斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

小さな万博

2024年11月24日 | 中央アジアその他

東京外語大学府中キャンパスで行われる「外語祭」

 

まるで“小さな万博”

 

万博ほどのクオリティーを求めてはいなかったが、クオリティーが高かった。

 

外大キャンパスは、とにかく紅葉がとても綺麗だった。

 

 

 

自分が先ず向かったのは、「東京外大中央ユーラシア同好会」が建てたユルタ。ユルタ内で演奏される、ウズベキスタンの楽器、ドゥタール演奏を聴く為だった。留学話も聞けるかも知れなかった。

 

 

中央アジアのテュルク系民族(突厥系民族)のユルタは、柱の代わりに梁で支える為、天井が高くなる。

 

 

 

ドアにも模様が施されている

 

 

隣の“てんぐり”という雑貨屋で、ジョージアワイン赤🇬🇪🍷を購入して飲んだ。11%と言われた。その割には甘くフルーティーな味わい。ユルタの中で味わいながらドゥタール演奏に聴き入る。演奏者は若いが、現地のベテラン奏者を思わせるような上手さだった。

 

 

 

全ての形が琵琶のように見える。シルクロードがかつて存在した事が実感出来る。弦が金属だとメタリックな音になる。

ドゥタールの他にも、カザフスタンのドンブラや、別のバージョンのドゥタールもある。全てニ弦楽器。一番左の太鼓は牛の皮を張ってある。

 

 

木そのものをくり抜いて作ったらしい。とても重そうだ。

 

これはトルコの“ウード”という楽器。これは二弦ではなかった。

 

 

その後隣の“てんぐり”という雑貨屋で、ソ連時代のバッジを購入。

 

 

この雑貨屋で売っている物は、学生さんが現地で購入して直接日本に持って来たものらしい。

 

ユルタ内の壁や床。壁にはトゥスキーズやスザニなど。床には絨毯。トゥスキーズとは、カザフ族の遊牧民によって、スザニとはウズベキスタンやタジキスタンで製作されている壁掛け刺繍。絨毯もそうだが、模様ひとつひとつに意味がある。遊牧民の間では壁掛けは女性の手仕事で、家庭観を模様により論理的に表している。絨毯も遊牧民の手仕事で、遊牧民の生きる知恵などを論理的に表している。絨毯は多分、イラン製やトルコ製かも知れない。

 

 

 

 

キルギスの国旗🇰🇬は、ユルタの天井である。らしい…

 

続いては、お隣のモンゴルのゲル

 

 

 

ゲル内にもおじゃまする。緑茶とお菓子でもてなしてくれる。電気ストーブを焚いていてゲル内は暖かかった。ユルタとの違いは、2本の柱によって支えられている。天井は低いが、広い。

 

このゲルはモンゴルの東の方の物らしい。

 

 

テーブルにはフェルトで出来たミニゲルやミニゲルの中にシャガイ(羊のくるぶしの骨)を入れたものなどがある。

 

 

 

 

学生さんがモンゴルについて調べた事などが壁に貼ってある。

内モンゴルについて

 

ホブド県について調べられたもの。

 

 

 

モンゴルというのは、緑の草原が広がっているのはほんのごく僅かだという。

 

置き物たちが可愛かった。ひとつに収まらなかった。

 

 

チェスが家畜や何かの動物というのは面白い。

 

 

 

チンギスハーンは国民から崇敬されている為、一家に必ず肖像画があると言われている。

 

 

置き物の中で、ラクダの絵と砂が入れてある物についてひとつ聞いておきたかった。自分の勝手な憶測では、これは内モンゴルのお土産だと思ったが、表記が英語である事から、そうでもないらしい。

 

この絵の右端の松の木が気になった。この一角は何の意図もなく描かれたのだろうと思うが、自分の思い込みでは、*オボーの跡なのではないのかと。

 

松を囲うように円形に草が生えている。円形の草の無い所にはオボーに使われていた石堆が砂の中に埋まっている。

 

これも勝手な妄想だが、内モンゴルで、中共がモンゴル族の建てたオボーを破壊し、野晒しにした。砂嵐などで埋まってしまったオボーの石堆の底の部分はまだ残っているのでその円形部分に草は生えない。モンゴル人はそこに敢えて松を植えたのか解らないが、松というのは岩の上に着生する性質があるのでこれはオボー跡を象徴するものではないか?

 

一見、かわいい置き物のように見えるが、メッセージ性も込められているのではないか?と勝手に思う次第である。

 

《オボー:モンゴル人が天神や地神や先祖を祀る場所。チベット仏教採用後には石を積むようになった。》

 

内モンゴルにこういう箇所がたくさんあったりして。

 

ゲルを出て、トルコ料理屋台の「オスマン亭」でケバブ購入

 

 

 

とても美味しかった。

 

短い滞在時間だったが、とても面白かった。普段、若者と接する機会が無いので、学生さんたちとの触れ合いは新鮮だった。

 

学生さんには、グローバルに活躍し、日本と世界との架け橋になる事を願う。

 

時間が許されるなら、ロシアや東欧、中東のコーナーにも行きたかった。

 

とても充足した時間を過ごせた。小さな旅でした。

 

ご精読ありがとうございます😊

 

