斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

いつまでも繰り返し書いてしまうネタ

2024年11月17日 | ザ・日本人の気持ち

いつまでもこういうネタを卒業出来ない。

 

テュルク友の会いいなぁと思っているが、私は友達など要らない。欲しいのは“同志”。友達って何話したら良いか分からないし、どう関係を構築して良いのかも分からない。自分は用が無ければ自分から話しかけるタイプでは決してないし、自分から人助けをするタイプでもない。但し、これはヤバいと思った時や、“人”として自分はどうなんだろう?という時には人助けをする場合はある。愛や思いやりなどではなく「義務感」で動く事が多い。

 

テュルク友の会は、「友」ではあるが「同志」の色が濃いので好もしい。「同志」の世界では、いわゆる「友達」、「仲間」、「みんな」と言った関係にありがちな「村八分」とか、「絆」で人を縛り付ける、「同調圧」などは存在しなさそうである。古参、新参、俄かなどの序列的な位置はあるが、それが良い。古参から教えて貰えば良いのだから、それだけで関係は成立する。古参が生理的に合わない奴だったらしょうがないが、気にならなければ良い。

 

趣味友達を作れば良いと大人たちからアドバイスされるが、友達を作る為に興味のない「趣味」をわざわざ作らなきゃいけないというのは疲弊するので、出来れば興味をそそられる分野での「同志」が欲しい。

 

自分の興味を唆られる分野というのは、非常に限定的で、大多数の日本人が興味を持たない分野である。

 

それが「テュルク」言い換えれば「突厥(トッケツ)」

世界史の授業に出て来る北方遊牧国家の、あの「突厥」である。“トルコ”という意味でもある。その後裔が現在も連綿と続いている。突厥族は、アルタイ山脈が故地である。アルタイ山脈は金や鉄鉱石が豊富で、突厥の民は鉄鋼技術に優れていた。遊牧民族は製鉄民族とも言われる。

 

 

何故テュルクか?その発端はSUM41(かつては蒙古斑と呼んでいた)

SUM41の音楽は素晴らしく、大衆ウケすると言われる(キャッチーと言われる部類)が、同時に、テュルク音楽でもある。テュルクのルーツを持つ人間から紡ぎ出されるメロディー。これは貴重な事だ。これが世界でウケている。辺境の民族が世界ウケという数奇な運命。

 

SUM41の公式プロフィールには「北米出身」と書いてある為、聞く側の刷り込みで、キャッチーでポップに聞こえるが、これの作曲者がテュルク系民族だと知るとキャッチーに留まらず、なかなか深い味わいがあるように聞こえる。自分でもテュルク贔屓だと感じるところだ。

 

SUM41 はトロントでレーベルと契約したので、トロント出身とされている。

 

SUM41の同志と親密にすれば良いと思ったが、彼らは2025/1月を以て解散に向かう。もし解散せず、続くのであればファン・サークルに入り、日本ライブを毎回参戦する予定だった。

 

テュルク友の会については、後でじっくりと読む。自分はテュルクについても「俄か」である。

 

テュルク系民族は、同じ語族の人間が国境を超えて世界的に存在する。テュルクというアイディンティティで生きている。そして、同じテュルク系民族には、何事にもいち早く手を差し伸べる。ユダヤ人というのと似ているが、ユダヤ人と違うのは、テュルクという語族や血統で繋がっていること。ユダヤ人はユダヤ教という宗教で繋がっている。

 

 

日本人という生き方とおおよそ真逆である。日本人は、“日本”という国民国家の民だから“日本人”である。それは、”アメリカ人“とか”中国人“と言っているのと同じだ。

日本は“ひとつの民族ひとつの国家”だと言われている。日本人は日本語を話す人しかいないので、単一民族とされている(が、沖縄には琉球語、北海道にはアイヌ語の話者がいるので、単一民族というのは適切ではない。)。

 

テュルク系民族はというと、説明するのが無茶苦茶難しい。テュルク系民族は、突厥国の末裔。トルコ人を始めとし、トゥバ人、タタール人、バシキール人、チュヴァシ人、サハ(ヤクート)人、カザフ人、ウズベク人、ウイグル人その他含まれる。夥しい数の言語分岐があるが、皆テュルク系民族という自認(アイディンティティ)である。そして多様性もある。

 

テュルク語族とは、ウラル・アルタイ語族→アルタイ語派→テュルク語系。話される地域は、アナトリア、中央アジア、中国西部、シベリア南部、シベリア東部など。広範囲に居住しているが、何百年経っても突厥国の末裔という事が維持されている。

 

日本語は、残念ながらウラル・アルタイ語族では全くなく、完全な“孤立言語”。

 

朝鮮語はウラル・アルタイ語族→アルタイ語派→ツングース語系の下位言語である。

 

 

日本人については、最近の研究でやっと分かって来た事がたくさんある。それも、次から次へと色んな説が出て来て、次々と覆される。

 

自分が以前書いた記事では、日本人の大半は、太古人種の血の方が大陸からの渡来人の血より濃いという。

 

しかし、これを覆す研究結果が次々出て来た。学術論文でも色んな事を唱える人がいて、日本人のルーツについては未だ謎のままだ。これは多分、永遠の謎である。

 

蒙古襞(モウコヒダ)という目頭のヒダがある人が新モンゴロイド(大陸から渡航した弥生人)。無い人が古モンゴロイド(縄文人)という文献はなかなか説得力があると思っていたのだが。

 

文献によっては天皇家も縄文系だという。

 

もう、滅茶苦茶だ。

 

日本人のルーツについての論は幾ら覆されようと、我々の根底には美しい縄文の血が流れていて、縄文太古からの“和”の精神が生きている事実は動かしようがない。

 

 

昨年、自分の遺伝子をマイ・ヘリテージ社で調べたら“100%アジア日本”だった。何をもって100%日本人と言っているのか?これは勝手な解釈だが、これは100%縄文人という事なのではないだろうか?と考えた。でも、よくわからない。

 

縄文人と言っても単一種族ではない。北方の大陸から氷河期に移住して来た人の一部は、ケルト人などと血縁的繋がりがあると言われている。こういう遺伝子を検知しても100%日本人という結果を出すのだろうか?

 

日本人のように孤立言語を話し、自分たちのルーツが分からないという国民は世界中どこを探しても存在しない。ただひとつ言えるのは、日本民族というまとまった種族的集団が、どこかから一度に渡って来たわけではないという事。

 

アメリカ人でも自分のルーツはケルト系とか、イタリア系とかそういう事を良く分かっている。尤も、歴史の浅い国だから自分のルーツがまだ分かる。

 

日本人は日本人というアイディンティティ以外何も無くても、生きていく上で何も不自由はしない。何とも不思議なのが、大半の日本人は自分の根源的なルーツについて考えないし、そんな話題を口にする者がいない。そんな話をする事自体がタブーなのかと思えるが、そういうわけでもないようで、自分の根源的なルーツという発想が無いようなのである。大半の日本人はそんな事を考えることなく、生涯を終える。

 

テュルク系民族に限らず、欧州人、中国人、朝鮮人などは、一千年以上昔のルーツについて、一族で情報が共有されている、という話はよく聞く。

 

サカナクションのアイデンティティという楽曲がたまにラジオで流れる。これを聞くたびに、自分の事を言われているのかと思う。

 

日本でのアイデンティティとは、メンタル面での自立や、自分の道とか、自分のライフワークという意味合いである。自分はまだ、メンタル的な観点での「アイデンティティ」を確立してはいない。

 

周囲の人間に民族的ルーツのアイデンティティの話をすると、そんな下らない事考えてないで、自分の道見つける事の方が優先だよ。

 

老後の心配したら?。勉強したら?。そんな事より周囲の顔色気にした方があんたの為だよ。人と会話する事覚えなよ。

 

頭の中幼稚だね。他にもっと考える事あるでしょ。そんな事気にしなくてもいいよ。

 

外国人ルーツがあっても現世の人間には何の影響もない。暇だね。そんな不毛な事に時間を割くのは無駄。ずいぶん変わったこと考える人だね。

 

怒った事ある?。不思議な人。そんなんだから友達出来ないんだよ。気持ち悪いなぁ。

 

などと言われ、ないがしろにされる。この頃の周囲とは、高校の同期。

 

それに懲りて、それ以来、周囲にはこんな話を一切しなくなった。

 

日本人にはその手の話はアホらしくてタブーのようだ。人間の根源的な問題なのに、否定される。

 

日本には、そのようなものは存在しない。

 

 

昨年、両親にこの話しをしたら、昔の征服王朝説を言う。大陸にいた“倭(和)民族”が天皇家を頂点にして、縄文時代に、馬に乗って日本列島を侵略し、縄文人を北と南に追いやった。北がアイヌで南は琉球。琉球人を先住民と言っていた。未だそういう認識である。縄文人を日本人と見做していなかった。学校の教科書で習った通りの事を言う。

