斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

半原線 厚01系統の散歩

2024年03月29日 | 自己満

小林製薬製の紅麹入りのサプリメント服用による健康被害の件で、小林製薬が「未知の成分が検出された。」と発表した。

 

この“未知の成分”というワードに、不穏なものを感じてしまうのは、自分だけだろうか?

 

直感的に人為的なものを感じてしまった。

 

ファミマにも紅麹を使用した製品を販売していたが、健康被害は報告されていない。

 

いずれにせよ、これは小林製薬の原料の管理責任問題である。

 

🧂🧂🧂🧂🧂🧂🧂🧂🧂🧂🧂🧂🧂🧂🧂

 

前回は厚木バスセンターから半原バスセンター迄行き、服部牧場で多大な時間を費やした。

 

今回は前回と同じバス路線に乗り、上荻野、まつかげ台、みはる野、鳶尾などの諸地区を歩き回る予定だった。

 

実際に歩き回ったのは、荻野川より東の上荻野地区。荻野川付近、まつかげ台、泉バス停付近。

 

半原線 厚01系統は国道412号を走るバス。

ここは、中津川と荻野川の間にある台地である。バスの車窓から見た限りでは、このコースの地域は冬季の風を避けられる山陰があり、川が遠くない場所に流れている。川迄の段丘が緩やかで、足労がキツく無さそうに見える。冬営地としては適切な場所だと思える場所である。

 

「上荻野」という地区は広大である。

 

相州病院の脇の緩い降り坂があり、低い場所を目指して歩く。

 

護岸が決して高くはない小川が流れていた。

 

 

荻野川

 

バスの車窓からの予想通りで、この川は崖っぷちではなく、台地から川迄の勾配がなだらかで、家畜の足にも優しく、冬営地からここ迄の足労も楽である。現在は護岸工事の為、川位置が下がっているかのように見えるが、400年前は川の水面の位置が今よりも高かったのであろう。

 

以前散策した角田(スミダ)地区とは違い、荻野川の両岸は田地ではなかった。川の東側は台地であった。この地域に400年前、定住農耕民はいたのであろうか?いたら非常に厄介である。

 

*カネディアン🔱は定住農耕民とは棲み分けていたと考えられる。

《カネディアン: 約400前に日本に渡航して来た蒙古系遊牧民。現在、金田(カネダ)地区に定住している人民の祖先だと考えられる》

 

先日テレビでイラン🇮🇷の遊牧民の事が放映されていた。この牧民一家は家畜を数百頭擁し、幾つもの中継地点を経て目的地へと移動する。

その途中、家畜が定住農耕民の村に立ち入ってしまい、夜中に牧民一家の主が、農民のおっさんにボコされるという事件が起きる。最終的に目的地に辿り着くが、今後も伝統的な長距離畜群移動を自分の力で行いたいという意志を固くする。

昨今主流になったトラックや列車での家畜移送は行わない方針とする。

 

このような事例から、カネディアン🔱牧民もイラン牧民と似たような経験をしていると考えた。

 

江戸時代中期以降の、倭人(大和民族)の田人(稲作農耕民)による入植(新田開発)が行われるよりも前の時代、どこが定住農耕民の居住地であったかをどのようにして調べたら良いのか?

 

カネディアン🔱は、倭人の入植期から自由を奪われ夏営地のひとつ、*カナダ地区(ダルハン地区)が彼らの抑留地となり土地に縛りつけられ、農業従事、つまり年貢搾取(奴隷搾取)されるようになった。

《カナダ地区: 金田地区(カネダ)というものが倭人が定めた行政区画である。カナダ地区というものはモンゴル牧民目線でなんとなく定めた地区のひとつ》【ダルハンの意味はモンゴル語で鍛冶屋といい、金田と同じ意味】

 

厚木市郷土博物館にもう一度足を運んで、どの地区からの寄贈品があるのかをもう一度調べる。郷土博物館は倭人農耕民の歴史しか相手にしていない。昨年は、「金、鉄展」をやってたので、武士の鎧兜や刀剣などの展示もあったが、通常は武士に関する展示は、非常に数少ない。

 

大半は、土器や農民に関する物、近代の生活に関するものなどである。

 

金田地区からの寄贈品は探したが、一つも無かった。金田地区は、本間重連が封建領主を務めていた時期があったが、室町時代頃には消滅していた。その後、江戸中期の倭人入植までの空白期間がある。人の定住が無かったのではないか?と考えられる。

 

厚木市内の地区の郷土史を全て読み、人の定住の無い空白期間などがある地区をピックアップし、後で検証する。

 

 

上荻野地区で、冬営地候補として可能性のある場所を散歩する。

 

 

 

冬営地は、世帯毎に持っている。遊牧民は、部族全員で移動するのではなく、世帯毎で勝手勝手に移動する。

 

ここは現在、宅地&畑地となっているが、昔は何もない草地だったのだろうか?

この金色(冬枯れ)の小山の麓に畜舎を建て、そこでひたすら冬籠りをする。宅地になっているので当然、石囲いの跡は無かった。

 

 

この辺りの民家では、庭に薪を所有している。

 

 

金色の小山の麓は冬の北風や北西の寒風は防げるが、この辺りは東に小山の連山がある。反対側に聳える高い連山は荻野川の向こうであるが、この連山は冬の北風や北西の風を防げられるのか、逆に吹き下ろしが厳しいのか、その日には解らなかった。

 

金色の丘の上に登ってみたい。この丘の上は まつかげ台という。

 

まつかげ台辺りに、*オボーがあればいいなと思っている。

《オボー: モンゴル人が天神や先祖霊を祀る祠のような場所》

 

オボーは、丘の一番高い所などにあるという。オボーは永遠に定着するものではないが、よほど運が良ければ天神を祀るものが見つかるかも知れない。

 

一番高い所を目指そう。

 

 

まつかげ台は、山を切り拓いて作った閑静な住宅街。おおよそ碁盤の目状に作られている。

 

 

登り切った。

 

 

これよりももっと高い丘がある。

 

オボーがあるとしたら、ここから行くことはできないが、あの辺りだろうか?

 

 

ショベルカーの場所にオボーがあってもおかしくはない。

 

 

まつかげ台宅地群は、憶測だが山一つを崩して傾斜を緩く均されている気がする。この山体の上にもかつて祭祀オボーがあったかも知れない。

 

宅地開拓よりもっと昔にオボーやチベット仏教関連のものは江戸幕府によって、全て破壊し尽くされてしまったのかも知れない。

 

日本中、どこを探し歩いても、異民族が築いたオボー跡が今だに大切に祀られている所は金田地区以外には無いのではないか?とも思えた。

 

徳川幕府は大々的な戦を起こさなかったが、異教徒と異民族に対する粛清、弾圧を激しくやっていた。

 

金田地区のオボーに出くわせた事は、一生のうちにあるかどうかの幸運である。

 

遊牧遺構を、幾ら探し歩いても、不毛である。

 

テングリを祀るオボー跡の発見にしても、長距離競馬神事(ナーダム神事的なもの)の記述の発見にしても、ダルハンは鍛治地名だという情報にしても、石囲いの画像にしても

 

他から与えられた偶然だった。カネディアン🔱という牧民の祖霊から与えられているようにも感じられる。

 

これなら家でゴロゴロしながらネットでも弄って遊んでた方が、偶然得られる情報が多いのではないか?