来週からまた、日本の日常へ戻らなければならない。

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いつまでも繰り返し書いてしまうネタ

2024年11月17日 | ザ・日本人の気持ち

いつまでもこういうネタを卒業出来ない。

 

テュルク友の会いいなぁと思っているが、私は友達など要らない。欲しいのは“同志”。友達って何話したら良いか分からないし、どう関係を構築して良いのかも分からない。自分は用が無ければ自分から話しかけるタイプでは決してないし、自分から人助けをするタイプでもない。但し、これはヤバいと思った時や、“人”として自分はどうなんだろう?という時には人助けをする場合はある。愛や思いやりなどではなく「義務感」で動く事が多い。

 

テュルク友の会は、「友」ではあるが「同志」の色が濃いので好もしい。「同志」の世界では、いわゆる「友達」、「仲間」、「みんな」と言った関係にありがちな「村八分」とか、「絆」で人を縛り付ける、「同調圧」などは存在しなさそうである。古参、新参、俄かなどの序列的な位置はあるが、それが良い。古参から教えて貰えば良いのだから、それだけで関係は成立する。古参が生理的に合わない奴だったらしょうがないが、気にならなければ良い。

 

趣味友達を作れば良いと大人たちからアドバイスされるが、友達を作る為に興味のない「趣味」をわざわざ作らなきゃいけないというのは疲弊するので、出来れば興味をそそられる分野での「同志」が欲しい。

 

自分の興味を唆られる分野というのは、非常に限定的で、大多数の日本人が興味を持たない分野である。

 

それが「テュルク」言い換えれば「突厥(トッケツ)」

世界史の授業に出て来る北方遊牧国家の、あの「突厥」である。“トルコ”という意味でもある。その後裔が現在も連綿と続いている。突厥族は、アルタイ山脈が故地である。アルタイ山脈は金や鉄鉱石が豊富で、突厥の民は鉄鋼技術に優れていた。遊牧民族は製鉄民族とも言われる。

 

 

何故テュルクか?その発端はSUM41(かつては蒙古斑と呼んでいた)

SUM41の音楽は素晴らしく、大衆ウケすると言われる(キャッチーと言われる部類)が、同時に、テュルク音楽でもある。テュルクのルーツを持つ人間から紡ぎ出されるメロディー。これは貴重な事だ。これが世界でウケている。辺境の民族が世界ウケという数奇な運命。

 

SUM41の公式プロフィールには「北米出身」と書いてある為、聞く側の刷り込みで、キャッチーでポップに聞こえるが、これの作曲者がテュルク系民族だと知るとキャッチーに留まらず、なかなか深い味わいがあるように聞こえる。自分でもテュルク贔屓だと感じるところだ。

 

SUM41 はトロントでレーベルと契約したので、トロント出身とされている。

 

SUM41の同志と親密にすれば良いと思ったが、彼らは2025/1月を以て解散に向かう。もし解散せず、続くのであればファン・サークルに入り、日本ライブを毎回参戦する予定だった。

 

テュルク友の会については、後でじっくりと読む。自分はテュルクについても「俄か」である。

 

テュルク系民族は、同じ語族の人間が国境を超えて世界的に存在する。テュルクというアイディンティティで生きている。そして、同じテュルク系民族には、何事にもいち早く手を差し伸べる。ユダヤ人というのと似ているが、ユダヤ人と違うのは、テュルクという語族や血統で繋がっていること。ユダヤ人はユダヤ教という宗教で繋がっている。

 

 

日本人という生き方とおおよそ真逆である。日本人は、“日本”という国民国家の民だから“日本人”である。それは、”アメリカ人“とか”中国人“と言っているのと同じだ。

日本は“ひとつの民族ひとつの国家”だと言われている。日本人は日本語を話す人しかいないので、単一民族とされている(が、沖縄には琉球語、北海道にはアイヌ語の話者がいるので、単一民族というのは適切ではない。)。

 

テュルク系民族はというと、説明するのが無茶苦茶難しい。テュルク系民族は、突厥国の末裔。トルコ人を始めとし、トゥバ人、タタール人、バシキール人、チュヴァシ人、サハ(ヤクート)人、カザフ人、ウズベク人、ウイグル人その他含まれる。夥しい数の言語分岐があるが、皆テュルク系民族という自認(アイディンティティ)である。そして多様性もある。

 

テュルク語族とは、ウラル・アルタイ語族→アルタイ語派→テュルク語系。話される地域は、アナトリア、中央アジア、中国西部、シベリア南部、シベリア東部など。広範囲に居住しているが、何百年経っても突厥国の末裔という事が維持されている。

 

日本語は、残念ながらウラル・アルタイ語族では全くなく、完全な“孤立言語”。

 

朝鮮語はウラル・アルタイ語族→アルタイ語派→ツングース語系の下位言語である。

 

 

日本人については、最近の研究でやっと分かって来た事がたくさんある。それも、次から次へと色んな説が出て来て、次々と覆される。

 

自分が以前書いた記事では、日本人の大半は、太古人種の血の方が大陸からの渡来人の血より濃いという。

 

しかし、これを覆す研究結果が次々出て来た。学術論文でも色んな事を唱える人がいて、日本人のルーツについては未だ謎のままだ。これは多分、永遠の謎である。

 

