斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

てつはう

2024年12月28日 | 遊牧アディクト

Xの投稿の閲覧をキッカケに、“てつはう"💣というものが気になり始めた

 

“てつはう”とは

鎌倉時代の13世紀後半、2度にわたりモンゴル軍が九州を襲った「元寇」で、モンゴル軍が手榴弾として扱った火器。宮内庁保有蒙古襲来絵詞前巻2(文永の役)に蒙古軍の炸裂兵器として「テツハウ(鉄炮)」が描かれている。

 

てつはうについての記録はほとんど残っていない。中国にも実物がひとつも残っていなかった為、殺傷能力があったのか、音と煙と光で周囲の敵を脅すだけのモノだったのか長年謎とされてきたが、近年では相応の殺傷能力を期待した兵器であったものと考えられている。

 

1974年。九州北部の伊万里湾に浮かぶ鷹島(長崎県松浦市)南部で発見された。鷹島海底遺跡から元寇当時の遺物が引き上げられており、てつはう外部は土器と陶器の中間の質で直径約20センチの球状で、内部には鉄片や青銅片を火薬や硫黄とともに詰めた手榴弾に近い兵器であったとされる。使い方は、導火線に火をつけて投げる。

 

《長崎県松浦市鷹島神崎沖出土。東京国立博物館展示》

 

 

 

 

 

《海底遺跡から出土したテツハウ 写真提供松浦市教育委員会》

 

《引用:Wikipedia、WEB歴史街道、朝日新聞デジタル、読売新聞オンライン、Weblio辞書、Walkerplus+、教育出版》

 

 

 

長年、海底に沈んでいた事もあって貝殻が付着している。

 

Xの投稿で、この兵器を博物館で見たという人が写真をUPしていた。上げた人によると、てつはうは鉄製ではなく陶器製(土製)だった事が意外だったという。

 

この兵器はモンゴルではいつごろまで作られていたのか?などの疑問が出てきた。

 

ググると、てつはうには陶器製容器の他に鉄製容器のものもあったらしい。

 

日本人はこの技術をパクり、瀬戸内海の水軍が「焙烙(ホウロク)」というてつはうをアレンジした兵器を使用していた。

 

現代では焙烙というと、底が平たく縁の低い素焼きの土器で、茶器や、胡麻をする鉢などに使われるものを指す。

《引用:Wikipedia》

 

殺傷能力高いと考えられるこの兵器は、有能な効果から本国では長年に渡って使われたのだろうと思われる。

 

2枚目の写真、貝殻の着いた、炸裂したてつはうを見たとき、*カナダオボーに供えてあった赤茶けた球体が連想させられた。

 

《カナダオボー:*カナダ人が倭国のとある一角に建てた天神を祀る為、チベット仏教の祭礼の為、山岳信仰の為などに建てたもの。》

 

《カナダ人:北米のある国の人民を指すものではない。倭国のとある場所、カナダ地区に定住させられている蒙古系民族の一派。彼らは約400年前に日本に渡航してきた。》

 

 

カナダについては記事の後ろに書く。

 

 

カナダオボー全体像

 

 

向かって右の石祠に、赤茶けた球体がお供えしてある。

 

これらは、自分が2度目にカナダ地区を訪れた時撮影した。丁度、今から3年程前。

 

現在もこの球体はそのままである。

 

これ何だろう?初めて見たとき直感的に「火球」という言葉が浮かんだ。次に「隕鉄」

 

少し冷静になって考えてみたら、日蓮さんと関係があるものか?神社のお参りのときに綱で鳴らす、上の方に括り付けてある大きい鈴?

 

供えているものより、オボー自体や神観に気をとられていた為あまり意識にはなかった。

 

 

 

 

 

穴が開いていて爆裂の跡のように見える。

 

よく見ると球の底も穴が開いているようにも見える。

 

爆裂して、両方向から火炎噴射したのだろうか?

陶器製と違って、バラバラになりにくそうではある。

 

「火球」や「隕鉄」などというワードが「てつはう」という着想に導いた

 

火球も隕鉄も自然の物だ。これはどう見ても人が作った。

 

 

カナダについての説明↓

カナダ🏹についての説明 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

 

カナダ人が倭国に来たのは400年前であって、元寇の800年前とは時差が大きい。

 

元寇の頃は陶器製だった容器を鉄製に改良したのだろうか?400年も経てば、兵器の形は変わる。

カナダオボーの球体は、見た感じ直径15cm〜20cmぐらいだった。

 

鉄は錆びれば赤茶け、こんな色になる。

 

カナダ人は、改良された鉄製のてつはうを携えて400年後に倭国に漂着したのだろうか?

 

それとも、陶器製のてつはうは、中国人の陶器技術者に、倭国侵略用の兵器としてこれを作らせたのだろうか?

