斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

今年のハワリンバヤルは大盛況だったらしいよ🇲🇳

2024年05月10日 | 中央アジアその他

ついに終わってしまった大型連休

 

ハワリンバヤル2024は、大盛況のうちに終わったらしい。

 

ハワリンバヤルとは、モンゴルの春の祭りであり毎年大型連休中に練馬区光が丘で開催される。

 

モンゴル有名ロックバンドHurdも出演しhamag mongol (全モンゴル)を熱唱した。

 

豊昇竜、照ノ富士なども来た。

 

小林旭氏も来た。

 

VIVANTのチンギス役の人も来ていた。

(バルサラグバ・バトボルト)

 

例年よりも多い出店で30店舗。モンゴル書道のお店も出てた。

 

今年2024年はモンゴル観光年とされている。

 

せめてパンフレットだけでも欲しかった。モンゴル全権大使の文章が良かったらしい。

 

今年のハワリンバヤルは、例年になく大盛況だった事が、色々な人のXやインスタなどから伺える。

 

一番驚いたのが、羊の頭まるごと焼いた状態で店頭で売ってる事!!

 

《引用: officemaksat》

 

ハワリンバヤルに行きたかった。昨年はこんなの無かった。

 

自分は土日仕事で行けなかった。大型連休明けに有給取ってあるので頻繁に有給とれない。連休は休むなと言われている。昨年、一昨年は丁度自分が休みの曜日に重なってたから行けた。奇跡的な事だった。

 

今朝、モンゴル人の実習生が一人いる事を知った。彼女はハワリンバヤルに行ったのかな?この会社に働いてたら不可能に近いだろうな。

 

 

モンゴル有名ロックバンドHurdは、演歌ロックを演奏し、自国語(モンゴル語)で歌い、モンゴルでは超有名である。

 

ハワリンバヤルを追放されたコメディアンがいる。

http://havrynbayar.blog123.fc2.com/blog-entry-41.html

 

それ考えると現代日本の国内は平和🕊️だ。あくまで現代の国内民族問題についてだが。

 

ハワリンバヤルは20年もやっているので色々な事が起こる。ハワリンバヤル2010だいぶ荒れたようだ。トゥヴァのフーメイもあった。

 

モンゴル人は国境を超えて様々な場所に離散している。日本にもモンゴル系の人々が定住させられ、今に至る集落が東京近郊にある。そのような人々も出演したり出店する機会に恵まれれば良いと思っている。

 

実際に参戦していないイベントの報告でした。

 

長文のご精読ありがとうございます😊

 

 

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ハワリンバヤル2023 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

ハワリンバヤル2022

モンゴルの春祭り・ハワリンバヤルに行ってきた - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

 

Hurdの動画

 

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ソ連アニメチェブラーシカГолубой вагон(青い客車)

2024年04月12日 | 中央アジアその他

自分のブログを見返してみてよく分かった事がある。自分は遊牧民かソ連の事ばかりを書いている。このブログは、中央アジアやロシアなどの文化や情報について発信する目的で作った。だから仕方がなかった。

 

チェブラーシカのDVD📀を鑑賞して

 

Голубой вагон(ガルボイ ワゴン《青い客車》)というソ連映画🎞️チェブラーシカの第3話のエンディングシーンの曲が頭から暫く離れなかった。

 

 

 

 

とても感慨深いソ連の曲調。チェブラーシカの映画の中の世界の空が、いつもどんよりとしている。

 

ソビエトアニメは日本にはない味わいがある。そして、日本のアニメとは違い、子供向けにしては世知辛い内容だったりする。登場人物の人当たりがキツかったりもする。

 

Голубой вагонの哀愁が中毒性高い。

 

“チェブラーシカ”は、物語の中でこのような哀愁溢れる曲を、ワニがガルモーシカという楽器(アコーディオンに似た楽器)で弾きながら歌う場面が時々ある。

 

この列車はモスクワ発*ヤルタ行きの設定である。

 

《ヤルタ: クリミア半島南端に位置し、黒海に臨む。1945年連合国側の主要3ヶ国の首脳によるヤルタ会談が行われた。また、帝政ロシア時代からはリゾート地だった。》

 