 

自分の遺伝子検査の結果が、100%日本人と出たのでこれは100%縄文人の家系決定だと思うが、当の両親は全く考えもしない。その事を伝えたら、純粋な“和族”なんだろ?日本人なんだから当然。ぐらいの答えで笑っていた。これ以上もう、何も言う気は起きなかった。

 

神棚を飾る慣習が無い事自体が、うちは、縄文系であると思うが。神棚に祀られている神は「天神」「地祇」で言う「天神」に属する方で「タカマノハラの神」である。これは“和族”が大陸から持って来た神である。両親は、自分たちが縄文ルーツであるのに、それも自認してないのか。何も先代から伝承されて無いのか。哀しい。

 

マイ・ヘリテージの結果も、正しい意味がよく分からないので、自身が100%縄文(うちが縄文家系)なのか?本当のところは何も分からない。

 

私を否定、卑下した高校同期の人たちは自分のルーツについてどう思っているんだろう。多分、そんな暇じゃないと思うので、そんな事は生涯考えもしないのだろう。

 

その中の数人は、弁護士になったり、ファイナンシャルプランナーになったり、一級建築士になったりした、らしい。同期事情に詳しい同期から聞いた。

 

彼女らは、そんな無駄な事を考えずに、自分の将来を見つめ、勉強して自分の道を見つけたのだろう。それこそ、日本で言う、アイデンティティを確立している。私は何ものでもない。何にもなれなかった。

 

自分の根源的な民族的ルーツが分かれば、自分のライフワークや道を見つけるなど、何か開けてきたり、前へ進めるのだろうかと考えていた。

 

 

自分は子供の頃より将来の夢が無かった。将来の職業というものが、何をどうやってもどう考えても、考えつかなかった。何にも興味を持てなかった。当時はネットがあったわけでは無かったし、自分には情報交換が出来る友達というものがいなかった。

 

高校の時の担任の英語の先生は、ある時、自分の何代か前の先祖はロシア人だと授業中に言い出した。彼女にはロシア的な特徴など皆無だった。それなのにロシアンルーツがあるのが不思議だった。

 

そして、何を勘違いしたのか自分にもロシアンルーツがあるような気がしてきたのだった。先生は、自分の血統を長年恨んで来たという。その気持ちが全く理解出来なかった。

 

自分のアイデンティティ(民族的自認)に悩みがある人がとても羨ましかった。

 

自分にはそもそもアイデンティティが無い。“日本人”というのはアイデンティティではない。世界からの寄せ集めであって、日本という国民国家の民であるというだけ。自分は何処から来て、どのような本性を持っていて、どう生きるべきか。自分の本性に沿った生き方をしたいので、そこを知りたいが、それが叶わない。“日本人”というアイデンティティで片付けられてしまうと、“神経質なムラ社会”から逸脱出来ない存在にされて、縛りつけられているように感じる。アンタはそういう存在だと決めつけられているというか。もちろんこの意味の日本とは、戦後日本を指す。

 

日本の八百万の神(アミニズム)が連綿と残っているところ、日本人特有の、人の心の奥の奥を読んで行動する所や、和の精神も素晴らしい。日本の美しい自然にも恵まれているし、日本人に生まれたことを感謝している。そして日本の文化は外国人からも評価されている。

 

しかし、「私は日本人です。」と対外国人に言い切れる程、繊細な神経の持ち主では決してない。日本人は空気を読んだり、察したり出来る、非常に細やかな神経の持ち主であるが、それが素晴らしいと評価されている。自分はそこが、全く当てはまらない。日本人の得意とされる分野は、自分にとって苦手である。

 

 

その頃の自分は多分、変身願望に近いものを、ありもしないロシアンルーツに求めていたんだと思われる。それと、海外への都合の良い勘違い。外国人はハッピーで、気さくで、村八分や束縛や干渉などをしないおおらかな人たちだと思っていた。

 

偏狭で、少しでも空気読めなかったりしただけで村八分にされる、人間関係が不自由な、戦後日本要素が嫌いだった事もあった。当時の日本の学校文化。右へ倣え。みんなおんなじ。同調圧力。協調しなさい。などが馴染めなかった事もあり、自分の中に海外ルーツがあったらいいなぁ。と夢想していたのだと思う。周囲の人間に嫌われ、人間関係が構築できなかった、変わり者の自分をありもしない「海外ルーツ」のせいにしようとしていた。しかし学校には、フィリピンハーフの子もいて、彼女は友達も多く、違和感なく周囲に溶け込んでいた。

 

自分が興味のある事は周囲の女子が全く興味がなく、周囲が興味がある事は、自分が全く興味がない。どうしても話が合わない。何を話したらいいんだ?自分は人の欠点に関心が無いから、人の陰口の同調を求められても、「そうなの?」と言うぐらいで応じる事が出来ない。変に陰口に同調して、自分の信用を失墜させるのは良くない事なので、高校同期の軽はずみな陰口には非常に警戒していた。そうしているうちに、いつの間にか村八分を喰らい、集団無視されてしまった。それ以来、その学年が終わるまで、ぼっちで行動するようになる。

 

クラス中で、カルガリーさんは会話成立しないしキモい人だから…と言われていた。用があって話し掛けても完全にシカト決め込まれていた。クラス全体で集団無視。クラス中から常に監視されて、定点観測されていた。空気が読めない人への制裁であった。女子校では日常茶飯である。

 

自分の10代後半は、とにかく周囲と噛み合わなかった。学校には友達がいようといまいと、勉強をしなければいけないので、皆勤で通っていたが、学校からはその年、皆勤賞で表彰されなかった。泣き寝入りしたが、担任側もこんな奴目障りだし来て欲しくは無かったのだろう。私立は依怙贔屓激しいと思った。嫌いな生徒は評価しない。

 

冷静に考えて見れば、16-17歳の年頃の女子の目から見れば、自分の根源的なルーツの話なんかを同い年がしてたらかえって不気味に映ると思う。いい歳をしてこんな事、普通の人間は口にしない。

 

 

遊牧趣味から得られた興味関心は、畜産業や鉄鋼業や鉱物である。これが自分がまだ高校生ぐらいだったら、親に懇願して、ロシア(Санкт-Петербургский государственный горный институт (технический университет)имени Г.В Плеханова《サンクトペテルブルク国立鉱山大学》)

やカナダ(北米)(Haileybury School of Mines《ハイレイバリー鉱山学校》)の鉱山学校に留学したいと言っていただろうと思われる。日本に帰って来ても就職先は無いと思うが、ロシアなどで就職し、結婚し、家庭を築いて、骨を埋めているだろう。

 

この歳になっても自分に「海外ルーツ」を求めるなどという幼稚な事をしてしまう。気が緩んだ時などは、寝る寸前に自分の中に海外ルーツが流れているのではないかと考えてしまう。そういう時は仕事上のミスをやらかしたり、スランプの前触れである。気を張っていればそんな幼稚なことがよぎったりしないが、ダラけて来るとすぐそちらに逃げてしまう。

 

長文のご精読ありがとうございます😭

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カニカンメカ🦀

2024年11月09日 | 日記

カニ缶がカニさんになっちゃう🦀 変形ガチャ

かわいいカプセルトイ

 

❤️💛🩷🩵

全色コンプリートした🎊

 

今年10月からトイズキャビンよりガチャとして発売。500円

 

トイズキャビン公式サイトに載っている、ガチャ設置場所をググって、足を運んで探し回った。

 

山梨、神奈川、埼玉、東京(新宿、池袋)探したがなかなか見つからず。ネットでカニカンメカをまとめて買う最終手段もあるが、ガチャで引きたい。

 

カニカンメカはX(ツイッター)でバズった。

 

やっと見つけたのが、原宿竹下通りの「カプセルラボ 原宿竹下通り店」B1F

 

同じく竹下通り、原宿駅側から通りに入ってすぐ右手にある“ル・ポンテ”ビルの1F(表記上ではB1F) Picnic原宿店の隣にあるガチャスペースGACHA DOCOR(ガチャ処)

 

同じく竹下通 “C-pla+ 原宿竹下通り店2F”

 

 

JR新橋駅構内のKENELESTANDというガチャ設置場所にもあった🦀

 

 

 

 

 

プルタブを引いてカニ缶を開けるところから始まる。

 

 

プルタブを裏返すと、ふんどしになる。

 

 

 

 

 

脚を伸ばして

 

 


カニさん完成🦀

 

おめめがかわいい😍

 

触ってて面白い🤣

 

 

シールは自分で貼る。



 

🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀

 

ぼく、ピンノ!

