未来志向と歴史認識

日韓問題が論じられるたびに、表現されるキーワードは「未来志向」である。これは当然にも現在両国にある諸懸案事項を解決するためには未来に向かってベターな方策を探ろうということだが、同時にこの解決は容易ではない、ということも暗黙の前提だ。そしてこの諸懸案事項の中には過去の、特に日本が行った対韓国政策への評価の問題もある。

かつて日中国交回復の時に中国の、当時の周恩来首相が過去については未来の人に任せようという趣旨の、いわば未来志向を前提として確認し合った。一種の棚上げ論でもある。だから未来志向が強調されるにしては、過去の懸案事項に足をとられてぎくしゃくすることがあるのではないか。

過去の問題をどう評価するかという歴史認識にかかわることはそう簡単ではない。特に今の安倍内閣の、「自虐史観」という歴史評価がベースにあるから、未来志向すなわち過去問題の棚上げ論で進まなければならない。しかし例えば竹島問題にしても尖閣問題にしても、未来志向の観点からいえば、避けて通るべきテーマではあるが、ほとんど避けることができない問題になっている。「未来志向」はきわめて過去、または現在の問題の解決というテーマに足を引っ張られる。

北方領土問題で「引き分け」論で議論を進めるとロシアのプーチン大統領が言っているようだが、当然にもそういう「双方一両損」的な妥協の姿勢をもって相手に提案することが大事だ。
では竹島で韓国と、尖閣で中国と、この「引き分け」論は通じるか。例えば両国の共同管理(国際法上こういうことはありえるのか分からないが)などだろうが、これもちょっと難しい。日本からすれば「そもそも領土問題などない」と言っているのだから。

だから、未来志向という懸案事項棚上げ論をこれからも長い期間堅持していく姿勢が大切だが、どう具体化するか、分からない。

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