登場人物は主人公のチェブラーシカというワケのわからん動物。これは青果店のオレンジの段ボール箱📦に入っていた。チェブラーシカ自身、自身が何の動物なのか分からないという。その設定に切なさを感じた。

 

ワニはゲーナといい、チェブラーシカの友達。チェブラーシカよりめちゃくちゃ歳上だが、対等に扱ってくれる。ガルモーシカの弾き語りが得意なおっさんワニ。

 

シャパクリャクという婆さん。イタズラが大好きな婆さんで、ネズミをカバンの中に入れて持ち歩いている。ネズミの動きと形がやたらリアルで、見てて気持ち悪いが、どこか憎めない存在。

 

 

チェブラーシカ達が載っている列車はひたすら、下手をすれば何日間も針葉樹林の中を走っていると思う。モスクワからヤルタだからそれはないと思うが、シベリア鉄道だと明けても暮れても3日間くらいずっとこんな状態である。駅間も日本では考えられない距離で、駅に停まればバカ停と言われる30分以上の停車をする。旅客はその間、駅のホームに出て、外の空気を吸いに行く。

 

車窓はモミ自生の針葉樹海の真っ只中。ロシアの木はとても背が高い。シベリアの樹海はどれだけ鬱蒼としているのか。

噂で聞いただけだが、シベリア鉄道(旅客)とシベリア貨物の機関士は運転部屋には必ず、猟銃を携えている。事故で汽車が動かなくなった時、或いは外に投げ出された時などに野生動物から身を守る為であるらしい。

 

 

 

相鉄線(相模鉄道)の濃い青色の列車の最後尾を映し、それとチェブラーシカ、ゲーナ、シャパクリャクの人形を撮影した画像を切り取り、貼り付けをしようと考えた。

 

映画🎞️チェブラーシカのこの感慨深いシーンに、全面展望の景色をつけたいという勝手な発想から始まった。

 

相鉄線の青い車両を見かけた時に偶然、チェブラーシカのГолубой вагонが思い出された。これがきっかけだった。

 

2018年秋🍂🍁頃は、相鉄線(相模鉄道)ではヨコハマネイビーブルーという濃い青色の車両がまだ珍しい頃だった。ほとんどが、白地に青とオレンジ色の線が上と下に引いてある車両だった。

 

 

実際には、シャパクリャク婆さんの人形が何処にも売っていなかった為これが実現しなかった。

 

これが完成したらインスタに上げようと考えていたが、それも実現せず。

 

シャパクリャク婆さんが手に入って、同じぐらいの大きさのチェブラーシカやゲーナが手に入ったら、人形を撮影した画像を切り取り、貼り付けをし、インスタ公開するつもりだったが、相鉄線の写真撮影が思ったよりも長く時間が掛かり、いつまで経ってもシャパクリャク婆さんが手に入らなかった。

 

そうこうしているうちにコロナ禍に突入。それどころでは無くなり、全て断念した。

 

予定では2019年11月30日迄に上げるつもりであった。

 

この日は相鉄線・JR直通開業日であった。

 

Голубой вагонの歌詞からして、当時はこれに相応しいと考えた。

 

自分たちは過去に戻る事は出来ないが、きっと素晴らしい未来が待っているであろう。

 

というメッセージと、青い客車(ヨコハマネイビーブルー)という組み合わせが、当時、アツかった。

 

相鉄線・JR直通のコマーシャルにこの曲が使われてもおかしくはないと思った。

 

チェブラーシカたちは、客車に後ろ向きで座っている。過去を見ながら進んでいく所が、えぐられる。

 

 

 

 

 

 

これは、チェブラーシカやシャパクリャク婆さんが来て全員揃うシーンに使いたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初のГолубой вагонのタイトルと、最後尾にゲーナを載せたものは、早朝に撮影。

 

ゲーナが載っているものは、これを真似た

 

 

 

とにかく架線邪魔だと思った。

 

この写真は、撮影した後に、色や明るさや彩度を調整したりしている。チェブラーシカの世界観を意識した色遣いを目指した。

 

相鉄線の濃青の色は非常に難しい色であった。

車用の塗料で塗装してあるらしい。スマホカメラで撮影すると、光の加減で色が変わってしまう。

 

