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日記 … Kametarou Blog
教育科学研究会編「現実と向きあう教育学」4
私は、何度も言うように教科研のリーダーたちが強調する「子どもの声に耳を」「現実と向き合う」「子ども理解」などについては全く同感である。
この趣旨のことを教科研の田中孝彦氏は雑誌「教育」で2007年9月にすでに言っている。この号で、氏は当時の教育再生会議に現れている教育改革の動きを次ぎのように批判する。「今日の子どもたちの不安定な姿を…理解しようとする姿勢が欠けている」「子どもたちの安全を守り、…子どもたちの努力を支えようとしている、親たちや援助者・教育者たちの模索に関心をもち、それらから学ぼうとする姿勢に欠けている」。
また、子育ての困難にたじろぎ揺れる親たちの「居場所」を親たち自身が創り出し、相互に支え合う努力も重ねられてきた、ことを評価している。
ところが、前述したようにこの人たちの「現実」には不登校の子どもの声や、わが子の不登校問題を契機にして悩み苦しみ、そして自らを解放していこうとしているたくさんの父母の声はどうして届かないのだろうか。私には不思議でしかたがない。
それぞれがいう「現実」はきわめて恣意的であり、「バーチャルな現実」ではないか、と言いたくなる。
中学校では一クラスに一人以上が「不登校」という現実がある。普通の教師であれば、この問題を悩み迷っているはずだ。「現実と向きあう教育学」の最終章(第25章)を、久富氏が「いま何をこそ改革すべきか」でまとめている。政権交代というあらたな政治情勢で「いますぐやめるべきこと」として、全国一斉学力テスト等3点。「いまなすべきこと」として4点をあげる。この4点目に「子どもたちが安心してのびのびと育つことのできる地域に根ざした『学校づくり』を」、そして「子ども、教職員や父母、住民などの学校当事者が参加する学校理事会による自治的な学校運営」が提案されている。
ただこの学校づくりには、市民が、子どもや教育担当者たちと共に、文字どおり新しい自らの学校を創設する自由は全く眼中にない。
こちらに「不登校の子どもの権利宣言」がある。ぜひ一読いただきたい。今や、子どもたちが自分の生き方や自分の育ち方に合った学びの場を求める時代になっていることを知ることができるだろう。だから、「不登校」を克服すべきテーマというとらえ方であれば、それ自体「現実」と向き合っていないのである。「不登校の子どもの権利宣言」は、一昨日紹介した、学校性格が変化してきていることを指摘した久富氏の論述の延長上に理解することができるだろう。
この趣旨のことを教科研の田中孝彦氏は雑誌「教育」で2007年9月にすでに言っている。この号で、氏は当時の教育再生会議に現れている教育改革の動きを次ぎのように批判する。「今日の子どもたちの不安定な姿を…理解しようとする姿勢が欠けている」「子どもたちの安全を守り、…子どもたちの努力を支えようとしている、親たちや援助者・教育者たちの模索に関心をもち、それらから学ぼうとする姿勢に欠けている」。
また、子育ての困難にたじろぎ揺れる親たちの「居場所」を親たち自身が創り出し、相互に支え合う努力も重ねられてきた、ことを評価している。
ところが、前述したようにこの人たちの「現実」には不登校の子どもの声や、わが子の不登校問題を契機にして悩み苦しみ、そして自らを解放していこうとしているたくさんの父母の声はどうして届かないのだろうか。私には不思議でしかたがない。
それぞれがいう「現実」はきわめて恣意的であり、「バーチャルな現実」ではないか、と言いたくなる。
中学校では一クラスに一人以上が「不登校」という現実がある。普通の教師であれば、この問題を悩み迷っているはずだ。「現実と向きあう教育学」の最終章(第25章)を、久富氏が「いま何をこそ改革すべきか」でまとめている。政権交代というあらたな政治情勢で「いますぐやめるべきこと」として、全国一斉学力テスト等3点。「いまなすべきこと」として4点をあげる。この4点目に「子どもたちが安心してのびのびと育つことのできる地域に根ざした『学校づくり』を」、そして「子ども、教職員や父母、住民などの学校当事者が参加する学校理事会による自治的な学校運営」が提案されている。
ただこの学校づくりには、市民が、子どもや教育担当者たちと共に、文字どおり新しい自らの学校を創設する自由は全く眼中にない。
こちらに「不登校の子どもの権利宣言」がある。ぜひ一読いただきたい。今や、子どもたちが自分の生き方や自分の育ち方に合った学びの場を求める時代になっていることを知ることができるだろう。だから、「不登校」を克服すべきテーマというとらえ方であれば、それ自体「現実」と向き合っていないのである。「不登校の子どもの権利宣言」は、一昨日紹介した、学校性格が変化してきていることを指摘した久富氏の論述の延長上に理解することができるだろう。
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