 

自分がこれらを探して、歩き回る意味はあるのだろうか。

 

自分で実踏して得られたものとは、地図では解らない地形の確認やGoogleマップで見れない場所の確認など。それに基づいて妄想を膨らませるだけである。実際目の前に居ない家畜の脚を気遣うなどをするしかなかった。

 

遺構を探して見つけて「あった!」というものは未だひとつもない。

 

それでも諦めずにより高い所へ。

(馬鹿となんとかは高い所を好むという)

 

 

ここは本来、こんな感じだった。隅々まで祀られているものがないか探したが何も無かった。

 

隣はオセアンボールパークアリーナ厚木の駐車場。隈なく探したが、あるはずも無かった。しかしとても素晴らしい場所にある競技場である。

 

隣にはまつかげ台山の手公園。公園なら何か祀られているものがあるかも知れないと探したが、無かった。

 

その後、まつかげ台宅地群内にある公園という公園に行き、天神が祀られているものがあるか探した。結局何も無かった。

 

最後に訪れたまつかげ台丘公園を出た所に、土が高くなっている場所があり、蒙古オボーではないのは解るが、古墳か何かだったのではと思える。昔、公園だったようだ。

 

 

登った。右端にこぶのような土盛りがある。

これは怪しい。

 

 

まつかげ台から下に降りる。長い階段の途中から、貯水池が見える。

 

 

いつもカネディアン🔱という牧民の気紛れに振り回されているようだ。

 

 

彼らは何故全滅せずに現在に至るまで、その痕跡を残し、生き残れたのだろうか?江戸時代には忽然と消えた村などが多数存在する。

 

多くは「疫病」という理由で片付けられている。実際には、幕府によって粛清されたり、強制的に離散させられたり、島流しにされたり、村全員が自害したりしていた。

 

その多くに倭人化を拒む異民族集落なども多数存在する。百姓一揆などを頻発させる集落や、反逆者を出した集落なども諸共、粛清や離散や流刑をさせられた。そもそも移民の多い日本列島に「倭人」しか存在しない事が不自然である。

 

カネディアン🔱は幕府から「離散」させられる事は問題ない。元々離散した形で生活している。

 

生き残れた理由の一つとして考えられるのは、蒙古人には自害という習慣がない事と、族長が交渉能力に長けており、藩の役人などとの交渉で手腕を発揮した。これが鍵を握るのではと考えた。

 

徳川幕府は、莫大な軍事力を背景に、幕府に抵抗する者と反逆する者、例え庶民であっても徹底的にぶっ潰していた。役人主義だが、武士とお江戸の町人という特権階級に対して非常に手厚く扱っていた。例え農民を全て餓死させても、武士と役人と江戸の町人という特権階級だけを潤していた。この幕府がもし隣国に大々的な戦を仕掛けたらあのハゲ爺と同じだろう。

 

 

 

気になるバス停「泉」

 

 

 

さっき見たまつかげ台の麓の貯水池は湧水だったのか?だから「泉」?

 

 

泉付近を歩いてみた。地図だけを見る限りだと、平地ではない。勾配や複雑な地形の為、このような入り組んだ道になっているのでは無いか?と考えていた。

 

しかし実際に訪れてみると、入り組んだ道は平地の上にある。

 

しかしこの地区を進み、水色の川のような所、図の右下のピン📍上荻野760に近づくにつれて谷になっていく。

 

 

これが泉⛲️であるようだ。

 

泉は、牧民が非常に喜ぶ。特に川などが殆ど無いゴビ砂漠地帯では貴重な存在である。ここはゴビ地帯とは違い、水が豊富である。先ほどの貯水池も湧水なのかも知れない。ここは小山の麓なので湧水があってもおかしくはない。

 

 

散歩して気づいた事は、川や湧水の近くではただの石や彫刻された石板などが祀られているという事。

 

荻野川付近の石1

 

 

荻野川付近の石2

 

 

 

貯水池付近の石

 

 

これらはカネディアン🔱と関係あるのかは不明だが、この辺りの人民は水を非常に大切にしている。

 

この日は長い距離を歩いていないにも関わらず、非常に疲弊してしまった。

 

 

ロシア情勢、ナワリヌイ氏の訃報以来、気分があまり優れない。

 

ロシアの反政権派指導者のアレクセイ・ナワリヌイ氏は収監されていたヤマロ・ネネツ自治管区の刑務所で2月16日に死亡した。

 

ナワリヌイ氏は、独裁体制を打倒する一縷の光であった。ナワリヌイ氏の妻ユリア氏は、「プーチン大統領が私の夫を殺害した。彼の命令で夫は3年間拷問を受けた。

 

プーチン氏はロシアに対してしたこと、平和な隣国だったウクライナにしたこと、そして、私の夫にしたすべてのことに答えなければならない」

 

と訴え、プーチン氏に対する責任追及の姿勢を明確にした。

 

欧州議会は29日、「ナワリヌイ氏の殺害はロシアでの弾圧の増大化と組織化を表す新たな兆候である」と指摘する決議を採択した。決議では、ナワリヌイ氏の死亡について、「刑事的・政治的責任はすべてロシアにあり、特に大統領であるプーチン氏が責任を負うべきである」として、独立性と透明性のある国際的な調査を要求した。

 

ユリア氏は「アレクセイ(ナワリヌイ氏)を殺すことで、プーチンは私の心と魂の半分を殺しましたが、まだ半分が残っており、諦めることは許されません。私はアレクセイ・ナワリヌイの仕事を続けます。国のために戦い続けます」夫・ナワリヌイ氏のユーチューブチャンネルで、プーチン政権と戦い続けたナワリヌイ氏の仕事を引き継ぐと決意を明かした。

 

 

プーチンは、アレクセイ・ナワリヌイを殺すことで、トゥバ共和国の人民の魂の半分を殺しました。

 

以前自分が投稿したトゥバ動画の中で、トゥバの公園の落書きに「ナワリヌイ」と書いてあったのを思い出した。トゥバの人民も、ナワリヌイ氏に一縷の光を見出していたという事だろう。

 

ウクライナ侵攻で多数のトゥバの人民が徴兵され、犠牲になった。

 

