斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

万が一海外移住するならどこの国?本当に頭おかしくなりそうな問題

2023年07月22日 | 自己満

真剣に真剣に考えて出した答えが

 

オーストラリア🇦🇺

ニュージーランド🇳🇿

ハワイ(🇺🇸)

 

日本が中国共産党の軍事脅威、ロシアにも侵攻される危険性もゼロではない。万が一というほど可能性が低くもない。

 

台湾の若者が、海外移住を計画する者が多いという内容をテレビで見た。

 

理由は中国共産党軍の脅威。

 

台湾がいつウクライナみたいになるか解らない。

 

移住先国についてはテレビで明かされていなかった。

 

 

日本人がWBCに沸いていた233月。日本海上空をロシア軍機が7時間飛行していた。これはYahooニュースのみで、テレビでは報道されていなかった。

これは茶番ではありません。

 

自分が以前の記事で*金鎧集落(蒙古系遊牧民の宿営拠点のひとつ。)

 

金鎧集落について、一番言いたかったのは

 

 

日本海は所詮に過ぎない。

 

 

ということ。

 

モンゴル帝国の時代とそれ以降。元軍は怯んだが一般国民が度々日本海を渡り、何波にも渡って日本列島に来ていた可能性が非常に高いのではないかと考える。

 

自分は平和ボケだが、自分よりは少しだけマシな平和ボケが、日本は海洋に護られているから大丈夫だよ….

と言う。

 

これは、太古の昔から「海」とりわけ「日本海」のお陰で護られて来た。と考えられて来たが、日本が侵略されなかったのは、侵略するほどの価値が無かったからではないかと考える。

 

それは太古の話である。

 

日本史では必ずと言って良いほど、「朝鮮半島を経て」大陸から人や文化が渡って来たと書かれている。

 

玄界灘さえ封鎖すれば、侵略や不法入国を防げられるかのような印象を受ける。

 

しかし、テングリ祭祀場の痕跡を見つけてしまってからは、必ずしも朝鮮半島を経て日本に到達するというわけではないという事に気づいた。

 

民間の遊牧民が直接日本に来ることはまさか無いだろうと以前は安直に考えていた。

 

朝鮮半島を経なければ来られないのであれば、朝鮮人の抵抗に遭って、来日は難しくなる。さもなければ朝鮮王朝を倒して平定してその上でという事になる。これが大元ウルス(元帝国)であるが、

自分が見たものは、元軍遺構でも無ければ、元寇の時代より降るもののようであった。

 

民間のテングリ(天神)信仰の現存する痕跡があるという事は?とよく考えると、モンゴル国土から直に日本に渡って来たのだろう。

 

当時、女真族というツングース系の民族が沿海州沿岸にいた。彼らは造船技術と航海に長けていた。民間の遊牧民は事情があって日本に渡りたかった。女真族に船舶と航海技術者を手配させて沿海州から日本に来たのであろう。

 

当時の日本は入国管理というものが皆無だった。

 

日本海は我々日本人が思っている以上に、彼らにとって渡り易い。

 

世界地図を逆さまにして、ロシア側から日本を見ればわかると思うが、日本海はまるで湖か池である。

 

その気になれば、目と鼻の先。

 

日本もウクライナのように

 

ロシアだけではなく、中国からも目と鼻の先。2つの軍事脅威に晒されている。北朝鮮も含めると更にやばい。

 

さぁ。どうする日本?どうする自分?

 

中国、ロシア、北朝鮮から出来るだけ離れたい。

 

となると、より南へ南へ移動するしかない。

 

なぜ南太平洋かというと、消去法で

 

ユーラシア大陸インドや東欧やフィンランドまでは中露の脅威がある

 

東南アジア中国の南シナ海への脅威

 

西欧アジア蔑視と大量の移民難民まみれ

 

中東・アフリカ政情不安、治安

 

北米

米国銃社会、アジア蔑視

 

カナダ米国の脅威、アジア蔑視

 

アラスカロシアの脅威、寒すぎる

 

中南米

中米治安

 

南米気候が年間を通して高温多湿、治安

 