 

あさりなどの二枚貝に寄生する小さなカニさん、ピンノのカプセルトイ。

 

これもカプセルラボ 原宿竹下通り店の1FとB1Fにあった。

 

全部で4種類これもコンプリート🎉

 

ピンノなの📍

 


集めるとピンノを重ねて遊べる!貝殻ケース付き¥200で回せるのも良い

 

色んなガチャ場に足を運ぶが、カニガチャを探すのがひとつの楽しみになっている。

 

虎斑カラッパさんのガチャをネットで購入したのをきっかけに、カニさんのカプセルトイかわいい😍となった。

 

カニさんは、その愚直に見える性質と、おめめがかわいい。甲殻類だから硬いので獣とは違う硬直した動きがかわいい。それでいて手先が器用。手(ハサミ《爪》)を使って食べる。歩くときは手を畳んで移動する。ゴリラみたいに歩行に腕(ハサミ脚)を使わない。正常位で後尾する。可愛い。脳ミソがちっぽけだが、感情豊かで個体差もある。そして意外に賢い。ハサミかわいい。

 

オオサンショウウオが大好きな某大学教授がいる。初めはオオサンショウウオ、キモい。としか思えなかった。こんなのの何が良いのか全然理解出来なかった。その先生はオオサンショウウオのグッズを片っ端から揃えて、“いつかオオサンショウウオの住まう土地に暮らしたい”と日々呟いている。

 

自分は水モノに全く関心が無かったが、ロブスター食やカエル食などのゲテモノ食いの動画から始まって、釣りや、水モノ飼育の動画に移行。

カニを飼育する動画もその中にあった。それでカラッパ飼育に出会い、カラッパの可愛さ、カニの可愛さを見つける。カニのグッズがあれば無条件に買うようになっていた。某大学教授を笑えない状況になった。某大学教授はウーパールーパーを飼育している。

 

カニガチャで引いたカプセルトイ

 

一緒にお寝んねしようネ💤

 

 

ご精読ありがとうございました♪

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姉妹都市・友好都市

2024年11月03日 | 中央アジアその他

姉妹都市・友好都市というのは、自治体に住まうその市民にとって世界と繋がる窓である。

 

先記事で、*もみじ ブリティッシュ・コロンビア州、クートニー・バウンダリー地域のネタを書いた。

 

自分はこんなマニアックな町を知るわけがなかったのだが、旅のラジオで姉妹都市のネタが出た

 

 

そのついでに、一応、自分の居所の姉妹都市・友好都市の類をググる。

 

自分の居所である相模原の友好都市は、中国 江蘇省 無錫市🇨🇳

もみじ オンタリオ州 トロント市🇨🇦

である。

 

先記事の、もみじ ブリティッシュ・コロンビア州 トレイル市🇨🇦は、かつての友好都市だったが、トレイル市側から一方的に解消された。バウンダリー地域については、トレイル市を検索したら、クートニー・バウンダリーという名前が出てきた。

トレイル市はもみじ西部に位置する。

 

相模原とは、本州の内陸部に位置する地方自治体である。

神奈川県に属するが、市民の住感覚としては横浜・川崎や湘南・横須賀や県央など神奈川県の他地域よりは、甲信の方が近い。東京近郊のベッドタウンというよりは、地方都市の色が濃い。他の神奈川県の地域とは世界観全く異なる。

 

気候は“寒温帯”に属すると言われている。(芝生などが寒地型のものが植えられている)相模原は東京多摩地域(八王子、あきる野、青梅、奥多摩は除く)より標高が高く、山岳地帯もあるが、大部分は平原である。風通しが良く、苔なども定着困難らしく、ブロック塀や凹凸のある塀や石垣などに生えていない。(地面の土のある場所には、草のように生える)民家の庭の石の上にも苔を見ない。逆に、温暖湿潤な場所での自生例が少ないと言われる外来種の“セイヨウトゲアザミ“がだだっ広い野っぱらに蔓延っている。

 

昔は水を得るには井戸を掘る以外無かった為、相模川沿岸以外は、稲作が困難であった。現在でもそこ以外に水田は無い。温暖で米の二期作可能な県内の他地域とは気候の隔たりが大き過ぎる。そこら辺のだだっ広い畑には、桑や蕎麦やゴボウがたくさん植えられている。そして畜産や養鶏が盛んである。乗馬クラブも多い。工業も盛んである。しかし酪農家は見た事がない。畜産家当事者以外は“家畜”というものが身近な存在ではない。

 

丹沢山塊⛰️は相模原の平原からは40kmぐらいで割と近い。丹沢山塊までは平坦で視界を遮るものが何も無いため、アルタイ山脈を想起させられる。相模原で知名度が高いものといえば、JAXA。相模原市の領土は米軍占領地が多い。横浜の人から“サガミっぱら”と呼ばれていたらしい。

 

雪雲❄️が甲信まで掛かってるときなどは、沿岸部が快晴でも相模原はパウダースノーだったりする事がよくある。相模原は冬は厳寒だが、夏は涼しい気候であった。しかし近年の酷暑により、フェーン現象で沿岸部より暑くなっている。夏は石焼きビビンバが出来るようなジリジリとした暑さだ。東京などの、しっとりとした肌に優しい蒸し暑さが好もしい。

 

“潤水都市相模原“が指すのは、ダムのある山岳地帯と、相模川沿岸部である。

 

個人的には、相模原の気候はトルコみたいだなーと思う(行ったことはないが。)

(*トルコといっても場所による。それに何故トルコにアルタイ山脈あるねん??)

 

セイヨウトゲアザミは、トルコにもたくさん自生しているらしいので“トルコアザミ”でも良いと思うが。

 

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2016年7月31日、もみじのトレイル市との友好都市提携を31日付で解消した。同市から3月に提携解消の申し入れがあり、検討を重ねてきた。同市は人口約8千人。旧津久井町と1991年に友好都市となり、2006年の合併により相模原市が引き継いでいた。

 

市シティセールス・親善交流課によると、トレイル市にいる相模原市の代理人を通じて、マイク・マーティン市長から「トレイル市のような小規模自治体で、交流にかかる将来の財政負担を考慮し、市議会として交流終結の意向を決定した」と連絡があり、6月には同内容の書簡が届いた。これに対して同意する書簡を送ることで、正式に提携解消とすることで合意したという。

 

相模原市の海外友好都市は、もみじ・トロントと中国・無錫の2市になった。

《抜粋:カナロコ》

 

市町村合併によって、互いの自治体の釣り合いが取れなくなり、破局ということなのかも知れない。超旅ラジオでも姉妹都市・友好都市とはマッチングサイトのようなものと言ってる。

 

もみじトロント市と相模原市の友好都市関係も少々ややこしい。トロント市とはもみじ東部にある巨大都市。

 

相模原市は、1991(平成3)年5月31日に当時のスカボロー市と友好都市を提携しました。その後、スカボロー市は、1998(平成10)年1月1日にトロント市を含む近隣5市と合併し、新トロント市になり、友好都市関係が引き継がれました。

《引用:相模原市公式サイト》

 

トロントとは友好都市提携33年。正確にはスカボロー市と提携を結んだ。スカボロー市は逆に市町村合併をされた方だ。トロント市などという超メガ都市と、地味な農作物と畜産・養鶏と工業は盛んだが、米軍占領地の多い(JAXAはある)こんな相模っパラという滅茶苦茶寒い🥶地方都市が釣り合いが取れるとは到底思えないが、破局はしていない。相模原市にはスカボロー市ぐらいで丁度良い。それ考えると、もみじ西部のトレイル市ってどれだけ小規模な自治体なんだ?と思う。多分旧津久井町と同規模だと思う。

これ調べるまではトロントがフロリダにあると思っていました。北米の地理に余りにも詳しくないのですみません。

場所によってはトルコの冬の方がトロントより厳しいかも☃️緯度的にはそんなに変わらん。

 

*スカボロー市はトロント郊外といった感じで、多摩地区のような感じである。ま、東京近郊多摩と相模原もだいぶ隔たりがある。(何度も言うが、まだ行った事がない。トロントという大都市と郊外を繋ぐMetro LINXのGO Transitの4K動画でスカボロー駅を通過したものを閲覧しただけ)

 

もみじと相模原、領土問題で非常にややこしいので頭が混濁する。

 

これを図にしろと言われると難しい

 

    合併  友好都市

相模原市→津久井町🩷トレイル市

→財政難により、トレイル市による一方的な関係解消

 

    合併     友好都市

トロント市→スカボロー市🩷相模原市

→関係継続

 

解消する前はもみじ🍁2個になってた

 

国家の興亡盛衰が目に見える

 

クシュタール汗国→7&i の状況を考えると頭痛い。

 

相模原市のもうひとつの友好都市は、中国 江蘇省 無錫(ムシャク)市。1985年(昭和60年)10月に友好都市を提携し、今年で39年を迎えた。

 