生活水準は後進国の中でも下の下の水準である。アル中、薬中、エイズなどで命を落とす者が多く、若者の自殺者も年々増加している。ロシア最凶の治安の悪さである。これを一日でも早く打開する為にも彼の力は必要だった。

 

ナワリヌイ氏の葬儀後暫くは、献花に訪れる人が後を絶たなかった。今も献花に訪れる人がいる。

 

 

ご冥福をお祈り致します。同時に、ユリア氏にはご健闘を祈ります。

 

🪷🪷🪷🪷🪷🪷🪷🪷🪷🪷🪷🪷🪷🪷🪷

 

モスクワ郊外のイスラム国(IS-K)による銃乱射と放火テロは143人以上の死者を出した。

 

自分はこれを他人事とは思えなかった。

 

これが起きたのはコンサート中の劇場だった。これは自分が犠牲になっていてもおかしくはないと思った。

 

先日、立て続けにライブに行ったその数日後の出来事だったから余計に気の毒に思える。

 

もし幕張メッセでテロが起きていたら…

 

もしZepp Yokohama でテロが起きていたら…

 

テロ組織は武装集団である。誰も食い止められない。

 

幕張もZeppも入場者に対する検査が甘いとは感じたものの、当初余り気にならなかったが、武装組織となれば、どうにもならない。

 

助かる道はあったのか?と考えて頭が痛くなった。

 

ボケ老人プ爺は、ウクライナの攻撃だと嘯いていたが、犯行はイスラム国。

 

専門家によると、これを機にプ爺政権は強権化しるのではないかという憶測。不安因子ばかりの情報を流す。

 

ロシアには敵が多い。このイスラム国武装組織は、シリア戦争の時からロシアに怨恨を持つという。

 

ロシアにはウクライナ、NATO、中共、イスラム国、その他数え切れない敵が潜んでいる。ウクライナの件は絶対的にロシアが悪い。

 

 

テロによる犠牲者にご冥福をお祈り致します。

 

日本も決して他人事ではないという事を肝に銘じなければならないと思う。

 

 

長文のご精読ありがとうございます😭

 

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蒙古斑Live

2024年03月19日 | 自己満

蒙古斑Live

 

先日15日、京葉線通勤快速がラストランだったらしい。

ありがとーって叫んでる人が沢山いた。あの人たちは普段京葉線などを利用しないニワカばかりなのだろうか?まるで自分と同じである。

 

自分はパンク春の祭典で、SUM41のライブに初めて参戦する。しかしSUM41の最期である。

 

日本での本当のSUM41の最期であるZepp Yokohamaのライブにも参戦する。

 

だからあの京葉線通勤快速にありがとう言っているニワカのことは笑えない。

 

SUM41のライブが終了する時は大声でありがとうと叫ぶつもりだ。

 

それにしてもパンク春の祭典と京葉線通勤快速が被らなくて幸いだ。どうせ海浜幕張駅にも大勢いただろう。

 

これからは、最期のライブをするアーティストを狙ってライブに参戦するというのもアリではないだろうか?ラストラン鉄と同じように。

 

・パンク春の祭典編

 

 

パンク春の祭典。どうやら自分が最年長の様に見える。昨年よりはアメリカ人が少ない。しかしフィリピン系やインドネシア系が多数見られる。

「もしかして、カルガリーさん?」と声を掛けられるインドネシア人などがいたのかもしれない。

 

蒙古斑(トゥバ41)のキャップ🧢

 

 

普段から仕事とかに被って行っても良い気がする。これは昨年ネットで購入した。カナダ嫌いだけどもみじ🍁かわいい😍から思わずポチッた。

 

 

何事も2度目以降の方が良い。場所は昨年と全く同じ場所。昨年は何も分からなかった。

 

パンク春の祭典の偉業を讃える歴代の広告群。

 

 

コークハイは美味かった。

 

小籠包

 

 

牛ハラミ串をまるでシャシリクのように喰らう。

 

 

今日は昨年とは違い、晴天☀️

 

YOU ME AT SIX格好良かった。

 

 

双眼鏡を持ってきて良かった。整理券なしの物販が14:30に解禁されたので、買いに行ったが、トゥバ41/蒙古斑(SUM41)のモノは完売していた。

 

 

NECK DEEPも格好良かった

 

モッシュダイブは基本禁止だが、禁止されても客はやるらしい。

 

「やるに決まってんだろー!!」と叫んでる客がいた。

 

多分熱烈なSUM勢。

 

蒙古斑(トゥバ41)へ向けて書かれた色紙、まるで*ツォイ・ウォールのようだ。

 

 

《ツォイウォール:ソビエト連邦末期に一世を風靡したロックバンドKINOの歌い手であるヴィクトル・ツォイが早逝した。その追悼の言葉がモスクワ市内のとある壁一面に書かれた》

 

パレスチナの旗も書いてあった。

 

 

それなら自分は「ナワリヌイ」の件を書いてしまおうかとも思った。

 

SUM41(蒙古斑/トゥバ41)のノー・リーズンの歌詞は、プーチンに向けて書かれた曲の様に、見ようによっては見える。SUM41はロシアにとっての一縷の希望になれば良いと思っている。

 

トゥバ41の古参、激痛がする程羨ましい😭

 

自分はニワカに過ぎないので書くのは控えさせて頂こうか?どうしようか?

 

それにしてもヤバい!

 

日に当たりたくなったので、喫煙スペースのある外へ。

 

休憩☕︎

 

トゥバ41は、19:00からである。

 

SUM41(蒙古斑/トゥバ41)にお別れの言葉、書いてしまいました。

 

 

「ニワカ」って書いてもトゥバ人には理解出来ないか。

 

夕飯 黄金中華そば

 

 

とても美味しかった。何よりも玉ねぎ。

 

もうすぐで生の蒙古斑(SUM41)と会える!!

 

19:00丁度にSUM41が始まった。盛り上がり方が他とは全然違う。

 

 

SUM41ライブはモッシュダイブや、ライブ客のまんなかで羊の群れみたいに回るやつが盛んである。

 

誰が扇動するのか、以前から気になっていたが、扇動していたのがSUM側だった。

フロントマンのデリック氏が、回る曲だの跳ぶ曲だの言っていた。

 

客を羊の群れのように回すというライブは、他では見た事がない。羊の群れが実際に回る光景を多数目にした遊牧民の発想なのか?とふと思った。

 

しかし、客側がいつの間にか勝手に回り始める。

 

間を置かずいつの間にか紛争が起こる感じで、回る群れに加わってみたいと昔から考えていたので参加した。暴徒のようで非常に面白かった。自分も暴徒になり、この勢いでプーチン政権を打倒出来るような気がした。

 

SUMとプーチン政権を関連づけてばっかいるとSUMの身が危ないのでこれ以上は控える。SUM自身、ロシア政府非難の意図は微塵もない。

 

反プーチンバンドはロシアに実際にいる。

 

「プーチンは人殺し」 投票用紙に落書き、拘束 ロシア大統領選(時事通信) - Yahoo!ニュース

 15~17日投票のロシア大統領選では、保守派の組織票を固めるプーチン大統領に対し、投票用紙に落書きして静かな抗議を試みるリベラル派の有権者が相次いだ。 「プーチ...

