本当は今日ブログを書く予定はなかったのですが、今日書かないともうこのネタは書けなくなってしまうのではないかと懸念したので書きます。
日が経つと、今日のこの気持ちを忘れてしまいます。
今日は仕事が休みだったので地元の穀倉地帯を散歩してきました。
ツイッターでも今日の散歩で撮った写真を上げています。
今日は暖かく、桜も咲いていてとても気持ち良い一日でした。春特有の靄がかかり冬の間くっきりと見えていた丹沢山塊がほとんど見えないという珍しい状況でした。
山が見えるときとみえないときとでは、印象の異なる世界でした。
山塊がみえないと、いつも歩く場所でよりいっそう強く中央アジア北部の風を感じました。なぜだかわかんないけど。
中央アジアの北部風は何処から?皮肉にも、今日はみえない丹沢山塊から?
写真で私が感じた風とか雰囲気を表現するのは非常に難しい。
神奈川県の境川以西は、ユーラシアプレート上にあると言われてますよね。
大陸と、海を隔てているものの、ここはユーラシア大陸という事で良いのですかね。
水の質なんかは境川より東の東京や東北などの北米プレート産の水質とは異なるのではないかと思われます。多分...
神奈川県旧相模国領域はユーラシア大陸だから、中央アジア的な雰囲気があるのでしょうか。それも一理あるのかもしれません。多分...
昨年、別アカウントで神奈川ネタで、境川より西と東で全然風土的な雰囲気が違うよね。という事が流行りました。
境川より東は多摩っぽい、東京っぽい。西の県央は神奈川らしい。横浜市民や川崎市民に神奈川県民っていうと怒られるよね。
多分彼らは都民だと思ってるよね。それも無理ないね、だって雰囲気が東京的だもんしゃーない。
町田市の問題。神奈川に囲まれてるし、闊歩してるのは境川以西の県民ばっかだから神奈川人に侵食されてこうなった。
境川より東の県民と西の県民は民族性が全く異なるよね。同じ人間なのに不思議だ。
などと、超盛り上がって面白かったです。
以前、「中央アジア北部の風を感じるもの」という記事で相模原市の一部と相模線沿線は時々「ここってもしかしたら、モンゴルとかカザフスタンとかみたいな国にも似たところあるのかも...」と薄々思わされたし、なんか....大陸の内陸とか、北アジアというものがよぎりました。
その頃はまだ、カザフスタンとか遊牧民とかに強い興味があったわけではありません。でもなんか、そういうものがよぎりました。
とても不思議です。平地に作られた真っ直ぐな道とか、木々に挟まれた道とか、住宅の置き方とか、広い樹海のような森とか
その他上げていったらキリがありません。
相模線沿線とか、新磯野とか麻溝台とか、そんなとこばっか散歩するのは、中央アジアの風を感じたいというのが一番だが、そんなところにいる事に快感を覚えるからで、深い意味はないのです。
私は何度も言うように本当にニワカで、コロナ禍を機に中央アジアとか遊牧民に惚れました。
だからそんな国々にはまだ行った事がありません。
私が触れられるとすれば、中央アジア界隈の人のSNSや動画だけです。だから私には正確な情報を届ける能力はありません。
まだ行ったことがないので、間違った情報ばっか届ける可能性が大です。
だから語尾に 多分...をつけることが多く発生するし、私の書く事を鵜呑みにしないでください。
所詮、ロマンしか追ってないのです。
インスタでカルガリーという街と突厥(トルコ系遊牧民)の故地に出会ったのがきっかけで、カザフスタンという国に関心を持ちました。
カルガリーは、アルタイ山脈からそう遠くないカザフステップの交通の要衝のような大きな経済特区です。多分.... 地図に載っていないので、地方都市というよりは、経済特区扱いなのだと思われます。多分... ただでさえ中央アジアの情報が少ないので、憶測にすぎない事もあるかもしれません。ロマンしかない。
インスタや動画から拾った写真を次々と載せます。
日本ではあまり馴染みのなかった中央アジアのカザフスタン。のはずだがこういう場所は日本人には既視感のある景色だと思いませんか?