この間、約4,900人の人が相互に訪問し、文化・教育・スポーツ・経済などの幅広い分野で交流を深めています。無錫市は、中国江蘇省の東南部に位置し、気候は相模原市とほぼ同じです。常住人口は約749(戸籍人口は519)万人(2022(令和4)年)で、江蘇省を代表する都市の一つで、工業が盛んなほか、米や生糸の産地としても有名です。

《抜粋:相模原市公式サイト》

 

ここが相模原市の友好都市としてはメインである。まともに交流をし、約40年も続いている。

超旅ラジでも言うように、友好都市・姉妹都市とは「共通点が多い」と書く自治体が多い。相模原市も「気候は相模原市とほぼ同じです。」と書いている。工業が盛んなところなどは共通している。

相模原市の人口は2024年時点で71万。中国とは比較にならないが、相模っパラと長年付き合って頂いている事に感謝。

無錫市は、「太湖石」という奇石を産出し、歴史的な城壁都市である。典型的な江南の水郷であり、水産物が豊富で、古来「魚米の郷」と呼ばれていた。

《抜粋:Wikipedia》

市町村合併などの複雑な領土問題に巻き込まれていないという事も、長続きする事の秘訣だと思う。

 

超旅ラジオの内容では、エビとカニの水族館で有名な“和歌山県すさみ町は、ボスニア・ヘルツェゴビナのイェゼロ市と姉妹都市提携をしている。”と言っている。

 

両自治体が姉妹都市となったきっかけは、シニシャ・べリャン駐日ボスニア・ヘルツェゴビナ(BH)大使が2022年にすさみ町を訪問された事による。イェゼロ市は、*スルプスカ共和国という未承認国家にある。

《抜粋: Yahoo検索結果》

 

《スルプスカ共和国: ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦を構成する自治体の1つで、旧ユーゴスラビアに住んでいたセルビア人、クロアチア人、ムスリム人の主要3民族のうち、セルビア人を主体とした共和国となっている。

「スルプスカ」の意味は、「セルビア人」を現しているため、「セルビア人共和国」と呼んでも良いのだが、隣国の「セルビア共和国」と明確に区別するため、主に「スルプスカ共和国」と呼ばれることが多い。》

《引用: 多言語翻訳 Samurai Global〜多言語のススメ〜》

 

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の結果出来た自治体である。

 

未承認国家と姉妹都市提携。。。羨ましいんですw

 

旅ラジは、東北の東日本大震災の被災地の自治体と、アメリカ西海岸のある自治体が姉妹都市提携しているとも言っている。

 

理由は、海流で繋がっているから。被災した時に流された物が米国西海岸に漂着してしまった。その繋がりで姉妹都市提携が始まった。心の傷を舐める親友のようだ。

 

“海流の繋がり”そういう考えもあるのか。まあ、なんとも。そういう着想には至りにくいので斬新だった。

 

“麻布十番”とアゼルバイジャン。ダジャレか。そういう繋がりもありか。

 

こんなのはどうか。モンゴル国ダルハン市と大元集落の提携。「ダルハン」の意味は「鍛冶屋」。大元集落の、行政的な日本語での現実のこの地区の地名の意味は「鉄を量産する場所」という。

 

意味が似ているという繋がりで提携するのはどうか。モンゴル繋がりで「鉄」繋がりで提携。

 

大元集落は蒙古系民族が定住させられている集落である。自治体でも何でもない*周縁集落である。

 

未承認国家や、ロシア連邦アルタイ共和国などの“共和国”の自治体。〜自治区。〜自治管区。モンゴル。トルコ。北欧のラップ人主体の自治体。旧ソ連。東欧。中東。グリーンランド。もみじの先住民主体の準州。アラスカの先住民主体の自治体。アフリカ。ブータン。インド、ネパール、パキスタン、アフガン、イランなどの姉妹都市・友好都市の提携やってる自治体が非常に羨ましい。そういう場所はよほどの縁に恵まれない限り、自分で追うしかない地域である。

 

私カルガリーがピンで友好関係を自治体と提携するなら、ロシア オレンブルク州 カルガリー市とやっても良いのかも知れない。同じ名前繋がりだから。

 

 

 

現在自分と向き合っている国は、ネパール🇳🇵ベトナム🇻🇳 インドネシア🇮🇩 モンゴル(大元ウルス)🇲🇳 もみじ🇨🇦 中国🇨🇳 クシュタール汗国 - v@ アメリカ🇺🇸

 

ここまで自分の向き合っている国を明かすと、個バレしそうである。

 

ネパール人、ベトナム人、インドネシア人は、自分の職場で多く働いている移民。

 

モンゴル(大元ウルス)。大元集落と向き合う事で、かつて存在した元帝国と向き合う事になる。大元集落と自分との繋がりはないが、この集落の人民は、元帝国の末裔である。この集落と出会したことに感謝しているが、どちらかというと自分からモンゴルの背中を追う事の方が多い。

 

アメリカ。これは、相模原市が米軍占領地を多く抱えている事による。言うまでもなく、これは“外圧”である。

 

クシュタール汗国。これは、アリマンタシォン・クシュタールというケベック州に本社を置き、世界29カ国・地域でコンビニエンスストアやガソリンスタンドを展開するグローバル企業であり、国でも何でもない。

 

しかし、買収を繰り返し、多数の企業を服属させ(傘下にする)膨大化していく。領土を拡大し、人を取り込む、とある大帝国と酷似しているようにも見えた。クシュタール汗国は、国民国家というより主権国家の色が強い。民は隷属民となり、労働を搾取される。傘下となった企業の人たちを上手に働かせると思う。

 

クシュタール汗国は傘下となった企業や、その企業の財産を、主権者である一族で均等に分配。傘下となった企業の分だけ、クシュタール汗国は潤う事になる。そのような会社のやり方が、汗国(ハンコク)と言われる遊牧国家の運営のし方に酷似している。

 

アラン・ブシャール(Alain Bouchard)というクシュタールの創業者兼実業家をなに可汗(*カガン)

《可汗:皇帝の意味》

と名付けようか?と考えている。実際彼は、皇帝の座に君臨している。

 

自分の働いている会社は、7&iの関連企業である為、この件は非常に深刻である。

 

この記事を振り返って、一方的な関係解消、領土問題、紛争、大震災、周縁集落、移民問題、米軍占領地、服属提案、隷属、搾取…..

 

と、数多くの不穏と向き合っている事に気づかされる。自分の働いている会社は、移民と外圧に晒され職場全体が非常にピリついている。

 

選挙戦でどの党も”移民“と”外圧“の問題に触れない。今回の選挙は裏金問題に特化されてたと感じる。いつまで内向きな裏金の話するのか。円安は外圧が原因だ。米国による金融操作が原因で円安になった。円安が原因で更にまた、様々な所からの外圧が増える。

 

自分はアメリカという国がどうしても好きになれないし、トランプも厭だが、トランプ氏の言う事が理解出来るようになって来ている。氏の暴言や失言に目をつぶれば、移民問題について語るトランプ氏の方が、いつまで経っても裏金追求するより遥かにまともな気がする。

 

長文のご精読ありがとうございます😭

 

おまけ

 

スカボローを通るGO Transit

(以下GO鉄とする)

 

・GO鉄 Stouffville線

 

動画の16:00頃、スカボロー駅通過。

 

トロント中心部Union Station (多分、労働組合駅という意味ではない)から終点Lincolnville駅まで49.6km

 

 

・GO鉄 Lakeshore East 線

(以下湖岸東線とする)

 

この動画は各停。

 

動画の41:40頃、スカボロー駅停車。

 

トロント中心部Union Station から終点Oshawa駅までは50.5km

 

これのどこが多摩じゃ〜!!!

 

湖岸東線の終点のOshawa駅あたりのが、スカボロー付近より相模原らしい。

この沿線の景色は、外国のものとは思えない。トロント中心部に近づくにつれて、ここは日本ではないんだなーと感じるが、郊外、さらに田舎へ行くにつれて相模線の一角などのような雰囲気になり親近感が湧く。しかし社会構造や様々なシステムや慣習は全く異なる。YouTube 切り取りマジックに掛かってるのかも知れない。実際に行ってみると、親近感も既視感も懐かしさも全く無いのだろう。

 

しかし飛行機で13時間もかかる地球の裏側なのに車窓が似ているというのは不思議である。日本に洋風な戸建てが増えたことにより、トロント近郊の車窓に近づいてしまったことも考えられる。大都市近郊というものは、世界中どこもそんなに景色変わらないのだろうか?

 

ひとつ考えられるのは、相模原が、米軍基地を中心に、北米風に土地が区画整理された事。アメリカン・スタンダードに基づく国土改編。米国が侵食して来ている。その上日本人市民が、近年流行りの北米人が住むデザインの戸建てに建て替えた事で、より北米化してしまった。もみじの郊外よりアメリカの郊外の方がもっと相模原に似ているのかも知れない。基地外な話だ。銃や覚醒剤も基地を拠点に出回っている可能性もなくはない。我々日本人は、米国の脅威を考えながら生活しなければいけないのだろうか?

