外神田五丁目栄町会が宮入りしてまいりました。
外神田五丁目栄町はかつて、神田栄町(かんださかえちょう)と呼ばれていました。江戸時代には武家屋敷が立ち並んでいた地域でした。
この界隈(かいわい)が大きく様相を変えたのは明治維新後のことです。明治2年(1869年)12月、神田相生町(かんだあいおいちょう)から出た火事によって、現在の外神田(そとかんだ)周辺は焼け野原となってしまいました。そこで明治新政府は、神田竹町(かんだたけちょう)、神田平河町(かんだひらかわちょう)、神田松永町(かんだまつながちょう)などに、防火のための空き地(火除地(ひよけち))を設置し、鎮火神社(秋葉神社)を建立しました。それらの町に住んでいた人たちがこの界隈に移転させられ、神田栄町ました。「栄」という名前は、新たに繁栄するように、との願いから付けられました。
明治44年(1911年)、町は栄町と改称しますが、昭和22年に、神田区と麹町(こうじまち)区が合併して千代田区が成立した際、ふたたび神田栄町となりました。そして昭和39年、住居表示の実施で神田亀住町(かんだかめずみちょう)や神田元佐久間町(かんだもとさくまちょう)とともに、現在の外神田五丁目(そとかんだごちょうめ)となりました。
町会の該当区域は、外神田五丁目1・6番地となっています。