 

中国で陶器製のこの兵器が1つも見つかってないというのが引っかかる。

 

陶器製のてつはうは、倭国侵略専用の兵器だったのだろうか?

 

妄想の域は出られない。

 

陶器製のてつはうとは別物の、鉄製のてつはうも存在したのかも知れない。鉄製のてつはうは、同じ元帝国でも、モンゴル人の製鉄技術で作ったものが、昔からあるのかも知れない。

 

こちらの方が汎用性が高くて欧州侵略や中東侵略に使われた可能性がある。

 

カナダ人はこのモンゴルの伝統的な兵器を携えて倭国に来たのかも知れない。

 

或いは、カナダ人がカナダ地区で製造したのかも知れない。カナダ地区のカナダの日本語での地名は、“鉄を量産する所”という意味のようで、カナダ地区は川に面した風通しの良い、鉄を作るに適していた場所のようだ。

 

現在のカナダ人がオボーに供えるほど、この鉄球はカナダ人にとって非常に大切なものだと考えられる。

 

これも妄想だが、この鉄球(鉄製のてつはう)はカナダ人を救った兵器なのかも知れない。

 

江戸時代、カナダ人は徳川幕府軍と戦い(大きな戦ではなく、紛争)

 

殺傷能力のあるこの兵器で、取り敢えずその場の幕府軍を壊滅させたのかも知れない。これによってカナダ人は幕府による殲滅を免れる事が出来たのかも知れない。

 

火縄銃の的中率は、弓矢のそれよりも更に低く、弓矢の的中率は手榴弾のそれよりも低い。

 

幕府軍は火縄銃を主な武器として戦っていたのかも知れない。

 

妄想の域は出られない。

 

これをカナダ人から取り上げて、民博とかに持っていくわけにもいかない。民博なら成分調査などで年代や成分などを割り出すことが出来、殺傷能力の有無や、本物か違うかが判明するだろう。

 

陶器製の“てつはう”が見つかっただけで凄い事なので、カナダオボーの鉄球が“鉄製”の“てつはう”の本物だったら物凄い事であり、学者先生などが放っておくはずがないと思われるので、8割型違うとは思うが、妄想は掻き立てられる。でもこれは本当に何だろう??

 

長文のご精読ありがとうございます

 

 

カナダオボーから山を撮影。カナダ人は山岳信仰も兼ねて、この場所を選定したのであろうか?

 

🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪🎪

カナダについての説明だけで記事の大部分を占めるので、カナダについての特設記事を書いた。

 

“カナダ”などという初見殺しな扱いづらい単語を書くだけでそれについてわざわざ説明がいる。

 

今更だが、紛らわし過ぎて頭が痛くなった。

 

これについてブチギレてる読者もいると思うので、整理する🧹

 

自分の記事ではカナダ人とは、北米のもみじ(Canada)の国民を指すのではなく、カナダ地区に定住する人民とその祖先を指す。

 

約400前に日本に渡航して来た蒙古系遊牧民で、現在、カナダ地区という周縁村落に定住させられている。

 

北米のもみじの国民、ジャスティン・ビーバーのような人物を、今後、キャナダ人とする。*芸能人だけではなく北米もみじの雑魚国民もキャナダ人とする。

 

あの国をもみじ🍁ということに飽きた。

 

もういい加減、カナダ🏹とキャナダ🇨🇦の棲み分けをしなければならなくなった。

 

両者は根本的に違うが、名称が被るのはよくない

 

北米のカナダ人といえばいいじゃないかと言われるが、それはそれで実在しそうな気がする為、北米🫎のカナダ人🏹とキャナダ人🇨🇦も別物とする。

 

モンゴル化の弊害を自分で蒙ってしまった

 

蒙古系の一派を“カナダ人”といっても何の弊害もないとたかをくくっていた。北米のもみじ国のネタを書く用事はないと確信していた。

 

しかし、今夏頃からこの国を扱った記事を書くことが出てきて、多くなってしまい、苦笑しながら“北米のもみじ”あるいは“北米”だけで誤魔化すなどをしていたが、ついに限界が来てしまった。

 

特定の国民国家の名称を連呼していたので、「濫用」して釣りをしているのかと思われる節もある。

 

キャナダ人から絡まれなくて良かった。可能性は低いがキャナダ人が見ていないとは言い切れない。

 

単純に、日本語が理解出来るキャナダ人がモンゴルに関心が無いか、*の説明書きをいちいちやっていた為だと思われる。

 

頭の片隅で「申し訳ない」とは思っていた。

キャナダという国は嫌いではない。縁もゆかりもない特定の国を無闇やたらに嫌ったりはしない

 

長文のご精読ありがとうございました😊

 

今年も一年ご愛読ありがとうございました🌟

 

2024年🐉はアクティブな一年だった。例年より多くの所を散歩し、外泊し、仕事し、勉強し、時間が詰め込まれた濃密な一年で、昨年よりも早かったように感じる。

 