 

政治家はダメだな。こんな事全然考えてない。

 

汗国と米帝国と移民の害悪の板挟みになっているうちの会社は、どう考えているのだろう?三面楚歌。脅威だらけだ。

 

 

更におまけだが湖岸東線沿線にAjaxという駅がある。エイジャックスと読むが、ここはSUM41のデイヴ氏の出身地である。

 

SUM41が契約した場所はトロントなのでこのバンドはトロント出身という事になっている。SUM41には、もみじ国人民が2人、トゥバ人が2人、アメリカ人が1人。計5人。昔スティーブというメンバーがいたが彼もトゥバ人である。

 

《SUM41 デイヴ・ブラウンサウンド氏 転載: デイヴ氏のインスタ》

 

*もみじ: Canada

 

*周縁: 文化人類学用語では「中心から排除されたり、軽視されたりする存在」と定義され、経済学では「周縁は中心から経済的に疎外された地域や国を指すことがある。」文学では、周縁は「社会の規範から外れた人物や集団を表現するために使用されることがある。」この集落は、文化人類学的にも経済学的にも文学的な意味でも、全てにおいて“周縁”に当てはまる。

 

 

 

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和の精神についてその2。欧米文化との比較。

2024年10月27日 | ザ・日本人の気持ち

先週は、縄文時代から脈脈と受け継がれてきた「和」の精神について書いた。

「和」の精神の根本とは「隣人に対する恐怖心」と結論づけた。

これは、日本人独特のものだと思う。

日本人のタテマエとホンネというのも「和」の精神の裏返しと言われるが、これも説明がつく。

タテマエでは「貴方に対して敵意はありませんよ」という友好的な態度で接するが、内心は、相手の悪口、罵詈雑言。そして、家族や親友や、職場の信用できる女子社員なんかにホンネの陰口を叩く。

これも直接相手とのトラブルを防止する為であるが、女子社員が背信したら喧嘩になる。

これも日本人独特なものである。

これは西洋人、東洋人、東南アジア人関係なく、外国人であれば、速攻ホンネを直に相手に、直接的表現で言ってしまう。外国人は、本当に敵意のない相手にはそこそこ友好的に接するが、敵意のある相手には直接敵意を剥き出しに接する。嫌いな人には挨拶をしない。無視するという事がザラである。心にもない挨拶をしたり、社交辞令を言ったり、お世辞を言ったり、相手に興味もないのにエレベーターの中でお天気の話をしたりはしない。

日本人、特に昭和前半世代の方は、自分から話し掛けなければ相手に対して失礼という感覚があるようなので、顔見知りでも何でも無い人間に対しても儀礼的に話し掛ける。「相手に対して失礼」という感覚も古今東西の外国人には存在しない。

(*外国人と一括りにしているが、個体差はある。)

 

外国人は、「日本人はハッタリをよくかます」と言うが、これも「和」の精神、相手に対する畏怖から来るのである。

そこらへんも「日本の常識、世界の非常識」である。中年日本人男性に、軽いエレベータートークをされた英語圏出身の女性ユーチューバーは驚いて、途中でエレベーターを降りてしまったというエピソードがあった。エレベータートークがセクハラに聞こえたらしい。ナンパされたような気がしてとても怖かったという。

自分が思うに、彼は英語圏女性(ガイジン)に個人的には何の興味も無かったと感じる。ただ、慣習的に「これから何処行くの?」と何の気なしに、挨拶程度に聞いてしまったのだと思われる。これは日本人にしか理解出来ないだろう。

(*個体差はある)

 

ガイジンは、ナンパぐらいにしか捉えない頭の中身である。日本文化の洗礼を受けましたね艸としか思えない。

これがもし若いイケメンだったらガイジンの女の態度も違っただろう。多分彼も貴女に興味も関心もないと思います。

日本人は実は外交上手なのかと思える。

しかしバブル崩壊以降、互いに「儀礼トーク」や「ハッタリといわれるトーク」がかませなくなってしまった。タテマエ、ホンネの日本人だったものが、変容してしまった。互いに疎遠になり何かにつけてプライバシー侵害だのハラスメントだの言うようになってしまった。そして、社内の人間との飲みニケーション的な交流も拒否するようになった。企業風土が、無味乾燥で、職場には仕事の為だけに来ている、個人情報を相手に聞いてはいけないというコンプライアンスが出来る。何かにつけて規則。古き良きアットホームな仲の良さは無くなった。

(*全体としての傾向という話で、企業文化による)

 

古き良き企業は、人脈の力で営業が上手く行っていた。しかし現在の令和日本では、人脈の力が企業に影響をあたえるという事はない世知辛い時代である。

現代人が大好きなハラスメントやプライバシーという言葉。

(*人による)

 

高校ときの英語の授業で、とても印象深かった内容がある。「プライバシー」という言葉は、ガソリンスタンドと同様に和製英語である。ネイティブ英語では「ガス・ステーション」という。

「ガソリンスタンド」という和製英語は、日本人だけが日本で使い、ネイティブが使う事はない。

しかし「プライバシー」という言葉は日本で生まれた和製英語だが、欧米に渡り現地では本来とは違う意味で使われ日本に逆輸入されてきた。

そういう語がいくつかあると言っていた。「フレンドリー」も和製英語で、欧米に渡り、これも本来と違った意味で現地で使われ日本に逆輸入された。「バウンダリー」という言葉も和製英語である。

先生はこの3つは元々「和」の精神と関わりが深いと言ってた。

「プライバシー」というのは、英語の「プライベート」という言葉を日本語化した。「プライバシー」の元々の日本語の意味は、「隠居」や「他人に邪魔されない生活」である。この概念を一語に表現したかった日本人は英語を借用し、この言葉を作った。

欧米でのプライバシーの捉え方は「個人情報」という限定的な意味で使われる。

 

「フレンドリー」は「フレンド」という言葉を日本語化した。日本語での本来の意味は「友好的」である。「貴方に敵意はありません」という態度を一語で表したかったのだろう。友好的という本来の意味がありながら、横文字化している。

欧米でのフレンドリーの捉え方は「気さくな」とか「誰とでも友達になる」という友達100人出来るかな?のようなニュアンスだ。欧米は過剰な競争社会で、成功者をはじめとする上流階級では、友達が多い事でマウントをとる。成功者は友達が多い事がステータスである。彼らは盛大な社交パーティーを開き、友達の多さを自慢する。

パーティー参加者は皆仲が良いわけではなく成功者の「友達」というサクラとして利用されている。まるで政治パーティーだ。いわゆる「サクラ」は高級食材などの餌に釣られて参加しているだけである。欧米人は日本人に比べてチョロいので、釣られやすい。雑魚欧米人(平民階級)はこじんまりとホームパーティーをする。

社交界文化(貴族文化)のある欧米諸国では、友達をたくさん作る必要性があるので、フレンドリーが、ズカズカと相手に踏み込み強引に友達になるようなニュアンスになる。どちらかというと「対人積極性」というニュアンス。欧米の貧富格差は凄ましい。しかし欧米人は総じて友達を作ることに「積極的」だ。

(*個体差はあるが、欧米ではそういう風潮がある)

 

日本の採用人事界隈では、ごく親しい知人が2〜3人いると言えば心象が良い。友達がたくさんいると言うと、八方美人で、信用がない人だという印象がある。更に「友達」という言葉が“マブダチ”のようで心象が悪いと感じる人もいる。

(*採用担当による)

 

元来日本には「友達」という概念が無かった。明治まで、横並びの社会が歴史上全く無く、幼い頃は横並びに付き合うが、一生付き合う事は少ない。「幼馴染」という概念はあるが、年をとり生活段階が進むにつれてその段階に合わせて関わる相手が変わる。そもそも日本には社交界文化がなく、家族や親族との関わりが主であった。武士も農民も職人も縦社会であった。身分制の他にも、武士は言うまでもないが、農民、職人にも一族毎にそれぞれ階級があった、商人以外の日本人は階級社会で暮らしていた。

日本は伝統的に横の繋がりが社会的に存在しなかった為、並列の人間関係が苦手である。学校のクラスなどで友達を作るのが下手糞とよく言われるのもそれに起因する。並列関係の同期(同級生)に警戒をし、互いに距離を置いてしまう。よく、部活に入らなきゃ友達出来ないと言われるが、部活は上下関係がある為、人間関係が構築しやすい。日本人は、自分の友人を「知人」と表現する人が多い。

(*個人差はある)

 

