神田祭.ch公式ブログ

神田祭公式ブログです。当日の神田祭の実況や神田祭の裏側、インターネットchの「神田祭.ch」の模様をお伝えいたします。

外神田一丁目万世橋会

2005-05-15 09:50:00 | 神輿(外神田連合)

013
014

 外神田一丁目万世橋会の宮入です。

 萬世橋の名前は、明治6年(1873年)、昌平橋(しょうへいばし)よりもやや下流に架けられた「萬代橋(よろずよばし)」に由来します。いつからかこの橋は「まんせいばし」と呼ばれるようになりました。

 江戸時代、この界隈(かいわい)は、下谷御成道(したやおなりみち)へ出る道筋にあり、人の行き交う町でした。またここは神田川河岸で、年貢米や野菜などを運び込む水運の拠点でもありました。江戸時代の地図にある「神田通船屋敷(かんだつうせんやしき)」は、幕府が手がけた見沼代用水(みぬまだいようすい)の難工事を成功させたことにより、時の将軍より用水路の通船を許可された高田家の邸地でした。神田におきましても由緒ある名家の一つです。

 当時武家地だった神田仲町(かんだなかちょう)と神田花房町(かんだはなぶさちょう)は、享保(きょうほう)年間(1716~1736)に町屋となり、商人や職人が移り住むようになりました。また、神田花田町(かんだはなだちょう)は、明治2年(1869年)、武家地だった花房町代地(はなぶさちょうだいち)と須田町代地(すだちょうだいち)をあわせ、両町から一字ずつ取ってできた町です。地元の萬世橋町会は、戦後その三つの町にまたがって成立した町です。昭和39年(1964年)、これら三つの町は外神田一丁目(そとかんだいっちょうめ)に変わり、現在に至っています。

 町会の該当地域は、外神田一丁目1番地8~14号、2番地、4番地9~17号、10~17番地となっています。




最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
先ほど神田公園の盆踊りの話しがまたでましたが「... (祭狂斎みち藤)
2005-05-15 18:03:32
先ほど神田公園の盆踊りの話しがまたでましたが「チカちゃん」さんこちらの万世橋でネット掲示板に良く出るに一路(イチロー)さんが関係する芳林(ほうりん)公園でもあります。どっちかで祭りと盆踊りのマニアが行ってます。おっといいたかったのは隣に展示の氏子である魚河岸会の山車についても紹介してほしかったことです。
返信する
こんにちは♪ (一路)
2007-05-16 13:26:55
こんにちは♪
昨日、執り行われた例大祭で神田祭は幕を閉じました。
天候に恵まれた神田祭、次回の大祭は平成21年ですが
また、お会いいたしましょう~♪
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。