斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

2023年ありがとうございました🐰

2023年12月31日 | 日記

本年は稚ブログをご愛顧頂きありがとうございました🍜

 

 

「給湯器のリモコンの呼び出し音が突然鳴り出した」の記事が思いの他バズりました。

 

翌年は後日談とガストラブル時の対処法などを書きたいと思います。

 

 

今年は喪失感の多い一年でもありました。

蒙古斑(仮)の解散宣告。スフバートルコーヒー店の閉店。*エスターの逝去。

 

エスター: 長年、インスタで見守ってきたペット豚。この豚は家畜豚の大豚で300kg超だったらしい。存在も大きく、今年の10月に逝去。人間の年齢だと90歳前後のように見えた。

 

飼い主は、男2人暮らしで女と言えば母親か妹の存在しかインスタ上で確認出来なかった。偏見だが多分ゲイカップル。

 

家畜と人間が同等に生きることを熱心に訴えるゲイ🌈のヴィーガン。私個人的な目で見れば、こいつらは生きる価値ないと思う。

 

飼い主については全く関心も眼中にもないが、豚とその他ペットが可愛いから見ていた。

 

生きる価値のない奴らが豚のいないクリスマスを祝っていたが、ツリーにガラスの豚の中に故豚の毛を入れたオーナメントを飾っていて、見ていられなかった。

 

一番可哀想なのは犬。犬は人間の言う事など一切聞かず、専ら豚に服属していた。

犬の喪失感は人間以上で見ていられない状態だと思う。

 

蒙古斑はその場で解散して頂いた方が良かった。解散までの残り少ない活動期間が、余命宣告を受けた末期癌患者との一秒が惜しい時間のようで非常に辛い。生きてるうちに後悔しないような時間作りを意識するのと同じで、焦燥感がある。

 

スフバートルコーヒー原野にある店が今年5月に閉店して、街場に移転したが、オープンの5ヶ月後の11月に突然閉店してしまった。あきるの市にも新店オープンしたが、僅か2ヶ月で閉店。スフバートルに代わる落ち着けるカフェを探して長居するが、どこも1時間30以上居ると、帰って欲しいようなアクションをおこされる。

 

それと、今年は訃報が多かった。

 

今年に遭遇した全ての「喪失感」が年の瀬になって、疲れとなって夢として現れたのかも知れない。寝後感がこんなに悲しいのは久しぶりであった。

 

 

知識の羅列ばかりで血の通わない文章の為に読者の時間を割いてしまいました。これからは私自身の人となりが伝わるような文章が書けるよう努めます。

 

よい年をお過ごし下さい🎄

 

翌年も宜しくお願い申し上げます🍵

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今年を振り返って🐇

2023年12月27日 | 自己満

今朝目覚めたときから何故だか分からないが、とても悲しい気分にさいなまれていた。

覚えてないがとても悲しい夢を見たような気がする。

 

強いて言えば蒙古斑(仮)というバンドに関する夢を見たような気がするが。

 

頭がハッキリしてもまだ悲しみは治らなかった。

個人的な身の周りに不幸などは無いのに本当になんだったのか。悲しい気分は通勤時にはいつの間にか消えてなくなっていました。

🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹🌹

 

前回のブログで、鎖国後にキリシタン弾圧、島原の乱という誤った情報を書いてしまい、申し訳ありませんでした。

 

島原の乱(島原・天草一揆) 1637-38年

 

1639年 ポルトガル船の来航禁止

1641年 平戸のオランダ商館を長崎の出島に移す

その後 鎖国

 

前回の記事は、○○市の郷土史、金田地区の郷土史、江戸期に関する様々な文献、部落問題に詳しいYouTubeなどを時系列を追ってまとめました。

 

郷土史には「遊牧民」「夏営地・冬営地」などという言葉はありませんでしたが、「定期的に拠点を移す人々」という表記を見つける事が出来ました。

 

前回書いた記事の内容は学校の教科書には絶対に載っていない内容。

マスコミも絶対に放送しない内容です。

本屋などに一般的に売ってる本にも載っていないと思われる内容です。

このような内容を教育したり報道すると、外交問題に発展したり、子供が自分の国を嫌いになってしまうなどの問題が起きるためだと思われます。

前回のブログ↓

カネディアン🔱はモンゴル人🇲🇳になれるのか? - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

今年は、ロシアvsウクライナの戦争がまだ終結しないまま、イスラエルによるガザ地区の侵攻が始まり、更に円安と物価高、増税メガネ、政治とカネ問題、阪神優勝など色々ありました。

 

兎年は飛躍の年だと言われたが、何が飛躍したのか?

 

今年から冬の門が開くと昨年の年の瀬に言われたが、どこが冬の門だと思うくらい、酷暑、沸騰、記録的暖冬。何が冬の門だと思う。

 

今年は意外な方向に転がってしまった年だった。

 

自分にとって今年は月日が経つのがとても早く、ただただ日々ルーティンをこなすだけの一年でした。自分から人との出会いを探すことが出来なかった一年でした。

 

昨年の暮れに占いで2023年の運勢は、新たな出会いがあるかも知れない。

 

但し、自分から行動する必要があり、待っていては何も起こらない。

 

時が経つのが早く、一歩も踏み出せないまま、また一年が過ぎてしまった。

 

2024年は趣味のひとつでも作らなければならない。

 

中央アジア活に於いても、計画通りにはならなかった。中央アジアのステップロード(草原の道)沿線について正しく調べて、その歴史とか観光の見どころをブログに上げる

 

遊牧民の国家興亡の歴史を上げる

 

中央アジア料理のレシピの続き(暫くサボってたから)を上げる。

 

など、頭の中でなんとなく計画を練っていたが、あるモノに足を引っ張られて、計画通りに出来なかった。

 

あるモノとは、オボーとテングリ信仰の痕跡のある、日本国内にある蒙古集落とでくわしてしまった事。

 

自分はこれと出くわした事で、人生観がまるっきり変わった。日本国内の平和について疑問を持つようになってしまった。それと「性善説」が完全に崩壊。

 

これと出くわす前は、ただ漫然と「平和」とは「戦争」が起こらない事。喧騒のないまったりとしたさま。とだけしか認識出来なかった。

 

それも正しいが、日本の平和の成り立ちの裏に深い闇がある事。それに気づいた。

 

日本は単一民族であると言われることや、「*同和精神」だけで、人間と人間が「和」すことが出来るという事にも疑問を持った。

 

「平和」や「平定する」という意味や「多様性」について深く考える機会にもなった。

 

「平和」という言葉の裏には色々な意味が隠されている。

 

あの蒙古集落には、部落の家に貼ってありがちだと勝手に言われている共○党のポスターが無かった。

 

部落問題に詳しいYouTuber先生は、部落の特徴として共○党ポスターが多いという。(あの先生は少し下品だ。。。)

 

なぜあの蒙古集落には無いのか?

理由は分からない。私が勝手に憶測すると、「平和」を掲げる政党は恐ろしいものだという彼らの遺伝子に刻まれた思いがある。

 

かつて徳川幕府に「平和」という大義名分があった。これは徳川でなくても誰もが願う事だ。戦乱は嫌いだ。

 

徳川の「平和政策」が、民族的多様性や、人の生き方を極端に否定してきた。

 

「平和」というと一見聞こえは良いようだが、徳川家は「平和」と「多様性」は共存しえない。と考えていたようだった。多様性を肯定すれば争いになり、生き方を肯定すれば争いになる。

 

徳川は争いを無くすために苦悩してきたと思うが、それの最終手段が、民族の均一化、価値観の均一化であったのだろうか。

 

「平和」の難しさという事をこの一年、考えさせられた。

 

ただ仲良くすればいいという単純な問題ではない。

 

「平和の為の○○」という言葉をよく耳にする。日本の一般論からは○○をせずに、ただ仲良くして平和になるというのは無理なの?という質問をよく聞くが、これはパレスチナの人やウクライナの人にこの質問をすれば愚問だと鼻であしらわれるだろう。

○○とは戦争などの平和とは相容れない言葉。

 

「平和というのは力の均衡」だと*プが言ってたが、認めたくはないが、一理あるのではないか?とも思う。これは外乱(外交)の問題である。

 

プ: 元気過ぎる、自分から戦争起こした張本人問題爺。本当糞だ。

 

「多様性」と言われるようなサステナブル、ダイバーシティなどSDGsやLGBTQなどの話をテレビやラジオから聞いているだけでは決して気づかない、民族問題という観点の「多様性」。

 

マスコミや政府に多様性の時代だからそのようにしろと言われても、よく分からない。

 

徳川的に言えば「平和」の対義語といわれる「多様性」

 

マスコミや政府は、日本国内の民族問題や同和部落問題を誤魔化し、すげ替えるようにSDGsやLGBTQなどの西側から直輸入した言葉を濫用する。それが「多様性」という。

 

政府はどんな国にしたいのか?遊牧部落を弾圧しておきながら性的マイノリティが生きやすい社会を目指すのか?これでは徳川の時代と同じかそれ以下。

 

マスコミの言うことは鵜呑みに出来ない。

 

「平和」と「多様性」の均衡は必要だと思う。「多様性」ばかりをやたらと認めても、一部の少数派のやりたい放題の世になって結局また争いが起こる。

 

日本は「単一民族」で「平和」である。

よく考えなくても分かるが、「単一民族」だから平和である。

 

外乱は国と国の利害関係とか、覇権主義など複雑怪奇な理由で戦争が起こる。

 

内乱の理由は、覇権主義や利害関係や意見や思想の対立などもある。内戦の話を見ていると「民族問題」などが出て来る。

民族問題というのが一番ややこしく、惨たらしいものにさせる。

多くの日本人のツイートを見ていると、民族問題なんて下らない。という声が多い。確かに下らないと思う。個人的過ぎて大義ではない。しかし自分の家族や氏族が他人(他の民族)の犠牲になっているとなれば傍観していられないのが人として普通の感情だと思う。

私も含む日本人には民族問題が理解し難い。

 

日本人は単一民族問題について(琉球王国とアイヌ民族は除く)強く疑問に思うようになったのも、蒙古集落と出くわしてしまったのがきっかけになった。

 

日本は中国みたいにデカくなく、国土が凄く小さいから、日本には日本人ぐらいしかいないのは不思議ではないと昔は考えていた。語族というものを知るようになってから、日本人は孤立語族だという事が分かった。少し前まではアルタイ語族だと考えていたが、言語構造などを比較すると、語順だけ同じで、全く違っていた。朝鮮語はアルタイ語族の構造に当てはまるそうである。満州語と近いツングース語族である。

 

日本語族という孤立語族がいれば、太古の昔に単一の種族が一度に日本に渡って来たということになる。それ以降閉ざされたように外部から来ず、そのまま産み増えて今の人口になったのか?しかし倭国(日本)という地理的条件から考えても、一つの種族が純血を保ちやすい環境とは到底思えない。自分は日本人種だという強い自覚を持ち、皇室のように頑なに血統を守る努力をしても実際に皇室でなければそのような事は難しい。氏族内で婚姻するしか純血は保たれない。

 

日本に様々な技術や文化が渡って来ているので当然、シルクロードの人間も日本に渡って根付いていると思われる。大陸や半島の人も日本に根付いている。周辺諸国の国際情勢を考えても、戦争に負けて逃げて来たり、亡命したり、島流しにされたりと、日本に来る用事はあるはずである。まとまって集住化したというのも充分考えられる。日本には日本語族人種だけしかいないというのが不思議である。ましてや四方を海に囲まれているので地続きの国よりは入国しやすい。地続きだと関所だの検問だのと、越境が難しい。

 

ロシア人YouTuberの言ってる事や、中央アジアに関わる人の話を聞いていると、日本が日本人だけというのが、なんだか不自然なことのように思えた。それが昨年の終わり頃。

 

文献や郷土資料を読んで分かった事は、日本の江戸時代中頃ぐらいまでは、倭民族の他に雑多な民族がバラバラにそこら辺にいたらしい。氏族単位で生活をし、封建制度の仕組みに入る人もいれば入らない人もいたらしい。

 

だから蒙古集落が存在してもおかしくはない。

 

今年は大河ドラマで家康がテーマだったから余計徳川を意識してしまった。

 

家康は天下人として最強の、素晴らしい武将である。

 

問題なのは家康ではなく、一部を除く後の将軍。

家康は素晴らしかった。しかし江戸の世を実際に統治しなければならなかったのは、後の歴代将軍である。

大名の覇権主義争いよりも実際頭を痛めていたのは倭国内における「民族問題」だったであろう。本気で世を平定し、争い事のない平和の世にするためには民族問題をどうにかしなければならない。

鎖国をした理由のひとつにもこの「民族問題」の為に、国内にいるディアスポラと祖国との関係を断絶することが目的だったのかも知れない。

倭族の慣習を以て倭族化をしたというよりは徳川イズムの植民地支配のようであったと思う。

 

中国、朝鮮を除くディアスポラの文化はなぜ断絶されたのか?

の答えは、鎖国による文化断絶によるもの。そして庶民各々の民族的アイディンティは消滅させられた。

 

しかし、平和が何より貴重である。平和については考えれば考えるほど難しく、一概に答えが出ない。平和というものはとても脆く、維持することが非常に難しい。

🔱🔱🔱🔱🔱🔱🔱🔱🔱🔱🔱🔱🔱🔱🔱🔱🔱🔱🔱🔱🔱🔱🔱🔱

 

今年の初めには、寺社仏閣巡りが流行った。それで自分も流行りに乗ろうとして、手当たり次第寺社巡りに赴いた。ただ拝むのもあれかと思って、寺社の由来を調べてから巡る事にした。

 

その頃スフバートルコーヒーがまだあって、そこで勉強などをしていた。暗くて危険なのでバスを利用して駅まで帰る途中の、ある神社も気にはなっていた。それが金田神社。

 

金田神社についてググルと色々なサイトが出て来たがその中の一つに「中世に“長距離競馬神事”が催されていた」

上依知から金田までの10km強の競馬。

ナーダムみたい。

 

それが気になって気になって仕方がなかった。

神社というのは集落毎にあるものなので、金田集落はもしかして…..

 

金田、頭文字が「金」!アルタン!!!

モンゴルには「アルタン〜」という地名が多数あって、頭文字「金」地名が目についた。

アルタンとナーダム的な祭り。それだけで、実踏しようか。となった。

 

それがコトの始まり。

 

カナダホト🎪(蒙古集落)を見つけるだいぶ昔から、川の左岸の台地には、昔、牧民が暮らしていたのではなかろうか?という気がなんとなくしていた。牧民が暮らしやすそうな環境であるような気はしていた。

中央アジア北部の風を感じるもの - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

川の両岸の台地は、良馬の産地であると聞いていたので、余計にそういうふうに思えていた。

 

カナダホト🎪(蒙古集落)はいくら探そうと思って探しても見つかるものでは無いと思う。

スフバートルコーヒー店や、バス路線や、神社仏閣ブームなどの諸条件が重なって奇跡的に出くわせた。

 

意外にも川の右岸だった。

 

どうやらこのカナダホト🎪とやら集落は本物の蒙古集落らしい!

 

「中央アジアの風」の記事の中の、我々日本人は遊牧ディアスポラ….

とあるが、これは一部しか当てはまらない。

 

本物の蒙古集落は、自分が想像していたものと全然違っていた。本当にこういう人々が川中流の内陸の台地で動き回っていたんだ!と実感しました。

 

カナダホト🎪と出くわせた事に感謝しております🔱

 

という事で長文のご精読ありがとうございます。

 

 

同和:「同和」という言葉は、昭和天皇即位の際の詔勅にある。生まれ、家柄・血筋、社会的身分の別なく、国民は等しく、慈しみあわねばならないという発想に基づくと言われています。

 

弾圧部落に「蒙古集落」など「蒙古」という国の名を冠するが、国際問題に発展しないか心配です。蒙古集落の事を指す「カナダホト🎪」のワードを使用すべきですかね。これなら蒙古とは言っていないのです。だから外交問題にはなりません。容易に、特定の国の名前を冠するのはよろしくないのではと思います。

 

部落名丸出しにするのも余り良くはないのでカタカナ表記にしました。キリル文字表記の方が平穏ですかね”Канада Хот🎪”これなら外交問題が起こらない。モンゴルに実際ありそうな気がします。しかしGoogle翻訳機によればモンゴル語でКанадаって意味がなかった。

国際問題云々より、まず意味わからん🤯

せっかくモンゴル語化したのに、モンゴル語で意味がないなんて哀しすぎる。

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カネディアン🔱はモンゴル人🇲🇳になれるのか?

2023年12月20日 | 自己満

 

ある人のXで

「こんな署名がながれてきた

🇲🇳国外のモンゴル系住民に「モンゴル民族カードを配布し、🇲🇳への移住や就労をスムーズに行えるようにさせて、という嘆願を🇲🇳国家大会議へもちこむための署名らしい

 

12月15日に署目が始まって本日19日1:30時点で目標の半分すぎくらいの人数の署名があつまっている模様

 

署名の詳細は下記リンク🔗から

 

あなたの声がチカラになります

Друзья поддержите внесение законопроекта «МОНГОЛ ҮНДЭСТНИЙ КАРТ» в Великий Хурал Монголии

Change.org

 

 

 

🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳

 

太字部分の訳:

友人の皆さん、モンゴル大フラルにおける「モンゴル国民カード」法案の導入を支持してください

 

この署名で変えたいこと

署名の発信者Card Mongol

 

細字部の訳:

 

友人の皆さん、私たちは外国部族民に関する法律の採択を目的としたモンゴル大クラルでの法案「モンゴル国民カード」を導入するための請願へのあなたの支援を必要としています。

 

モンゴルは世界の民主的で人道的な国となるよう努めています。 モンゴル偉大な人民クラルは、人類の発展と人権の保護を目的とした法律を可決します。

 

しかし、モンゴルは、外国の同胞を支援する法律を受け入れていない、ユーラシア大陸で唯一の奇妙な国のままである。

 

大小を問わず、すべての近隣諸国には、外国の同胞を支援または送還するための法律があります。 中国、ロシア、カザフスタンなどの国にはそれぞれ100万人以上の外国同胞が集まっている。

 

キルギスと韓国は、歴史的な祖国における外国人部族民の権利と利益を認める文書の発行を支援する法律を採択した。

 

