来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
「塩狩」という所
今日、中央バスのツアー(CBツアーズ)に参加した。三浦綾子文学を学ぶといったテーマだった。塩狩の三浦「塩狩峠記念館」、そして旭川市にある三浦綾子記念文学館の2箇所を訪問して三浦文学を学ぼうといった趣旨。参加者は20名弱だったろうか。
三浦綾子さんが、戦時中いわゆる代用教員として、当時の教師たちが皆そうであったように、軍国主義の旗振り役を演じていた。しかし戦後、自分の行為がいかに間違っていたか、を思い厳しい反省をしながらいわば自己嫌悪に陥り、投げやりのひとときを過ごしたこと、など、彼女の人生が戦争とかさなっていたことに初めてふれて感無量の感想をもった。かつて読んだ「銃口」などを思い起こしながら三浦文学のバックボーンを再学習した思いだ。
「石狩峠」も重要な著作だ。これについてもいろいろ考えさせられる点があったが、それはまたの機会に。
「塩狩」は、昔の天塩国(てしおのくに)と石狩国の境にあったので塩狩といった。この種の名称として狩勝峠、天北峠などがある。そんな北海道史の一端を勉強した。
明治初期、政府は蝦夷地を「北海道」と改名し、この北海道に10の「国」を置いた。渡島、後志、石狩、天塩、北見、胆振、十勝、釧路、根室、千島、等。 今は「国」でなく、支庁だが。
三浦綾子さんが、戦時中いわゆる代用教員として、当時の教師たちが皆そうであったように、軍国主義の旗振り役を演じていた。しかし戦後、自分の行為がいかに間違っていたか、を思い厳しい反省をしながらいわば自己嫌悪に陥り、投げやりのひとときを過ごしたこと、など、彼女の人生が戦争とかさなっていたことに初めてふれて感無量の感想をもった。かつて読んだ「銃口」などを思い起こしながら三浦文学のバックボーンを再学習した思いだ。
「石狩峠」も重要な著作だ。これについてもいろいろ考えさせられる点があったが、それはまたの機会に。
「塩狩」は、昔の天塩国(てしおのくに)と石狩国の境にあったので塩狩といった。この種の名称として狩勝峠、天北峠などがある。そんな北海道史の一端を勉強した。
明治初期、政府は蝦夷地を「北海道」と改名し、この北海道に10の「国」を置いた。渡島、後志、石狩、天塩、北見、胆振、十勝、釧路、根室、千島、等。 今は「国」でなく、支庁だが。
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