蒙古襞(モウコヒダ)という目頭のヒダがある人が新モンゴロイド(大陸から渡航した弥生人)。無い人が古モンゴロイド(縄文人)という文献はなかなか説得力があると思っていたのだが。

 

文献によっては天皇家も縄文系だという。

 

もう、滅茶苦茶だ。

 

日本人のルーツについての論は幾ら覆されようと、我々の根底には美しい縄文の血が流れていて、縄文太古からの“和”の精神が生きている事実は動かしようがない。

 

 

昨年、自分の遺伝子をマイ・ヘリテージ社で調べたら“100%アジア日本”だった。何をもって100%日本人と言っているのか?これは勝手な解釈だが、これは100%縄文人という事なのではないだろうか?と考えた。でも、よくわからない。

 

縄文人と言っても単一種族ではない。北方の大陸から氷河期に移住して来た人の一部は、ケルト人などと血縁的繋がりがあると言われている。こういう遺伝子を検知しても100%日本人という結果を出すのだろうか?

 

日本人のように孤立言語を話し、自分たちのルーツが分からないという国民は世界中どこを探しても存在しない。ただひとつ言えるのは、日本民族というまとまった種族的集団が、どこかから一度に渡って来たわけではないという事。

 

アメリカ人でも自分のルーツはケルト系とか、イタリア系とかそういう事を良く分かっている。尤も、歴史の浅い国だから自分のルーツがまだ分かる。

 

日本人は日本人というアイディンティティ以外何も無くても、生きていく上で何も不自由はしない。何とも不思議なのが、大半の日本人は自分の根源的なルーツについて考えないし、そんな話題を口にする者がいない。そんな話をする事自体がタブーなのかと思えるが、そういうわけでもないようで、自分の根源的なルーツという発想が無いようなのである。大半の日本人はそんな事を考えることなく、生涯を終える。

 

テュルク系民族に限らず、欧州人、中国人、朝鮮人などは、一千年以上昔のルーツについて、一族で情報が共有されている、という話はよく聞く。

 

サカナクションのアイデンティティという楽曲がたまにラジオで流れる。これを聞くたびに、自分の事を言われているのかと思う。

 

日本でのアイデンティティとは、メンタル面での自立や、自分の道とか、自分のライフワークという意味合いである。自分はまだ、メンタル的な観点での「アイデンティティ」を確立してはいない。

 

周囲の人間に民族的ルーツのアイデンティティの話をすると、そんな下らない事考えてないで、自分の道見つける事の方が優先だよ。

 

老後の心配したら?。勉強したら?。そんな事より周囲の顔色気にした方があんたの為だよ。人と会話する事覚えなよ。

 

頭の中幼稚だね。他にもっと考える事あるでしょ。そんな事気にしなくてもいいよ。

 

外国人ルーツがあっても現世の人間には何の影響もない。暇だね。そんな不毛な事に時間を割くのは無駄。ずいぶん変わったこと考える人だね。

 

怒った事ある?。不思議な人。そんなんだから友達出来ないんだよ。気持ち悪いなぁ。

 

などと言われ、ないがしろにされる。この頃の周囲とは、高校の同期。

 

それに懲りて、それ以来、周囲にはこんな話を一切しなくなった。

 

日本人にはその手の話はアホらしくてタブーのようだ。人間の根源的な問題なのに、否定される。

 

日本には、そのようなものは存在しない。

 

 

昨年、両親にこの話しをしたら、昔の征服王朝説を言う。大陸にいた“倭(和)民族”が天皇家を頂点にして、縄文時代に、馬に乗って日本列島を侵略し、縄文人を北と南に追いやった。北がアイヌで南は琉球。琉球人を先住民と言っていた。未だそういう認識である。縄文人を日本人と見做していなかった。学校の教科書で習った通りの事を言う。

 

自分の遺伝子検査の結果が、100%日本人と出たのでこれは100%縄文人の家系決定だと思うが、当の両親は全く考えもしない。その事を伝えたら、純粋な“和族”なんだろ?日本人なんだから当然。ぐらいの答えで笑っていた。これ以上もう、何も言う気は起きなかった。

 

神棚を飾る慣習が無い事自体が、うちは、縄文系であると思うが。神棚に祀られている神は「天神」「地祇」で言う「天神」に属する方で「タカマノハラの神」である。これは“和族”が大陸から持って来た神である。両親は、自分たちが縄文ルーツであるのに、それも自認してないのか。何も先代から伝承されて無いのか。哀しい。

 

マイ・ヘリテージの結果も、正しい意味がよく分からないので、自身が100%縄文(うちが縄文家系)なのか?本当のところは何も分からない。

 

私を否定、卑下した高校同期の人たちは自分のルーツについてどう思っているんだろう。多分、そんな暇じゃないと思うので、そんな事は生涯考えもしないのだろう。

 

その中の数人は、弁護士になったり、ファイナンシャルプランナーになったり、一級建築士になったりした、らしい。同期事情に詳しい同期から聞いた。

 

彼女らは、そんな無駄な事を考えずに、自分の将来を見つめ、勉強して自分の道を見つけたのだろう。それこそ、日本で言う、アイデンティティを確立している。私は何ものでもない。何にもなれなかった。

 

自分の根源的な民族的ルーツが分かれば、自分のライフワークや道を見つけるなど、何か開けてきたり、前へ進めるのだろうかと考えていた。

 

