鎌倉期の僧「親鸞」

まもなくお盆。そういうことでもないが、このひと月ほどの間、鎌倉時代の僧侶として日本の宗教改革ともいう大きな役割を果たした親鸞についての書を読むことに集中している。 学生時代、倉田百三の書いた「出家とその弟子」に大きな感銘を受けた。最も感動した書として覚えている。もちろんこの書の主人公は、親鸞だった。私の家が代々浄土真宗であり、母親が熱心な信徒だったこともあるのだろうが、開祖の親鸞に大きな敬意をもっ . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「短歌教室」で

今、2つの短歌の会に参加。どちらも10人前後で女性がほとんど。ウイークディの昼の時間で開催されるから大体現役引退した人たちだ。私のような数ヶ月などではなく数年、または10数年のキャリアの人たちがほとんど。年はとってもまだまだシンマイのレベル。 毎回、会員がつくった歌を先生が評価し、手直しをしてくれる。 今回の私の例を挙げておきます。 詠草:書を読めば 姫も野武士も山賊も 吾の周りで自由に生きる . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

わが短歌の道

昨年秋から、これまで多少好きだと言ってきた「短歌」を少し真剣にやってみようと取り組みだした。やはり先生についてやらなければ、と思い北海道新聞主催の「文化教室」の一つ「短歌教室」に通っている。 月に2回教室がある。ウイークディの午前だから勤め人などは参加できない。だから参加者(生徒)はほとんど高齢者の主婦たちで、男は私一人。 毎回、各自がつくった歌を検討課題にあげる。今回の私の歌は 「うっとうしい . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

新・平家物語「忠度(ただのり)の最期」

全16巻のうち、今は第11である。吉川英治の新・平家のこの巻は平家物語の有名な場面が載っている。その一つが忠度の話だ。この人は平薩摩守(さつまのかみ)忠度。清盛の母違いの弟である。木曾義仲に襲われ平家は都を捨てる。この時、彼は引き返し、自分の歌の先生である藤原俊成宅をたずねる。藤原俊成は天皇の命によって歌集をつくることになっていた。忠度は「できれば自分の歌をそこに載せていただきたい」と100首余りの歌を届けた。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ハーバード白熱教室-5(人を食うことは許されるか)

短編ではあるが、武田泰淳という作家の代表作の一つに「ひかりごけ」という小説がある。2007年8月にスタッフ研修旅行で知床に行ったときに「光ごけ」の洞窟を見たことがあったが、この洞窟と同小説の「ひかりごけ」は関係がない。なんでこの話をするか、といえば、例のサンデル教授の「ハーバード白熱教室」の第1巻に登場する「サバイバルのための『殺人』」を読んで、いつかこれに似た話があったのでは、と思い出したのが、武田泰淳の「ひかりごけ」だった。サンデル教授が引用する「殺人=食人」と小説「ひかりごけ」のテーマはほとんど共通する。若干違う点といえば、後者は小説で宗教的な光輪が光るという創作があることぐらいか。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「一兵卒」

例の小沢議員は「自分は一兵卒」と何度も言っていた。一兵卒というのは、軍隊の中の文字通り下っ端兵隊で、「上官の命令は朕(ちん)の命令」という支配下に置かれ、「身を鴻毛の軽きに」ある立場の兵である。 田山花袋の短編小説に「一兵卒」がある。日露戦争時、野戦病院からまだ治っていないのにそこから逃げ出して山野をさまよい、ついに力つきて死んでいく「一兵卒」の姿が描かれている。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「ローマ人の物語」1

塩野七生さんという作家(ローマ史の専門家)が1992年から2006年までかかって書き上げた書物である。文字どおりのローマ帝国興亡の歴史だ。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「1Q84」-3

M先生から借りた第三巻をこのGW中に読むことができた。これは一巻二巻以上に読み出したらやめられないおもしろさがあった。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )