斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

てつはう

2024年12月28日 | 遊牧アディクト

Xの投稿の閲覧をキッカケに、“てつはう"💣というものが気になり始めた

 

“てつはう”とは

鎌倉時代の13世紀後半、2度にわたりモンゴル軍が九州を襲った「元寇」で、モンゴル軍が手榴弾として扱った火器。宮内庁保有蒙古襲来絵詞前巻2(文永の役)に蒙古軍の炸裂兵器として「テツハウ(鉄炮)」が描かれている。

 

てつはうについての記録はほとんど残っていない。中国にも実物がひとつも残っていなかった為、殺傷能力があったのか、音と煙と光で周囲の敵を脅すだけのモノだったのか長年謎とされてきたが、近年では相応の殺傷能力を期待した兵器であったものと考えられている。

 

1974年。九州北部の伊万里湾に浮かぶ鷹島(長崎県松浦市)南部で発見された。鷹島海底遺跡から元寇当時の遺物が引き上げられており、てつはう外部は土器と陶器の中間の質で直径約20センチの球状で、内部には鉄片や青銅片を火薬や硫黄とともに詰めた手榴弾に近い兵器であったとされる。使い方は、導火線に火をつけて投げる。

 

《長崎県松浦市鷹島神崎沖出土。東京国立博物館展示》

 

 

 

 

 

《海底遺跡から出土したテツハウ 写真提供松浦市教育委員会》

 

《引用:Wikipedia、WEB歴史街道、朝日新聞デジタル、読売新聞オンライン、Weblio辞書、Walkerplus+、教育出版》

 

 

 

長年、海底に沈んでいた事もあって貝殻が付着している。

 

Xの投稿で、この兵器を博物館で見たという人が写真をUPしていた。上げた人によると、てつはうは鉄製ではなく陶器製(土製)だった事が意外だったという。

 

この兵器はモンゴルではいつごろまで作られていたのか?などの疑問が出てきた。

 

ググると、てつはうには陶器製容器の他に鉄製容器のものもあったらしい。

 

日本人はこの技術をパクり、瀬戸内海の水軍が「焙烙(ホウロク)」というてつはうをアレンジした兵器を使用していた。

 

現代では焙烙というと、底が平たく縁の低い素焼きの土器で、茶器や、胡麻をする鉢などに使われるものを指す。

《引用:Wikipedia》

 

殺傷能力高いと考えられるこの兵器は、有能な効果から本国では長年に渡って使われたのだろうと思われる。

 

2枚目の写真、貝殻の着いた、炸裂したてつはうを見たとき、*カナダオボーに供えてあった赤茶けた球体が連想させられた。

 

《カナダオボー:*カナダ人が倭国のとある一角に建てた天神を祀る為、チベット仏教の祭礼の為、山岳信仰の為などに建てたもの。》

 

《カナダ人:北米のある国の人民を指すものではない。倭国のとある場所、カナダ地区に定住させられている蒙古系民族の一派。彼らは約400年前に日本に渡航してきた。》

 

 

カナダについては記事の後ろに書く。

 

 

カナダオボー全体像

 

 

向かって右の石祠に、赤茶けた球体がお供えしてある。

 

これらは、自分が2度目にカナダ地区を訪れた時撮影した。丁度、今から3年程前。

 

現在もこの球体はそのままである。

 

これ何だろう?初めて見たとき直感的に「火球」という言葉が浮かんだ。次に「隕鉄」

 

少し冷静になって考えてみたら、日蓮さんと関係があるものか?神社のお参りのときに綱で鳴らす、上の方に括り付けてある大きい鈴?

 

供えているものより、オボー自体や神観に気をとられていた為あまり意識にはなかった。

 

 

 

 

 

穴が開いていて爆裂の跡のように見える。

 

よく見ると球の底も穴が開いているようにも見える。

 

爆裂して、両方向から火炎噴射したのだろうか?