Голубой вагонのГолубой とは、紺色ではなく水色を意味する。

 

逆光をわざと狙った。撮り鉄ではなく、チェブラーシカの世界観に少しでも近づけたいと考えていたので、雲を入れたり、逆光を利用して哀愁を演出しようとしていた。

 

この撮影は海老名駅から、瀬谷-三ツ境間の踏切までで、海老名から横浜方面へ、相鉄線を追って曲が進むに従って進んでいく。

 

歌詞の内容と景色の関連性も考慮に入れた箇所もある。

 

オープニングのГолубой вагонのタイトルと、ゲーナだけを載せた写真と、ゲーナ、チェブラーシカ、シャパクリャク婆さんの3人が揃うシーンの予定だったところと、最後の「見てくれてありがとう」だけは、例外的に、大和市内のふれあいの森公園と、*相鉄貨物線の廃線跡の線路上で撮影をした。

 

瀬谷-三ツ境のこの踏切から見える横浜方面(全面展望)は、映画チェブラーシカのこのシーンが終わり、暗くなって列車が遠ざかっていくシーンの全面展望に似ているから、この場所を選んだ。

 

スマホ📱カメラで撮影したから画像ガタガタになった。撮り鉄が本格的な機材を欲しがるわけが分かるような気がする。

 

 

当時、まだ濃青色(ヨコハマネイビーブルー)塗装が珍しかった頃は、濃青色同士がすれ違う事が貴重な時間だった。

 

「過ぎたことは取り戻せない」

の歌詞にちなんで、この貴重な時間は過ぎ去ってゆくので、この写真を選択。

 

「過去は少し惜しくても もちろん進んだ方がいいんだ」

相模鉄道の本来の土地であるJR相模線に対する未練を捨てきれない。これは相模鉄道にとって非常に惜しい過去である。

 

戦時中、相模鉄道は、現在のJR相模線の土地を国から略奪された。相鉄会報誌にも「土地返せ!」と耳にタコが出来る程(目だとどう表現すれば良いのか)書いてあった。

 

そのような過去に縋りながらも、JRと直通運転し都心に出て行かなければならない。

 

JR相模線沿線の象徴として、大山や丹沢がよく見える後面展望にした。

 

「新しい冒険にいそごう友よおい先を進めてくれ機関士」

 

ここは*相鉄貨物線が見える所。

 

《相鉄貨物線: 相鉄厚木線。本路線を経由し本線の相模大塚駅構内から専用線にて在日米軍厚木基地へのタンク車を使用した航空燃料輸送が行われていた。1998年9月を以て廃止された。》

 

この線路は既に撤去されてしまった。撮影した当時は、この線路も遠くない将来、撤去されてしまうのだろう。という想いで撮影した。

 

これも相鉄の過去の遺物で、思い入れの深い線路である。

 

この遺物を目の前に「先を進めてくれ機関士」というようにしたかった。

 

チェブラーシカとゲーナが線路上で「見てくれてありがとう」という最後のシーンは、相鉄貨物線の廃線の線路上に2体を置いて撮影した。

 

この線路はもう既に撤去されてしまった。

 

ヌイグルミ、人形関係は全てメルカリで購入した。

 

 

列車やその他の写真は、色々なパターンを撮影した。チェブラーシカ、ゲーナ、シャパクリャクの3人が、後ろ向きに映る画も入れる予定であった。

 

*動画と、自分が撮影した写真につけたテロップの訳と異なるのは、昔見たГолубой вагонの動画の和訳とこの動画の和訳が違うものになっている為。

 

🐊🐊🐊🐊🐊🐊🐊🐊🐊🐊🐊🐊🐊🐊🐊

 

この後チェブラーシカ達はヤルタでバカンスを楽しむのでしょう⛱️

 

長文のご精読をありがとうございました😊

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東西冷戦について思う事

2024年04月05日 | 中央アジアその他

先の、パンク春の祭典も終わり、SUM41(蒙古斑)の最終日本公演も終わった。

 

「蒙古斑Live」の記事で、内容が重くなるため、「前世トゥバ人かも」と誤魔化してしまったが、 Underclass Heroのイントロの繰り返し繰り返しを生演奏で聞いて感じた事

 

「自分たち観客は娯楽や趣味でこれらに関わっているが、彼らは人生をかけてこれをやっている」

という事が実感された。

 

彼らの、音楽に割く労力や時間やその他様々犠牲にしてきたものの重さを肌で感じてしまった。健康面であったり、親との関係であったり….