偉大な歴史の継承者であるモンゴルには、その遺産とは裏腹に、残念なことに、外国の部族民が歴史的な祖国の共通の歴史、伝統、公共生活に参加することを許可する法律がありません。

 

この状況は変えられなければならず、モンゴルは外国部族を支援し誘致する法律を持つ文明国の仲間入りをしなければならない。

 

したがって、私たちは、すべての外国部族にモンゴル民族の帰属証明書を受け取り、言語、歴史、共通の伝統に慣れる機会を与える法律草案「MONGOL UNDESTNIY CARD」または単に「モンゴルカード」を作成しました。 。 モンゴルに来て、追加費用や官僚的な問題なく、合法的に生活し、働いてください。

 

皆さん、モンゴル大クラルに「MONGOL UNDESTNIY KART」という法律を採択してもらうことをお勧めします。 そのためには、「MONGOL UNDESTNIY KART」法案をモンゴル大クラルに提出し、外国部族民に関する法律の欠如の問題に注意を向けることを可能にする請願書への皆様のご支援が必要です。 私たちの数が増えれば増えるほど、モンゴルの偉大な人民制度によってこの法律が採択される可能性が高まります。

 

この嘆願書を友人や知人と共有し、私たちに参加するよう依頼してください。

 

私たちをサポートしてください - 請願書に署名してください。

 

法案「MONGOL UNDESTNIY CARD」に関する詳細情報は電報で: @mncard_bot

🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳

 

急いでGoogle 翻訳した。

 

Xの発信者はロシア連邦🇷🇺ブリヤート共和国在住である。

 

ブリヤート共和国とは、ロシア連邦の構成共和国の一つで、モンゴル系民族のひとつであるブリヤート族の自治体である。

 

モンゴル系民族は、モンゴル国国外にいくつか散在している。

 

代表的な例を挙げると

ロシア連邦 ブリヤート共和国

ロシア連邦 カルムイク共和国

中華人民共和国 内蒙古自治区

 

カルムイク共和国もモンゴル系民族のカルムイク族の自治体。

ロシア革命のウラジーミル・レーニンのお母様がカルムイク出身。

 

その他にも「外国部族民」とここで言われている「外国同胞」は世界中にたくさんいる。

 

大クラルとは、モンゴルで国会に当たるものだろう。

 

ここで言うモンゴルの「外国部族民」「外国同胞」は、カルガリー(斑爾里)のブログでも扱っている。

 

カネディアン🔱はそのひとつである。

 

カネディアン🔱とは元帝国滅亡後、北元時代になってチベット仏教を信仰するようになったモンゴル系民族で、約400年前に沿海州の海洋民に船を手配して、身と移動式テント、家財道具一式のみ携えて倭国(当時の日本)に渡来して来た民。

 

日本海側に着いたが、紆余曲折あって太平洋側の内陸に移住し、とある山塊が見える平原あたりで主に活動していた。

 

掠奪した馬と牛と山羊で遊牧生活を行ない、更に、製鉄も行なっていたと考えられる。

 

某県某市金田地区周辺は、牧民の移動式住居が集中しやすい場所だったのか、金田地区にはモンゴル人が川の近くなどに建てる「オボー」の痕跡がある。そこにある立札には、モンゴル人のテングリ信仰を示す一文も書かれている。

 

この地区の近くにある金田神社の中世に行われていた神事には「長距離競馬神事」があったとされ、ナーダム(オボー祭り)だとすぐに分かる。

 

金田という地名は「産鉄地名」であるが、これは「鉄を量産する場所」という意味である事が判明。

ここは風通しの良い川に近い平地である。その山塊から赤鉄鉱や磁鉄鉱を露天採掘し、金田地区で製鉄していたのか。掘った穴は埋め戻していた。

 

倭国古代製鉄であるタタラ製鉄の鉄穴流しに使われる「崖」「谷戸」地形ではない。金田は匈奴やモンゴル帝国の製鉄遺跡群のある地形に似ている。

 

面白いのは、牧民の夏営地と製鉄の場所が近い事。

 

カネディアン🔱という名は私が勝手に銘名した。これは金田(カネダ)をありのままに、何も考えずに、カネダの和製英語のようにカネディアンとしてしまった。これは、チバリアン(千葉の地層)と同じ銘名方式。

 

カネディアン🔱とは、モンゴル系の牧民である。

 

それが江戸期の幕藩体制下で、強制定住させられ、そこら辺に夏営していた牧民も金田地区に強制移住させられ、牧民の居留地となった。そして倭人と一緒くたに囲われ、最もやりたくはない「農業・田従事」にて強制労働をさせられて土地に縛りつけられた。

 

家畜や武器、製鉄炉、鉱石、製鉄道具、鉄器製品、家財道具一式等、全ての財産は幕府に没収された。

 

鎖国が始まり、キリシタン弾圧が始まり、国外と倭国との往来や貿易が不可能となる。

 

寺子屋とは徳川の思想で統一する教育機関である。徳川は、鎖国後「倭人化」による平定を目論んでいた。寺子屋で蒙古語を迂闊に喋っているところを先生に見つかると、子供でも容赦なく厳しい体罰や、場合によって刑場に送られてしまう事もあった…

 

大人も子供も関係なく、倭人以外の民族は自国の言語を話す事を許されなくなった。

チベット仏教も、日蓮宗と幕府に弾圧されていた。チベット仏教徒は日蓮宗に強制的に改宗された。

 

金田地区に無住職寺があるが、近年、住職が地域住民によって殺害されたという。夜中寝ている時、住職宅に放火し殺害。

 

赤ヅラ疱瘡という病気は真っ赤な嘘。

 

昔の日本では、男しか血を残さないと考えられていた。幕府は、お家断絶政策(断種政策)を打ち出していたのではないかと言われているが、これが赤顔疱瘡の正体であるとする文献もあった。

 

明らかに異民族に見える男や、自称「倭人ではない」という男という男は皆殺し。たとえ子供でも容赦しなかった。江戸期では、倭人に同化しない者は罪人(ザイニン)であった。

 

これが侍の世というものである。

 

侍の世はそんなものだから仕方ない。侍の世は遠くなり、現代は維新から始まった世だから俺たちには関係ないのか?

 

中世も現代も同じだと考え、深刻に捉えるべきか?

