劉連仁(りゅう・りえんれん)のこと-4

東京で受けた一番すばらしい贈物それは妻の趙玉蘭(チャオユイラン)と息子とが生きているという知らせしかも妻は東洋風に二夫にまみえずりゅうりえんれんだけを抱きしめて生きていてくれた息子は十四。何時の日か父にあい会うことのあるようにと尋児(シュンアル)と名づけられていた尋児 尋児りゅうりえんれんは誰よりも息子に会いたかった三十三年四月(1958年4月)白山丸は一路故国に向かって進んだ …長 . . . 本文を読む
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劉連仁(りゅう・りえんれん)のこと-3

長い冬眠があけ春 穴から出るときは二日も練習すれば歩くことができたものだ年とともに 歩くうための日は多く多く費やされ二ヶ月もかけなければ歩けないほどに足腰は痛めつけられていった …惨憺たる月日を縫いあなたの国の河のように悠々と流れた …しかし限度にきたようにみえた厳しい或る冬の朝のことあなたはとうとう発見された札幌に近い当別の山で日本人の猟師によって凍傷にまみれた六尺ゆ . . . 本文を読む
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劉連仁(りゅう・りえんれん)のこと-2

日本の管理者は言った「日本は島国である 四面は海に囲まれておる逃げようたって逃げきれるものか!」…かれらは信じない日本は大陸の地続きだ…西北へ 西北へと歩けば故郷にいつかは必ず達するおお おおらかな知識よ! 幸あれ!花も樹々もいっせいにひらく北海道の夏にげるのなら今だ! 雪もきれいに消えている…りゅうりえんれんは一人で逃げたどこから便所の汲取口から汚物にま . . . 本文を読む
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劉連仁(りゅう・りえんれん)のこと-1

かつてこのブログでも「劉連仁」に関することを記したことがあった。先日来、「茨木のり子」をいう人の「詩集」(岩波文庫)を読んでいたが、この中で31ページに及ぶ「りゅうりぇんれんの物語」があった。あらためてこの長編詩を読んだが、この主人公の劉連仁(りゅうりぇんれん)の闘いをより知りたい、またこの話を紹介してみようと思った。詩文のあちこちを引用する。できればこの長編詩を読んでほしい。劉連仁 中国のひとく . . . 本文を読む
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2025年は昭和100年!

昭和元年は1926年。来年2025年は昭和が続いたとすれば100年ということになる。だからかどうか分からないが、2025年は不吉な年だという「予言」めいた話があちこちから聞こえる。昭和100年の初期の20年間は戦争の時代だった。そして1945(昭和20)年に戦争が終わり、戦後の新しい日本が誕生した(天皇ではなく国民が日本の主人だという原理の国家)が、果たしてそういう原理がこの60年間日本の体制とし . . . 本文を読む
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ノーベル平和賞受賞式

ノルウエーのオスロでノーベル平和賞授賞式があり(10日)、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の代表委員3人が登壇してメダルと賞状を受け取った。これまで関連することを記しているので参照いただきたい。一般的には「核戦争を阻止するためには、相手国よりも強大な核戦力を持たねばならない」という「核抑止力論」が大きな位置を占めているのではないか。しかしこれはいずれ核兵器で自滅する方向を指さすことになりそ . . . 本文を読む
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「プラステック汚染を防ぐための条約」はまだできない

私たちの生活にプラステックはなくてはならない物だ。しかしこれが使用されたら「ゴミ」として処理される必要がある。「再利用」は今のところ話題になっていないのではないか。しかしプラごみ処理は簡単ではない。私たちは、毎週決まった日に「プラごみ」を町内会のゴミ箱に入れる。今はこれは焼却されるのだろう。焼却処分は大量に二酸化炭素を排出する。埋め立てると有害な添加物が染み出し、環境を長期間汚染続ける。だからプラ . . . 本文を読む
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少子高齢の未来社会(2)

このテーマの(1)は、2017年11月7日にある。少子高齢化が進む中で、未来社会をどう構想するか、は日本の課題だったはずだ。しかし、こういったテーマは提起されこそすれ、具体的な提案はあったのだろうか。少なくとも重要な政治テーマとして具体的に提起されてはいなかったのではないだろうか。「未来の年表」の続編にあたる「瀬戸際の日本で起きること」として河合雅司氏が「講談社現代新書」シリーズにあげている。表紙 . . . 本文を読む
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まもなく今年も終わる

いつも同じような感慨をもつ。「まもなく今年も終わる」と。こういう当たり前の(書かなくてもいいこと)を書き出して、以前はブログにどんなことを書いていたかな、と10年前に遡ってみてみた。よくこんなにいろいろ書いてきたものだな、と我ながら自分を褒めたくなった。毎日のように、何かを書いてきたらエライのか?と聞かれたら、そういうことでもないが、少なくとも一定時間(30分から1時間半ほどは)アタマを使うことに . . . 本文を読む
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リハビリ行為と文化センーター

今週は、リハビリデーサービスが2度と道新文化センターの集まり(エッセイ)があった。毎週このような行動計画があればいいかな、と思うのだが、これからは冬だからあまり外出もできなくなりそうだ。リハビリは何度か記したが、2時間近い時間、だいたい10から12のメニューが設定されていてこれをこなす。自転車こぎや体操などだ。これも前に記したが、ケッコー疲れるが、「元気」の要素をもらった感じがする。エッセイ、それ . . . 本文を読む
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