首里城が焼けた。あの美しい、歴史を物語る沖縄のシンボルが焼け落ちた。その絵を見ると私のようなただ1、2回しか訪れたことのない者でも悲しい、悔しい、腹立たしい思いにかられる。その火がおきた原因は何だったのか知りたいと切に思う。大臣がまた辞めることになった。河井克行法相が女房がらみの事件の責任をとることで辞めた。次から次へとおソマツ大臣が登場し去っていく。「任命責任は私にある」というが、そもそもの親分 . . . 本文を読む
私は私立高校を退職して数年間学習塾を営んだ。もう30年近く前のことだが、その後数年間学習塾の経営していたのだが、この経営のノウハウをいろいろ教えてもらった仕事上の先輩に白浜憲一さんという人がいた。彼とはたまたま私的な付き合いもあったのだが、親しくいろいろ教えてもらった。仕事の面では大先輩だった。私よりも10年若い彼が27日に急逝した。9月22日にバスで偶然出会って、お互い近況確認し合った。「まだし . . . 本文を読む
という番組がある。毎週月曜の夜放映される。妻が録画しているので見て聴くのだが、実に懐かしい。私たちが学生の頃よく歌った歌は必ずと言っていいほど出てくる。そういえばあのころ、仲間たちと何かあれば必ずと言っていいほど肩を組み腕を組んで歌った。上手とか下手など関係がなかった。調子が狂うことがあっても誰も問題にしなかった。楽しく心が合う、あるいは気合いを高める、また仲間を確認し合う、そんな気持ちがあったの . . . 本文を読む
今年10月4日、安倍首相は施政方針演説を行った。その中で沖縄の問題について次のように述べた。沖縄の基地負担軽減に引き続き取り組みます。普天間飛行場の全面返還に向けて、辺野古への移設を進めます。昨年度の牧港補給地区に続き、今年度末に予定されるキャンプ瑞慶覧の一部返還に向けて準備を進めます。沖縄の皆さんの心に寄り添いながら、一つひとつ、確実に結果を出してまいります。先日22日、即位正殿の儀での天皇の「 . . . 本文を読む
いつだったか読んでいた本に標記のことがあった。ある種の伝説なのでは、と思い軽くみていたが、ロックリー・トーマスという人の書いた「信長と弥助 ー 本能寺を生き延びた黒人侍ー」(株太田出版刊)という書を買った。本能寺の変からさかのぼること3年前(1579)の7月に日本をめざすポルトガルの船があった。この商船にイエズス会の宣教師と従者が乗っていたが 、その中に後の弥助と名乗ることになる黒人の船員がいた。 . . . 本文を読む
月に一度の本校での学習コースの生徒たちがいる。今日はこのクラスでの「日本史」の授業を2時間行った。初めての顔合わせではないが、私にとっても生徒たちにとってもこの授業は初めての体験になる。通信制の学校なので面接授業は「日本史」は2回だ。来月末にもう一度あるが、この4時間で日本史の概説を行うことになる。今日は、原始時代から江戸時代末までの授業を行った。私としてはいわば感動の2時間だった。この生徒たちの . . . 本文を読む
プロ野球、それほど熱中する時期でないが、日本シリーズで巨人とソフトバンク、どちらが日本一になるか、は少々興味があった。人気の巨人が3連敗して、これから3連勝し7つの試合、最後までやることになったら面白いか、と思ったり、営業上ここで終わるか7試合すべてやるかは大きな違いになるだろうから、とどうでもいいことを心配していたが、結局ソフトが4連勝し、あのジャイアンツが4連敗するという形で終わった。どうした . . . 本文を読む
いうまでもなく今日は標記の儀式があるということで「祝日」。私はこの休日を利用して昨日に続いて札幌の紅葉観賞のために「中島公園」に行った。紅葉と黄葉、いずれも今が盛りという彩りを呈していた。帰宅後、テレビで天皇の即位式である標記の儀を見た。なんだか明治憲法下の儀式ではないか、と錯覚しそうになった。平安時代の正装はともかくとして、天皇に対する国民代表の安倍首相のあの姿勢は儀式の面から仕方がないのだろう . . . 本文を読む
北の大地が赤く萌えてきた。紅葉だ。私は春の花の時期もいいが、自然の美しさと言えば秋の紅葉が最高だと思う。毎年、特に体調が悪くなければ紅葉の観賞のために少しだけ「出張」する。出張先は、ほとんど毎年決まっていて、自宅の近くでいえば前田森林公園、ここは昨日行ってきたが、「紅葉5分前」だった。今日、妻と一緒に定山渓奥の豊平峡まで行った。天気は最高の日和。今日は学校が振替休日で休みだが一般には「普通の日」な . . . 本文を読む
いろいろな記事を読めば読むほど「どうしてこんなに犠牲が多かったのだろう?」という疑問がわく。死者100人に近い。思えばあの台風が本州に近づきつつあったとき、NHKは何度も「命を守ることに全力をあげましょう」という意味の言葉を言っていた。もちろんだからといって誰もがそれを気にかけていないなどとは思わない。誰もが必死になって「命をまもる」行動をとったのだろう。しかしそれにもかかわらずの犠牲だ。いろいろ . . . 本文を読む