陶器製と違って、バラバラになりにくそうではある。

 

「火球」や「隕鉄」などというワードが「てつはう」という着想に導いた

 

火球も隕鉄も自然の物だ。これはどう見ても人が作った。

 

 

カナダについての説明↓

カナダ🏹についての説明 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

 

カナダ人が倭国に来たのは400年前であって、元寇の800年前とは時差が大きい。

 

元寇の頃は陶器製だった容器を鉄製に改良したのだろうか?400年も経てば、兵器の形は変わる。

カナダオボーの球体は、見た感じ直径15cm〜20cmぐらいだった。

 

鉄は錆びれば赤茶け、こんな色になる。

 

カナダ人は、改良された鉄製のてつはうを携えて400年後に倭国に漂着したのだろうか?

 

それとも、陶器製のてつはうは、中国人の陶器技術者に、倭国侵略用の兵器としてこれを作らせたのだろうか?

 

中国で陶器製のこの兵器が1つも見つかってないというのが引っかかる。

 

陶器製のてつはうは、倭国侵略専用の兵器だったのだろうか?

 

妄想の域は出られない。

 

陶器製のてつはうとは別物の、鉄製のてつはうも存在したのかも知れない。鉄製のてつはうは、同じ元帝国でも、モンゴル人の製鉄技術で作ったものが、昔からあるのかも知れない。

 

こちらの方が汎用性が高くて欧州侵略や中東侵略に使われた可能性がある。

 

カナダ人はこのモンゴルの伝統的な兵器を携えて倭国に来たのかも知れない。

 

或いは、カナダ人がカナダ地区で製造したのかも知れない。カナダ地区のカナダの日本語での地名は、“鉄を量産する所”という意味のようで、カナダ地区は川に面した風通しの良い、鉄を作るに適していた場所のようだ。

 

現在のカナダ人がオボーに供えるほど、この鉄球はカナダ人にとって非常に大切なものだと考えられる。

 

これも妄想だが、この鉄球(鉄製のてつはう)はカナダ人を救った兵器なのかも知れない。

 

江戸時代、カナダ人は徳川幕府軍と戦い(大きな戦ではなく、紛争)

 

殺傷能力のあるこの兵器で、取り敢えずその場の幕府軍を壊滅させたのかも知れない。これによってカナダ人は幕府による殲滅を免れる事が出来たのかも知れない。

 

火縄銃の的中率は、弓矢のそれよりも更に低く、弓矢の的中率は手榴弾のそれよりも低い。

 

幕府軍は火縄銃を主な武器として戦っていたのかも知れない。

 

妄想の域は出られない。

 

これをカナダ人から取り上げて、民博とかに持っていくわけにもいかない。民博なら成分調査などで年代や成分などを割り出すことが出来、殺傷能力の有無や、本物か違うかが判明するだろう。

 

陶器製の“てつはう”が見つかっただけで凄い事なので、カナダオボーの鉄球が“鉄製”の“てつはう”の本物だったら物凄い事であり、学者先生などが放っておくはずがないと思われるので、8割型違うとは思うが、妄想は掻き立てられる。でもこれは本当に何だろう??

 

長文のご精読ありがとうございます

 

 

カナダオボーから山を撮影。カナダ人は山岳信仰も兼ねて、この場所を選定したのであろうか?

 

🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪

カナダについての説明だけで記事の大部分を占めるので、カナダについての特設記事を書いた。

 

“カナダ”などという初見殺しな扱いづらい単語を書くだけでそれについてわざわざ説明がいる。

 

今更だが、紛らわし過ぎて頭が痛くなった。

 

これについてブチギレてる読者もいると思うので、整理する🧹

 

自分の記事ではカナダ人とは、北米のもみじ(Canada)の国民を指すのではなく、カナダ地区に定住する人民とその祖先を指す。

 

