こんな題名を上げると、鉄旅かと思われる。
新しい旅の在り方を思いついた。これは行き先を決める旅ではなく、特定の“モノ”を追う旅。
自分が行きたい国、乗りたい列車などという概念を完全に払い「曲弦プラットトラス橋」または「トラス橋」を巡る旅をするという提案。
だから特定の国や地域に偏る事はない。
《私の行きたい国や地域となると、皆様察しがつくと思いますが……. 今回は特定の国などに対する偏りとか中毒性を一切排除した旅をするという設定》
これは計画が立て辛く、普通の旅より難易度が高くなってしまうのである。
今回は前回の旅の続き。しかしこれは実際に旅をしたわけではなく、計画だけを練って妄想旅。
前回は、東京駅を出発して、東武野田線に架かる江戸川橋梁→千葉県立関宿博物館→東京都中央区の南高橋→東京駅近くのビジネスホテルに宿泊
前回の記事
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トラス橋巡りの旅をしたい - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる
このビジネスホテルでは朝食なしプランで宿泊したため朝食は外で食べる😋
・朝マック JR東京駅店
朝マック 5:30-10:30
東京都千代田区丸の内1-9-1 東京駅1番街
東京駅から横浜へ
東京駅→(JR東海道線・平塚行)→横浜駅→(JR根岸線・大船行)→桜木町駅
運賃IC: 571円
桜木町駅より徒歩3分
⭐️横浜みなとみらい汽車道
横浜市中区新港2丁目-西区みなとみらい2丁目
自分は汽車道を予め知っていたのではなく、休日の夜横浜に用事があって行ったときに偶然歩いた。
夜はデートスポット。みなとみらいやビル群を両脇に見渡せる横浜市街地のどまんなかにある池に、連なる島々と陸地を橋で繋いであるような場所だと思った。天橋立を彷彿とさせる。
夜のみなとみらいは恋する人の心を沸きたたせるが、廃線跡と鋼鉄トラス橋は恋する人の心を本気にさせる。
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1911年(明治44年)に貨物輸送のため開通した*臨港鉄道の一部と3つのトラス橋を残し、1998年遊歩道として整備された。
約500m。レールや橋梁が当時を偲ばせる。
臨港鉄道: 通称税関線とも言われる。当初貨物輸送目的で作られたもの。
⭐️港第1号橋梁
1909年(明治42年)鉄道院によって架設された。
2連の30フィート鈑桁橋(ばんげたきょう)と100フィートの鋼プラット・トラス橋(クーパー型トラス橋)からなっている。100フィートのトラス橋は1907年(明治40年)にアメリカン・ブリッジ・カンパニーで制作され港第2号橋梁と同形のものである。
⭐️港第2号橋梁
1907年(明治40年)にアメリカン・ブリッジ・カンパニーで制作され、1909年(明治42年)に架設された100フィートの複線トラス橋。
重量機関車の出現により、それまでのイギリス系トラス橋にとってかわり、明治30年代から主流となったアメリカ系トラス橋の遺構として貴重なものである。
⭐️港第3号橋梁(旧大岡川橋梁)
大岡川橋梁は北海道の夕張川橋梁《1906年(明治39年)架設》と総武鉄道江戸川橋梁《1907年(明治40年)制作》を転用し、3連の100フィート・ポニー形ワーレン・トラス橋として、1928年(昭和3年)に旧生糸検査所引込線に架設された。この橋は、そのうちの旧夕張川橋梁の橋長を短縮し、1997年(平成9年)に移設したもので、イギリス系トラス橋の遺構として貴重なものである。
⭐️新港橋梁
建築年代: 1912年(大正元年)
構造: ワーレントラス橋
設計/施工: 大蔵省臨時建築部/浦賀船渠
所在地: 中区新港1〜海岸通1
山下臨港プロムナードの起点として多くの人が行き交う新港橋梁。
元は今から100年以上前の大正元年に建造された貨物線(横浜臨港線)の鉄道橋。
旧横浜駅(現桜木町駅)から延びる横浜臨港線の、新港埠頭を経て旧横浜税関内を結ぶ橋梁として大正元年に架設された。
橋は100フィート・ポニー型ワーレントラス橋。
汽車道に現存する「港第1号橋梁・港第2号橋梁」がアメリカ製。「港第3号橋梁」がイギリス製であるのに対し「新港橋梁」は日本における初期のトラス橋である。
部材同士は英国系のピン接合と異なり、リベット接合によって強固な剛製に組み立てられている。
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橋は100年も時が経っているようには見えない。何も知らなければ、現代のビル群のような建築物と同時期に出来たものにしか見えない。何の違和感もない。知ったからといって何の違和感もない。
しかし、かつては明治大正の西洋風建築群を背景に架かっていた。生本来、そちら側の世界にあるもの。
西洋風建築群の中にあるトラス橋を見てみたい。
トラス橋は国による差異はない。と信じていたが、アメリカ製とイギリス製、日本製それぞれ特徴がある事がわかった。国関係なく均一という事は有り得ない。
次のトラス橋に向かう。道路橋である。
山下公園通りは異国風情がある。今はうだるように暑いけど涼しい時期になったら、そうですねぇ、12月頃になったら歩くのに一番情緒を楽しむのに良いのではないでしょうか?