Yahoo!ニュース

 

 

《引用: 「プーチンは人殺し」 投票用紙に落書き、拘束 ロシア大統領選》

 

羊の群れのように、走り回っていると途中何かに躓いた拍子にコケて、将棋倒しになる。こんな事してたら事故が起きるに決まっている。周囲の人間が起こしたが、起こしてくれた人には本当に感謝をしている。

 

SUMのライブ終わりに、一部の客がOne more timeと叫んだが、(自分も叫んだ)SUMはアンコールをやらない様子であった。まぁ、そこら辺が日本人と違うからしょうがないと思って諦めたところでSUMがアンコール演奏をやってくれた。

 

嬉しかった。これはサプライズの一種なのかと思っていたが、司会によると、SUM側としてはアンコールを叫ぶ客の数が少なかったので、やらなくて良いと判断したが、その後、やるべきかどうか悩んだ結果、アンコール演奏をやる事にしたという。

 

確かにアンコールを叫ぶ人はごく少数だった。

 

まぁトゥバ人の気質なんだろうかとふと思った。日本人だったら、アンコールの要求が一つでもあれば悩まずにアンコール演奏をやるだろうとふと思った。

 

SUMライブの本当の終わりに、自分はニワカだが「ありがとー」と大声で叫んだ。他の客でありがとーと叫ぶ客もごく少数だった。昨日の京葉線通勤快速への別れ以上にSUM41への「ありがとー」の嵐が起こると思っていたが、意外だった。

 

Still Waitingという曲は一番最後にやる慣習があるらしい。古参のような客がそう言っていた。

 

SUM41ライブ程面白いライブはない。客をあそこまでキ○ガイにさせるカリスマ性。

 

世界中のファンがキ○ガイ化している。この中毒性の強い音楽性は何だろうと思った。

 

Underclass Heroのイントロのメロディーの繰り返し繰り返しに、何となく懐かしさを覚えた。生演奏を聴いていて気付いた。自分前世トゥバ人だったのかな。

 

大いなる勘違い。

 

SUMライブどう振る舞って良いのか全然分からなかったが、何の違和感も無かった。SUM41自体にも何の違和感も無かった。

 

時々あるらしいのが、アーティストに対して「思ってたのと全然違った。YouTube で見たのと雰囲気が全然違った。」という声。

 

今年のパンクスプリングは、昨年より短かったように思える。

 

明後日はZepp Yokohama でSUM41の最後のライブがある。今度はSUM41に失礼がないようなアクションをすべきだと思った。(実際、一般的に「失礼」だとされる事は何もしていなかった。しかし、客側からのアクションの類とか、感謝の言葉がいまいち薄いというか、なんというか)

 

ライブ終了後、蘇我の健康ランド的な泊まれる風呂屋へ

 

Oh!ジェフ

 

 

ここは千葉だ。貨物もある。

 

 

翌朝、泊まれる風呂屋からの景色は、海に面していて良かった。昨夜、風呂屋までの道のりに気になる所があった。この辺り、製鉄所に思えた。高い煙突が数本あり、製鋼の炉を連想させられた。

 

帰り道、工業地帯のような場所を歩いて帰る。ビンゴ!!製鉄所だった。

 

JFEスチール(株) 東日本製鉄所。

 

 

工場見学も出来る。残念ながら今日は休みだった。

 

 

後日行きたいと思うそして、その日の夜はまたそこに泊まる。日本製鉄の方の君津に迄足を伸ばしたいと思う。

 

 

お土産

 

靴下とタオル

 

 

 

 

・Zepp Yokohama 「FINAL TOUR OF THE SETTING SUM」 編

 

着ていくTシャツ。そしてSUM41もみじ帽子。

 

 

実際のライブ中は帽子と双眼鏡が邪魔である。

 

Zepp Yokohamaの蒙古斑Liveは、ガチ勢ばっかである。雰囲気がパンク春の祭典とは全然違う。

 

自分のようなニワカはやはり場違いである。怖そうなガイジンがいる。英語喋るガイジンは怖い。近寄らんとこ。蒙古斑のSETTING SUM記念のTシャツを購入出来た。

 

NECK DEEPが蒙古斑と一緒に来ていた。

 

ここは幕張なんかと違い、会場が狭い。演者の姿が良く見える。NECK DEEPの曲は爽やかであった。まさかこの狭い会場内では、幕張のような馬鹿な事はしないだろう。Zepp内では柵が幾つか存在し、もし馬鹿な事が出来るとすれば、前の方の広い括り内にいる人限定だろう。

 

今日こそは蒙古斑の本当の最期。このライブは、抽選だ。当選した事に感謝している。

 

蒙古斑は更にガチモードで来るのだろうか。

 

本当にガチモードで来た!!!

 

感無量😍😍😍😍😍😍😍😍😍😍😍😍😍

 

SUM41の最期ライブは、本当に面白かった。素晴らしいライブをありがとうございました。

 

モッシュダイブや、サークル(羊の群れのように回る)はやらなかったが、ステージ上からデリック氏が何かを投げた。それを拾えた幸運な人がいるが、何を投げたのか異常に気になる。後でググって調べたいと思う。

 

蒙古斑の生きた音楽が聴けて本当に幸せだった。ライブの時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。帰宅中の電車の中で、あの時間は本当にあったのだろうか?と思う程だった。夢だったのではないか?とも思える。

 

蒙古斑の生演奏の後、暫く余韻に浸りたいと思い、いかなる音楽も聴きたくはなかった。

 

幕張の時とはまた、違う味があった。演者の姿が見えると、心の距離が近くなる。自分はボッチ参戦だが、自分とSUMとの関係。ここでは、より音楽に傾聴出来た。デリック氏のフーメイ・ヴォイスが聴けてとても良かった。

 

古参とかニワカとか本当に関係なく楽しめた。SUMのファンには古参もニワカもない。自分の考え過ぎだった。しかし欲を言えば、自分もSUMも、もう少し若い時にライブに行きたかった。

 

幕張の時の客より遥かにリアクションが良かった。アンコールトラブルも無かった。気持ち良く終了してしまった。

 

後にはファンの熱烈な「SUM41」の連呼が続いていた。

 

本当に感無量である。これで終わりだとは信じられなかった。また来年あたりにもパンクスプリングに出て、SUMライブをやりそうな気がする。長年追いかけてきた人はより寂しいだろう。

 

ひとつの時代が去りゆく。非常に哀しい。

 

是非復活して欲しい。

 

 

😍🤟😍🤟😍🤟😍🤟😍🤟😍🤟😍🤟😍🤟

本当にとても短い期間でしたが、共に歩んだ(と思っている)楽しい時をありがとうございました。残りわずかですが、全力で走り、有終の美を飾って下さい。

 

自分はこのバンドと出会えた事自体に多大な感謝をする。念願だったライブにも行けて非常に嬉しい。

 

 

 

 

JR京葉線通勤快速の件

 

JR京葉線の通勤快速廃止、沿線の反発収まらず 新ダイヤ運行開始(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

 JR東日本のダイヤ改正により16日、京葉線(東京―蘇我)で通勤快速を廃止した新ダイヤの運行が始まった。2023年12月のダイヤ改正発表以来、「市民生活に計り知れ...