約400前に日本に渡航して来た蒙古系遊牧民で、現在、カナダ地区という周縁村落に定住させられている。

 

北米のもみじの国民、ジャスティン・ビーバーのような人物を、今後、キャナダ人とする。*芸能人だけではなく北米もみじの雑魚国民もキャナダ人とする。

 

あの国をもみじ🍁ということに飽きた。

 

もういい加減、カナダ🏹とキャナダ🇨🇦の棲み分けをしなければならなくなった。

 

両者は根本的に違うが、名称が被るのはよくない

 

北米のカナダ人といえばいいじゃないかと言われるが、それはそれで実在しそうな気がする為、北米🫎のカナダ人🏹とキャナダ人🇨🇦も別物とする。

 

モンゴル化の弊害を自分で蒙ってしまった

 

蒙古系の一派を“カナダ人”といっても何の弊害もないとたかをくくっていた。北米のもみじ国のネタを書く用事はないと確信していた。

 

しかし、今夏頃からこの国を扱った記事を書くことが出てきて、多くなってしまい、苦笑しながら“北米のもみじ”あるいは“北米”だけで誤魔化すなどをしていたが、ついに限界が来てしまった。

 

特定の国民国家の名称を連呼していたので、「濫用」して釣りをしているのかと思われる節もある。

 

キャナダ人から絡まれなくて良かった。可能性は低いがキャナダ人が見ていないとは言い切れない。

 

単純に、日本語が理解出来るキャナダ人がモンゴルに関心が無いか、*の説明書きをいちいちやっていた為だと思われる。

 

頭の片隅で「申し訳ない」とは思っていた。

キャナダという国は嫌いではない。縁もゆかりもない特定の国を無闇やたらに嫌ったりはしない

 

長文のご精読ありがとうございました😊

 

今年も一年ご愛読ありがとうございました🌟

 

2024年🐉はアクティブな一年だった。例年より多くの所を散歩し、外泊し、仕事し、勉強し、時間が詰め込まれた濃密な一年で、昨年よりも早かったように感じる。

 

来年も宜しくお願いいたします。

 

良いお年をお迎えください🪅

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インパクトの強い音の踏切

2024年09月29日 | 遊牧アディクト

今日は脱力系のネタにしようと思います。

 

脱力系と言っても結局はトゥバ共和国ネタになってしまいます。遊牧アディクト(addict)もここまで来ると静止が効かない🎪

 

先日の鉄音、NHK鉄道研究会 鉄旅音旅 出発進行!のラジオ番組で、ダーリンハニー 吉川正洋さんの持ち込み企画で踏切特集を聞いた。開かずの踏切(横浜市にあるJR東日本「花月園前踏切」と京急「鶴見第4踏切」が並んでる場所)→山手線で唯一現存する「第二中里踏切」→小田急の踏切の音→「打鐘式踏切の音」打鐘式とはゴングを打ち鳴らす音→東京メトロ銀座線の車庫に出入りする所にある踏切→伊予鉄道のダイヤモンドクロスの踏切→近鉄名古屋線 高田本山駅構内踏切 以上。

 

期待していた踏切の音は出て来なかった。

 

箱根登山鉄道の「彫刻の森駅」の昔の踏切音を期待していた🚞

 

これは、だいぶ変わった音の踏切であった。

 

現在はありきたりな踏切音に変わった。

 

NHKに音源ないんだろな?

 

吉川氏のリポートありきの回なので、無理である。箱根登山鉄道のネタは上がったが「牛乳屋踏切」という名前だけは取り沙汰された。

 

変わった音とは、踏切の音の常識を覆した音である。

 

音源を探しまくった。

 

やっとあった!!