それら全ての犠牲が価値となって現れている。

 

生演奏を聴いたマウントをとっているようにも見えるかも知れないが、スマホやCDなどのデジタル音源でこれを感じる事は出来ないのではないかと思えた。本人達と同じ空間に存在していた事も関係している。

 

この記事で、SUM41キャップの件で、カナダ嫌いだけど(以下略)」と書いた。カナダというのは北米の迦奈陀を指す。(漢字表記だと仏像のようである)

 

これを見て何で?と思った人もいると思う。

カナダが嫌いな理由。

 

初期NATO加盟国だから。

 

それだけ。

 

 

80年代に嫌いな国とその理由のアンケート書かされた。

 

自分は当時、世界情勢など余り詳しくはなかったのでキライな国は白紙回答をし、好きな国は日本と書いた。

 

嫌いな国が中国、北朝鮮、ソ連、ハンガリーやルーマニアなどの東欧、東南アジアなどが多く、理由は「共産国だから。」と書いた人が多かった

 

嫌いな国がソ連や中国なら、解らないでもない。

しかし、日本から遠く離れた東欧も少なくはなかった。

 

東欧諸国が嫌いな理由は「共産国である。それだけ。」

 

西側の自分たちからして見れば、違和感が無かった。当時は冷戦でその様な意見は至極当然な気がしていた。

 

しかし、冷静に考えると先程、自分が書いた「カナダ(北米)が嫌いである。理由は「初期NATO加盟国だから。それだけ。」と書いた事と何も違いはない。

 

西側陣営の目線で見れば、可笑しい事の様に感じるが、東側陣営の目線で見ればこの意見、至極当然である。

 

カナダ(北米)を嫌う理由としては薄っぺらく、内容が無さすぎると思う。

 

共産国だから、東欧諸国を嫌う事もこれと全く同じで内容なんてない。

 

東西冷戦には、互いに憎しみ合う真っ当な理由などない。

 

西側が作った映画のソ連人の描き方が、今でも不快に思える。007にしてもロッキーにしても、ソ連人が鬼、悪魔のように描かれている。ソ連の独裁者ではなく、一般市民のキャラクターが鬼・悪魔として扱われている。

 

日本人目線でみれば非常に不愉快でモヤる。

 

あれは西側のプロバガンダではないのか?

 

作品のダイナミックな構成やアクションはとても良いのに、差別を煽る人物描写の為、大なしである。

 

更に不快に思えた事は、ソ連崩壊後にも関わらず、ロシア人をいつまでもソ連人扱いする事。ソ連なんか崩壊したのだからもういいじゃないかと思う。いつまで差別を煽るのか。

 

西側によるソ連人を馬鹿にする映画に不快に思う人は、自分と家族以外には見当たらなかった。

学校の同期の輩は、その件に関しては「考えた事が無かった」と言っていた。

 

こいつらとは友達になれない。オマエみたいな奴と仲良くしてやってるという態度がいつも鼻についていた。そしてお前は変わり者だといつも糾弾されていた。

 

西側の初期NATO加盟国らは、ソ連人に親を殺されたように憎む。

 

自分が学校の同期らを憎悪する理由の方が深い。

 

西側がソ連を嫌う理由は、自分がカナダ🇨🇦(北米)を嫌う理由と同じで実に内容が無い。

 

寧ろ自身の戦争体験や、身内の戦争体験などでソ連を嫌いになった日本人の方が余程ソ連嫌いである。領土問題なども関係して、日本人がロシア・ソ連を憎むには真っ当な理由がある。

 

ロシアビヨンドも、初期NATO加盟国が作る映画作品に対しては非常に遺憾であると書いていた。当事者の立場としては、遺憾を通り越して憎悪になるだろう。

 

 

西側がやたらロシア・ソ連を悪魔というので、逆に興味を掻き立てられた。

 

ロシアやソ連の人ってどんな人達なんだろう?と異常に気に障り出した。

 