通りには街路樹があり、それがもし紅葉する樹ならこの時期が一番素晴らしいと思われます。
ボロディンの「弦楽四奏曲 第2 二長調/第1楽章: アレグロ・モデラート」
を聞きながら山下公園通りを歩くとより一層楽しめます。
⭐️霞橋
これはインスタで見つけたトラス橋である。
新山下付近には外国人(多分アメリカ人)
が多い。近くに外国人墓地やアメリカ山などがある。横浜はさすが元居留地である。
神奈川県横浜市中区新山下1丁目の新山下運河に架かる道路橋である。
形式: 下路式プラットトラス橋
材料: 鋼材
全長: 32.96m
幅: 6.0m (車道: 4.0m 歩道: 2.0m)
元は1896年(明治29年)に竣工した*日本鉄道土浦線(現・常磐線)の隅田川橋梁に用いられたものである。
日本鉄道: 1881年(明治14年)に設立された日本初の民営鉄道会社(私鉄)であり、現在の東日本旅客鉄道(JR東日本)の路線の多くを建設・運営していた。1906年(明治39年)に国有化された。
イギリス人技師の指導の元に日本人が設計と製造を行った。
英ハンディサイド社製(Andrew Handyside & Co., Derby)で制作。
支間長62.8メートルは当時の鉄道橋としては最大級の規模であり、複線式のプラットトラスは日本で初めての構造であった。しかし1928年(昭和3年)機関車の荷重増により橋は撤去された。
1929年(昭和4年)、隅田川橋梁のプラットトラス2連と東北本線の荒川橋梁(1895年竣工)が組み合わされ、新鶴見操車場の開業で分断される鶴見区と川崎市幸区を結ぶ江ヶ崎跨線橋に活用された。老朽化により再び橋は撤去されたが、橋の歴史的価値から横浜市が腐食の進んでいない部材を保存し、霞橋の架け替えに転用することになった。
今回の転用に際して表面の錆などを落とした結果、“DALZELL STEEL”という刻印が複数見つかり、ダルゼル社(Dalzell Steel and Iron Works)で製造された鋼材ということが明らかになった。
この会社は、スコットランド🏴グラスゴウの製鉄会社であり、タイタニック号や同時期に架橋されたフォース鉄道橋にも鋼材を提供している。
また、強度を確かめる為に母材試験を実施した結果、上弦材、下弦材、斜材は現在使われている材料である*SS400という材料に匹敵する強度を持った質の高い材料である事がわかった。
SS400: SS400は、SS材(一般構造用圧延鋼材)の中でも流通量が多く、代表的な材料。 一般構造用圧延鋼材の材料記号は「SS(Structural Steel)」で表されSS材とも呼ばれており、数字は最低引張強さを表している。
鉄の橋といっても材料は様々。鉄が使われるようになった最初期は、錬鉄(iron)といって炭素の含有量の少ないものだった。
その後精錬技術が向上し、強度と粘り強さを増した鋼(Steel)が使われるようになる。
隅田川橋梁から江ヶ崎跨線橋まで114年使われ続けた支承。
支承とは、橋を渡る車の重さや橋自身の重さを支え、基礎へ伝える部材で、固定支承と橋梁の温度変化による伸縮で移動する可動支承がある。
隅田川橋梁から江ヶ崎跨線橋で使われ続けた支承を解体修理した結果、健全性が確認出来たため、霞橋では再利用している。
この支承は隅田川橋梁から江ヶ崎跨線橋で使われ続けた1個の可動支承のひとつ。
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横浜はそれ以外にも鉄道遺構が点在する。
中華街で中華料理を食べよう!