 

 

 

衝撃的な音である。

 

源音は弦楽器🎻なのだろう。余韻が弦楽器くさい。

 

《源音: 救急車🚑の音は木管楽器(笛🪈)でピーポー、消防車🚒の音はファン(扇風機のようなもの)でウー》

 

現代の大多数の踏切音は、ゴングを打ち鳴らす音🔔を電子音処理(デジタル化)したもの。

 

このインパクトの強い踏切音はアナログだ。

 

これは14年前に投稿された動画。非常に懐かしい音である。この映像を残しておいてくれて、とても有難い。

 

打鐘式よりも更にレトロという事なのだろうか?どこか牧歌的でもある。

 

箱根登山鉄道の踏切音は昔、全てこの音だったという。箱根湯本駅から現代の音になったらしい。

 

源音は弦楽器🎻といってもバイオリンではなさそう。バイオリンの音色はもっと優しい。

 

このインパクトの強い踏切の楽器には金属的な「キーン」という音が入っている。鋭い音だ。洋楽のオーケストラでは使わない特殊な弦楽器である。エレキギター🎸とも違う。この音をデジタル化したらエレキギターのようになるのだろうか?

 

 

最近、またトゥバ音楽を聴いている。思い込みかも知れないが、トゥバの弦楽器で“イギル”というものがある。

 

トゥバ民族音楽では重要な役割を果たしている。イギルは、非常に音が大きい。楽器自体も大きい。個性の強い鋭い音を出す。そして主旋律を奏でる事が多い。馬のいななく声もこれで弾く事が多い。

 

同じように弓で弾くタイプのブーザンチュは、優しい音色で、比較的小ぶりでバイオリンに近い音色である。主旋律を奏でる事は少なく、バックサウンドなどで活躍する事が多い。

 

イギルは、変な音の踏切に非常に近いと感じる。トゥバ音楽ばっか聴いてるから思い込みかも知れないが、音の鋭さなどが似ている。

 

以下は完全なる妄想だ。

 

箱根登山鉄道がこの音を踏切に導入したのは、昭和の中でも古い時代だ。昭和レトロというよりも昭和ロマンに近い。

 

この鉄道は1919(大正8年)に開業した🚃

 

ある時、箱根登山鉄道の鉄道員の一人が珍しい弦楽器を手にした。

この弦楽器がこの鉄道員の手に渡る迄の経緯は、この鉄道員の友人がソ連を旅行したか、仕事でソ連に渡航したか、はっきりとは分からないがソ連の地方都市、クラスノヤルスクを訪問した。

 

彼は闇市のような所で、見た事がない弦楽器を市場のおっさんに売りつけられ、断り切れず買わされた。彼はわけも分からず日本に持って帰った。そしてそれを持って友人であるその鉄道員の家へ行く。

 

鉄道員は興味を示し、弓で弾いてみた。すると、驚くほどクソでかい音が鳴るのであった。鉄道員は面白がり、これをねだった。そして、お土産として頂くことが出来た。

鉄道員は会社の飲みの席にこの珍しい弦楽器を持って行く。弦楽器を弓で弾くと、緊迫感のある大きな音が店内に轟く。関係ない客がめちゃくちゃ驚く。

 

会社の偉いさんが冗談で「踏切の警報音にうってつけだ!」と端を発した。周囲は、この楽器の音を踏切にしようというノリになる。

 

踏切音をバイオリンで演奏するのはスギテツの発想だが、楽器音を踏切に転用したがるのは鉄道員の発想であった。

 

この弦楽器の踏切音転用案は通った。

 

そして、演奏者は楽器の持ち主ではなく、バイオリン経験のある者。ラジカセを使ってカセットテープ録音を試みる。

 

試行錯誤の末、目覚まし時計のアラーム、タイマーのようなリズムが踏切音として効果的と判断され、ラジカセに向かって録音。踏切の信号の上下するテンポに合わせて演奏した。2テイクでOKが出た。

 

そしてテープ録音した音源が、箱根登山鉄道の踏切音となる。

 

この偉大なる弦楽器は、トゥバの民族楽器、「イギル」である。

 

昭和は本当に良い時代だった。

 

ソ連まで行かなくとも、満州引揚者が日本に持ち帰った物かも知れないし、イギルではなく、別の民族の弦楽器なのかも知れない。

 

この踏切に、このようなエピソードがあったらめちゃめちゃ感慨深い。

 

遥かシベリアの大地から箱根路へ…..