ロシアは、とても寒い北国であり、顔の薄い、色白の長身美人、容姿もそうだが、気の強い所なども含め、自分と非常に掛け離れてるので余計、魅了された。

 

ロシアは謎の国という僻地感がとても自分を魅惑する。

 

北欧やカナダ(北米)やアラスカやグリーンランドも自分とは正反対で非常にかけ離れた生き方をしているようだが、何よりもロシアだった。何故ロシア?その理由が分かれば、今でもこんなにロシアに縛られずに済む。

 

ロシアに縛られ過ぎて、切実に辛い。

 

取り憑かれてんな本当に。

 

自分は南洋ネシア系の顔つきで彫りが深く、濃く派手な顔立ちである。肌色も褐色である。性格が柔和で大ざっぱ。愛想が良い訳ではないが不機嫌でもカドが立たず、自分の意見を言っても相手は怒ったり傷ついたりしない。発言に影響がない。人徳だと言われるが、自分ではそれが嫌だ。怒れない性格で、報復も出来ないので、よく虐めにも遭う。

 

一番自分に似合わない国。それがロシア。そしてそれがロシアの魅力だ。

 

もし自分が今、嫌いな国は?と街頭でインタビューされたら「今はロシア」或いは「今はイスラエル」と答えると思う。だから非常に複雑である。

 

嫌いな国でいの一番に「カナダ(北米)」とはまず答えないだろう。これはたまたま、SUM41のカナダ(北米)ツアー記念の帽子が手元にあったから、しょうがなかった。しかし、カナダ(北米)嫌いの理由は本当である。

 

とはいえ人に言う程カナダ🇨🇦(北米)を嫌いでもない。正直なところ別にどうでも良い

 

 

共産主義の対義語はなんだろう?と考えた。民主主義?資本主義?EU?NATO?

 

答えは解らない。

 

では共産圏の対義語はなんなんだろう?

西側?EU?NATO?

 

共産圏という言葉には、軍事的な意味合いも含まれる。

 

共産圏の対義語は、NATOという結論が出た。西側の自分らにとって「共産圏」というのはパワーワードだが、東側の彼らにしてみれば「NATO」というのがパワーワードなのだろう。

 

共産圏にしてみればNATOが脅威なのだろう。

 

だからといって隣国を侵攻して良いという理由にはならない。

 

ウクライナ侵攻よりも5年以上前の、プという禿爺の「熊と同志」というスローガンが大好きだったが、それはもう昔の事になってしまった。その頃の熊は呆れて消滅してしまった。

 

プ爺というボケ老人の身勝手な暴走。だれかこれを引き留めてくれと思うが誰も止められない。

 

先日のコンサートホール・テロ事件の犠牲者の近親者が、テレビのインタビューに答えていたが、彼女は、プ爺=国営メディアの言うようにウクライナの仕業だと信じていて、米国や英国が裏でテロ支援をしていると本気で信じているように答えていた。

 

テレビインタビュー用の、プ爺政権向けの台詞だったのか、彼女の本音だったのかは分からない。

しかしこれを見て思ったのは、人というのは近親者をテロや戦争で失う程の、非常に哀しい体験をすればする程、このようなプロパガンダに洗脳されやすくなってしまうのではないかと思われた。

長文のご精読をありがとうございました。

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草原にオーロラ

2023年11月16日 | 中央アジアその他

There’s not FINLAND

There’s not SWEDEN

There’s not NORWAY

There’s not ICELAND

There’s not GREENLAND,Denmark

There’s not ALASKA,USA

 

 

 

 

 

 

 

 

It’s KAZAKHSTAN

 

115日、ロシア🇷🇺シベリアの北緯50度台の諸都市とカザフスタン🇰🇿でオーロラがついに現れた🪭🎉🎊あっぱれ!

 

この写真はカザフスタンのコスタナイ州という北部の州で撮影されたもの。ロシアと国境を接している。ロシアではチェリャビンスク州やノヴォシビルスク州などでもオーロラが確認された。

 

オーロラは極光とも磁気嵐とも言われる。

シベリア北部では見られるが、シベリア南部や中央アジアでは滅多に見られないらしいです。

このインスタを上げている人は放射線を意識していた。

 

オーロラと放射線☢️関係あるのか?