・北京飯店
元町中華街駅1番出口から徒歩0分
営業時間: 11:30-21:00
定休日: なし
昼/2,000円 夜/4,000円
横浜から海老名へ
元町・中華街駅→(みなとみらい線・小手指行・渋谷行 他)→横浜駅→(相鉄本線・海老名行)→海老名駅
運賃IC: 548円
海老名駅より徒歩約20分
⭐️上郷水管橋
相模川に架かる上水道の水管橋。これも100年以上経つ。
大正期に造られた日本製のこのトラス橋を間近で見た時に感じた。
“トラス橋は鉄鋼芸術”
いつか消えてしまう運命にある橋。
建築年代: 大正7年(1918年)3月竣工
構造: 下路式10連曲弦プラットトラス
施工: 横河橋梁制作所・東京工場制作
所在地: 神奈川県海老名市上郷〜厚木市
*横須賀水道半原系統は、愛川町の半原から中津川を水源に横須賀まで海軍が引いたものである。横須賀市の水道として利用されてきた。
半原水源地から逸見浄水場まで送られる。
半原水源地(標高126m)と逸見浄水場(標高58m)は差が約70mあるためポンプを使わずに53kmを自然流下させている。
横須賀水道半原系統: 日露戦争後軍備拡張に伴って海軍は、相模川の支流中津川に新しい水源を求め、明治45年(1912年)に工事に着工し大正10年(1921年)に半原系統を完成させた。
水の需要減、水質悪化、施設の老朽化のため、半原系統は2007年4月に停止。
2015年2月に廃止。
多くの水道施設は保護対象ではないため、撤去される運命。解体時期は明確に決まっていないため、維持費などの関係により今年中に解体ということもありえる。
橋を見に行く度これが最後だという覚悟をして目に焼き付けている。
海老名市上郷側から
昔は人も通れたそうです。有鹿神社の裏から厚木市にかけて架かっている。
厚木側に行くにはあゆみ橋を渡る大回りになる。
厚木市側から
橋の袂。橋脚の2本の脚はかつて砂利に埋まっていた。
砂利の大規模採取、上流のダムの誕生で砂利の供給が止まったため、橋脚が剥き出しになり、異様な光景になった。
大正期に、外国製ではなく日本人の手によって造られたこの美しい橋を一部でも良いから人道橋として再利用したり、水道局の敷地内や展示施設などに保存することは出来ないのだろうか?
ただ壊されて無くなってしまうのは残念でならない。
来た道を海老名駅まで戻る
・東横INN海老名駅東口
IN 16:00-24:00 OUT 10:00
朝食付1名 税込 6,810〜
この日はよく歩いた。明日は長野県方面へ
続く
橋の情報の参照元HP:
横浜みなとみらい汽車道
《横浜市観光情報サイト公式》
《横浜みなとみらい21公式ウェブサイト》
霞橋
《Wikipedia》
鋼材
《kabuku connect》
新港橋梁
《THE YOKOHAMA STANDARD Quality Visual City Magazine》
上郷水管橋
《YouTube 横須賀水道みち53kmを踏破してみた5日目/アキドチャンネル》
《エンジニアのメソッド》
横須賀水道半原系統
《横須賀市公式ホームページ》
マクドナルド東京駅店
《マクドナルド公式ホームページ》
横浜中華街 北京飯店
《一休.com》
東横INN海老名駅東口
《Yトラベル》
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