 

自分は子供の頃より将来の夢が無かった。将来の職業というものが、何をどうやってもどう考えても、考えつかなかった。何にも興味を持てなかった。当時はネットがあったわけでは無かったし、自分には情報交換が出来る友達というものがいなかった。

 

高校の時の担任の英語の先生は、ある時、自分の何代か前の先祖はロシア人だと授業中に言い出した。彼女にはロシア的な特徴など皆無だった。それなのにロシアンルーツがあるのが不思議だった。

 

そして、何を勘違いしたのか自分にもロシアンルーツがあるような気がしてきたのだった。先生は、自分の血統を長年恨んで来たという。その気持ちが全く理解出来なかった。

 

自分のアイデンティティ(民族的自認)に悩みがある人がとても羨ましかった。

 

自分にはそもそもアイデンティティが無い。“日本人”というのはアイデンティティではない。世界からの寄せ集めであって、日本という国民国家の民であるというだけ。自分は何処から来て、どのような本性を持っていて、どう生きるべきか。自分の本性に沿った生き方をしたいので、そこを知りたいが、それが叶わない。“日本人”というアイデンティティで片付けられてしまうと、“神経質なムラ社会”から逸脱出来ない存在にされて、縛りつけられているように感じる。アンタはそういう存在だと決めつけられているというか。もちろんこの意味の日本とは、戦後日本を指す。

 

日本の八百万の神(アミニズム)が連綿と残っているところ、日本人特有の、人の心の奥の奥を読んで行動する所や、和の精神も素晴らしい。日本の美しい自然にも恵まれているし、日本人に生まれたことを感謝している。そして日本の文化は外国人からも評価されている。

 

しかし、「私は日本人です。」と対外国人に言い切れる程、繊細な神経の持ち主では決してない。日本人は空気を読んだり、察したり出来る、非常に細やかな神経の持ち主であるが、それが素晴らしいと評価されている。自分はそこが、全く当てはまらない。日本人の得意とされる分野は、自分にとって苦手である。

 

 

その頃の自分は多分、変身願望に近いものを、ありもしないロシアンルーツに求めていたんだと思われる。それと、海外への都合の良い勘違い。外国人はハッピーで、気さくで、村八分や束縛や干渉などをしないおおらかな人たちだと思っていた。

 

偏狭で、少しでも空気読めなかったりしただけで村八分にされる、人間関係が不自由な、戦後日本要素が嫌いだった事もあった。当時の日本の学校文化。右へ倣え。みんなおんなじ。同調圧力。協調しなさい。などが馴染めなかった事もあり、自分の中に海外ルーツがあったらいいなぁ。と夢想していたのだと思う。周囲の人間に嫌われ、人間関係が構築できなかった、変わり者の自分をありもしない「海外ルーツ」のせいにしようとしていた。しかし学校には、フィリピンハーフの子もいて、彼女は友達も多く、違和感なく周囲に溶け込んでいた。

 

自分が興味のある事は周囲の女子が全く興味がなく、周囲が興味がある事は、自分が全く興味がない。どうしても話が合わない。何を話したらいいんだ?自分は人の欠点に関心が無いから、人の陰口の同調を求められても、「そうなの?」と言うぐらいで応じる事が出来ない。変に陰口に同調して、自分の信用を失墜させるのは良くない事なので、高校同期の軽はずみな陰口には非常に警戒していた。そうしているうちに、いつの間にか村八分を喰らい、集団無視されてしまった。それ以来、その学年が終わるまで、ぼっちで行動するようになる。

 

クラス中で、カルガリーさんは会話成立しないしキモい人だから…と言われていた。用があって話し掛けても完全にシカト決め込まれていた。クラス全体で集団無視。クラス中から常に監視されて、定点観測されていた。空気が読めない人への制裁であった。女子校では日常茶飯である。

 

自分の10代後半は、とにかく周囲と噛み合わなかった。学校には友達がいようといまいと、勉強をしなければいけないので、皆勤で通っていたが、学校からはその年、皆勤賞で表彰されなかった。泣き寝入りしたが、担任側もこんな奴目障りだし来て欲しくは無かったのだろう。私立は依怙贔屓激しいと思った。嫌いな生徒は評価しない。

 

冷静に考えて見れば、16-17歳の年頃の女子の目から見れば、自分の根源的なルーツの話なんかを同い年がしてたらかえって不気味に映ると思う。いい歳をしてこんな事、普通の人間は口にしない。

 

 

遊牧趣味から得られた興味関心は、畜産業や鉄鋼業や鉱物である。これが自分がまだ高校生ぐらいだったら、親に懇願して、ロシア(Санкт-Петербургский государственный горный институт (технический университет)имени Г.В Плеханова《サンクトペテルブルク国立鉱山大学》)

やカナダ(北米)(Haileybury School of Mines《ハイレイバリー鉱山学校》)の鉱山学校に留学したいと言っていただろうと思われる。日本に帰って来ても就職先は無いと思うが、ロシアなどで就職し、結婚し、家庭を築いて、骨を埋めているだろう。

 

この歳になっても自分に「海外ルーツ」を求めるなどという幼稚な事をしてしまう。気が緩んだ時などは、寝る寸前に自分の中に海外ルーツが流れているのではないかと考えてしまう。そういう時は仕事上のミスをやらかしたり、スランプの前触れである。気を張っていればそんな幼稚なことがよぎったりしないが、ダラけて来るとすぐそちらに逃げてしまう。