「友達」が少ない、或いはいない人の方が誠実な人間な気がする。この人は誠実で不器用だから友達が出来ないのだと思えて、とても魅力的である。自分と同類だと思えて好もしい。

(*完全に私見)

 

欧米では友達が出来ない人は馬鹿だし、口数が少ない人はつまらない人間だと見做される。

(*そういう風潮はある)

 

ある欧米人が言うには、日本人ほど単純に友達になりやすいのはいないという。日本人はNoとはっきり言わないし、英語で話しかけても無視をせず、誠実に答えてくれる。それに人当たりが優しい。欧米人が言うには、欧米人というのは日本人とは比べ物にならない程、気性が難しく、意地が悪いのだと言う。話し掛けても無視をする人はザラにいる。

(*あくまで欧米人個人の意見なので、信頼性は高くない)

 

日本人は、人に話しかけられる事は大好きである。

 

日本人が最も社交的だった時期は、開国からバブル崩壊までと言われている。「ハッタリトーク」が上手かった時期は長い長い日本の歴史の中でほんの一時期。崩壊後は、本来の日本人らしさに戻りつつある。

開国・文明開花で欧米の社交性が取り入れられ、そこに和の精神が融合、日本人は心にもないハッタリトークをするようになった。戦後アメリカの尻を追う。昭和中それは続いた。

しかし、バブル崩壊でダメージ。経済縮小に伴い内向き指向に。年を追う毎に欧米指向どころではなくなり、意識せずとも本来の日本人らしさを取り戻す。

今後もし、日本の経済が復興しても外向き指向(海外に目が向く)にはならないし、かつてのように欧米の尻を追う事はないと思う。インバウンドもそのうちいなくなってしまうし、移民の顔ぶれも変わる。

 

「バウンダリー」は「バウンド(縛られる)」という英語を日本語化した。「バウンダリー」の日本語での意味は、「境界」。これは物理的な「境界」ではなく、「目には見えないが、侵害してはいけない概念的な境界」である。

先記事の「和の精神」で触れた、縄文人の原初的な「和」の在り方の、「自他の線引き」に近い。

個人を尊重し、他を干渉しない。また、他から干渉されたくはない。という話を連想させられる。先記事の縄文の話は、アフリカのシャーマンが言った、まゆつばな話なので、本当のところは分からないが、「バウンダリー」という言葉がある事によって、この話が本当だったのかも知れないという裏付けになる。

 

ソーシャルワーカーによる、コミュニケーションと心の問題について書かれた記事↓

自分と他者を区別する境界線「バウンダリー」とは?ソーシャルワーカー鴻巣麻里香さんによる解説 | こここ

 

「バウンダリー」は対人支援専門職の間で飛び交う言葉だ。記者はエヴァンゲリオンの内容を専門的な目で解釈している。この記事も、「和」の精神とは「自分と他者との線引き」と言っているようである。非常に深い内容である。

 

「バウンダリー」という言葉も欧米に渡り、日本での「境界」の概念を削ぎ落とされ、物理的な「境界」のみという事で捉えられている。欧米人にはこのような深い日本人特有の心を理解出来るとは到底思えない。例を挙げれば、もみじ ブリティッシュ・コロンビア州 クートニー・バウンダリー地域。

 

 

《掲載:Wikipedia》

もみじの行政が、和製英語を使用しててとても面白い。ここは、アメリカとの国境に接している。国境を指して「バウンダリー」と言っていると考えられるが、国境の訳はボーダー(Border)である。何故ボーダーではなくバウンダリーなのか謎である。よく読めば「バウンダリー“地域”」という。バウンダリーというのは固有名詞の地名ではなく、市とか町というような行政区分のようにも見える。“クートニー”というのが固有名詞の地名だと思う。行政区分で“境界地域“とはどういう事だろう。国境だから境界なのか?別の意図があるのか分からない。もみじの幹部は日本的な、侵害してはならないという概念的な“境界”という意図ではないと思うので、物理的な“境界”だと思う。クートニーという広範囲に渡る地域があり、アメリカともみじに国境で分断。クートニーという地名の地域の国境側の地域という事だと思う。アメリカ側にも同じものがあると思う。

 

国境。

 

国境とは「和」の精神の極みだと思った。海に囲まれ国境を持たない日本人とは相反するが、縄文人は、氏族が国のようなものだったのかも知れない。他人に対しては個々人が概念的な国境を持ち、つまり侵害してはならない目には見えない境界を持ち、各氏族が国のような責任を持って生きていたのではないかと考えられた。他氏族との力関係や均衡を考えながら活動し、交渉していたのではないのかと考えられた。各氏族は、大戦に発展しないように外交努力をしていたのではないかと考えられる。

 

縄文の平和はただ与えられたのではなく、自ら築いていったのだろう。

 

縄文人の親が子供に責任というものを叩き込むのも、氏族、つまり国の幹部のようなものの一員として責任を持てという教育だったのかも知れない。

アフリカのシャーマンの言ってた事だから実際どうか知らんけど、嘘でも本当でも凄い話だ。

因みに「フレネミー」という言葉も和製英語で、これはまだ日本でしか使われていない。表面的に友好的に見えるがホンネは敵意を持つ人を指す。その逆もあり、競争相手であるが、協力関係もあるという意味もある。

長文のご精読、ありがとうございます😭

 

もみじブリティッシュ・コロンビア州 クートニー・バウンダリー地域については、もみじ、トレイル市が自分の居所である相模原市のかつての友好都市だったので、検索した。

バウンダリーという名前が出てきた。

これはトンデモな説だが、バスク人やケルト人も縄文人の一部だという説がある。氷河期より前の太古の昔、バスク人、ケルト人の祖はユーラシア大陸の広範囲に渡って居住していた。氷河期に大陸と日本が地続きになり、日本に渡った。その後孫の一部が日本に存在しているという。バスク人、ケルト人の祖は、西洋人ではなく、彫りが深く毛深いアジア人である、古モンゴロイドで、赤毛だったと言われている。ハプログループYアダムR1bタイプがこれに該当。日本人の約2%がこれに属している。西アジア中心に拡散したというが、西ヨーロッパと南ヨーロッパに顕著に分布している系統であり、バスク人やケルト人に80%以上の高頻度で見られる。

大航海時代以降の人の流動に伴って南北アメリカ大陸やオーストラリアにも分布を拡大した。

またバシキール人にも86%の高頻度である。

高頻度民族・地域は西ヨーロッパ、アルメニア、カメルーン、バシコルトスタン、北米東北部等。

また、R1b 系統は赤毛遺伝子とも言われるように、バスク人、ケルト人、バシキール人に赤毛頻度が多く、血液型Rh-遺伝子であるとも言われている。日本人に少ないRh-の人は、赤毛の縄文人(古モンゴロイド)の後裔である可能性が非常に高い。東北地方には、赤毛が多いと言われているが、この影響もあるのかも知れない。

《Wikipedia一部抜粋》

 

その為、一時は「日英同祖論」などというものが流行った。英国人(ブリテン島)には、バスク人、ケルト人に由来のある人が多くを占めているため、日本人と遺伝子が近いのではないか?というトンデモ説が流行った。しかし日ユダヤ同祖論の方が沸いた。

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和の精神について

2024年10月20日 | ザ・日本人の気持ち

さて、今回は、自分が長年考えてきた「和」の精神とは何か?について書きたい。

 

10月11日。今年のノーベル平和賞に日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会が選ばれた。受賞理由について「核兵器のない世界を実現するために努力し、核兵器が二度と使われてはならないと証言を行ってきた」と評価している。

 

日本被団協は、広島や長崎で被爆した人たちの全国組織で、およそ70年にわたり被爆の実相を伝え、核兵器廃絶を世界に訴える活動を続けてきました。

 

日本のノーベル平和賞受賞は、非核三原則を表明した佐藤栄作 元総理大臣が1974年に受賞して以来、50年ぶり、2度目です。

《NHK NEWS WEB抜粋》

元記事↓

 

ノーベル平和賞 日本被団協きょう会見 核廃絶など改めて訴えへ | NHK

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“和をもって貴しとなす”

 

この言葉が表すのは、「いさかいを起こさないのが良い。」という事。「和」とは「平和」。「戦争を起こしてはならない。」という聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条に出てくる。

 

その時代から日本では「平和」について考えられてきた。しかし実際には、更に昔から「平和」が意識されてきた。

 

日本は太古の昔から、国土全体危機に瀕した事は2度しか無かった。一度目は元寇。しかしそれは、壱岐、対馬と九州北部の一部だけであり、日本全土ではない。結果的に失敗に終わった。もう一つの侵攻は第二次世界大戦の米軍による爆撃。原爆の投下。これは日本国土が焦土と化した。それ以外、日本は外敵に晒される事は無かった。この数奇な運命は、世界中の如何なる地域にも見られない。

 

