う、枝ぶりのいい黒松「唐崎の松」がある。この松は兼六園の引き立て役で重要でこれが無いと兼六園はそこらの庭園と同じになる。
右側には有名な、兼六園 を訪れたら必ず記念写真を撮って行く二本足の「ことじ灯篭」がある。遠景には卯辰山があり、その麓は、明治の文豪、徳田秋声や泉鏡花の小説に出てくる「東茶屋街」があり、大勢の観光客で賑わっている。