外神田三丁目金沢会が宮入りしてまいりました。
金沢町(かなざわちょう)は神田明神下にあり、御成街道に沿った町屋でした。1657年の明暦の大火以前は東本願寺の境内地でした。その後は加賀(かが)金沢藩前田家の中屋敷(なかやしき)となりました。加賀藩は、藩主の居城(きょじょう)が金沢にあったことから「金澤(かなざわ)藩」ともいわれていました。つまり、外神田三丁目に「金澤」という町名が伝わるのは、かつて加賀藩の藩邸があったからです。
前田家の上屋敷は、天和(てんな)2年(1682年)の火事で類焼し、幕府に没収されます。その翌年になると、湯島一丁目の職人や商人たちがそこに代地を与えられて移転してきましたが、金澤という町名はそのまま受け継がれていきました。
町会の該当区域は、外神田三丁目2・3・4・11番地となっています。