ふたつの理解の違い(アメフトと加計)

アメフトの加害側が記者会見をした。「ぶつかれ」「つぶせ」は事実で監督の指示どおりやったという。これに対して監督側は、決して反則行為を行うことを認めていない、指示はしていないという。

加計事件で愛媛県が新しい文書を示した。これには安倍総理のコメントもあるし、この日付も明白にその文書の意味を示していた。

立場の面で上の者はどうしても自分たちの行為で問題になった部分を隠したがる。しかし立場の面で下の者は事実をはっきり示すことが自分の行為の意味を教えることになるから、隠したりごまかしたりする必要はない。

日大と加計の二つの事件で、上のようなことが同じレベルで展開された。立場の上(日大でいえば監督側、加計でいえば総理側)の者はごまかしたり隠したりしたくなる必然の理由がある。そういうことが誰の目にも明らかになったのではないか。
安倍首相も、証拠になる文書が存在しているのに、「この日には加計氏と会っていない」という。

隠したりごまかしたるすることが難しいと思ったら「記憶にない」という。私たちよりも数倍も頭のいい人たち(これは記憶力のよさも含めている)が「忘れる」ことなどありえないのでは。
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