 

「どうする家康」がこの前、最終回を終えたばかりだが、家康そのものは悪くない。その後の運営が問題である。世を平定するとは?平和とはどういう事か?それをよく考えなければならない。

 

ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ地区爆撃などを見ていると、中世と現代の境目なんか存在しないと実感する。

 

モンゴル系のカネディアン🔱は江戸期の財産没収、強制労働、農民による支配、倭人との不平等、言語弾圧、宗教弾圧、文化断絶、断種政策を経て、遂に討幕の時代を迎える。

 

討幕後、解放されると思っていたが、維新政府から部落認定をされ、人権の弾圧は続く。

 

居住地の制限、婚姻の制限、警官による暴力、婦女暴行、環境汚染(清掃工場2基建設後、将来的には2基稼働予定)、行政によるゴミ不回収、公立の学校を敢えて建てない(幼稚園、小、中)

子供たちは遠い通学を余儀なくされる。

被差別部落の為、全国展開の大手企業は進出して来ない。その住所に置くと、心象や評判が下がるとのことらしい。

(但しコンビニやトヨタや白洋舎などのフランチャイズチェーンとローカル企業の本店は除く)

被差別部落の為、この地域に住民票を置く住民は、日勤の仕事に就けない。まともな企業が採用を見送るなどの理由のようだ。など挙げていけばキリがない。

 

部落が解放されると、隣保館(リンポ)が児童館に変わり、「差別をなくそう」などの立て看板が撤去されるなど表向きの対応のみ施行される。

 

部落差別は、調べれば調べるほど、想像より遥かに過酷である事が分かった。

 

 

ここの住民は何百年差別されてるのか。

 

これを見ても分かるように、これが「外国部族民」「外国同胞」とされる、ディアスポラという人達の実態である。これは日本の事例だが、世界には日本のここよりもっと酷い扱いを受けているディアスポラがいることが考えられる。

 

賛同しろとは言わないが、政界にアクションを起こす鍵となるサイトがあるという事だけでも知っておくと良いかもとは思います。

 

カネディアン🔱は長い年月をかけてモンゴル人としてのアイディンティや文化を壊され続けてもテングリ信仰の痕跡だけは残っている。

 

カネディアン🔱は日本国民としての充分な扱いを受けていない可能性が高い。

部落民は部落によっては旅券を発行されない所もある。

 

モンゴル大使館は、ここの集落を認知しているのか?

 

カネディアン🔱自身、自分のルーツを認識しているのか?先祖伝来の口伝でテングリ信仰は残っているが自らのアイディンティは分かっているのか?

 

それが当事者でないと分からない。自分は聞き取り調査など出来ない。ここは研究者の力がないと非常に難しい。

 

彼らはなぜ金田集落が差別されているのか分かっているのだろうか?

 

もしカネディアン🔱が自分のアイディンティの認知があるのなら、モンゴルでこの法案が通れば生きる道が開けてくるのではないかと思われる。

日本では動きが取れない。普通に仕事をして、家庭を持つことは出来たとしてもそこに自由はない。この法案が通ってモンゴルに帰って自由な人生が送れる事を祈る。

 

旅券を発行されない民だとしても、低所得のカネディアン🔱がモンゴル国から経済的な援助を受けられる。

 

日本はこういう人達を縛りつけて国内の平和を保っている。

 

徳川幕府は、多様性と平和は共存しえないという前提であるようだった。中華思想と何ら変わらない。

 

自分はカネディアン🔱当事者でも何でもない、ただの日本人なので、カネディアン🔱の気持ちは微塵も分からない。しかしテングリ信仰やオボーの痕跡の残るこの集落の存在との出会いによって、ディアスポラ問題と日本の平和について考えるようになった。

 

この法案の提案者は、モンゴル系のディアスポラの置かれている実態についてよく分かっているのかも知れない。

 

モンゴルに限らず、世界中には歴史的に古いディアスポラが多数存在する。

日本に於いて、社会通念的に存在が認められている歴史的なディアスポラは在日朝鮮&韓国人。華僑。埼玉の高麗、新座。これは古代朝鮮半島系の国(高句麗、新羅)

 

日本の歴史は長い。その割に存在が認められているのはこのぐらいである。

 

在外邦人、日系移民というのはたくさんいる。

 

日本は世界中でも奇妙な国である。日本は日本人だけ。という認識で成り立っている。

 

歴史的ディアスポラが多数移り住んで来ているとの認識が無い。

 

郷土史や文献には書いてあるが、学校の教科書では日本人は縄文人と弥生人の交雑した純粋単一血統の民族だと教えられる。

 

マスコミでも似たようなもので、その件もそうだし、徳川幕府の悪口なんか言わない。

 

だから一般の国民はこのような事実に関心が全く無いし、自分自身に、自分でも知らない由来(バックグラウンド)がある事を知らない。

 

日本人はそんな事を考えない。

 

カネディアン🔱が自身らのルーツが分かるなら、モンゴル民族カードは一縷の光かも知れない。

 

祖国と繋がっているだけでも、心強い。

 

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職場での発言の線引きと色々思う事

2023年12月15日 | ザ・日本人の気持ち

先日ラジオで、どこからどこ迄がセクハラ・パワハラなどのハラスメント要素を含んだ発言の境界線か?

 

という話題をやっていた。昨今では○○ハラという言葉が次々と出来て、大変窮屈になってるということでした。

 

この回を聞いた感想-

 

随分世知辛い世の中になった。そして今の日本狂ってる。と思った。

 

太ったはハラスメントだけど反対にダイエットして「やせたね!」はハラスメントに当たりますか?

女性から女性でも何らかのハラスメントになりますか?

 

更に極端な例を挙げると、髪を切った同僚がいて「髪切ったんだ。似合うね」も言ってはいけないのか?