 

長文のご精読ありがとうございます😭

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カニカンメカ🦀

2024年11月09日 | 日記

カニ缶がカニさんになっちゃう🦀 変形ガチャ

かわいいカプセルトイ

 

❤️💛🩷🩵

全色コンプリートした🎊

 

今年10月からトイズキャビンよりガチャとして発売。500円

 

トイズキャビン公式サイトに載っている、ガチャ設置場所をググって、足を運んで探し回った。

 

山梨、神奈川、埼玉、東京(新宿、池袋)探したがなかなか見つからず。ネットでカニカンメカをまとめて買う最終手段もあるが、ガチャで引きたい。

 

カニカンメカはX(ツイッター)でバズった。

 

やっと見つけたのが、原宿竹下通りの「カプセルラボ 原宿竹下通り店」B1F

 

同じく竹下通り、原宿駅側から通りに入ってすぐ右手にある“ル・ポンテ”ビルの1F(表記上ではB1F) Picnic原宿店の隣にあるガチャスペースGACHA DOCOR(ガチャ処)

 

同じく竹下通 “C-pla+ 原宿竹下通り店2F”

 

 

JR新橋駅構内のKENELESTANDというガチャ設置場所にもあった🦀

 

 

 

 

 

プルタブを引いてカニ缶を開けるところから始まる。

 

 

プルタブを裏返すと、ふんどしになる。

 

 

 

 

 

脚を伸ばして

 

 


カニさん完成🦀

 

おめめがかわいい😍

 

触ってて面白い🤣

 

 

シールは自分で貼る。



 

🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀🦀

 

ぼく、ピンノ!

 

あさりなどの二枚貝に寄生する小さなカニさん、ピンノのカプセルトイ。

 

これもカプセルラボ 原宿竹下通り店の1FとB1Fにあった。

 

全部で4種類これもコンプリート🎉

 

ピンノなの📍

 


集めるとピンノを重ねて遊べる!貝殻ケース付き¥200で回せるのも良い

 

色んなガチャ場に足を運ぶが、カニガチャを探すのがひとつの楽しみになっている。

 

虎斑カラッパさんのガチャをネットで購入したのをきっかけに、カニさんのカプセルトイかわいい😍となった。

 

カニさんは、その愚直に見える性質と、おめめがかわいい。甲殻類だから硬いので獣とは違う硬直した動きがかわいい。それでいて手先が器用。手(ハサミ《爪》)を使って食べる。歩くときは手を畳んで移動する。ゴリラみたいに歩行に腕(ハサミ脚)を使わない。正常位で後尾する。可愛い。脳ミソがちっぽけだが、感情豊かで個体差もある。そして意外に賢い。ハサミかわいい。

 

オオサンショウウオが大好きな某大学教授がいる。初めはオオサンショウウオ、キモい。としか思えなかった。こんなのの何が良いのか全然理解出来なかった。その先生はオオサンショウウオのグッズを片っ端から揃えて、“いつかオオサンショウウオの住まう土地に暮らしたい”と日々呟いている。

 

自分は水モノに全く関心が無かったが、ロブスター食やカエル食などのゲテモノ食いの動画から始まって、釣りや、水モノ飼育の動画に移行。

カニを飼育する動画もその中にあった。それでカラッパ飼育に出会い、カラッパの可愛さ、カニの可愛さを見つける。カニのグッズがあれば無条件に買うようになっていた。某大学教授を笑えない状況になった。某大学教授はウーパールーパーを飼育している。

 

カニガチャで引いたカプセルトイ

 

一緒にお寝んねしようネ💤

 

 

ご精読ありがとうございました♪

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姉妹都市・友好都市

2024年11月03日 | 中央アジアその他

姉妹都市・友好都市というのは、自治体に住まうその市民にとって世界と繋がる窓である。

 

先記事で、*もみじ ブリティッシュ・コロンビア州、クートニー・バウンダリー地域のネタを書いた。

 

自分はこんなマニアックな町を知るわけがなかったのだが、旅のラジオで姉妹都市のネタが出た

 

 

そのついでに、一応、自分の居所の姉妹都市・友好都市の類をググる。

 

自分の居所である相模原の友好都市は、中国 江蘇省 無錫市🇨🇳

もみじ オンタリオ州 トロント市🇨🇦

である。

 

先記事の、もみじ ブリティッシュ・コロンビア州 トレイル市🇨🇦は、かつての友好都市だったが、トレイル市側から一方的に解消された。バウンダリー地域については、トレイル市を検索したら、クートニー・バウンダリーという名前が出てきた。

トレイル市はもみじ西部に位置する。

 

相模原とは、本州の内陸部に位置する地方自治体である。

神奈川県に属するが、市民の住感覚としては横浜・川崎や湘南・横須賀や県央など神奈川県の他地域よりは、甲信の方が近い。東京近郊のベッドタウンというよりは、地方都市の色が濃い。他の神奈川県の地域とは世界観全く異なる。

 