来年も宜しくお願いいたします。

 

良いお年をお迎えください🪅

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カナダ🏹についての説明

2024年12月28日 | 自己満

これだけは断っておく。自分のブログで云う“カナダ”とは北米大陸に存在している特定の某国民国家を指さない🇨🇦約400前に日本に渡航した蒙古系遊牧民が現在、日本国内の、とある金田(カネダ)地区という所に定住させられている。その地区は周縁村落であり、近年まで“特定小集落”に位置づけられていた。《参照:神奈川県人権啓発センターYouTube 》“カナダ”という、この奇妙な名称の成り立ちは、これをモンゴル語の母音調和をした為。母音調和とは、発音しやすいように母音を揃える法則。

《モンゴル語の母音の法則によれば、男性母音(a,o)と女性母音(e,u)は同じ語に共存出来ない。中性母音(i)はどちらとも共存出来るという。島村一平先生が文春の記事で教えてくれた。》

 

この特定小集落が公に特定されると非常にまずいので、このようにした方が都合が良い。金田という共通の漢字を使用した方が良いのでやむなく”カナダ“という変な名称になった。カノダとかにしてしまうと、カネダとの繋がりが分かりにくくなるので、“カナダ”にする。ここを”カナダ地区“と片仮名表記にする

 

“カナダ人“について。これは現代の事だが、遊牧国家のウルス、ハンの影響の強かった国在住の人民に「あなたは何人ですか?」との問いに、定住者であれば町や村などの名前で答え、遊牧民であれば部族名で答える。国の名前で、日本人、アメリカ人などとは言わない。国民国家への帰属意識が希薄である。この地区の人民は日本人でもなければ、モンゴル国の国家人民でもない。カナダ地区の人民はどの部族出身であるのか、よく分かっていない。その上、定住者であるためこの集落に住む人民は、カナダ人という事になってしまった。

 

金田。この地名の意味は、鉄を量産する、鍛冶屋、などを意味する。

 

チンギス・ハーンの本名はテムジンという。鉄を作る人という意味である。

チャガタイ・ハン国の軍事指導者で、ティムール朝の建国者の、アミール・ティムール。ティムールという名前は鉄を意味する。

 

なので、“カナダ”という名称を手放し難い。

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海岸カフェ 芝浦

2024年12月21日 | 日記

このカフェ☕️🍰は、土日が休みで🎌平日月曜→金曜8:00→16:00まで営業している。

平日休みの自分としては非常に有難い💖

 

仕事中の人間向けの営業である。昼食とおやつタイム向け、営業マンのオアシス。

 

東京都港湾福利厚生センターのビル内にある。

 

JR田町駅芝浦口から自分の足で15〜20分ほどかかる。

 

これも16:00迄なので、簡単に行く事が出来ない。

 

7月あたりから行く計画を立てていたが、雨や急用や、遠方からは日帰りで難しい為、年に1度でも難しい。先月ここに入ろうとして辿り着いたのが16:40。17:00迄で終わりだと勘違いしていた。

 

芝浦は以前、自分が契約社員をしていた会社のある場所であった。

 

この店は快適だった。

 

ここは、会社から徒歩20分も掛かる為昼ごはんを15分以内で食べて帰らなければ間に合わない。

 

会社を辞めてからは、芝浦と全く縁が無くなった。しかし近年平日休みのシフト制の仕事を始めてから、行く機会が与えられた。

 

 

 

 

クルスマツツリー

 

 

もみの木🌲の容姿は美しい😍

 

もみの木も岩🪨などに着生するのだろうか?

 

 

レディース・グレー🩶の紅茶とアップルパイ

 

 

レシート🧾

 

これで¥350ここは安い

 

この後ブレンドコーヒー☕︎を追加

 

レジ横のクルスマツグッズ棚

 

 

店内

 

 

 

店を出て

 

 

ここはレインボーブリッジの麓である

 

契約社員してたときはこんな所まで来る余裕も無かった

 

ゆりかもめ・海

 

 

レインボーブリッジ

 

 

ここは芝浦埠頭南公園

 

2016年初あたりにクシュタール汗国(キャナダ)海軍のフリゲート艦・ウィニペグを見た気がしたのは、この公園

キャナダ海軍の軍艦を見たかも知れないという記事↓

 

記憶の捏造でなければ凄い事だった話 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

 

 

そして、晴海埠頭の船の発着場は今はもう存在しないz

 

晴海埠頭側

 

 

そして東京湾外洋側

 

 

ガントリー・クレーン(海麒麟)がいっぱいいる。

 

埠頭南公園を一周

 

タワマン群の芝浦アイランドのポンプ場の前を通ってナチュラル・ローソンでタルトを買い、隣の公園で食べて翌日仕事なので足速に帰途へ

 

一度縁が切れてしまうと、知人でも場所でも、近いうちに再訪しようと思っても、そう簡単に行けなくなる。

 

遠く離れてしまう前迄は、それは“可能”なのに

 

長文のご精読ありがとうございます.