こちらは男性から女性だ。セクハラにならないかとても心配している。

 

ラジオへの意見で、自称太りたくても太れない男性がいて彼の言い分によると、「やせたね」とか身体の事は絶対に言ってはいけません。というのもあった。

 

ひとつだけラジオパーソナリティがパワハラを指摘していたものがある。

 

それはこれから有給を取ろうとしている部下にわざわざ「有給取って何するの?」と聞く。

こんな事を言って部下に有給を取りにくくする圧をかけている。

 

パーソナリティは北米暮らしをしたことがあり、米国では宗教と性的趣向は絶対に聞いてはいけないが、それ以外は大丈夫という。銃社会だからなのか、良い事と悪い事の白黒がハッキリとしている。

 

ラジオパーソナリティが言うには日本社会は、「和」を大切にしたいと思っている。

 

日本社会は「察し」を和の精神のひとつとしている。基準を明確にせず、なんとなく空気読んで「察し」てね。という。

 

その為、線引きや境界線が定まらないらしい。

 

日本でもかつては「政治」と「宗教」と「野球」の話はするなと言われていた。

 

日本の「和」の精神について長く考えているが、それも明確な答えが出ない。

 

私が考える日本の古くからの和の精神は、「和を持って距離を取る」に行き着くんですが↓まで行き着くと人と人とのコミュニケーションが出来なくなる。

 

ラジオの内容で、「ある会社では「トラブル防止の為、互いに最寄駅、生年月日、血液型、家族構成、趣味、推しの球団(スポーツチーム)などを聞いてはいけません」という趣旨の規則があるという。

 

その為、派遣は話の輪に入れません。どのようにコミュニケーション取って良いか分かりません。」

 

 

この会社。。。コンプライアンスを意識し過ぎて結構なところまで行ってしまった。そこまでやるなら「氏名」や「顔」なども伏せたら良いと思う。話題が上司の悪口か一緒に働く人の悪口しか無くなる。名前も顔も分からんならポジション名で言う。

 

トラブルってどんなトラブルを懸念しているのだろう?個人情報を全て隠せばトラブルにならないのかしら。

仮にトラブルが起きた時に対処したくないから、よくわからない「トラブル防止」を掲げる。

 

和の精神と基礎は同じだが、何事もやり過ぎると、及ばざるが如し。

 

日本人の古くからの「和を持って距離を取る」

というのは、「個人の責任やプライドや信条を尊重して、闇雲に手出しや口出しをしない。」

 

本人を信頼して「任せる」という精神。

 

そういうのを「我関せず」という。日本人独自の美徳の一つです。

 

「我関せず」には他人の目や世間体を意識しないという意味合いもある。

 

↑の会社は、トラブルを未然に防止するために互いのプライバシーに踏み込まないように個々に境界線を引いたケースだと思う。境界線を引けば確かに喧嘩は起こりにくい。互いに距離を置くように会社側から仕向けたのか。日本人はそこまでされなくても、自然に境界線を引き、距離を取り、トラブルを未然に防止するタチなので、そこまで気にしなくても良い。

 

「和を持って距離をとる」の「距離」の意味を履き違えたケースだと思います。○○ハラとかコンプライアンスに引っかかるとか言われると、今まで出来ていても、些細な事にも異常に注意深くなってしまう会社があっても、今の時代おかしくはない。

 

「我関せず」もまた、履き違えやすい言葉だ。

目の前で溺れている人を見殺しにする事に美徳を感じる人はいない。

 

自分には関係ない人なので助けません。という意味ではない。

 

日本人はまた、「個」の領分を尊重したがる。逆に言えば他人の「個」の領分を極力侵害したくはない。それで「自分の頭で考えてね。」文化になって、トップからの線引きが曖昧になる。まぁ、ヘンな気遣いだと思われるものの一つ。

 

日本人は他人からあれこれ指図されるのが大嫌いなので、お上もそれが分かっていて口出しをしない。上から言われなきゃ分かんない米国人のように、お上が白黒決めなくてもよい。

 

 

ラジオの内容ではなくて、半年程前ツイッターで「うちの会社はパワハラなのか?」という記事を読んだ覚えがある。結構印象深かった。それは誰かの引用リツイート「こう言う奴に限って結局会社を辞めない。」のコメントと一緒にあった。その人のツイートをつぶさに読んでみた。覚えている限り書く。

 

その会社はコネ会社で零細企業でアットホーム。人数も少ない。コネ会社というと聞こえが悪いが、ツイートを読む限りでは悪徳企業では無さそうだし、待遇面でもブラックでは無さそう。上司の暴言・暴力等、無さそう。コネとは、一般求人を一切行っておらず、100%知人、友人などによる紹介のみのようだ。

 

そして彼女は何が気に食わないかというと、従業員の誕生日パーティー、企業内パーティーなどと口実をつけては飲みの席へ強制参加させられる事。これがパワハラ。もう一つは、毎週月曜日に、「休みの日何してた?」と聞かれる事や、時々「家族はどう?」と聞かれる事も干渉だしパワハラだと言い、仕事とプライベートをキッチリ分けたい人はこんな会社で働かない方が良いという言葉で締め括っていた。

 

随分と昭和な会社だなーと思った。年中○○パーティーという名の飲み会だの食事会だのをやってるバブリーさ(羽振りのよさ)

 

ここは都内なのか?地方なのか?彼女自体今どこに住んでいるかの情報は「日本。以上。」

 

この会社をジャッジするのは難しい。

 

一つ目の「飲み会(食事会)への強制参加」は強制力を伴うので、パワハラである。強制力は無くとも、親しき仲にも礼儀ありというような同調圧力が働く。まぁ、パワハラの類いでしょう。。。

飲酒を強要されたらアルハラだし🍺

 

もう一つの、休みの日の件と「家族はどう?」という声掛けについて。

 

これは、挨拶のひとつだろうと思うので、パワハラというには無理があり過ぎる。

 

休みの日🎌の件は、休みが終わった後だし、有給休暇と関係のない土日とか三連休、ゴールデンウイーク、お盆、年末年始などの事ではないかと思われる。有給休暇明けたらそれはそれで、どうだった?と聞かれると思うし、それは至って普通の会話だとしか思えない。

 

家族はどう?というのも、コネ会社のアットホームな非常に近しい関係性においては当然の挨拶であって、これをパワハラだの干渉だのと言うのは、どうなんですかね。

 

干渉という言葉の定義がよく分かりません。

 

彼女にしたら「干渉」に思えるのでしょうか。

 

こういう声を耳にする機会が増えたから、多くの企業や、上司が色々悩んだり考え込んだりするようになったかと思える。

 

しかし彼女はZ世代でもなんでもない。けっこういい歳。

 

Z世代ぐらいなら、「干渉」と言ってもおかしくない気がします。

 