グリーンランド寒すぎる

 

残された選択肢は南太平洋

 

ハワイは米国だが、銃規制が本土より厳しく、比較的富裕層が多い為治安がそんなに悪くはない。日系移民も多く、アジア蔑視も少ない。

 

しかし、ツバルなどの島嶼温暖化により海没

 

中露課題の次は温暖化問題。それ考えると南進するのはどうかと思う。

 

温暖化が進む事によって海没もそうだが、元々温暖な地域は砂漠化とか、日本に於いても米や桃など日本の特産物が取れなくなる。そして食糧難。

 

そうなるとロシアとか中央アジア、モンゴル、トゥバ共和国辺りの緯度の方が住みやすくなるのかも知れない。逆にこっちの方が作物が取れるようになる可能性が高い。

 

結局内陸アジアに戻って来る。

 

そうすると中露の脅威が!

ってなる。結局一番マトモな移住先は

 

グリーンランド🇬🇱一択という結論に至る。

 

寒すぎるグリーンランド🥶

 

でも逆に、極端に北極圏で氷が溶けたり永久凍土が溶けて地面ズタズタになったりする可能性がある。

 

しかし、ネットで調べてみるとグリーンランドは温暖化による恩恵もあるのだとか。

 

 

グリーンランド「温暖化の恩恵」を先進国は非難できるか:秌場聖治(あきば・きよはる) | 記事 | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト

グリーンランドではいま、温暖化によって毎秒1万トンの氷が消えるという。だが、温暖化が漁業や資源開発にプラスに働き、グリーンランドに恩恵をもたらすとともにその地政学...

新潮社 Foresight(フォーサイト)

 

 

という事で、とりあえずこの問題は一件落着。

 

 

《金鎧人хуаран》モンゴル帝国民(チベット仏教以前)の宿営地

 

《カネディアンхуаран》アルタンハーンが皇帝の北元の人民の宿営地

 

とよぶことにしたがこれはややこしいので後に書く

 

モンゴル帝国に金鎧て名前勝手につけるな!と言われそうですが、あの辺り、金国だの金帳汗国だの、アルタン・ハーンだの、アルタン・ドプチだの、とにかくがつくものが多く、紛らわしい。

 

金国は金(キン)。女真族が建てた国。モンゴルが潰した。

 

モンゴル帝国チベット仏教以前は金鎧(キンガイ)

 

アルタン・ハーン皇帝時代のチベット仏教浸透後は金(カネ)とする。

 

☀︎カネ🌹ディアン🌹の。これは

カネディアンは、中国北部で定住化し、一説によると田従事していたという話もある為、でも問題はない。漢人に田従事させられていたものだと考えられる。

 

カネ🌹ディアン🌹(アルタンハーンが皇帝の頃の北元(モンゴル帝国の続き)の人民)は、中国では明の時代。漢人からは北虜と呼ばれ、カネディアン本人らは、自称東タタールと言う。

 

また出て来た

 

タタール

 

そしたら金帳汗国の主要民族であるタタールは

西タタールなのか??以前の記事で、タタール人がタタールという名前に嫌悪を覚えるという事を書いた。モンゴルを連想するから自称ブルガールと言う

 

以前の記事

ロシアユーラシア文化交流講演会、チャリティー企画材料市、東京ジャーミー、天幕のジャードゥーガル - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

カルガリーという名前について朗報! - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

そういう事なのか??

 

しかし、いったいタタールとは何なのか?

 

という称号や国号やその他もタタールと関係しているのだろうか?

 

後日書く。

弘安の役の件も書く書く言ってまだ書いてない。

 

結局自分は蒙古の事ばっか考えているのだ。

 

金田陸橋を金帳陸橋に空目してしまい、2度見しても金帳陸橋。金帳?帳って蚊帳の?

何て読む?

そして3度目見で金田陸橋、もう一度確認しても金田陸橋。しかし今の何だったんだ?どっちが正しいんだ?

 

金帳ってどう読むんだろう?