Yahoo!ニュース

 

 

千葉民にとっては京葉線通勤快速とは痛恨の別れだった。千葉民にしてみれば、復活を切に願うであろう。

 

15日の通勤快速との別れのありがとうは、心底から悲痛なありがとうだった。

 

長文のご精読ありがとうございました😭

 

前の記事

蒙古斑Live参戦前に - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

 

この距離からでは演者の姿がよく映らない。演者の顔や姿がわずかに映っている。

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蒙古斑Live参戦前に

2024年03月15日 | 自己満

蒙古斑Live参戦前に

 

蒙古斑のライブ映像を観ると、いいなぁー羨ましいなーと思う。

国は違えど世界中が“蒙古斑”のファンとして共通のノリである。

 

蒙古斑Xでは世界でのLive映像を編集したものが投稿されている。インドネシア人、マレーシア人の顔はやっぱ自分に似ている。自身は褐色の肌である。

 

今月はパンク春の祭典と蒙古斑専門のライブが立て続けにある。

 

蒙古斑は昨年、パンク春の祭典に、メンバーの個人的な事情により来日出来なかった。このバンドは、グループとしての登録は北米だが、メンバーはバラバラの国籍である。

 

メンバーによってはビザが降りない人もいたのではないか?という憶測も飛び交っていた。

 

「蒙古はもう来ない」というダジャレを考えたほどである。

 

蒙古斑は昨年5月に解散宣言をした。最後のワールドツアーをして、アルバムをリリースして、翌2025、1月に北米トロントで最後のライブをして解散する。

 

このライブは蒙古斑の最後の来日である。絶対に行かないわけにはいかない。

 

自分はファンなどでは全くなく、ニワカなので同志(タワリシチ)がいない。

 

古参が激痛がする程羨ましい。

 

ライブ動画見てるとめちゃくちゃ面白そう。

 

蒙古はまた来る!

 

パンクに対してもニワカなので、昨年もボッチ参戦だった。昨年はシンプルプランという北米のフランス語圏出身のグループが来てたので日本人のファンはシンプルプランの為に来ていた。

 

アメリカ人のファンもたくさんいた。アメリカ人はバッドレリジョンの為に来ていたようだった。バッドレリジョンも同じく北米に拠点を置く。

 

今年も勿論ボッチ参戦である。いずれにせよボッチである。蒙古斑Liveで同志とこれから仲良くしても意味ないのである。もう終わってしまうので、日本人蒙古斑ファンにとっては別れのイベントでもある。

 

古参は渋谷クアトロや武道館ライブにも参戦している。

 

今までは蒙古斑のアンチやガチ勢が面倒くさくて、蒙古斑というものを明かす事を控えていたが、今日明かす。蒙古斑とは(仮)の名称である。

 

蒙古斑はSUM41という。余りにも有名なバンドであるが、自分は全く知らなかった。

 

6年前に初めて知った。ラジオを聴いていたらUnderclass hero「底辺の英雄」という曲が流れた。人生の中で今まで聞いた事のない旋律だったので戦慄が走ったのがキッカケ。

 

そしてSUM41についてググったら、出身がモンゴル国エルデネト出身という記事が出てきた。それはウィキペディアでも何でもない。

 

当時の自分はモンゴルが大嫌いだった💔

 

それが原因で、SUM41を忌避、放置。

再度SUM41に目を向けたのはコロナ禍。遊牧民のような生き方がこれからあるべき姿であるというような風潮が出てきて、モンゴルといえばSUM41!ということで、サムを聞き始めた。

 

自分がモンゴルや中央アジアに深煎りする原動力になっているのがこのSUM41である。

 

他のモンゴルロックを聞くとまるで演歌ロックで、SUM41とは掛け離れていると感じた。

 

SUM41の容姿も、完全に東洋人という訳ではなく、ロシア人やタタール人のような見てくれだった。

 

《引用: SUM41公式インスタ》

 

彼らは超有名なので知らない人は自分ぐらいだった。

 

これは例え同じモンゴル籍だとしても、東洋人の見た目のハルハ人(モンゴル国の主流民族)とは違う民族である。

 

ロシア人かと思ったが、動画で見たロシアライブの際、ロシア語が全然喋れない為、ファンとの交流に苦労している。

 

ロシア人でもないのか。そして思ったのが、彼らは*トゥバ人なのではないか?と考えている。トゥバ人には金髪もいる。東洋の見た目の人もいる。

 

《トゥバ人: ロシア連邦内共和国の一つであるトゥバ共和国の主流民族。トゥバ国内では8割型の人がトゥバ語を話す。トゥバ人はテュルク系民族》

 

《引用X: Terada Ryohei/Kyzyl Tokyo発売中@TeradaRkyohei》

 

実際にSUM41のメンバーとトゥバ人を見比べてみた時、随分似ているなと感じる。

 

デリック氏(歌い手)とコーン氏(長身でベース担当)は多分トゥバ人。

 

彼らは英語が非常に堪能である。彼らがロシアのトゥバ共和国出身ならロシア語も喋れただろうに。

 

SUM41のメンバーには北米出身者がいる。

 

肌色が褐色の、メタルギター担当のデイブ氏は、北米のエイジャックス(Ajax)出身である。

 

昨年SUM41のプロフィールをウィキペディアで見た。出身国が北米という事になっていた。(モンゴル、エルデネトではないのか?)

 

SUM41というグループとして登録している国が「北米」である為、Xでも「北米が母国」とか言ってるし、ウィキペディアにも出身国「北米」と書いてある。あくまで便宜上の事である。気にする事ではない。サムの音楽は、北米人の血肉が紡ぎ出した音楽ではない。デイブ氏はインド系。

 

SUM41は公人なので、グループの登録がある国の人間として振る舞う。流石一流だと思った。そして周囲からそのように扱われる。北米国以外の出身者は、仕事で北米人をやっている。

 

それにしてもSUM41の音楽は余りにもトゥバ要素強すぎる。

 

SUM41の影響もあってトゥバの伝統音楽にも、より一層関心を持てた。自分がビリビリ来たものが、蓋をあけたら偶然トゥバ😍これ以上嬉しい事はない

 

ザッザカ、ザッザカ、ザッザカ、ザッザカというリズムとフーメイ(喉歌)のようなデリック氏の声が何よりも大好きだ。

 

もう、トゥバそのもの!!