こういうのは当人にしか分からないのでしょう。

 

上司が迂闊に休日や家族のことを言ったら、会社側からお叱りを受けたり、説教される時代になっていくのでしょうか。

 

世知辛い。。。

 

その彼女というのは、自称隠キャと言い、「人との交流」を「納税」や「加齢」と同じように苦痛だと感じているそうです。

 

もともと人との交流が苦手なのか、それとも飲み会や食事会の強制参加によって人との交流が苦痛になってしまったのでしょうか。

 

度重なる飲み会や食事会を苦痛。面倒くさいと感じているのは他の人も同じだと思うが。

 

彼女は距離感が近過ぎるのが苦手な性分なのでしょう。知らんけど。ガチの昭和世代なら、もっともっと近い距離感だった。社員旅行とかもあったし、社内恋愛、結婚もあった。上司が仲人を勤めて嫁を紹介したなどの話もあった。あの時代にセクハラだの干渉だのと言っていたら何も成立しなかった。

 

時代は変わりゆくものだ。

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冬営地

2023年12月08日 | 自己満

遂に*カネディアン冬営地だと踏んだ場所のひとつを訪問した。

 

カネディアン: 金田地区という*テングリ信仰とチベット仏教自体は残っていないが、痕跡が残る集落に定住する人達の祖先。

 

テングリ信仰: 遊牧民が信仰する天の神

 

前回の記事

カネディアン宿営地3 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

遊牧は結局は水だ!

という事がわかり、水を意識してカネディアン牧民の宿営地をさがす。

 

冬営地候補に挙げられる所は、山あいの低地の川沿い。あのもみじクッキー🍁の葉先の方。もみじクッキーは、丹沢界隈の牧地を分かりやすく表している。

 

今回、見つけたい遊牧遺構は冬営地にあると云われる石囲い。どうやらこの石囲いは家畜の糞や燃料を囲うものである可能性もある。家畜の糞は家畜の防寒用の燃料になる。

 

冬営地候補は夏営地候補より数が多い為、一度で全てを実踏する事は不可能。

 

今日は愛川町。

 

上三増(カミミマセ)というバスの終点迄行く。

 

 

この系統は金田(カナダホト)も通る。○○バスセンター→カナダホト→上三増

夏営地から冬営地へ向かうのか。秋営地はどこにあるのだろう?

 

カナダホト(夏営地)から上三増まで20km強。バスからの景色。川べりは河岸段丘で深い樹木林に覆われ、それ以外は平坦な台地で、草地が多いように思えた。所々に森が点在するようにも思えた。

 

途中に「中荻原(ナカオギハラ)」とか「中平(ナカヒラ)」というバス停があるぐらいなので、土地の痩せた開けた草地だったのだろう。(民家や倉庫やガソリンスタンドや中古車販売店なども存在する。)

 

400年前もこのような植生だったのだろうか?

 

 

上三増で降りる。川の源流を目指して歩く。結構な急斜面を登る。

 

冬の北西の風を避けられそうな低い山がたくさんある。そして小川は崖のような急斜面の下の低地を流れる。文献によれば冬営地に適している。

 

上三増を実踏した感想。

 

川の源流はいくつもあるが、全て深い樹木林の中だった。ジャングル。湧水があるといえども、蒙古出身の牧民がこんなジャングルに宿営したいと思うか?一世帯だとしても、家畜の数を考慮すれば、難しい。

 

モンゴルと日本、こんなにも違いすぎる植生で、どのように営地選定していったのか?農業は絶対にしたがらない人達だ。

 

多分こんなジャングルの中には、家畜の糞や薪などの燃料を囲う石囲いなんかあるわけない。

 

 

三増峠ハイキングコース。

 

 

 

川の源流はダムらしい場所の先だが、ジャングルすぎて行かれない。あと、急斜面。

 

 

しかし一箇所だけ怪しいのがあった。

 

 

 

 

木の周辺に石がゴロゴロ。これはもしかして、石囲いに使われてた石かも知れん。

 

 

 

モンゴルのハンガイ地域、森林や山中で遊牧する牧民もいると聞く。彼らはどうやって遊牧してるんだろ?

 

ラップランドのサーミはタイガ樹林の中でトナカイ放牧をしている。

タイガはこの暖温帯の湿潤なジャングルほど鬱蒼としてないか。

 

 

 

カネディアンはどのような土地出身なのだろう?こんな日本の山林地域、どうやって適応したのだろうか?

 

薪を集めて溜めた場所があった。まさか400年前からあのままなワケねぇ。家畜の糞だってあるワケない。

 

探しているのは、不自然に石囲いそのままの形で残っている遺構。

 

 

 

天神沢。これは天満宮(菅原道真を天神として祀ったもの)が奥にある為、天神の名が付く。カネディアンの*テングリ信仰ではない。

 

テングリ信仰: 遊牧民の天神信仰

 

天神沢沿いの道の奥まで行くと「この先ワナあり(中略)  害猟会」とあるので断念せざるを得ない。自分が罠に掛かってもしょうがない。

 

熊や亥が出る。

 

県道65号。よく考えると、現在はアスファルトで舗装された道路であるが、ここも元来、山中でジャングルである。

野生のもみじ🍁や銀杏がある事自体、深い山中で標高もそれなりに高い?!

 

木の切り株が多く開墾の跡がある。そして杉の植林。

 

杉の植林。杉が無ければ鬱蒼としていなくてまばらな感じなのだろうか?

 

 

 

開墾の跡

 

もみじみっけ🍁

 

 

 

 

 

 

石囲いを求めているため、石や岩などが沢山置いてある場所などが目に入ると全て遊牧遺構だったかも知れない石に見える。

 

 

 

 

 

ここは元は石材店だったのか、土管や岩が多い。

 

ここは川沿いと違い、山間の開けた土地である。

川に沿った樹木林の深い場所ではない。

ここには切り株などは無かった。

 

この道はダンプの通り道で人が通れる道が無いため断念せざるを得なかった。農民が作業をしていたので撮影はしなかった。

 

 

川からそんなに遠くない場所でそれなりに広い土地。家畜を囲い、一つの世帯が冬籠りするには充分な平地面積がありそうだ。現在は畑地となっている。

 

その隣に小道があり、そこを入っていく。

 

 

ここも切り株など開墾の跡なし。空き地にはススキやブタクサなどが多く痩せた土地で、畑作などに元来適していない。

 

ただこの辺りはダンプの通り道なだけあって「残土」問題があるらしく「残土埋立反対」の立て看板がある。元々痩せた農業に適していない平地なのではなくて、樹木林を開墾後、残土で埋めて整地した可能性も考えられる。そのため土地が痩せている。

 

石が多い問題については、この辺りには墓地が多いから石材店が多く、畑などでも余った石を使う傾向にあるのか?