 

その頃はまだキプチャク汗国を金帳汗国と読む事を知らなかった。

 

忘れもしない。初めて金帳交差点で金帳陸橋と出会した時。

 

そして他の場面、青い標識でも2度金帳を空目した。

 

何なんだろ?

 

私って異能力ある??それかタタールに呪われているのか?それか単に蒙古のコトばっか考えてるからこうなるのだろうか?

 

後日書く

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黄金原(こがねばら)。ここももしかして?!

2023年07月10日 | 自己満

地名にが入るバス停を発見。これも蒙古と関連ある?

厚木市黄金原(こがねばら)

これぞАлтан Талбар(アルタンタルバル)

黄金(Алтан) (Талбар)

Талбарというのはというよりも原野の方がニュアンスがとても近い

黄金原という地名はなく、バス停のみ存在する。

その隣のバス停は小金(こがね)という。

現在の黄金原と小金の住所は緑ヶ丘である。

それらは昔の地名なのだろうか?

もしかしたらここも金田と同じように蒙古集落だったのかも知れない。

黄金原と金田は意味が全く同じような気がする。

 

がしかし、金田は元々はではなく金なんとかという、別の名前の集落であった。

 

江戸中期に幕藩体制という、人間が人間を徹底管理、支配するという治世が始まり金なんとか集落に大量の倭人を強制移住させ、蒙古人たちと強制的に政略結婚をさせて倭人化し、それらを田に縛りつけ農業従事させ、遊牧民の主要な宿営拠点のひとつを田地に変えた結果が金田の由来だ。

日本全国の異民族集落は、倭人化をさせられた。

 

黄金原はそれとは違うニュアンス。

 

天下統一を果たした徳川家はその後人民の奴隷化、家畜化を徹底した。

 

厚木市黄金原の地名の由来をググったが、何もヒットしなかった。

おそらく黄金原、元々は小金原。小金というバス停もある。

 

小金が黄金になった。

小金の範囲が広大でバス停を2個使う距離なので、もうひとつを黄金原にした印象である。

厚木市小金の地名の由来もググったが、何もヒットせず。

 

勝手に類推すると、砂金か砂鉄か、製鉄、冶金、鍛治、鉄工に関するものだろうか?

 

黄金原、小金、共に(カネ)と読むので砂金の可能性がある。それか蒙古に多いアルタンという地名の名残り。カネとは、お金や金(きん)のようにそれだけで価値のあるものを指す。

 

これが(カナ)であれば砂鉄、製鉄、冶金、鍛治、鉄工の可能性がある。

 

仮に金田がカネダではなくKanadaと読むのであれば、製鉄に関する所が多い(産鉄)

 

金田と書いてKanadaと読む人は製鉄奴隷の後裔であると金田の地名・姓の由来に書いてあった。

 

読みがなひとつで意味が変わる。

しかし、稀にカネと読んでもカナと同じく産鉄である場合もある。

 

黄金原のバス停を降りて少し歩いた所に武部鉄工所があった。

黄金原バス停付近は工場が沢山ある。

鉄工所は工場に便乗して建てたものなのか、古来より鉄工業が盛んな場所で武部鉄工所が現存するのか?

 

小金、黄金原の由来は鉄工業からきているという仮説が立つ。

 

そこら辺を実踏して、天神杜を探したが見当たらなかった。

 

自然の川(恩曽川)が流れていて、川沿いを実踏。川沿いは田地である。

 

川のほとりに、墳丘のような盛り土があり、石で囲われ、天辺に木が植えられている一画があった。

 

 

何の文字表記も無かった。何なのか全くわからない。

 

金田(金鎧)集落のようなテングリ祭祀場なのか、後期古墳時代の円墳なのか何も解らない。

 

その後も川沿いの田地を実踏。目立つところにテングリ祭祀場はないか探したが見当たらなかった。

 

鉄工業の可能性が濃い気がした。

でも実際、鉄工業なのか?蒙古集落なのか全く解らない。

 

*金鎧のようにテングリ祭祀場に関する、モンゴル帝国時代そのままの神観、信仰観を子々孫々に口承で伝えられ、立札に神観、信仰観を記しているという場所は無かった。

 