 

民謡を離れたトゥバ音楽というものが嬉しかった。トゥバ人が自由にオリジナルで作り出した音楽を世界中が聴いている。トゥバ人てこんな音楽を造るんだと、感慨深かった。洋楽の楽器のみで演奏するが、トゥバのエスニシティが滲み出ているように感じられた。トゥバロックである。

 

遊牧オタクの観点で見てしまうヘキがあるのですみません。

 

自分は通常、自分から洋楽を聞こうとは思わないが、これだけは例外。SUM41は洋楽ではない。

 

パンク春の祭典が幕張メッセで開催されるが、最後までいると終電を逃すに決まっている。SUM41は多分最後の最後なので、終電とは早々に決別して、その日の夜は蘇我の泊まれる健康ランド的な所で一泊する。そして翌日帰宅。月曜は普通に出勤。その後Zepp 横浜に向かい、日本で最後のライブにぼっち参戦しに行く。

 

どう振る舞って良いのか全然解らない。

 

褐色の肌でポリネシア人的な濃い、彫りの深い顔立ちの縮れ毛のちんちくりんな奴が居たらそれは多分カルガリー(斑爾里)。

 

自分はタガログ語やマレー語や英語で他人から話し掛けられる事が殆ど。しょっちゅう面識の全く無い東南アジア系の人から訳の分からん事話し掛けられるので、ソーリー、ソーリ、I’m just a Japanese.🙏と手まで合わせる。

 

自分としては、「私は真の日本人です」と言っているつもりだ。本当に真の日本人である。遺伝子調べたら100%日本人だった。全然日本人らしくない見た目なのに不思議だ。

 

でも自分としては、外国人に見られる事は、全然嫌ではない。寧ろ大歓迎です🌈

 

YouTube SUM41 Underclass hero PV

 

 

Walking Disaster  PV

 

 

ノーリーズン ライブ映像

 

 

Fat Rip PV

 

 

Land mines PV

 

 

Rise up PV

 

 

Waiting Fate PV

 

 

ノーリーズン 歌詞

 

 

Underclass Hero 歌詞

 

 

Walking Disaster 歌詞

 

 

 

Walking Disaster のPVはモンゴルでも東側共産圏でも何でもなく、北米である可能性が高い。先日の記事のダルハンなんかと比べるとよく分かる。北米というのは、登録上の所属に過ぎないので気にする事はない。

 

Fat Ripで北米のもみじの国の旗を持ってる人がいるが、便宜上、義理でそうしているだけで、それも気にしなくても良い。

 

トゥバ色バリバリの音色(オンショク)であり、日本人が好きなタイプの旋律でもある。

 

歌詞の意味をみっちり覚えて参戦!!!

 

 

関連記事

蒙古斑解散宣言

蒙古斑(仮)の解散宣言💔 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

 

 

長文のご精読ありがとうございます。

 

本当の事を言うと、自分はこのバンドについてあまりよく知りません。

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金田の意味はダルハンでした

2024年03月08日 | 自己満

ダルハンというのは、モンゴルの地方都市名である。その意味は「鍛冶屋」である。

 

それは、偶然流れて来たXの記事によって、初めて知ることが出来た。モンゴルに「鍛治」を意味する地名が無いわけないだろうと思う。そういう国に無いはずはない。

 

いつもそう思っていた。

 

チンギス=ハーンの本名、テムジンは、鉄を作る人、鍛治職人という意味である。

テムルというのが「鉄」である。モンゴル帝国は武器を鍛造しながら領土を拡大していった。主な武器は鉄製の鏃(ヤジリ)である。これは匈奴と共通する。モンゴル軍は鎖帷子⛓️も生産していた。

 

王族にはテムルとつく名前が多い👑

 

↓の場合はティムルだが

 

《引用: 耶律阿保機@northistory》

 

図書館の郷土史によると、*カナダホト🎪の*金田という土地の由来は、鉄を量産する所という意味が有力である。

 

つまり、鍛治(鍛造、製鋼)の場であったという事。

 

カナダホト🎪: カナダ地区、 金田地区にあるホト。カネダと読むが、これをモンゴル語として扱う為、カネダをカナダにしてしまった。「カナダ地区」はモンゴル牧民目線でみた地区の一つ「カナダ」という地区。

ホト🎪とは牧民の移動式テントが集中化してしまう場所。》

 

金田: 金田(カネダ)地区という蒙古集落だった地区》

 

 

偶然流れてきたXの記事、翻訳したら偶然「鍛冶屋」という言葉を発見した。

 

 

《引用元: ダルハン女性組合@CanadaMongolia》

 

訳文の上から一行目

「鍛冶屋女性組合」とある。「鍛冶屋」とはどこに書いてあるのか?

 

引用元の英語表記の記事の上から二行目

“Darkhan Women Federation “

 

Darkhan というのが鍛冶屋。Дархан.

つまり、ダルハン。

 

ダルハンには、製鉄所や繊維工場などがある。

 

金田に相当する意味のモンゴル語地名を渇望していた。これは、探したところで簡単に見つかるものではなかった。

 

ダルハンという都市を知ってたが、まさかダルハン=鍛冶屋だったとは思いも寄らなかった!

 

鍛冶屋の“テムジン”はチンギス=ハーンの本名なので、使うのはちょっとおこがましい。

 

モンゴル本国でも「テムジン」という地名は見た事がない。

 

 

ダルハンという都市の認知度が上がる事を願う。

 

ダルハンに旅行した方のYouTube

 

《引用: ハリドの世界》

 

ダルハン市と金田地区、姉妹都市や友好都市になったら良いかと思われる。

 

「鍛冶」地名としての繋がり🔗

 

同じ意味の地名があって本当に良かった🎊

 

感無量😍😍😍😍😍😍😍

 

《ダルハン女性組合@CanadaMongolia》に感謝します🔱それと、この偶然に感謝します🙏

 

これと遭遇しなければ永遠に知らない可能性があり得る。

 

長文のご精読ありがとうございました。

 

Delkhii Band のUuhaiという曲

 

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服部牧場🐄🐏🐎🐓🪿🦆🐈

2024年03月01日 | 自己満

前回は、難文にお付き合い頂き、誠に有難うございます。

 

保険の約款を読むような労力を強いてしまったようです。

 

これは、本当に遊牧民族が好きな方でなければ興味が掻き立てられない内容なので、あまり興味ない方にはやや苦痛だったのではないかと思われます。

 

🐏🐏🐏🐏🐏🐏🐏🐏🐏🐏🐏🐏🐏🐏🐏🐏🐏

 