気候は“寒温帯”に属すると言われている。(芝生などが寒地型のものが植えられている)相模原は東京多摩地域(八王子、あきる野、青梅、奥多摩は除く)より標高が高く、山岳地帯もあるが、大部分は平原である。風通しが良く、苔なども定着困難らしく、ブロック塀や凹凸のある塀や石垣などに生えていない。(地面の土のある場所には、草のように生える)民家の庭の石の上にも苔を見ない。逆に、温暖湿潤な場所での自生例が少ないと言われる外来種の“セイヨウトゲアザミ“がだだっ広い野っぱらに蔓延っている。

 

昔は水を得るには井戸を掘る以外無かった為、相模川沿岸以外は、稲作が困難であった。現在でもそこ以外に水田は無い。温暖で米の二期作可能な県内の他地域とは気候の隔たりが大き過ぎる。そこら辺のだだっ広い畑には、桑や蕎麦やゴボウがたくさん植えられている。そして畜産や養鶏が盛んである。乗馬クラブも多い。工業も盛んである。しかし酪農家は見た事がない。畜産家当事者以外は“家畜”というものが身近な存在ではない。

 

丹沢山塊⛰️は相模原の平原からは40kmぐらいで割と近い。丹沢山塊までは平坦で視界を遮るものが何も無いため、アルタイ山脈を想起させられる。相模原で知名度が高いものといえば、JAXA。相模原市の領土は米軍占領地が多い。横浜の人から“サガミっぱら”と呼ばれていたらしい。

 

雪雲❄️が甲信まで掛かってるときなどは、沿岸部が快晴でも相模原はパウダースノーだったりする事がよくある。相模原は冬は厳寒だが、夏は涼しい気候であった。しかし近年の酷暑により、フェーン現象で沿岸部より暑くなっている。夏は石焼きビビンバが出来るようなジリジリとした暑さだ。東京などの、しっとりとした肌に優しい蒸し暑さが好もしい。

 

“潤水都市相模原“が指すのは、ダムのある山岳地帯と、相模川沿岸部である。

 

個人的には、相模原の気候はトルコみたいだなーと思う(行ったことはないが。)

(*トルコといっても場所による。それに何故トルコにアルタイ山脈あるねん??)

 

セイヨウトゲアザミは、トルコにもたくさん自生しているらしいので“トルコアザミ”でも良いと思うが。

 

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2016年7月31日、もみじのトレイル市との友好都市提携を31日付で解消した。同市から3月に提携解消の申し入れがあり、検討を重ねてきた。同市は人口約8千人。旧津久井町と1991年に友好都市となり、2006年の合併により相模原市が引き継いでいた。

 

市シティセールス・親善交流課によると、トレイル市にいる相模原市の代理人を通じて、マイク・マーティン市長から「トレイル市のような小規模自治体で、交流にかかる将来の財政負担を考慮し、市議会として交流終結の意向を決定した」と連絡があり、6月には同内容の書簡が届いた。これに対して同意する書簡を送ることで、正式に提携解消とすることで合意したという。

 

相模原市の海外友好都市は、もみじ・トロントと中国・無錫の2市になった。

《抜粋:カナロコ》

 

市町村合併によって、互いの自治体の釣り合いが取れなくなり、破局ということなのかも知れない。超旅ラジオでも姉妹都市・友好都市とはマッチングサイトのようなものと言ってる。

 

もみじトロント市と相模原市の友好都市関係も少々ややこしい。トロント市とはもみじ東部にある巨大都市。

 

相模原市は、1991(平成3)年5月31日に当時のスカボロー市と友好都市を提携しました。その後、スカボロー市は、1998(平成10)年1月1日にトロント市を含む近隣5市と合併し、新トロント市になり、友好都市関係が引き継がれました。

《引用:相模原市公式サイト》

 

トロントとは友好都市提携33年。正確にはスカボロー市と提携を結んだ。スカボロー市は逆に市町村合併をされた方だ。トロント市などという超メガ都市と、地味な農作物と畜産・養鶏と工業は盛んだが、米軍占領地の多い(JAXAはある)こんな相模っパラという滅茶苦茶寒い🥶地方都市が釣り合いが取れるとは到底思えないが、破局はしていない。相模原市にはスカボロー市ぐらいで丁度良い。それ考えると、もみじ西部のトレイル市ってどれだけ小規模な自治体なんだ?と思う。多分旧津久井町と同規模だと思う。

これ調べるまではトロントがフロリダにあると思っていました。北米の地理に余りにも詳しくないのですみません。

場所によってはトルコの冬の方がトロントより厳しいかも☃️緯度的にはそんなに変わらん。

 

*スカボロー市はトロント郊外といった感じで、多摩地区のような感じである。ま、東京近郊多摩と相模原もだいぶ隔たりがある。(何度も言うが、まだ行った事がない。トロントという大都市と郊外を繋ぐMetro LINXのGO Transitの4K動画でスカボロー駅を通過したものを閲覧しただけ)

 

もみじと相模原、領土問題で非常にややこしいので頭が混濁する。

 

これを図にしろと言われると難しい

 

    合併  友好都市

相模原市→津久井町🩷トレイル市

→財政難により、トレイル市による一方的な関係解消

 

    合併     友好都市

トロント市→スカボロー市🩷相模原市

→関係継続

 

解消する前はもみじ🍁2個になってた

 

国家の興亡盛衰が目に見える

 

クシュタール汗国→7&i の状況を考えると頭痛い。

 

