帰る。
6月28日(土)
咳がひどく出ていた。
苦しそうだった。
「なーんかまだ咳が出るんだよなぁ」と腑に落ちない風の表情で言ってきた。
「まぁ、これから少しずつだよ」と言うしかない。
主治医と話した。
もうあまり長くはない。
一日でも多く、一日でも早く自宅に帰りましょう。
咳も痰も薬で抑えるしか方法はない。
効果が薄れれば強くしていくしかない。
麻薬だからかなりの段階まで強くできる。
でも元凶を断ったわけじゃないから、それにも限界がある。
と言われた。
翌週火曜に退院する事にした。
父に言ったら喜んでいた。
6月29日(日)
熱を出した。37.8度。
息が荒く、辛そうだった。
「実は、病棟の廊下を2往復した。 だからかもしれない。」と父が暴露した。
退院が決まって嬉しくて、ちょっとリハビリのつもりだったんだろう。
が、無理は禁物って事が身にしみた筈。
6月30日(月)
熱が下がらない。 37.9度。
明日の午後まで下がらなければ退院は延期になる。
リハビリのウォーキングが悔やまれる、、、
7月1日(火)
熱も下がり無事に退院。
熱が下がったのは薬の投与のおかげ。
咳と痰と熱を抑える薬、7種類を抱えて退院した。
7月2日(水)
手術の時にポロリと取れた差し歯を治しに歯医者に連れて行った。
パジャマに上着をはおるだけの病人感まる出しで行った。
着替える元気もない。
でも歯を治さなきゃ、食事ができない。
すると栄養が取れない、つまり元気になれない。
「歯」は大切。
車の運転を禁止された。
薬が麻薬性だって理由だと思う。
突然睡魔に襲われたりするのかな。
車の運転が好きな父だったから、すごく可哀想だ。
「それでも、薬が無くなればまた乗れるしな!」って言っていた。
元気になれば薬も減って、そうなれば運転もできるって信じているらしい。
私の胸がすごく苦しくなった。
告知をしない、ウソを言う、 って事はこういう事だ。
これからもこんな胸の痛みがあるんだろうな…。
でも、それでも言わない。
6月28日(土)
咳がひどく出ていた。
苦しそうだった。
「なーんかまだ咳が出るんだよなぁ」と腑に落ちない風の表情で言ってきた。
「まぁ、これから少しずつだよ」と言うしかない。
主治医と話した。
もうあまり長くはない。
一日でも多く、一日でも早く自宅に帰りましょう。
咳も痰も薬で抑えるしか方法はない。
効果が薄れれば強くしていくしかない。
麻薬だからかなりの段階まで強くできる。
でも元凶を断ったわけじゃないから、それにも限界がある。
と言われた。
翌週火曜に退院する事にした。
父に言ったら喜んでいた。
6月29日(日)
熱を出した。37.8度。
息が荒く、辛そうだった。
「実は、病棟の廊下を2往復した。 だからかもしれない。」と父が暴露した。
退院が決まって嬉しくて、ちょっとリハビリのつもりだったんだろう。
が、無理は禁物って事が身にしみた筈。
6月30日(月)
熱が下がらない。 37.9度。
明日の午後まで下がらなければ退院は延期になる。
リハビリのウォーキングが悔やまれる、、、
7月1日(火)
熱も下がり無事に退院。
熱が下がったのは薬の投与のおかげ。
咳と痰と熱を抑える薬、7種類を抱えて退院した。
7月2日(水)
手術の時にポロリと取れた差し歯を治しに歯医者に連れて行った。
パジャマに上着をはおるだけの病人感まる出しで行った。
着替える元気もない。
でも歯を治さなきゃ、食事ができない。
すると栄養が取れない、つまり元気になれない。
「歯」は大切。
車の運転を禁止された。
薬が麻薬性だって理由だと思う。
突然睡魔に襲われたりするのかな。
車の運転が好きな父だったから、すごく可哀想だ。
「それでも、薬が無くなればまた乗れるしな!」って言っていた。
元気になれば薬も減って、そうなれば運転もできるって信じているらしい。
私の胸がすごく苦しくなった。
告知をしない、ウソを言う、 って事はこういう事だ。
これからもこんな胸の痛みがあるんだろうな…。
でも、それでも言わない。