金鎧: 以降金田を金鎧とする。

という漢字は農耕民の土地を現し、金鎧集落民の誇りを損なうものなので以降とする。

 

金鎧のようなケースは全国的にも大変珍しいのであろう。

 

例えテングリ祭祀場があっても何の表記もなければ、全く解らない。

 

テングリ祭祀場は、通常ひとつの共同体にひとつである。道理でここにもある筈はない。

 

 

黄金原は金鎧とは違い黄金原からは金帳汗国を連想することが出来ないし、空目する事も無かった。

 

金鎧集落のような、砂漠みたいで人心荒い感じは全く無かった。

 

集落の人間がその土地を創り出すものなのか?と思える。緑地であっても砂漠出身の民が宿営、入植すれば砂漠のようになる。

 

昔の漢人がよく言ったように、内蒙古の砂漠化は過剰放牧による。を連想してしまったが、

 

それは荒唐無稽な言いがかりである。

遊牧民は元来砂漠のような土地に住む。内蒙古地域は始めから砂漠地帯であった。

 

これ以降の内容は尋常な人間であるほど理解し難い為、神や仏などを否定する者は読まなくても良い。

 

金鎧のテングリ祭祀場に関わった事が原因かどうか良く解らないが蒙古斑()とスフバートルコーヒー()と縁が切れてしまった。

 

無関係だと思うが、完全に無関係とも思えない。

聞き取った神はテングリなのか、アルタンジャルガル神なのか、ダルハチン神なのか、よく解らないが、私が気にくわない国を見抜かれてるのか?

 

出来れば取り上げたくもない非常に気に食わない国に関わるであろうバンドを終わりに追い込んだり、気に食わない国の都市名の店を遠ざけたりされているような気がした。

 

スフバートルコーヒー()は、()というように全くを持って正式な名称ではない。

 

スフバートルコーヒーの本名はバンクーバー・コーヒーという。

バンクーバーという店名が気に食わなかったが、店自体はとても素晴らしかった。これのどこがバンクーバーと関係があるのか目を疑う店舗名だった。

 

そのため、素晴らしい英雄の名前を自分が勝手につけてスフバートルコーヒーと呼んでいる。

 

 

バンドについていえば、解散を惜しむ人はめちゃめちゃ多く、自分だけではない。自分はニワカに過ぎない。しかしそのような意味では同志である。

 

某都市名店も、沢山の人に惜しまれながら移転していった。自分は常連でもヘビーユーザーでもなく、たまにしか行かない客であった。しかしそのような意味では同志であった。

 

その2つが被っているのは自分だけかもしれない。

 

金鎧に関わると暫くは蒙古タンメンにありつけないという不思議な現象が続いたが、これも無関係だと思うが、完全に無関係とも思えない。

 

蒙古タンメンが会社にある自販機で3(満タン)であっても売り切れ表示が出たりと、奇妙な怪奇現象が続いた。

 

強制的に買えないように工作されている気もした。ダルハチン神に力づくでされているのか。

 

知らんけど。

 

 

そのうち蒙古タンメンが自販機から消え、別の商品に変わってしまった。

 

神にそんな強制力はないだろう?と思った。

 

モンゴル人は蒙古タンメンの存在が気に食わないという話はよく聞く。金鎧神も蒙古タンメンを非常に気に食わないのかも知れない。

 

 

金鎧神は遊牧神だ。モンゴル帝国時代を経た神である。モンゴル帝国の人々と共にあった。遊牧民が信仰してきた神だからどういう性質の神なのかよく考えてみる必要がある。と思った。

 

 

先日、ロシア・ウクライナ戦争の件で非常に胸糞の悪い事件を聞き、金鎧テングリ祭祀場にロシア、ウクライナ問題について持って行き場のない想いを伝えに行った。そして世界平和を祈った。

 

金鎧神にとって、ロシア、ウクライナ問題よりも祈祷者の気に食わない国の方が目について仕方無かったのか?