世界中の殆どの島国は、西欧列強の植民地支配に遭い、列強である英国自体が大陸から近い為、太古の昔から侵略されていた。それだけでなく、ヴァイキングという、海からの侵略もあった。大陸にある国は、言うまでもなく、陸続きの為、有事やトラブル続きであった。

 

日本ほど外寇に晒されない平和な国は、他を探してもどこにも存在しない。

 

長い日本の歴史で戦ばっかじゃないか?とも言われるが、日本の戦は、戦場で兵士が戦う事が多かった為、中世ヨーロッパや、中国、中東ほど凄惨な戦争ではなかったと言われる。現地調達。つまり掠奪といっても、現地の農民や漁民が敵味方関係なく自ら食糧を兵士たちに提供していたという。絵に描いたような掠奪は、倭族同士では起こらなかったようだ。

 

倭国の歴史上最も戦争が酷かった時代は、信長、秀吉の2代ぐらいの期間であった。戦場は凄惨だが、戦争に関係のない庶民は自由に暮らしていたといわれる。日本の戦国時代というのは、世界の戦争と比べると、小競り合い程度だと外国人らから言われる。中国やヨーロッパには城塞都市という、都市を壁で包囲した都市が存在するが、日本にはどこを探してもそれが存在しない。それだけ大陸の戦争というのは、外寇が酷かった。日本人は、街に住む一般人を襲撃するという事は歴史上無かった。敵の城を落とす事が目的であって、一般人を襲撃しようという発想は無かったらしい。

 

もう一つ特殊だと言われるのが、川のすぐ近くに定住するという事。外国人の目から見れば、これは不思議な事らしい。川蔦いに敵が船に乗って侵攻する為、近くに定住村などがあると襲撃される危険性が高いので、川の近くには定住しないのが世界の常識だという。

 

それで日本は、世界から「平和ボケ」だの「惑星」だの「日本の常識世界の非常識」だの言われる。

 

 

以前、自分の記事で、「日本は島国で、周辺の大陸や島嶼からの寄せ集め、烏合の衆。元はバラバラだった。それを纏めるたった一つの共通するものが“日本語”と書いたが、それは、大いなると迄は行かなくとも、勘違いであった。

 

日本(倭国)の外国人(非倭族)率については、鎖国直前の江戸初期に於いて、自己が倭人ではないと自認する人が僅か1%にも満たなかったと書かれていた。*但し、琉球王国と蝦夷地を除く。現在と比べると、本当に少ない割合だ。

日本は周辺の大陸や島嶼からの寄せ集めでバラバラだった時代は、飛鳥時代ぐらい迄であった。その時代は、寄せ集めの血統的にバラバラの部族が紛争していた。江戸時代にもなって、それは無かったようだ。

 

過去の自分の記事で、日本人はオールドカマー、ニューカマーなど、いつの時代にも人が渡航して来ていたと書いた。そして、江戸時代の鎖国までは、一日あたりなん人というレベルで常に渡来はあったと書いた。

 

大まかに分けると。

 

アンシェントカマー(太古)

氷河期→石器時代→縄文時代

 

 

オールドカマー(古代)

弥生時代→古墳時代→飛鳥時代→奈良時代→平安時代

*奈良・平安は古代か中世か意見が分かれるが、大和朝廷が絶対権力を握っていた時代までを古代とする説が多い。

 

 

ミドルカマー(中世)

鎌倉時代→(南北朝時代)→室町時代→安土桃山時代→江戸時代、鎖国まで

 

 

ニューカマー

開国・明治維新→大正→昭和、戦前まで

 

 

戦後カマー

昭和戦後→昭和が終わるまで

 

 

近現代カマー

平成→令和

 

 

と書いた。

 

しかし、新しい研究結果の文献をネットなどで読むと、日本人の大半は、アンシェント(太古)カマーである。その次に多いのがオールド(古代)カマーで、鎌倉幕府が政権を握るようになってから、大陸や島嶼など外部からは滅多に渡航して来なくなった。遣唐使を辞めてから、大陸や半島や島嶼からの移住者が激減した。日本に移住する理由が無くなった為である。

 

中世、ミドルカマーの時代では、幕府が許可した中国や朝鮮半島から呼び寄せた陶芸技術者か、幕府が許可した貿易商人などは、幕府が定めた土地に居住する事は許されたが、倭人と血を混ぜる事は許されなかった。彼らは国に帰ってしまうか、独身のまま生涯を終えるかしている。

 

もう一つのケースは、大陸などから日本列島に漂着してしまったというのがある。*カナダ人🏹などは、これに該当する。中世倭国は入国管理がガバガバだったから、カナダ人🏹が倭国に入り込んでしまう事も可能だった。

《カナダ人🏹: 約400前に日本に渡航して来た蒙古系遊牧民。現在、カナダ集落(大元集落)に定住させられている人民の祖先だと考えられる。》

 

学校の日本史は、日本人の由来は縄文人と弥生人だけだと教えるが、新しい文献によれば、大まか合っている。縄文人に該当するのはアンシェントカマー(太古渡航者)。弥生人に該当するのはオールドカマー(古代渡航者)。縄文人も弥生人も単一民族では無かったが、これらを象徴して、縄文、弥生と呼んでいるのかも知れない。

 

日本人は、日本列島の周辺地域から寄せ集まったアンシェントカマーが長い年月を掛けて混ざり合ったグループと、その後の時代、日本に渡航したオールドカマーとが混ざって現在の日本人が遺伝子的に確立した。そして海に護られ、鎌倉幕府成立以降殆ど外から部外者が入って来る事なく純血性が保たれた。「民族」定義は民俗学者も頭を痛める程難しいが、考えようによっては日本は単一民族である。

 

長い年月を掛けて混ざり合い、考え方、生き方が同質、均質になった平和な環境で生きる人民は、平和的になる。しかし、日本人も人間だ。人間としての本能も原始のままである。他者への「警戒心」という本能も、原始時代から殆ど変わっていない。

 

日本人の大半は、アンシェントカマー(太古の渡航者)である。オールドカマー(古代渡航者)との混血も多少あるが、縄文人と言われる太古の人間の血の方が濃い人間の方が圧倒的に多数である。

 

クール・ジャパンと言われる要素のひとつが、日本人の「目つきの悪さ」これは本当で、日本人は、他の東洋人にはない目つきの悪さがある。

東洋人(主に北東アジア人)は切れ長な目が多いが、日本人の目つきは特殊であるという。西洋人から見ると、「サムライ」のようであり「鷹」のようであるという。日本人の目は鋭く、聡明に見えるという。日本人は平和ボケでおっとりして、ただおとなしく見えるが、目つきとのギャップにとても驚くという。日本人女性が西洋人にモテるのは、この目つきの悪さにあると言う人もいる。

 

この、他の東洋人とは違う「目つきの悪さ」も説明がつく。多くのアジア人や、西洋人の目には「蒙古襞」がある。内眼角贅皮(ナイガンカクゼイヒ)とも言う。上まぶたが目頭を覆う部分にある皮膚のひだ。蒙古ひだの形成は、寒冷な気候的要素の、遺伝的要素が原因だと言われる。つまり寒い地域出身の祖先を持つ民族に多く出現する。西洋人の丸っこい目の形は、目頭の蒙古襞に由来する。北東アジア人は、目尻は吊り上がり、切れ長だが、西洋人同様、目頭が丸っこい人が多い。しかし日本人はこの蒙古襞が無い人の方が圧倒的に多く、ある人の方が珍しい。

 

蒙古襞がない人は、キリッとした目の印象になる。日本人が、他のアジア人よりも大人っぽく見えるのは、考え方や生き方の大人っぽさもあるだろうが、このキリッとした印象によるものもある。

 

蒙古襞が無い原因も、縄文人(太古の人類)の要素が濃い事も関係していると言われる。本土の日本人の他に、アイヌ民族、沖縄と、台湾の先住民アミ族、中南米の先住民、北米の一部のネイティブアメリカン、北センチネル島の先住民、アマンダン諸島の先住民アマンダン人、オーストラリアの先住民アボリジニなどの、先住民という人たちと、バスク人、ケルト人には蒙古襞がない。ネイティブアメリカンの目つきの悪さも、米国白人の間で言及されている。

 

 

縄文時代は、戦乱の無い平和な時代が1万5000年続いた。現在では縄文時代の研究も進んで色々分かってきた。縄文時代は稲作もなく、鉄器などの武器も無かった。身分や格差も無かったし、主権や土地所有者も、国民という概念も無かった。

気候も温暖で、飢餓なども無かったという。更に分かった事は、縄文人は定住していた。

 

縄文人の民族性について非常に気になる。これはまゆつばな話だが、これもYouTube動画から得た内容。ある画家がアフリカの集落に、絵の修行に行った時の話。その集落のシャーマンが、生前、日本の縄文人をやっていたという人(霊)と霊通した。