GoogleのMapや、高低差マップだけでは解らない。

 

実際に足を運んで見なければ、そこがどのような場所なのか皆目見当もつかない。

 

Google Mapで見れば、そこはどうせ湿地帯だった田地だろうと決めつけてしまう様な場所でも、実際に行って見てみるとそうでは無く、台地だった。などという事もある。

 

今日は、厚木バスセンターから、半原バスセンターという終点まで行く。

地形などを見てみたかったから。

 

降りた後はどうすれば良いのか決めていなかった。

 

そこら辺ぶらぶらして、次の半原バスセンター始発のバスに乗って、上荻野、まつかげ台、みはる野、鳶尾などの諸地区を歩き回る予定。

 

半原バスセンター付近で美しい曲弦ワーレントラス橋が目に入った。

 

 

 

先ずはこの橋を収めて、それからこの辺りを歩き回ろうと、Google Mapを眺める。

 

服部牧場というものが意外にも近い。牧場がある様な土地だから、*カネディアン🔱の冬営地候補として相応しいのではないのか?と思えた。

《カネディアン🔱: 金田(カネダ)地区という蒙古集落に定住する人達の祖先。》

 

 

冬営地は、水までの足労的負担の少ない場所である必要があるが、ここは、地図で見る限り川が近いが、実際はどうだろう?

 

 

服部牧場は、標高が高い。辿り着くまで激坂だった。山だから当たり前。

 

 

服部牧場付近の川。牧場の場所から川にありつける迄の足労が結構キツイ。ここは冬営地候補としては結構厳しいと思われる。

 

 

服部牧場。やっと辿り着けた。

 

 

ここは。、山林を開拓して作った牧場だろうか?

 

 

羊は自分に向かって鳴いていた。歓迎なのだろうか?罵声なのだろうか?

 

雨☔予報なんて無かったはずだが、山の天気は変わりやすい。霧雨が降って来た。

 

干し草

 

 

定牧なので、飼料は買ってくるので作付け面積などの様なものは気にしなくて良いのだろうと考えていたが、敷地内で草を作っていた。

 

 

 

馬(ポニー?)

 

 

大きい馬3頭

 

 

 

雌雄で分けられていた。牝牛はマウント行為なのか、牝牛の上に牝牛が乗っかろうとしていた。その時の画を写真に収められなかったのが、残念。

互いに毛繕いをするなどをしていた。複雑な社会がある。

 

 

 

茶色い羊、ポニーより小さい馬

 

 

駱駝 ヤク ロバ アルパカ 豚は居なかった。

 

 

その他、アヒル、鶏、兎、鳩がいる。


 

 

何コレ、金色でカッコイイ!!

 

 

ジャージー🇯🇪牛は可愛い😍

 

 

牛舎の中

 

 

牛の仔畜

 

 

山羊

 

 

家畜の餌

 

 


🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁💕💕💕💕💕💕💕😍😍😍😍😍😍😍🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁🍁

 

 

ここは県内唯一の観光牧場

 

「約200頭の乳牛をはじめ羊や山羊などさまざまな動物たちが暮らしており、酪農作業の体験やキャンプもできる。また、搾りたての牛乳やオリジナルのアイスクリームも味わえる。」

《引用: 服部牧場のYahoo検索結果》

 

入場料は無料

 

「牧場のおしごと体験」🐄🐏はじゃらんのサイトからの申し込みが必要。

 

その他の体験希望する場合は、アイス屋のレジカウンターで申し込みを受け付けている。

 

かつてはキャンプ場運営をしていたらしいが、現在では運営を停止している。

 

家族連れや老人会や、散歩してる人や様々な人が訪れていた。

 

そんな人々は、「牛に触れた」「羊に触れた」「馬に触れた」などと言っていた。

 

子連れの母親や、カップル客の女性などは、馬に向かって大声をあげて呼んでいた。初めての客のように見えた。凄いな、初めて牧場に来て、大声でコミュニケーション取れるって、羨ましい。

 

みんなコミュニケーション上手だな。

 

その点、自分はダメだな。

 

自分は、色んな動物を触ったり声を掛けられなかった。

 

動物との距離の取り方もよく分からない。

 

コミュニケーション強者は、動物との関わりも上手い。

 

その人の動物との関わり方は、人間との関わり方と同じだ。とよく言われるが、解る。

 

自分は動物に関心が無いわけではない。人に対して距離を取るように、動物に対しても距離を取ってしまう。

 

こういう事思うと、ああ私はやっぱり日本人なんだなぁー。と実感する。

(動物に触ったり、大声を上げている人も日本人だが、あれは欧米化された日本人だろう)

 

自分は牧畜民とはほど遠い。

 

牧民に興味あるくせして、馬には接近出来なかった。小型の馬だったが、怖かった。

 

乳牛は🐄物凄いでかい。

 

牧場の作業員が囲いから牛舎に移動させていた。ほんの十数メートルだが、牛は思い通りに歩かないらしかった。しかしそこはさすがにプロで、迅速に牛舎に入れていた。

 

遊牧民は畜群を遠距離移動させる。その労力は計り知れない。私にはその気持ちは解らない。

 

 

牧場という所は、私にとって完全なる“異世界”

 

瀟洒な建造物群は浮世離れしていて、素晴らしかった。

 

 

 

 

 

馬蹄。異世界だ!

 

私は、珍しもんずきなので、牧場は楽園に思えた。

 

牧場は、珍しいもんである上に、家畜というものが自分と全く接点がないので、「無いものねだり」精神にも火🔥がつく。家畜というものを間近で見るという現象が数奇な気がして、これは現実なのか?疑う。

 

 

自分が興奮した🤩のは、家畜はもちろんそうだが、機械などの仕事道具や、干し草や、倉庫の中などの、リアルな仕事の有り様や、仕事をする作業者の動きだった。

 

 

このように非常に瀟洒な建物を、生々しいリアルな仕事に利用してるとこがアツい!!