 

ピンク色🩷の光が磁気嵐🌀と言われているものらしい。

 

 

中央アジアの草原とオーロラのコラボレーション

これ、本当に待ち遠しかった💗

 

中央アジアは意外と、オーロラの穴場だったりして!

アラスカとかグリーンランドとか北欧まで行かなくても、日本から5000km-7000kmぐらいと、割と近い。北欧などに比べると出現率が低いもかも知れないが、中央アジアやロシア・南シベリアの地方都市でのオーロラは、日常生活や都市、郊外などの身近な空の上に現れたオーロラという異次元の魅力がある。

わざわざ、人が滅多に行かないタイガ樹林や氷山などに行かなくても存在する。

 

中央アジアやシベリアの地方都市に磁気嵐、オーロラが現れたというニュースが、日本では余りに知名度が低いのが残念である。

 

 

この曲を聴くと真夜中の草原という情景を想像させられる。

この曲を聴きながら、草原にオーロラが出ている写真を見て下さい。凄い世界に生きているような錯覚をします。オーロラの元を駱駝🐫の商隊が列をなし、オーロラの元の夜の草原で家畜の帰りを待つ牧民。これらの写真にはそんな者は存在しないが、極光の元、そんな映画みたいなワンシーンはどこかに存在する。

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シルクロードバザール2023🐫

2023年11月10日 | 中央アジアその他

11/3()シルクロードバザールに行ってきた。

昨年よりもだいぶ早い時間に着いた。

 

上野宋雲院で行われた。昨年程の馬鹿混みではなかった。

 

ルンタ(タルチョー)がチベット仏教の面影を強く感じた。

 

カルガリー(斑爾里)よ、オマエは何を見てる?

 

お寺そのものがまず興味深い。

 

 

ここへ来て紅茶(トルコチャイ)を召し上がった🫖

無料で、とても美味しかったです😋

 

私はその日蒙古斑のロックTシャツを着てきた。

 

蒙古斑解散の記事

蒙古斑(仮)の解散宣言💔 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

昨年よりも、スタン系の服装率高かった。

 

私はスタン系の柄のワンピース等持っていないので、自分なりにシルクロードだと思える物を着てきた。

 

蒙古斑、ファンが宋雲院内にいたら声掛けられるかな?蒙古斑の認知度はめちゃくちゃ高いようなので。

 

この横断布は多分キルギス🇰🇬産なのではないか?と思える。

 

たくさんの中央アジアの布がお寺の壁に飾られているというのが独特の世界観を産む。

この羊毛ラグの柄ってもしかして銜留(ハミドメ)をあしらったんかな?細長いS字形が*銜留の形を連想させられる。

 

すごくマニアックになるがこの銜留の形は*老河深古墳から出土した馬具の銜留の形に似ている。

どこ産のラグかは、見当がつかなかった。

羊を飼育する騎馬遊牧民が作ったものだと思う。そして細長いS字の銜留を今だに使っているのかも知れないと思っていた。

後で店員さんに聞くと、チェチェン共和国のラグだった。

チェチェン人は馬にも乗る民族だ。しかしチェチェン人がラグに使うデザインは、動物の角などが多いという。

 

: 馬を操る為に、口にくわえさせるくつわ。

銜留: 銜の一部の金具。

老河深古墳: 中国吉林省にある古墳。

 

逆に中国で出土した物が、チェチェンあたりでも使われていたとすればこれは凄い!陸続きだからありえない事はないが。

先月末で小田急相模原のウイグル料理「天山」が閉店してしまい、その食器を引き取って、ここで売っているということだったので、購入しました。

 

お茶用の茶碗と、これと同じ形で倍以上も大きい、お蕎麦とかラグマンなどの汁ものをこれで食べたくなる器を購入。

ウイグル製で、内側の縁の金属で描かれた模様などがいかにも「天山」らしい。

 

自宅からオダサガのウイグル料理「天山」は何度か足を運んだ事があって、閉店されるのはとても残念です。100歩譲って移転ならまだ良かった。

 

 

昼ご飯はこのお弁当と、少し塩味のする飲むヨーグルトと、デザート。ほうれん草のピロシキ。

 

トルコ🇹🇷料理のようで、クミンなどのスパイスが効いていた。

 

