来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
道新文化教室(2)
「故郷への思い」(続き)
私が一番いやだったことは、馬小屋の掃除(馬糞でよごれたくさい敷き藁を外に出して新しい藁を敷くこと)だった。臭くて寒い馬小屋での荒作業が子どもの作業だった。そして、冬は馬たちの運動不足をおぎなうために、子どもが馬の背にのって馬を走らせるなどの仕事もあった。まだ小学生だったから、馬どもは「オレたちはガキに使われてたまるか」という気持ちをもって、背に乗っている子どもを振り落とすこともあった。そういった農家での暮らしは、今となっては、ただ懐かしい。
小学校の体育の時間は、体育館での活動の他に、冬場は近くの小さい山にスキーを持って行って滑ったし、夏場は学校から歩いて行ける川を臨時のプールとして泳いだ。30数名のクラスメイトたちは、お父さんがつくってくれた下駄の親分のようなスキーを履き、また丸裸に近いスタイルで川の中ではしゃいだりしていた。
和寒での暮らしの中で、今でも鮮明に覚えているのは、昭和20年代の初期だったとおもうが、「電灯」がついたことだった。これまでのランプ暮らしはウソのような明るさだった。当時は今で言う蛍光灯ではなかったが、スイッチをひねれば家の中が明るくなる、まさに文明が北上したのだった。
中学校卒業して、すぐ村の小さい工場に勤めたのだが、そこの社長が「ここで働くのではなく、高校に行った方がいいのでは」と言ってくれたり、高校3年になり就職の準備をしたのだが、やはり大学に進んだ方が人生に役立つ、との思いで、三学期は「登校拒否」して受験勉強に集中。カネが一番かからない北大をめざし、落ちれば就職(これも公務員試験に受かっていた)だったが、幸運にも合格した。
大学を卒業後、札幌の私立高校に勤め30年間を過ごした。その後も教育関係の仕事に従事し、「教育一筋60年間」の人生を生きてきたが、繰り返しだが、あの自然とともに生き抜いた13年間がどれだけ自分にとってプラスだったか、今もしみじみ思う。
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