日本より全然広いけど。この国はまるで日本の30倍ぐらいの国土面積がありそうな感じに見えます。
実際には7倍だといいます。本当の国の広さとはなんなんだか考えさせられます。
これは、貨物機関車の全面展望の動画から拾ったもの。関東近郊の郊外でもありそうですね。カザフらしくめちゃめちゃ車社会らしいですけど。
この機関車は中央アジア諸国はもちろんのこと、ロシアでも走っている可能性があります。機関士は一度乗車したら最低限一週間は帰れない。着いた先のビジネスホテルみたいなとこで寝泊まりするらしいです。
貨物線沿線の中央アジアの穀倉地帯。ここはたしかコスタナイ州で、北部に位置します。
相模線沿線のランドスケープの100倍はゆうにありそうな広大さです。元はカザフステップで、昔は遊牧民もいたのでしょう。
今は穀倉地帯にされてしまいました。オフロードのような道を何百キロも走らないと遊牧民には出会えないのでしょうか。
アルマトゥイ近郊の天山山脈の麓のようにもみえます。天山山脈ってでかいんだな。
丹沢山塊をよく天山山脈に見立てたりしますが、勝てるワケがありません。でもこの景色は私がよくツイッターにあげる相模線沿線の雰囲気に一番よく似ていると思います。
私が勝手に突厥の故地だと思っているステップをまっすぐ貫く道。規模は違うが、雪の日に撮影した景色にとってもよく似ている。
昔々、突厥という遊牧民がここで暮らしていたのか。私たち日本人はアルタイ語族だが、突厥を意味するテュルク系民族もアルタイ語族、蒙古族もアルタイ語族、朝鮮族もアルタイ語族。私たちアルタイ語族の祖先は、一組の両親から生まれた兄弟姉妹として育ったのかも知れません。
これらもカザフスタン北部のコスタナイ州の郊外。国によって雰囲気はそれぞれ違うはずなのに、やたら日本の地方都市の郊外に似通っている気がします。昔の相模原市もこんな感じだったか?みたいな気もします。
旧ソ連なのになぜここまで日本的なのか?
日本と言っても神奈川県の県央だけが特殊なのかもしれません。
ここも相模線沿線の座間市座間辺りの田んぼと住宅街らへんにそっくりです。本当にそっくり過ぎて、インスタでこれ見たときには、実は座間市撮影して上げてるんじゃないかと疑ったぐらいです。ただ、カザフは家がでかい。
シルクロードといっても、オアシスロードとステップロードがあります。ここはステップロードです。
オアシスロードという、大多数が思いつくいわゆるシルクロードはひたすら砂漠砂漠砂漠。異国情緒を感じられるとても華やかなイメージのある地域ですが、ここはオアシスロードより北のステップロードというひたすら草原草原草原。オアシスロードと比較すると非常に殺風景な北国といった雰囲気で、下手をするとロシアのシベリアよりも殺風景で、しかも寒そうな地域です。
しかし意外にも日本の郊外、しかも相模川沿岸地域の一部に似ている....
とか、ロマンしかありません。
さらにもっと驚いたのが、インスタでここを見たとき、丹沢山塊のない相模川沿岸だ・・・
と、相模線の相武台下駅から下溝駅の間の川沿いの景色に似てる気がしました。実際につき合わせて比較すると全く違うんですけど、なんか...
似てるような気がする。
カザフスタンの全てが似ているというわけはないのですが、インスタや動画での切り取ったカザフの景色が、時々日本的既視感のあるものにうつる。
そう思えるのは私だけかもしれない。大多数の人はそんなワケねーだろー!と思うかもしれませんが、インスタや動画見て既視感を感じて思った事は、やっぱ中央アジア北部には、実際にこんな世界があったんだな。と確信しました。
神奈川県央の一部で、どこかから吹いてくる中央アジア北部の風は、荒唐無稽なものではありませんでした。
もう一度言う、私はこの国には一度も行ったことはありません。
神奈川県央が特殊なのか?とさっき書きましたが、私のもうひとつの仮説ロマンは
数百年前、相模川沿岸の一部地域は中央アジア北部出身者らが多数移住して、地形などが故郷とよく似ていると思い、好んで住み着いた。
故郷の村の区画などを参考にして開拓し、定着していった。その為か遠く6000キロも離れているにも関わらず、非常によく似てしまった。
座間市に鷹匠橋というのがあります。これも相模川沿岸地域にあたりますが、鷹匠が盛んだったのでしょうか。
故郷から持ち込んだ文化。それが橋の名前として痕跡が残っている。
多分...
私が相模線沿線地域を散歩するのは、散歩の続きに、写真のような世界に行けるとどこかで思っているのかも知れません。
ということで、今日はもう遅くなったのでまた後日。
ご精読ありがとうございました。
※写真は自分で撮ったものではなくYouTube とインスタから拝借させて頂きました。