《ツイッター(X)参照: Keyif ケイフ氏のツイート》

15:00から歌のショー。トラぺ座さんのコーカサス民謡特集。バグパイプの原型のような楽器を演奏していた。山羊🐐の皮で作った高い音の出るバグパイプ的なものと、羊🐏の皮で作った倍以上大きい低い音の出るバグパイプ的もの、両方での演奏があった。この音は、夕刻の時間に聴くのに適している。

 

アルメニア🇦🇲の民謡がどことなく哀しく、美しかった。ナゴルノ=カラバフの件を想いながら聴くとより哀しく聞こえます。

 

客席の中をチンドン屋の楽隊のように入って来た。

 

 

めちゃめちゃおもろかった🌈

北コーカサス地方の民謡で上がる⤴️上がる

帰りに、トラペ座さんのCDを購入。

やっぱり生演奏は良いですね。

 

昨年に比べて随分と穏やかな雰囲気だった。昨年に比べて客層がとても大人しい感じがした。その為か、和を以て尊しとする*倭国人な私でもとても居やすかった。

昨年の馬鹿混みのように、人を掻き分けてズカズカズカズカ前に出ないといけないという事はなく、人口密度が低いせいか、各ブースの前が空く状態が多く、お座敷の低い売り場でも精神的苦痛は無かった。

倭国: 日本の古い呼称。自身のブログで何度「倭国」という言葉を使ってきたか。

 

まぁ、言って見れば昨年の方がシルクロード的で、今年の方がステップロード的だと思った。

シルクロードの過当競争は、私には無理

やっぱステップロードに逃げたい。

 

中華街並の、超レッドオーシャンの過当競争を連想させられてしまう。私はあの中では生きられないおとなしい日本人だから

日本人は昔から、レッドオーシャンで生きる事は不得意とされてきた

シルクロードは物理的にも、シルクロードクラスタの守備範囲的にも過密だ。*レッドオーシャンである。

レッドオーシャン: 競争相手が多く存在している市場を指す。逆に競争相手がほとんどいない市場をブルーオーシャンという。

 

シルクロードは、ステップロードとは違い大都市がいっぱいあり華やかでエキサイティングなキラキラした世界です。

今年は店員さんたちも、人によるが、客層が穏やかだった為か、表情も穏やかであった。

 

ネクラで心象の悪い自分でさえ、店員さんと会話する事が可能なくらい自分にも余裕があったシルクロードバザール神回であった。

 

本当にコミュニケーションが上手い店員さんは、私のような無愛想な客にも、声を掛け会話をエスコートする。本当のプロの接客業現役なのではないか?と思った。

昨年とは違って本当のシルクロード・ステップロード・旧ソ連Loverだけの客層のような気がした。

昨年は馬鹿混みで渋谷駅とか新宿駅などのような大規模駅の民度だった為、自分「場」違いな気がした。

 

いやぁ。昨年の記事を読み返してみると自分随分と酷い事を書いていたな。多分駅民度の客層のせいであそこまで荒んだ。

それにしても駅員は大変だな。

 

毎日あいつらと接していなければいけないのか。可哀想に。

 

シルクロードの要衝とは、言い換えれば駅。だからシルクロードである以上は超過密都市になるのは当然である。

超過密都市の歴史がまだまだ浅い日本人は、高い人口密度や面識の無い他人との、近い身体的パーソナルスペースが苦手である。

来年も機会があれば行くつもりである。

 

蒙古斑の知名度は皆無だったのか、自分の発する

 

「話掛けるなオーラ」が強かった為、話しかけれなかったのか。

とある店員さんと「蒙古斑」の話をしたが、蒙古斑なんて全く知らないと言う。

 

それか知らないわけではなく、蒙古斑が一斉を風靡してから23年程経つのでそんな昔の事忘れてしまったのかも知れなかった。

蒙古斑の話をするためにシルクロードバザールに行ったわけではないが、蒙古斑の話が出来て良かった。

 

蒙古斑の事を生身の人間に吐き出す場所が無かったから丁度良かった。

 

いつか蒙古斑の話を吐き出す専門の中央アジアイベントに行ってみたい。

蒙古斑の認知度はどれくらいあるのか?

 

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