 

箱根登山鉄道の踏切、シベリア トゥバにルーツ

 

踏切の音は旅情をそそる。異郷への郷愁をそそるのは、ここだけしかない。

 

イギルの金属的な「キーン」というエッセンスは、トゥバの荒涼とした世界を想起させる。

 

残念ながら現在、箱根登山鉄道からこの音は消えてしまった。代わりに、ありきたりのゴング音のデジタル化されたものになった。

 

非常に寂しい。

 

踏切の音がキッカケで、このトゥバ楽器が欲しくなってしまった。

 

この弦楽器で旋律を演奏するとこうなる

 

 

ゆるい文のご精読ありがとうございます。

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ナーダム

2024年07月19日 | 遊牧アディクト

 

今日はモンゴルの国家ナーダム2024について。

 

《引用:mongolempire_インスタ》

この時期、Xではモンゴル在住の人やモンゴル研究者などが

 

”Сайхан Наадаарай”(読み:Saihan Naadaarai)と一斉にツイートしたらしい。この言葉はどうやらお祝いの言葉らしい。

 

ナーダム関連のサイトを見たときにこれがたくさん使用されてた。

 

今年2024年のナーダムは、モンゴル国樹立2233周年、モンゴル大帝国818周年、国民の自由と独立回復113周年、人民革命103周年を祝う。

 

他人のXによれば、今年のナーダム休みはЛхагва,долдугаар сар 10 -Даваа,долдугаар сар 15(7月10日水曜日から7月15日月曜日)モンゴルでの日付、曜日の表記はこうであるらしい。

 

モンゴル国の国家ナーダムは7月11日の革命記念日にちなんで行われる。ナーダムでは、ブフ(蒙古相撲)、競馬、弓射の3つの競技が行われる。ナーダムとは、モンゴルにおいて年に数回行われる国民行事、民族の祭典である。

 

まるで日本の武士の伝統競技みたいでとても親近感が湧く。

 

ナーダムの競技はどれも軍事教練だったものだとも言われている。(抜粋: NPO法人北方アジア文化交流センターしゃがあ @Mikiya_SHAGAA)

 

だから必然的に武士的になってしまう。

 

競馬の騎手は馬の負担を少なくするために、また通過儀礼的な意味合いもあって、子供と決まっている。(抜粋: NPO法人北方アジア文化交流センターしゃがあ @Mikiya_SHAGAA)

 

モンゴルというか、“遊牧民には通過儀礼という概念が無い“と誰かが力説していたが、実際のところどうなのだろうか?通過儀礼的な概念も社会主義時代にソ連から入って来たのだろうか?モンゴルには、古代からあったもののように見えて実は近年になって出来たものがたくさんある。馬頭琴はそれの代表格である。*カネディアン🔱は馬頭琴などという楽器は知らない。

《カネディアン🔱: 約400前に日本に渡航して来た蒙古系遊牧民。現在、金田(カネダ)地区に定住している人民の祖先だと考えられる》

 

 

ナーダムの始まりは13世紀チンギス=ハン👑時代にまで遡る。当時はモンゴルの建国記念🇲🇳・遊牧民の越冬・家畜の出産、またモンゴル国民にとって一番良い季節である夏が来たことを祝ったことが起源と言われている。

《参照: TECRA株式会社》

 

ある人の話によるとナーダムは匈奴(フンヌ)の時代からあったらしい。

 

ナーダムは元々オボー祭りであった。オボーとは、モンゴル族が石や木で円錐形に作った構造物。山や峠や水辺の近くに建てる事が多い。

 

