「アチャー!」というブルース・リーの怪鳥音入り『ドラゴンへの道』主題歌サントラ盤。
A面がマイク・レメディオスが唄う「THE WAY OF THE DRAGON」で、、B面が「THE BIG GUY」という、たぶん日本公開と同じ昭和50(1975)年の発売とおもわれる。
ブルース・リー主演作の日本公開はこの1年ほど前の「燃えよドラゴン」に始まって本作が4本目だが、ワシが初めてスクリーンで見たのは本作からで、個人的に想い出深い作品なのである。
まずオープニングの「スープばかり飲み過ぎて腹を壊す」というシーンでは、おもっていたストイックなイメージとは違い、コミカルなところに親近感がもてたのを覚えている。
後のB級ながら主演作多数となるチャック・ノリスとのコロシアムでの決闘シーンも素晴らしいものであった。
タイトルバックのドラゴンボート(っていうんですか?)のアニメにかぶせたカッコいい主題歌はどうも配給元が日本版につけていたもののようである。なので最近のBSなどにおける放映では唄が入っていないのが、どうも物足りない。
レメディオスは「ドラゴン怒りの鉄拳」の主題歌も唄っており、こちらのシングル盤もワシは購入している。ほとんどの歌手、アーティストがシングル1枚しかもっていないのに対し、ブルース・リー関係は雑誌の付録もふくめて実に7枚という、ワシ最多のシングル盤を保持。
まあ、身内でもないのに40年もずっと好きでい続けている人間なんて、ブルース・リーぐらいのもんですね、ハイ。
これはワシだけでなく世界的な傾向であるらしく、何本あるかわからない伝記映画のなかでも最も出来がいいとおもわれる近年の「アイ・アム・ブルース・リー」では俳優のミッキー・ロークやボクサーのバッキャオ、それにダンサーとか歌手とか、世界中のいろんな人種・年齢のファンが目を爛々と輝かせてリーさんを語るのである。これには胸が熱くなる思いだ。
映画「ドラゴンへの道」を初めてみたのはおそらく昭和50(1975)年10月1日、都民の日で中学が休みの日に、立川駅北口に3つ並んでいた映画館のうち、松竹ではないから洋画を上映していた立川セントラルか立川中央であった。いわゆる2番館というもので、正月ロードショー作品が10月になってやっと比較的近くの映画館に来たのである。
3館の真ん中に円筒のようなきっぷうりば(窓口3つ)があってお姉さんからチケットを買っていたのは、いまおもえば珍しい風景だったようにおもう。併映は「ザ・テイク/わいろ」という、黒人刑事のアクション映画だったような気がするが、カーチェイスのとき乗ってる車の屋根が吹っ飛んだシーン以外、全然覚えていない…。
その日の朝、地元の駅では同級生の女子のひとりがいるのが見えたが、こっ恥ずかしいので気付かぬふりをして電車乗り込み、また、帰りの列車内では「ドラゴンへの道」のパンフレットを見ているうちに乗り換えなければならない駅を乗り越してしまい、バツのわるいおもいをした覚えがある。
おそらく世界中の人々に、ブルース・リーをスクリーンで初めて見たときの、こんなふうに小さな想い出があることであろう。
あとその翌年か2年後ごろ、テレビ放映のときのリーさんの声の吹き替えが柴俊夫だったのには正直、ガッカリしたけど、何回目かの放映のとき録画したビデオはいまもいちおうしっかり持っているのであった…。
にほんブログ村 漫画家
↑いちおう漫画家なのです。
A面がマイク・レメディオスが唄う「THE WAY OF THE DRAGON」で、、B面が「THE BIG GUY」という、たぶん日本公開と同じ昭和50(1975)年の発売とおもわれる。
ブルース・リー主演作の日本公開はこの1年ほど前の「燃えよドラゴン」に始まって本作が4本目だが、ワシが初めてスクリーンで見たのは本作からで、個人的に想い出深い作品なのである。
まずオープニングの「スープばかり飲み過ぎて腹を壊す」というシーンでは、おもっていたストイックなイメージとは違い、コミカルなところに親近感がもてたのを覚えている。
後のB級ながら主演作多数となるチャック・ノリスとのコロシアムでの決闘シーンも素晴らしいものであった。
タイトルバックのドラゴンボート(っていうんですか?)のアニメにかぶせたカッコいい主題歌はどうも配給元が日本版につけていたもののようである。なので最近のBSなどにおける放映では唄が入っていないのが、どうも物足りない。
レメディオスは「ドラゴン怒りの鉄拳」の主題歌も唄っており、こちらのシングル盤もワシは購入している。ほとんどの歌手、アーティストがシングル1枚しかもっていないのに対し、ブルース・リー関係は雑誌の付録もふくめて実に7枚という、ワシ最多のシングル盤を保持。
まあ、身内でもないのに40年もずっと好きでい続けている人間なんて、ブルース・リーぐらいのもんですね、ハイ。
これはワシだけでなく世界的な傾向であるらしく、何本あるかわからない伝記映画のなかでも最も出来がいいとおもわれる近年の「アイ・アム・ブルース・リー」では俳優のミッキー・ロークやボクサーのバッキャオ、それにダンサーとか歌手とか、世界中のいろんな人種・年齢のファンが目を爛々と輝かせてリーさんを語るのである。これには胸が熱くなる思いだ。
映画「ドラゴンへの道」を初めてみたのはおそらく昭和50(1975)年10月1日、都民の日で中学が休みの日に、立川駅北口に3つ並んでいた映画館のうち、松竹ではないから洋画を上映していた立川セントラルか立川中央であった。いわゆる2番館というもので、正月ロードショー作品が10月になってやっと比較的近くの映画館に来たのである。
3館の真ん中に円筒のようなきっぷうりば(窓口3つ)があってお姉さんからチケットを買っていたのは、いまおもえば珍しい風景だったようにおもう。併映は「ザ・テイク/わいろ」という、黒人刑事のアクション映画だったような気がするが、カーチェイスのとき乗ってる車の屋根が吹っ飛んだシーン以外、全然覚えていない…。
その日の朝、地元の駅では同級生の女子のひとりがいるのが見えたが、こっ恥ずかしいので気付かぬふりをして電車乗り込み、また、帰りの列車内では「ドラゴンへの道」のパンフレットを見ているうちに乗り換えなければならない駅を乗り越してしまい、バツのわるいおもいをした覚えがある。
おそらく世界中の人々に、ブルース・リーをスクリーンで初めて見たときの、こんなふうに小さな想い出があることであろう。
あとその翌年か2年後ごろ、テレビ放映のときのリーさんの声の吹き替えが柴俊夫だったのには正直、ガッカリしたけど、何回目かの放映のとき録画したビデオはいまもいちおうしっかり持っているのであった…。
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