 

祈祷者の気に食わない国の奴を遠ざける事の方が優先事項だと思ったのか知らんけど、その国の奴らは遠ざかってしまった。

 

それがバンクーバーと蒙古斑()

 

モンゴル帝国、チンギスハーンは、気に食わない国を次々と潰して拡大した。

 

そういう指導者を導いた神だからなのか?祈祷者が今祈っている内容よりも、祈祷者が気に食わない国などに過敏に反応してしまったのかも知れない。そういうものにいち早く気づきやすい性質なのかも知れない。

 

気に食わない奴を遠ざける。心の安泰。という意味で個人的な平和は保障される。

 

 

でも自分は蒙古斑()を非常に気に食わない国の奴だとは微塵も思っていない。それは此れからも変わる事はない。

 

蒙古斑()はトゥバ系モンゴル籍の人間が牛耳るバンドだと思っている。昔とは違い、現在は気に食わない国の奴らはトゥバ人に隷属している。

 

蒙古斑()2度捨てたりはしない。

 

遊牧民は、自分が気に食わない相手の人生などぶっ壊しても構わない。潰す事を優先する。

 

そういう神である可能性が高い。

 

さすがシャーマニズムの神である。

 

ただ、バンクーバーにしろ蒙古斑()にしろ殺すところまでは行かなかった。

 

 

でも自分は、自分の推しが例え非常に気に食わない国の奴であっても構わない。

 

推しは推し。国は国。分けて考えている。推しがもし気に食わない国の奴という事柄が事実だとしても、それを信じない。絶対に信じてはならない。

 

推しのカフェが気に食わない国の都市名だったとしても、店名と店は関係ないと考えている。

 

非常に複雑で、沢山の矛盾を孕むことになるが、極力それを見ない。たまにその情報が顔を覗かせ苦痛になる事はあるが、早く忘れるように努力をする。

 

もうひとつ考えられるのは、金鎧神自体が気に食わない存在を遠ざけたという事。

 

スフバートルコーヒー()についていえばバートルとは英雄を意味する。金鎧神にしてみれば、英雄というのがチンギス・ハーン以外に存在するという事が非常に気に食わなかった。

 

蒙古斑()についていえば、金鎧神と金鎧人からすれば気に食わないトゥバ人の英雄の存在。

トゥバ人の英雄を頂点とするバンドを解散に追い込んだ。

 

考え得るのはそれだけ。テングリ祭祀場と関わった事とは全て無関係だったのかも知れない。

 

テングリ祭祀場に相模川の河原の丸石を備えたのは2度。一度目は挨拶と世界平和で二度目は日本と大陸の繋がりが強化する事を願った。

 

金鎧テングリ祭祀場は、実際に日本と大陸の繋がりの拠点だと信じている。金鎧人はディアスポラ歴が400-500年ある。日本の土を初めて踏んでから約400年以上経つ。幕藩体制や鎖国以前は、彼らの宗主国とのやり取りはあったのだろうか?

 

テングリ祭祀場から相模川の河原まではとても近いが、河原に辿り着く事が困難を極める。テングリ信仰は異民族信仰なので、それを知る幕府か新政府から地味な嫌がらせを受けているようにも取れる。テングリ祭祀場と河原の間に意図的に、様々な障害物が設けられている。

 

農民の畑とか、背の高い草で作られた迷路のような細い危険な路。河原から、広いマトモな道に直通する道や階段などは一切存在せず、一度細い路に迷い込んだらどうやって戻れば良いのか分からなくなる仕組みのようだ。

4月の頃より草の背丈が伸び、一層困難になった。

テングリ祭り(通称、オボー祭り)は宗主国であるモンゴルでは夏の終わりにやると言われる。

 

夏の終わり。当時では多分8月下旬ぐらいだと思うが、その時期に合わせて障害物として植えた草の背丈がピークに達するように計算されているかのようだ。

 

多分この薮や草は人為的に植えられている。

 

オボー祭りにはたくさんの丸石が供えられる。簡単に河原の石が持って来られないように妨害したらしい。

 

先日、上郷水管橋の撮影に行った際、橋の袂のベストスポットで撮る為に厚木市金鎧のその河原に行った。

 