 

三増峠ハイキングコース入口の看板にあるように江戸時代に長野や清川村から石工を呼んで仏像彫刻などを彫らせていたので、その影響で石文化があるのではないかと考えた。

 

上三増のバス停あたりは、山中で以外と山の上すぎるのでもう少し平地に近い、山の麓を求めて○○バスセンターやカナダホト方面に歩く。

結構キツイ下り坂だった。やっぱここはド山中だなー。日が陰ると肌寒くなって来た。北西からの風が寒い。ここは北西の風は避けられない。

 

このような場所は少し角度が違うだけで北西の風が寒い場所があったり、寒くない場所があったりした。

 

遊牧って難しい!

 

この辺り、バス停でいえば「三増」辺りが本当の山麓のような気がする。今日はもう時間ないし、バスなかなか来ないのでここで終わり。また機会があれば実踏して、また、なにか発見があれば書く。

 

 

 

 

 

 

川からほど遠くない開けた土地は冬営地候補だ。残土、整地問題と関わりが無ければ冬営地として充分やっていけるだろう。ただ、異様な石囲いの形をなしているものは見当たらなかった。

 

バスを待つ。

 

このバス会社はこの系統のバスの「金田(カナダホト)」というバス停をを重要視している。どのバス停にも「金田」と書いてある。

 

金田(カナダホト)は、要衝のように通行の利便性が良い。

 

前読んだ文献に、ゲルが集中化しやすい夏営地の要素に「交通の利便性」という社会的条件もある。と書いてあった。それを考えるとなるほどなーと思う。カナダホトは昔から要衝のような場所だったのだろう。

 

夕方のこの時間16:00から19:00台、カナダホトとカナダ下宿(シモジュク)のバス停から駅に向かう乗客が、毎度毎度、異常に多い。ホトと下宿からの乗客で満員になる。

 

他のバス停から乗り込む人間がせいぜい1人、多くても2人。この系統はこの時間帯、多くのバス停を通過する。ホトと下宿からの乗客はこれから通勤する人達のようで、会社帰りではない感じだ。ホトと下宿のバス停の最寄りに企業などはない。

 

民家と美容室と飲食店のみ。何故こうなのか本当に不思議だ。ホト集落民は夜勤勤務に制限されているのか?他のバス停にも民家が多くある。夜勤勤務の人もいるはずだと思うが、それがホトと下宿にやたら集中している。非常に気になる。

 

 

農耕は定住をして、水を川などの自然から取水し灌漑用水など、人の手でコントロールする。

 

遊牧は水を求めて自分が移動し、人の手を加えるとすれば井戸を掘る事ぐらいである。

 

その井戸も移動する際には埋められて元に戻されてしまう為、井戸の遺構も残ってはいない。

 

牧民は足跡を殆ど残さない。

 

 

遊牧遺構があるとすれば、テングリ信仰(天神信仰)の石堆形オボー、家畜の糞や燃料を囲うための石囲い。

 

遺構に頼ってはならない。アキドチャンネルのように“あった!”という世界ではなかった。

 

牧民の足跡(ソクセキ)を追うというのは、地形と水と植生と災害の情報を頼りにするしかない。

 

そして妄想を巡らす。

 

“あった!”とか“ビンゴ!”というのは本当に奇跡である。

 

カネディアンは、倭国という蒙古帝国から全く別の国に来てしまったため、蒙古帝国の制度に縛られる事はなかったと思うが、制度ではなく「慣習」「しきたり」に縛られる事はあったのかも知れない。

 

モンゴルの牧民は社会主義時代には、封建時代(清帝国時代)の遺制に縛られている者がいたという。それは遊牧宿営地遠方移動のしきたりなどである。

 

社会主義崩壊後の現代モンゴル牧民も、制度に縛られているようで、ある郡では移動範囲は通常、所属するバグ(村に当たる)の内部に制限されている。特に冬営地・春営地は基本的にバグ長が認可した一定の場所で行うよう、行政側より定められている。

 

行政側より比較的厳しく管理されている冬営地・春営地に対して、夏営地・秋営地はバグ内であれば場所は自由であり、毎年バグ長に営地の場所を申告するだけで構わない制度になっている。

 

様々な文献に、モンゴルの牧民の冬営地固定論が多いのはこのためではないか?冬営地と春営地が近接していると云われるのもこのためではないかと思われる。

 

現代の文献なども100%あてになるわけではない。カネディアンは400年前の牧民だ。

 

バスの中からの景色。丹沢山塊を臨む。

 

バスに乗りながら、

 

ここは夏営地だ。

ここはオボー祭りで長距離競馬で走った道だろうか?

これから冬営地へ向かう。

あの山麓まで引っ越しをしていた。

この平原のそこかしこに家畜がいて、草食ってた…..

 

などと想像しながら車窓を見る旅は面白い。ここは日本だけど昔はこのような光景があったのだと思う。

 

ということで長文のご精読ありがとうございます。

 

次はいつ行けるのか分かりませんが、暇があれば実踏に充てたいと思います。

 

家の最寄り駅(平地)に帰って来てわかった事。

平地は風が凄く強い。山あいの上三増や三増では風を受けなかった。

 

少しの時間で風が強くなったのか?

 

で無ければ、冬営地選定の予想は間違いではなかった?

 

多分カナダホト(夏営地)は風がもの凄く強いのだろうと思われる。

 

夏営地と冬営地は逆にすることが出来ないというのが分かった。

 

 

夕暮れの防災無線のような曲。

彼はロシア連邦・トゥバ共和国在住のシンガーソングライターである。

夕方にこんな曲が流れたらいいなぁ

 

布団干しっぱなしで家を出て来た。取り込むのがユウウツ😓

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