
皆様、こんばんは。
事務局です。
3日の一宮市内は、引き続き、清々しい晴天でした。
上の写真は、長い階段を上がった先にあります、新装された資料館の玄関です。
前回の豊蔵様の生い立ちの続きです。
阪急百貨店様での初個展ののち、1945(昭和20)年まで、他の陶芸家の皆様との交流を深めるため、豊蔵様は、各地で個展を開催したり、展示会に作品を出品します。
1946(昭和21)年、52歳、多治見市虎渓山(こけいざん)町にある、永保寺(えいほうじ※1)所有の山を借用して、水月(すいげつ)窯(※2)を開きます。
※1.山号は虎渓山。臨済宗南禅寺派の寺院で、雲水の修行道場を併設しています。美濃七福神の1つです。
※2.豊蔵様と二人の息子様が共同で、一般向けの食器を生産するために築いた窯です。
下の写真は玄関のアップです。

1955(昭和30)年、61歳、志野と瀬戸黒を、長い歳月をかけて再現したことが認められて、通称「人間国宝」、正式には、重要無形文化財技術保持者に指定されます。
1960(昭和35)年、66歳、江戸時代の画家・俵屋宗達(たわらやそうたつ)様が描いた鶴下絵に、書家・本阿弥光悦(ほんあみこうけつ)様(※1)が36人が詠んだ和歌を書いた『鶴下絵三十六歌仙和歌巻(つるずしたえわかかん)』(※2)を入手しました。
※1.書流・光悦(こうえつ)流の祖で、書家の他に、陶芸家や芸術家でもありました。
※2.現在、国の重要文化財になり、京都国立博物館様に所蔵されています。
1971(昭和46)年、77歳、文化勲章を受賞します。
この間、74歳の時、苦労を共にした、奥様がお亡くなりなります。
1984(昭和59)年、90歳、多くの皆様に、豊蔵様の作品を見てもらうために、「豊蔵資料館」を開館します。
翌年、91歳で永眠し、可児市名誉市民の称号が与えられました。
以上が生い立ちになります。
下の写真は、受付でいただいた、豊蔵様の生い立ちを紹介する、コピー用紙です。

生い立ちを知っていただいて、資料館に訪れますと、豊蔵様の作品を通して、不断の努力や喜びなども見えてくると思います。
上の写真のコピー用紙を見て思ったことです。
資料館では、子供の皆様に、豊蔵様について知ってもらため、
「私には、うれしい出来事が3つありました」
というキーワードを作っていました。
(1)志野陶片の発見
(2)絵巻の入手
(3)文化勲章をいただく
寺西の学生時代、心理学の講義だったでしょうか。
講師様が、
「人には誰にでも、3つの嬉しかったことがあるはず。そのお話を聞いて、相手の心を読んでみましょう」
とお話をされていました。
上記のうれしい出来事を3つ、知ってもらうだけでも、豊蔵様の人物像が、少し見えてくると思います。
下の写真は、資料館玄関前の階段から居宅などの建物を見ています。

近い将来、リニア中央新幹線も見られるようになるでしょうね。
過去と未来の融合と言っていいのでしょうか?
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