以前行った時のように、河原の小路の山のような不法投棄は全て片付いていた。

憶測の域は出られないが良心的な清掃工場の人が見かねて引き取ったのだと思われる。

 

この河川敷は尋常とは全く違う。

 

草の中の危険な路を延々迷っているとき、幕藩体制以降の金鎧人の気持ちの一部を追体験出来る。

 

小路にはバイクの轍があり、非常に危険である。そもそもこの集落は治安が悪い。

 

このような危険地帯には、危険な暑さの日など悪い奴が出歩く可能性の少ない日を選んで足を運ぶしかなかった。

 

人は馬上で過ごす時間の方が長い…“

(モンゴルの諺)

 

そんな言葉がよぎる。人ひとりしか通れない小路にバイクか。この集落民なのか、外部から来た人なのか?

 

この土地の記憶なのか?徒歩人より馬上の人(バイク上の人)を呼び寄せる。

 

その日は橋の用事で金鎧に来たのでテングリ祭祀場に寄る予定は無かったが、気になったので立ち寄る。

 

ブログでテングリ祭祀場の事を書き過ぎたので天神杜の説明書きが撤去されてしまったのではないか気になったのだ。

 

天神杜の説明は依然、撤去されていなかった。

 

驚くべき事実が判明。

 

天神杜の範囲が円形に形どられている。円の内側は、長年、円形に重い物が置いてあったかのように、土の色が変色している。

 

円錐形の石堆積が長年置かれていたかのように。

 

驚いたのは、円形の内側の土に雑草の一本も生えていなかった。草を毟りとった跡はない。円の外には草が生い茂っていた。

 

円の内側に草が一本もないという事は、この円の下には石堆積の礎が埋まっているのでは!!!

 

これは単なる私の妄想ではなく…..

本物のチベット形石堆積オボーが、ここに実在していた!!!

 

凄い!!ビリビリビリビリする!!!

 

いや”----- ここに遊牧帝国の名残りが本当にあった😱

 

円の外の草は人為的に植えられた草のようであった。

 

皮肉にもそれは、金鎧相模川の河原に人為的に植えられている草と同じ種類の草だった。

 

ここの住民が皮肉を込めて人為的に植えたのだろう。

 

金鎧集落についての記事↓

 

金鎧集落について 結論(後編) - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

スフバートルコーヒー(仮)について↓

スフバートルコーヒーの移転💔 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

 

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トラス橋巡りの旅をしたい

2023年07月04日 | 旅行

こんな題名を上げると、鉄旅かと思われる。

 

新しい旅の在り方を思いついた。これは行き先を決める旅ではなく、特定のモノを追う旅。

 

自分が行きたい国、乗りたい列車などという概念を完全に払い「曲弦プラットトラス橋」または「トラス橋」を巡る旅をするという提案。

 

だから特定の国や地域に偏る事はない。

 

《私の行きたい国や地域となると、皆様察しがつくと思いますが……. 今回は特定の国などに対する偏りとか中毒性を一切排除した旅をするという設定》

 

これは計画が立て辛く、普通の旅より難易度が高くなってしまうのである。

 

自分が見つけた*トラス橋はインスタで出会したものやお気に入り登録してるチャンネルの4Kドライブ動画で出会したものと、ネットで出会したものと、散歩で出会したもの。

 

トラス橋の魅力は、風景の一部になってしまう鉄骨の造形美。

 

トラス橋 : トラス構造の橋梁。トラス構造とは三角形を基本単位としてその集合体で構成する構造形式。各部材の端部節点すべてがピンやボルト接合となっている。

 

 

この鉄橋はトラス橋である。

 

三角形という形は自然風景との相性が良い。

建物の筋違もまた魅力的である。

 

以下は全て妄想旅だ。というより計画のみ。

旅は東京駅を起点とする。

 

⭐️東武野田線江戸川橋梁

 

鐵橋!風流なもんじゃ!この風景を愛でながら茶会しようかのぅ🍵

(ゴザを敷く)