 

遊牧に興味があるが、定牧にはあまり興味を持った事は無かった。定牧も牧畜である。遊牧民と同じ“牧民”である。定牧を知る事は、遊牧を知ることにも繋がる。

 

牧場の裏に牧民が使う機械がたくさんあった。

異世界過ぎて、めちゃめちゃ興奮した。

 

機械

 

 

ヘイコンディショナー

 

 

畜力用テッター

 

 

リバシブルプラウ

 

 

スパイクハロー

 

 

ジャイロテッター

 

 

畜力用ヘイレーキ

 

 

コーンプランター

 

この機械どれも刺さるが、特に刺さったのが

「畜力用ヘイレーキ」

 

刈り取った牧草を集める機械

 

 

裏の入口

 

 

表の入口にある機械

 

遊牧民は、定牧民がやっているこれらの作業を全部やっている。土を耕すという行為はしないが、冬越しの為に牧草を集めて丸めるなどの作業を機械に頼らず全部手で行う。

 

色々見て思った事。牧畜は農耕より遥かに高度で複雑で緻密な仕事だと思った。

農耕+アルファもベータもある。考える事や、数理的な事が沢山ある。

 

牧畜は、農耕の作付け面積的な草生を考えなければならない。それと、家畜の数と食べる量と草生とのバランス、家畜の個体数の管理、家畜の体調の管理、家畜の体調の為の草生の質も考慮に入れなければならないし、放牧地、宿営の場所を巡ってライバルの牧民と交渉しなければならない。

 

ユーラシア内陸の遊牧民や、牧畜を古くから行って来た西洋でも北の方の人民や、インド北部などの人民が非常に合理的であるのは、牧畜という生業の所業なのだと思う。

欧米が交渉の文化で、個人主義なのも、その影響もあるのではないかと思われる。

 

日本人(一部を除く)が牧畜を始めたのは、明治になってから。それも欧米のコピーだ。

*カネディアン🔱は日本人ではない。

 

 

日本人は基本的に四つ足動物を食べなかった。田人(田作業を生業とする人)である多くの日本人は牧畜などという発想が毛頭ない。

 

欧米に、定牧だが牧畜の文化があるという事は、元を辿れば「遊牧」の文化が欧州の白人、アングロサクソン人などにあって、それらがいつしか定住をして「定牧」になって行ったのだと思う。日本には狩猟の文化はあっても遊牧の文化が無かった為に、牧畜という発想が沸かない。

 

アングロサクソン人やケルト人の遠い祖先は、大陸で騎馬遊牧民だったという説もある。ゲルマン人なんかは完全にそうだった。

 

だから白人は、フランクな性格なのであろう。遠い昔から動物を扱っていただけあって、動物の身体に触れ、面識の無い人間に対しても見境なくボディータッチする。こういう気質でないと、牧畜なんて到底出来ないであろう。そんな気がした。

 

日本人は互いに距離を置く。茶道では徹底的に「境界線」というものを叩き込まれる。

面識無い人間と身体が接触するだけで非常に不快に感じる。

 

自分がされて嫌な事は、他者には絶対にしない。もし自分がここの家畜だったら、面識の無い奴に身体を触られたり、大声を上げられたり、接近されたりしたら、思い込みだが非常に不快であるだろうと思う。だから出来ない。これが「和」の精神。

 

日本はマニュアル文化で、仕事をスムーズにする為のシステムを構築する事が古来より得意だった。長い年月、交渉する機会に乏しい歴史を歩んで来た。他人同士、密接に接触しなくても済むように知恵を絞って得たものである。日本人の心の表れでもある。このマニュアル文化は、縦割り行政にも通じる所がある。

 

その点欧米人は、人と人の関係が、他人同士であっても近い為、一丸となって共同作業をするのが得意である。世界的に見ても欧米企業などは効率良く稼ぐ。そして行政などの動きが迅速なのもこの為であると考えられる。

 

どうせ私は日本人。。。

 

分担作業の概念は、日本発祥である。共同作業はトラブルが起こるリスクが多い為、これを避け、分担作業をする形になったという。まさに「和」の精神である。

 

日本人は、世界一、ラージ・ディスタンス(広いパーソナルスペース)を好む民族と言われるが、世界でも上位の人口密度の高い国での生活を強いられている。都市国家や極狭な島嶼国家は人口密度が高いのは仕方ない。都市国家群、極狭な島嶼国家群の次に日本。

 

自分の生体的願望がこれ程否定される環境で我慢して生活している民族は他にいないだろう。日本人にとって満員電車や、異常に狭い歩道などの窮屈な環境は苦痛でしかない。

 

他人と接触したくなくて距離を取ろうとして隅に寄っても人がテリトリーの中に入ってくる。自分が他人と距離を取れば、他人が不快に感じるテリトリーに自分が入ってしまっている。

 

思いやりを持って行動しても、結局別の人に迷惑をかけている。いつも申し訳ないと思うと同時に、他人に侵害されて常に不快である。何故日本はこうなってしまったのだろう?

 

牧場を置く平地もあまりないような狭い場所に非常に多くの人が集まっている。日本民族というのは、この環境に千年経っても慣れられないと思う。

 

元々赤の他人との身体的接近があまり得意ではない民族性である。地方移住が盛んなのも日本独特の現象だ。日本人は常にブルーオーシャンを求めて人のいない過疎地を求める性質がある。

 

 

日本人のラージ・ディスタンスを好む性質のおかげで、日本は治安が良いのかも知れない。

 

他人に手を出して、わざわざ面倒くさい犯罪を犯す労力が無駄だと考えるのである。他人とややこしくなるくらいなら、自分の責任で解決したい。これが日本人の心理である。

 

 

この牧場は、ただの工場のように仕事場の色が濃くて、非常に面白かった。

 

観光地なのに、ヤラセではない牧場に刺さった。

つまり、生業としての牧場と、瀟洒な建物とのマッチが刺さった。

 

かえってこれが向こう(欧米など)のリアルな牧場に近いのではないか?という妄想さえ出来た。

 

淡々と仕事をする姿が日本的ではあるが、それこそ「旅」である。服部牧場は「旅」のひとつのあり方をくれた。

 

何かを食べて帰ろうと思ったが、アイスクリームやジェラートや濃厚牛乳などの乳製品しかない建物に入った。

 

自分は、牛乳、ヨーグルトやバター、チーズ、生クリーム、アイスクリームも含む、乳製品全般を食べるとお腹を壊してしまうので、諦めた。

 

お酒は結構強いのだが、不思議だ。

 

別の建物もあった。そこでホットドッグを買って帰った。

 

帰り道。山林。絶対に野生の猿がいる🐒姿は見えないが、猿らしき声がそこここで聞こえている。フォッ フォッ フォッ フォッ フォッ フォッ フォッ フォッ フォッ フォッ フォッ

2、3匹ではなくて、いっぱいいる。群れか?

出くわしたくはない。怖い。

 

 

野生のオランウータン🦧やゴリラ🦍に出くわしたら、死を覚悟しろと聞く。普通のお猿さんは可愛いけどめちゃくちゃ凶暴らしいです。

 

愛川町、厚木市、宮ヶ瀬湖付近は、猿被害が凄いらしい。

 

服部牧場は、開拓された地ではなかった。

 

 

今日は牧場に時間を割いてしまった。帰りのバスを乗り間違えてしまった。

「角田」のバス停で降りて、そこから「中津」まで歩いて、中津から厚木バスセンターまで帰った。

 

今日は牧場の話→和の精神→縦割り行政→人口過密→地方移住の話になってしまいました。

 

地方移住→牧場となればまた戻って来る。

 

 

長文のご精読ありがとうございました。

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