モンゴル族はこれに天神地祇が降りて宿るとし(オボー自体を地祇とみる考えもある)

 

毎夏オボー祭りを行い、牛馬などの生畜またはその肉、乳製品その他を備え、五畜などの豊穣、息災その他を祈り、オボーのまわりをめぐり、かつ競馬、相撲、弓射を奉納する。(抜粋:コトバンク)

 

これがナーダムの起源とも言われている。

 

自分はモンゴル🇲🇳に行ってないが、他人のXやインスタで楽しんできたものを見ることしか出来ない。

《引用:yurts インスタ》

 

 

ナーダム開会式の様子

ナーダム大祭の開会式

 

 

お馴染みのThe Huも出演した。多分これは閉会式の時だろう?

 

 

 

 

ナーダム 相撲の動画

 

 

 

今年のナーダムではないが、ナライハという所のナーダムの競馬

 

 

弓射。2015年のナーダムの映像

 

 

 

 

いつか本当に現地に行ってナーダムを見てみたい。現実を考えると、それを実現させるのにたくさんの壁が立ちはだかる。円がこれからもっと安くなり、今以上に海外へ行かれなくなる。

 

円の弱体化以前に行けた人は幸いである。

 

最後に、今年ナーダムに行った人の動画

 

《YouTube 転載:shima 旅》

 

長文のご精読ありがとうございました😊

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Сар шинэдээ сайхан шинэлээрэй!

2024年02月10日 | 遊牧アディクト

 

Сар шинэдээ сайхан шинэлээрэй!

 

新年(旧暦)明けましておめでとうございます🪅🎊🎉

今日はモンゴル🇲🇳では旧暦の正月Цагаан сар(ツァガーンサル)です。

 

ツァガーンサルとは、モンゴル語で「白い月」という意味です。

 

モンゴルの旧暦は、毎年、お坊さんが決める。中国の春節とは違う日になる事が多いが、今年は同じ日になった。

 

ツァガーンサルの御馳走は、ボーズ(蒸し餃子)、オーツ(羊の丸茹で)、へヴィンボーヴ(巨大ビスケット)、ウズェムティボダー(モンゴル版赤飯?)、アイラグ(馬乳酒)、シミンアルヒ(乳蒸留酒)、アルヒ(ウォッカ)

 

その日は数多くの儀礼的な挨拶をしなければならない。一年で一番大切な日を祝う為である。

 

ツァガーンサルが近づくとどの家庭でも、ボーズ作りに明け暮れる。

 

ツァガーンサルに備え、一ヶ月も前から準備をする。

 

ツァガーンサルには、白いものが敬われ、黒いものが避けられる。よって、乳製品を食べ、腹黒い考えは口にしない。

 

子供達は、羊のくるぶしの骨(シャガィ)を使った伝統的な遊びをして過ごす。

 

地域によっては太陽が昇る頃に、近くの山のオボーにハダグ(マフラーのような形の布)やイデー(白い食べ物《乳製品》)、アルツ(香草)を奉納する。

 

新年3日目には、新年を祝う競馬をする。

 

🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳🔱🇲🇳

 

日本の正月と比べても、年を越す事が非常に大変である。この事がよく書かれているサイトのリンク🔗を下に貼りつけた。

 

 

今年も良い年になりますように!!

 

今年の目標は、積読をしているこれらの本を読む事!!

 

旧歴の昨年はありがとうございました!

本年も宜しくお願い致します。

 

 

ツァガーンサル|ウンドゥルシレッドリバーサイドキャンプ

 

ツァガーンサル

1.  ビトゥーン(大晦日) 日本と同じようにゲルの大掃除が始まる。トーノを拭き、ゲル中のゴミを出し、お正月に備えて自分で刺繍を施したものを飾りつけたりもする。...