橋と列車を見ながらの抹茶は格別でございます🌈

結構なお手前で💎

 

東京駅→(JR上野東京ライン・勝田行・土浦行)→柏駅→(東武野田線・大宮行)→川間駅

運賃IC : 895

 

 

東武野田線江戸川橋梁(埼玉県春日部市・千葉県野田市)

東武野田線(東武アーバンパークライン)の南桜井駅-川間駅の間に位置する。

江戸川に架かる。

 

千葉県野田市側からプレートガーダー(1スパン:23.5m)、ワーレントラス(3スパン:62.4m、下路曲弦)全長約384m(推定)

建設:1930(昭和5)

 

13スパンのうち8スパンが昭和5年当時のものであるらしい。第2,3と第5-10の桁が1930 *総武鉄道開通当時からのもので、1955(昭和30)2月新設橋脚上に移設。他は19552月河川改修に伴い新設。

 

歴史的鋼橋集覧による。

 

*総武鉄道 : 東武野田線の前身

 

 

千葉県野田市側から

1-3スパン:横河橋梁製作所

4スパン:東京鐡骨橋梁製作

5-10スパン:横河橋梁製作所

11-13スパン:櫻田機械工業

 

ここの上流、江戸川と利根川の分流地点にある

関宿城博物館にはわずか5パネルになったタイニーなイギリス系のポニーワーレンが保存されているという。総武鉄道が現在の総武本線に架けていた橋だそうである。

 

 

・千葉県立関宿博物館

千葉県野田市関宿三軒家143-4

 

開館時間 : 9:00-16:30

休館日 : 毎週月曜日(祝祭日の場合翌日)

年末年始

 

アクセス:

東武野田線(東武アーバンパークライン)

川間駅北口から朝日バス(境町行き)

新町バス停下車 徒歩

運賃IC : 576

 

まめバス

東武野田線川間駅南口からの北ルート「関宿中央ターミナル」乗り換えの「関宿城ルート」は乗り換え可能なルートが限られているため、以下の「いちいのホール」乗り換えルートをご利用ください。

 

東武野田線川間駅南口からまめバスで北ルートから「いちいのホール」で乗り換え「関宿城ルート」へ 約70分~120分、関宿城博物館 下車

運賃 : 200

 

関宿城博物館川間駅

 

・チャオチャオ(街中華)

川間駅北口から徒歩圏内(野田市尾崎)

定休日、営業時間 不明

1,000円以内のメニューが多くとにかくリーズナブルだそうです。

 

千葉・野田のお土産は

地酒 特別純米 勝鹿“1800ml

販売価格 税込2,580

 

川間駅→(東武野田線・大宮行)→春日部駅→(東武伊勢崎線・浅草・中央林間行)→北千住駅→(東京メトロ日比谷線・中目黒行)→八丁堀駅

運賃IC : 638

 

川間駅から南桜井駅間で江戸川橋梁を渡る

 

 

⭐️南高橋

 

本日2つ目のトラス橋です。この橋に初めて出会えたのは、ミアヴァートというカフェの帰り。その日は蒸し暑く雨が降っていた。東京駅からそのカフェ迄それほどの距離はないが、遠く感じた。

帰りは東京駅迄歩くのはだるいので、八丁堀駅から帰ろうと思った。その急な予定の変更がこの橋と出会えた。トラス橋は美しく、異彩を放っていた。大都会にも調和をする。

トラス橋とは、究極的なの美意識なのだと感じた。

 

 

南高橋(みなみたかばし)(東京都中央区新川二丁目〜湊一丁目)

 

亀島川に架かる(亀島川と隅田川がちょうど合流する地点)

桜通りと呼ばれる中央区道第416号線に架橋された橋。

 

橋の名は上流側に架橋される高橋(たかばし)の南という意味。

 

橋長: 63.1m   幅員: 11.0m

鋼鉄トラス

着工: 1931年 1(昭和6)

竣工: 1932年 3(昭和7)

施工主体: 東京市復興局

制作: 東京石川島造船所

 