 

覚えている限りを書く。

縄文人というのは、第一に、何でもキッチリと線引きをする民族である。個人主義が発達した社会を築いていた。家族や血縁者を何よりも大切にし、他人に対して忖度などをせず、周りを気にせず自由に生きていたという。

 

上下関係という概念が無かった。喋る事を好み、納得するまで徹底的に互いに話し合う為、戦乱に至る前に解決させていた。集団で動くという事が少なく、個と個の勝負であった。口論も殴り合いの喧嘩もよくする。しかし戦乱に発展する前に解決させていた。とてもタフで、孤独耐性に優れていた。協調性は、あまり高く無かったが、自他の線引きがキッチリ出来ていたので、足並みを揃えない人を非難する事が少なかった。協調性は低いが、喜びをシェアする事を良しとする。ノリだけは良かったようだ。

 

縄文人は何よりも「責任」というものを重要視していた。個人の責任を尊重し、他人に干渉する事を好まなかった。その割案外フレンドリーであった。しかし内心、他人に対する警戒心が強かったという。縄文人は、自分のテリトリー侵害される事を嫌った。

 

親は、子供に対して、歩けるようになり、一通り喋れるようになったら、責任を与え、一人の人間として扱った。その為、自分の頭でモノを考える事を幼少時から強いられるので、早く自立し、大人と対等に話をする。全体が一丸となって助け合いをするというより、人脈ネットワークが充実してしていた為、困った人が助かる仕組みになっていた。

 

らしい….

 

国がないって事は税金も納めなくて良いんでしょ?いいなぁ…

 

まぁ。実際どうだったか知らんけど、現在の日本人に共通する所もあると感じた。現在日本と社会構造が違うから、違う部分も多い。

 

線引きと、話し合いを好む事、他人に干渉しない事、家族を大切にする事、孤独耐性が強い事、「責任」というものを重要視している事、他人に対する警戒心の強さなどは、現代日本人そっくりであると思う。

 

やはり日本人は元々、クール・ジャパンである。

 

戦争を回避する重要な手掛かりが縄文人の生き方の中に見出す事が出来るのだろうか?

縄文時代は土地所有の概念はないし、国や主権などは無いし、喧嘩するにしても個人vs個人では戦争にはならない。では、氏族vs氏族になればどうか?口論や殴り合いで解決出来たのであろうか?鉄器でなく石器でも武器になる。

 

気候が温暖な時期だったというのも、戦争に発展する理由を作らないと思う。気候が温暖という事は食糧の奪い合いをすることもない。分け与えることもない。気候の良さは、個人主義でもいける。互いに干渉し合う事もない。

 

もし気候が寒冷になったり厳しくなってきたら、生きる為に一丸となって協調しなければならなくなる。そうなると、互いの対人距離が縮まり、人口密度も濃くなる。互いに干渉するようになり、諍いが増え、食糧の奪い合いが始まる。が、分け与えるというのも始まる。一丸となった助け合いが始まり、互いのテリトリーの侵害も始まる。

 

自分なりに考えた戦争が起こらない単純な結論。縄文時代にはそもそも国というもの自体が存在しなかった。

 

もう一つは「個人主義」が発達した社会で自給自足。集落などの団体を作っていなかった為、氏族vs氏族の抗争に発展する事はあっても、村vs村という構図が無い為、事が大きくならず、戦争まで至らなかった。

 

部族ほど大きくならなかったのも、徹底した個人主義によるものなのか?そこらへんは謎である。

ひとつ思うのは、縄文人は他に干渉しない民族性の為、他人に関心がない。大勢の血の繋がらない人たちを纏めて、連合を作ろうという発想は無かったのかも知れない。

 

せいぜい、氏族vs氏族の殺し合い止まりだったのかも知れない。これ以上エスカレートのしようがない。

 

経済学的な要因もあると思う。自給自足、個人主義経済。その上人口密度も非常に希薄だ。経済的に他と軋轢にならない事も戦争の火種を作らない。

 

自分は経済学には疎いので詳しい事は言えない。

 

家族や血縁と、他人という線引きをキッチリしていたのだろうと思う。他人とはトラブルがつきもの。下らない事で何かと喧嘩を売られてたのかも知れない。

 

日本人の根底にある「隣人に対する恐怖心」はこの頃から始まってたのかも知れない。隣人や他人に対する非常に強い警戒心ゆえに、隣人に対し、それと真逆の態度をとっていたのかも知れない。縄文人は、フレンドリーだったというが、これは「私は貴方に対して敵意はありません」という意味の態度なのかも知れない。

 

その頃から我々日本人は「和」を意識した行動を心掛けていたのかも。

 

物事にキッチリ線引きをするのは、曖昧にしておくと後々トラブルに発展する危険性があり、トラブル回避の為だとも考えられる。

 

納得するまで互いに話し合うというのは、争いを回避する最善の策。

 

喜びをシェアする事を善しとする。竪穴式住居の近隣住民と食事会とかしていたのでしょうかね。現代日本人と同じ事をやってたのかも知れない。

 

ノリが良い。パリピか?!

 

責任のなすりつけ合いは戦争の火種になる。自分の責任で生きることは争いの芽を摘む。そう思う。

 

他人のテリトリーを尊重し、干渉しない。この場合の干渉は、余計な口出しをしないという事でしょうか。干渉は、縄張り侵犯。縄張りを闇雲に侵犯しない事はトラブルの防止になる。

 

子供に責任を与え、自立させる。人格の肯定。子供の自信や自己肯定感、責任感に繋がり、その後の人生に好い影響を与える。

 

人脈ネットワークが充実してしていた為、困った人が助かる仕組みになっていた。程よい距離感での助け合い。

 

縄文人は、行動原理が「和」。トラブルが起こる事前提に物事を考えて行動している。この考えの礎となるものが、隣人や他人への過剰なまでの警戒心。トラブルが起こると、殺されると考え、最悪、自分の一族が取り返しのつかない事になると考えるのだろうか。ここまで徹底した「和」にこだわるというのは、何があってこうなったのだろう?

 

当時は国がないという事は言うまでもなく、警察もない。自分の身は自分で護らなくてはならない。

 

という事は、勝ち目がない人と闇雲に闘って殺されるよりも初めから勝ち目の無い相手とは闘わないというのが日本人的な考え方だろう。「逃げる勝ち」というのも「和」の精神。

 

初めからトラブルの原因を排除しようという事で、縄文人たちはこのようになったと考えられる。

 

縄文時代の平和は、漫然と与えられた数奇な平和ではない。縄文人は自ら平和を作り出していたのではないかと考えられる。

 

現在日本人の行動原理も「和」。縄文人同様、トラブルが起こる事前提に物事を考えて行動している。日本人の精神の根本には「他人への警戒心」というものがあるように思え、これは縄文の昔から脈脈と受け継がれている。

 

現代日本人の、他人への配慮も警戒心から来ているし、礼儀正しさも、警戒心から来ている。縄文人と形は違えど、根本は同じである。

 

トラブルや犯罪などに巻き込まれることを未然に防止する為に、フレンドリーになる。これが「和」の精神の根本だと考えた。

 

これは外国人には千年経っても万年経っても理解出来ないだろうな。

 

西洋人には人に対する警戒心というものが存在しない。他人に干渉し、自分が殺したければ殺し、奪いたければ奪う。フレンドリーという概念もなく、人を簡単に蹴落とす。そして人を利用する事しか考えない。日本人とは根本的に違う意味での個人主義を持つ。個人主義ではなく、利己主義。それを象徴するのが「銃社会」。拳銃とは、人から掠奪する為の文明の利器として開発された。西欧列強や常任理事国の戦争犯罪を見ていると、こう思わざるを得ない。

 

YouTube動画で、しかもアフリカのシャーマンが縄文霊と交流して得た情報というまゆつばな話なので、実際どうだったのか知りません。でもこれが本当でも嘘でも、凄いことである。

 

自分が縄文系の家系である事に誇りが持てた。私の先代は、日本の大地に元々住んでいた。この日本という天地は私のものであるという歓びが込み上がる。

 

世界には、これを羨ましいと思う人がとてもたくさん存在します。

 

今年のノーベル平和賞の日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会は、長年、被爆を訴えてきた。

日本は外寇を知らない平和な国だったが、世界唯一の被爆国となってしまった。

 

被爆体験を訴えることによって、被爆の現実が知れ渡り、ノーベル賞によって世界に影響が出て、核兵器廃絶へ向かう事を切に願う。

 

日本人は縄文人同様、自らの手で世界平和を築いて行くべきだと思った。

 

長文のご精読ありがとうございました😭

 

アフリカのシャーマンの話を聞いたという画家の動画は、探しても見当たらなくなりました。消してしまったのでしょうか?

コメント
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