相模原市のもうひとつの友好都市は、中国 江蘇省 無錫(ムシャク)市。1985年(昭和60年)10月に友好都市を提携し、今年で39年を迎えた。

 

この間、約4,900人の人が相互に訪問し、文化・教育・スポーツ・経済などの幅広い分野で交流を深めています。無錫市は、中国江蘇省の東南部に位置し、気候は相模原市とほぼ同じです。常住人口は約749(戸籍人口は519)万人(2022(令和4)年)で、江蘇省を代表する都市の一つで、工業が盛んなほか、米や生糸の産地としても有名です。

《抜粋:相模原市公式サイト》

 

ここが相模原市の友好都市としてはメインである。まともに交流をし、約40年も続いている。

超旅ラジでも言うように、友好都市・姉妹都市とは「共通点が多い」と書く自治体が多い。相模原市も「気候は相模原市とほぼ同じです。」と書いている。工業が盛んなところなどは共通している。

相模原市の人口は2024年時点で71万。中国とは比較にならないが、相模っパラと長年付き合って頂いている事に感謝。

無錫市は、「太湖石」という奇石を産出し、歴史的な城壁都市である。典型的な江南の水郷であり、水産物が豊富で、古来「魚米の郷」と呼ばれていた。

《抜粋:Wikipedia》

市町村合併などの複雑な領土問題に巻き込まれていないという事も、長続きする事の秘訣だと思う。

 

超旅ラジオの内容では、エビとカニの水族館で有名な“和歌山県すさみ町は、ボスニア・ヘルツェゴビナのイェゼロ市と姉妹都市提携をしている。”と言っている。

 

両自治体が姉妹都市となったきっかけは、シニシャ・べリャン駐日ボスニア・ヘルツェゴビナ(BH)大使が2022年にすさみ町を訪問された事による。イェゼロ市は、*スルプスカ共和国という未承認国家にある。

《抜粋: Yahoo検索結果》

 

《スルプスカ共和国: ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦を構成する自治体の1つで、旧ユーゴスラビアに住んでいたセルビア人、クロアチア人、ムスリム人の主要3民族のうち、セルビア人を主体とした共和国となっている。

「スルプスカ」の意味は、「セルビア人」を現しているため、「セルビア人共和国」と呼んでも良いのだが、隣国の「セルビア共和国」と明確に区別するため、主に「スルプスカ共和国」と呼ばれることが多い。》

《引用: 多言語翻訳 Samurai Global〜多言語のススメ〜》

 

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の結果出来た自治体である。

 

未承認国家と姉妹都市提携。。。羨ましいんですw

 

旅ラジは、東北の東日本大震災の被災地の自治体と、アメリカ西海岸のある自治体が姉妹都市提携しているとも言っている。

 

理由は、海流で繋がっているから。被災した時に流された物が米国西海岸に漂着してしまった。その繋がりで姉妹都市提携が始まった。心の傷を舐める親友のようだ。

 

“海流の繋がり”そういう考えもあるのか。まあ、なんとも。そういう着想には至りにくいので斬新だった。

 

“麻布十番”とアゼルバイジャン。ダジャレか。そういう繋がりもありか。

 

こんなのはどうか。モンゴル国ダルハン市と大元集落の提携。「ダルハン」の意味は「鍛冶屋」。大元集落の、行政的な日本語での現実のこの地区の地名の意味は「鉄を量産する場所」という。

 

意味が似ているという繋がりで提携するのはどうか。モンゴル繋がりで「鉄」繋がりで提携。

 

大元集落は蒙古系民族が定住させられている集落である。自治体でも何でもない*周縁集落である。

 

未承認国家や、ロシア連邦アルタイ共和国などの“共和国”の自治体。〜自治区。〜自治管区。モンゴル。トルコ。北欧のラップ人主体の自治体。旧ソ連。東欧。中東。グリーンランド。もみじの先住民主体の準州。アラスカの先住民主体の自治体。アフリカ。ブータン。インド、ネパール、パキスタン、アフガン、イランなどの姉妹都市・友好都市の提携やってる自治体が非常に羨ましい。そういう場所はよほどの縁に恵まれない限り、自分で追うしかない地域である。

 

私カルガリーがピンで友好関係を自治体と提携するなら、ロシア オレンブルク州 カルガリー市とやっても良いのかも知れない。同じ名前繋がりだから。

 

 

 

現在自分と向き合っている国は、ネパール🇳🇵ベトナム🇻🇳 インドネシア🇮🇩 モンゴル(大元ウルス)🇲🇳 もみじ🇨🇦 中国🇨🇳 クシュタール汗国 - v@ アメリカ🇺🇸

 

ここまで自分の向き合っている国を明かすと、個バレしそうである。

 

ネパール人、ベトナム人、インドネシア人は、自分の職場で多く働いている移民。

 

モンゴル(大元ウルス)。大元集落と向き合う事で、かつて存在した元帝国と向き合う事になる。大元集落と自分との繋がりはないが、この集落の人民は、元帝国の末裔である。この集落と出会したことに感謝しているが、どちらかというと自分からモンゴルの背中を追う事の方が多い。

 

アメリカ。これは、相模原市が米軍占領地を多く抱えている事による。言うまでもなく、これは“外圧”である。

 