工事費用を枠内に収める必要から復興橋梁として架け替える旧両国橋の一部を再利用した。

旧両国橋は1904(明治37)に三連のトラス橋として架けられた特徴的な橋で、南高橋の部材に利用したのは旧両国橋の中央径間部分です。

南高橋に転用する際には部分補強していますが、現在まで大きな改修工事もなく、竣工当時の状態を良く保っています。

都内に残る鋼鉄トラス橋には、1878(明治11)架橋の旧弾正橋(現在は江東区白河に移設され「八幡橋」と改称: 重要文化財)などがありますが、南高橋のように明治期の鋼鉄トラス橋を用いた現役の道路橋である橋は、全国的にみても希少であり、近代の土木遺産として貴重な文化財です。

 

広報紙コラム「区内の文化財」(平成23521日号)による

 

 

・肉料理&アルコール-ミアヴァート珈琲(カフェ/バー)

八丁堀駅 徒歩6

定休日: 日曜・第24土曜+不定休)

営業時間:

月・火 11:00-18:00

水・木・金 11:00-23:00

土 12:00-22:00(隔週)

1,000/1人 夜2,000/1

 

東京駅まで徒歩🚶‍♀️

 

・京王プレッソイン東京駅八重洲

JR東京駅八重洲中央口より徒歩3

IN 15:00-29:00  OUT 11:00

食事なし1名 税込12,000円〜

 

東京駅から始まって、まさか東京駅近くのビジネスホテルに宿泊する事はあり得ないと思われるが、これが特定のモノを追う旅行の醍醐味!

今日はよく寝て明日に備えよう。おやすみなさい💤明日は横浜方面へ

 

インスタ参照元:makiba_farm氏》

 

橋の情報の参照元HP:

江戸川橋梁

《きまぐれ旅写真館》

《轍のあった道》

 

南高橋

《中央区役所》

Wikipedia

《東京とりっぷ》

 

関宿城博物館の参照元HP:《千葉県立関宿城博物館》

 

電車路線情報の参照元:Yahoo!路線情報》

 

バスの参照元HP:

《朝日自動車》

《野田市》

 

街中華情報の参照元HP:

《食べログ》

 

お土産参照元HP:

《ハートランド通販》

 

ディナーの参照元HP:

《ミアヴァート珈琲》

 

ホテル情報の参照元HP:

Yトラベル》

 

続く

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カルガリーの漢語表記は 斑爾里としました。

2023年07月02日 | 中央アジアその他

カルガリーの漢語表記は

斑爾里

 

(カルガ)

()

(リー)(-ы)

 

(カルガ)は斑鳩(いかるが)を使わせて頂きました。

 

同時に蒙古斑のでもある。

 

斑爾里という表記は読み方によっては「ハンガリー」とも読めそうに見えるがそれでよい。

 

ハンガリーは私達と同じ仲間だ。

 

*ハンガリーは洪牙利と表記する為、全く違うが、はんがりーと誤読してくれれば幸い。

例えるなら桐杏を(とうきょう)と読むようなもの。

 

 

()は阿爾泰(アルタイ)を使わせて頂きました。

 

 

正確にはカルガル+ы(露語: ィー、カザフ語: ゥー)である。

 

カルガリーはアルタイ山脈を望む草原である為

をあやかる。

 

 

 

(リー)(-ы :露語、ィー カザフ語、ゥー)を使わせて頂きました。

 

 

音の転写でもあるが里が相応しい。カルガリーは里であり、平原であり、突厥の故地(故郷・旧里)である。

 

カルガルの里という解釈も出来る。

 

 

ハンガリーと一瞬、誤読させる事により、カナダ味を帯びさせないようにすることで、“カルガリー”といえばカナダを連想される事を未然に防止する目的もある。

 

カルガリーはCalgary(カナダのカルガリー)ではない。

 

カナダのカルガリーは正確にはCalgary(キャルグリー)である。混同を避ける為に、地図などの表記を改正すべきだ。

 

 

それと、アルタイ山脈と蒙古斑(仮)をあやかりたいというのもある。

 

スマホ版のブログの背景はアルタイ山脈である。

 

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