ウンドゥルシレットリバーサイドキャンプ

 

 

 

 

モンゴルの新年、ツァガーンサル

 

モンゴルの新年、ツァガーンサル - モンゴルで理学療法士

そろそろモンゴルの記事を期待して、いらして下さった方がガッカリされているような気がしてきたので、 モンゴルのことについて書きます。 随分経ってしまいましたが、モン...

モンゴルで理学療法士

 

 

 

ツァガーンサルの起源

(シリーズ)モンゴル・つれづれ日記(6)-旧正月を祝う-

岡山畜産便り2004年2月号 〔シリーズ〕モンゴル・つれづれの記(6) −旧正月を祝う− 三秋 尚

 

 

風の旅行者

 

モンゴルの旧正月 ツァガーンサル豆知識 | ツアー関連情報 モンゴル | 風の旅行社

ツァガーンサル(2024年は2月10日) モンゴルのお正月は旧正月で「ツァガーンサル(白い月)」と呼ばれます。

風の旅行社

 

 

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元寇の船

2023年10月24日 | 遊牧アディクト

鎌倉時代の“元寇の船”の一部か?長崎沖で新たに見つかる〜水深15mの海底

 

 

鎌倉時代の“元寇の船”の一部か?長崎沖で新たに見つかる~水深15メートルの海底(RKB毎日放送) - Yahoo!ニュース

鎌倉時代に九州北部に襲来した「元寇の船」が、これまで2隻見つかっている長崎県・伊万里湾で、新たな船体の一部とみられる木材などが見つかった。

Yahoo!ニュース

 

元寇を簡単に説明すると、1274(文永)1281(弘安)の二度に渡ってモンゴル軍、当時の元帝国による倭国(日本)への侵攻である。

 

その頃の倭国は鎌倉時代。北条時宗政権下だった。

 

これは弘安の役で元軍が撤退する際、日蓮が祈って起こしたいわゆる”神風”によって沈んだ元寇の船のようです。

 

学校の教科書では台風🌀”により戦わずして運に恵まれたとされていたが、実際には鎌倉武士による奮闘と、武士と島民の犠牲により倭国が侵略から守られたのである。

 

神風について、台風🌀という説と季節的に台風ではなく暴風雨との説がある。

弘安の役は7月であった。季節的に台風というのは、不自然という解釈で良いと考える。

 

これが神風になった経緯は、実際には武士の活躍によって撃退したのだが「武士が大活躍して国を守った」ことを絶対に認めたくない公家連中が「我ら公家が祈祷をしたお陰で神風が吹いて敵を撃退したでおじゃる」

「ほんに、そのとおり!全く武家共がバカ騒ぎをしおったが無駄な事でおじゃったなあ」

として広めたらしいとする説もある。

jok******さんのコメントより引用》

 

 

日蓮の祈祷説はいったい何処から来たのか?

 

それは取り敢えずおいといて

 

元軍の船は中国製(南宋製)の特徴があり、造船はモンゴル人によって作られたのではなく中国人に作らせていたらしい。

兵士は高麗朝鮮人で、モンゴル人は幹部や隊長のみだったらしい。

 

総大将はモンゴル人のヒンドゥとクドゥンといったらしい。

《阪急沿線民さんのコメントより引用》

 

元帝国の支配層はモンゴル人だが、国民の大半は中国人や韓国人やその他だった。モンゴル族の一般国民というのは、元帝国領土内のモンゴル高原と、中国大陸に遊牧していた。

 

元寇から750年も経っているのに3隻も構造物の特徴を留めているというのは奇跡だ!

 

海中に関わらず木材が朽ちておらず、遺物も含めて、潮に流されずそこにとどまっているというのも本当に奇跡中の奇跡である。

 

 

元寇というのは文献や教科書の中だけの物語などでは決してなく、本当に元帝国に侵攻され、武士が奮闘し、武士や島民の犠牲があったという実感が湧いた。

平和というのは、沢山の人の犠牲の上に成り立っているということを考えさせられた。

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ご精読ありがとうございました。

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