クシュタール汗国。これは、アリマンタシォン・クシュタールというケベック州に本社を置き、世界29カ国・地域でコンビニエンスストアやガソリンスタンドを展開するグローバル企業であり、国でも何でもない。

 

しかし、買収を繰り返し、多数の企業を服属させ(傘下にする)膨大化していく。領土を拡大し、人を取り込む、とある大帝国と酷似しているようにも見えた。クシュタール汗国は、国民国家というより主権国家の色が強い。民は隷属民となり、労働を搾取される。傘下となった企業の人たちを上手に働かせると思う。

 

クシュタール汗国は傘下となった企業や、その企業の財産を、主権者である一族で均等に分配。傘下となった企業の分だけ、クシュタール汗国は潤う事になる。そのような会社のやり方が、汗国(ハンコク)と言われる遊牧国家の運営のし方に酷似している。

 

アラン・ブシャール(Alain Bouchard)というクシュタールの創業者兼実業家をなに可汗(*カガン)

《可汗:皇帝の意味》

と名付けようか?と考えている。実際彼は、皇帝の座に君臨している。

 

自分の働いている会社は、7&iの関連企業である為、この件は非常に深刻である。

 

この記事を振り返って、一方的な関係解消、領土問題、紛争、大震災、周縁集落、移民問題、米軍占領地、服属提案、隷属、搾取…..

 

と、数多くの不穏と向き合っている事に気づかされる。自分の働いている会社は、移民と外圧に晒され職場全体が非常にピリついている。

 

選挙戦でどの党も”移民“と”外圧“の問題に触れない。今回の選挙は裏金問題に特化されてたと感じる。いつまで内向きな裏金の話するのか。円安は外圧が原因だ。米国による金融操作が原因で円安になった。円安が原因で更にまた、様々な所からの外圧が増える。

 

自分はアメリカという国がどうしても好きになれないし、トランプも厭だが、トランプ氏の言う事が理解出来るようになって来ている。氏の暴言や失言に目をつぶれば、移民問題について語るトランプ氏の方が、いつまで経っても裏金追求するより遥かにまともな気がする。

 

長文のご精読ありがとうございます😭

 

おまけ

 

スカボローを通るGO Transit

(以下GO鉄とする)

 

・GO鉄 Stouffville線

 

動画の16:00頃、スカボロー駅通過。

 

トロント中心部Union Station (多分、労働組合駅という意味ではない)から終点Lincolnville駅まで49.6km

 

 

・GO鉄 Lakeshore East 線

(以下湖岸東線とする)

 

この動画は各停。

 

動画の41:40頃、スカボロー駅停車。

 

トロント中心部Union Station から終点Oshawa駅までは50.5km

 

これのどこが多摩じゃ〜!!!

 

湖岸東線の終点のOshawa駅あたりのが、スカボロー付近より相模原らしい。

この沿線の景色は、外国のものとは思えない。トロント中心部に近づくにつれて、ここは日本ではないんだなーと感じるが、郊外、さらに田舎へ行くにつれて相模線の一角などのような雰囲気になり親近感が湧く。しかし社会構造や様々なシステムや慣習は全く異なる。YouTube 切り取りマジックに掛かってるのかも知れない。実際に行ってみると、親近感も既視感も懐かしさも全く無いのだろう。

 

しかし飛行機で13時間もかかる地球の裏側なのに車窓が似ているというのは不思議である。日本に洋風な戸建てが増えたことにより、トロント近郊の車窓に近づいてしまったことも考えられる。大都市近郊というものは、世界中どこもそんなに景色変わらないのだろうか?

 

ひとつ考えられるのは、相模原が、米軍基地を中心に、北米風に土地が区画整理された事。アメリカン・スタンダードに基づく国土改編。米国が侵食して来ている。その上日本人市民が、近年流行りの北米人が住むデザインの戸建てに建て替えた事で、より北米化してしまった。もみじの郊外よりアメリカの郊外の方がもっと相模原に似ているのかも知れない。基地外な話だ。銃や覚醒剤も基地を拠点に出回っている可能性もなくはない。我々日本人は、米国の脅威を考えながら生活しなければいけないのだろうか?

 

政治家はダメだな。こんな事全然考えてない。

 

汗国と米帝国と移民の害悪の板挟みになっているうちの会社は、どう考えているのだろう?三面楚歌。脅威だらけだ。

 

 

更におまけだが湖岸東線沿線にAjaxという駅がある。エイジャックスと読むが、ここはSUM41のデイヴ氏の出身地である。

 

SUM41が契約した場所はトロントなのでこのバンドはトロント出身という事になっている。SUM41には、もみじ国人民が2人、トゥバ人が2人、アメリカ人が1人。計5人。昔スティーブというメンバーがいたが彼もトゥバ人である。

 

《SUM41 デイヴ・ブラウンサウンド氏 転載: デイヴ氏のインスタ》

 

*もみじ: Canada

 

*周縁: 文化人類学用語では「中心から排除されたり、軽視されたりする存在」と定義され、経済学では「周縁は中心から経済的に疎外された地域や国を指すことがある。」文学では、周縁は「社会の規範から外れた人物や集団を表現するために使用されることがある。」この集落は、文化人類学的にも経済学的にも文学的な意味でも、全てにおいて“周縁”に当てはまる。

 

 

 

コメント
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