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同志が欲しかったけど…

2024年12月13日 | 中央アジアその他

だいぶ前の記事(繰り返し書いてしまうネタ)の記事で、同志欲しい。テュルク友の会なら同志出来るかもしれない。と書いたような気がする。

 

テュルク友の会について“後日読む”という事になって読んでみた。

 

⚜️🇹🇷⚜️🇹🇷⚜️🇹🇷⚜️🇹🇷⚜️🇹🇷⚜️🇹🇷⚜️🇹🇷⚜️

テュルク友の会とは

 

2020年11月に有志で結成された任意団体「テュルク友の会」のアカウントです。ユーラシアに広がるテュルク世界各地の言語・文化・社会の研究調査と成果の発信、各種語学講座、テュルク諸語の語学教材作成などのさまざまな活動を行います。noteではメンバーが様々な記事・情報発信を行います。

《テュルク友の会より引用》

 

との事でした。

 

以前の記事では、「テュルク好きな同志募集」の部活のような広範囲に渡るコミュニティーだと勝手に解釈、思い込みで突っ走ろうとしていた。

 

そんな筈はない。

 

2020年11月の時点でメンバー(有志・同志)は締め切られている。私達に出来る事はnote を読んで、コメント📝やいいね🩷をする事。

 

同志と連絡先などが交換出来るわけではない。別に同志の連絡先なんか要らねえ。

 

部活というモノが好きではない。上下関係があり、教室なんかのフラットな関係よりも関係は構築しやすいが、部活のノリが大っ嫌い。不良、ヤンキーみたいで嫌だ。先輩によるパワハラなんかもあるだろうから尚更だ。部活というより「学校文化」それ自体が大嫌いだ。

 

部活と書いてしまった事を後悔し反省している。サークル活動と書くべきだった。

 

それか、*サロン。

 

《サロン:①社交的な集まり〈貴族文化のひとつ。邸宅で開いた社交的な集まりで、教養ある人々が集まり会話などを楽しむところ〉

②地域住民の交流の場〈住民同士が企画・運営を行い、交流する場〉

 

その他、美容室や美術の展覧会や洋風の客間などがある。》

 

自分が書いたサロンというのは、①である。

 

自分に教養なんか全く相応しくはないが、テュルク友の会などは教養がある人ばかりなので①でもいける。

 

教養がある事自体、部活とは全然違う。

 

部活の方が「同志愛」は育まれやすいのかも知れない。

 

「善き上下関係」と「同志愛」「良きライバル」その他は、部活の華々しい側面。

 

でも自分は「部活」は嫌い。学校文化も嫌い。

 

 

20年ほど前、ホリエモンがホリエモンチャンネルという動画で、サロンをやると良い。などと言っていた。それの意味は①だった。

 

ホリエモンは趣味を実践的に行なっている仲間のみならず、趣味に関心のある人間同士が集まり、会話などを楽しむ場所を設ける事が大切だと言っていた。趣味に限らず、モノでも良い。テュルクに関することでも、SUM41でも天体観測でも鉱物でも超常現象でも何でも良い。

 

サロンに“所属”しなければならないという事はない。興味ある人は自由に交流出来る。

 

しかし、ホリエモンの提案した①のサロンは根付く事は無かった。

 

①のサロンの代わりに、ネット上での5ちゃんねる掲示板のようなものやSNSなどの、実体で会う事のない空間でそういうものが次々沸き起こった。

ネット上の趣味カテゴリーだとネット・カースト上層部の人たちだけが会話して、それ以外の人が発言し続けてもスルーされるという事象が絶えない。結局は内輪会議のようになる。

 

世間では②の地域密着型のサロンが主流である。チームワーク型の、村の井戸端のようなもの。

 

テュルクの文化を堪能する民をテュル活民と言う。

 

また、テュルクに関するものなら何でもとびつく困った人をテュル活民というらしい。

 

自分は、テュルクに関するものと直接関係なくてもとびつく。更に困った奴だとは思うがw

 

テュル活民である事には、テュルクに興味関心のある者なら何でも良いと表向きでは言うが、暗黙の条件というのがあって、それはテュルク系の言語を学習している事と、現地に足を踏み入れた事のある人。それ以外は話にならない。テュルク系のSUM41が好きだと言っても相手にされないのである。

 

何故ならSUM41はテュルク語で歌ってはいない。それにインタビューの受け答えも、英語でしかやっていない。SNSの発信も全て英語で行なっている為、テュルクとは見做されないのである。

パンクロックという、仕事でやってる事だからしょうがない。SUMが好きなら英語勉強しろと言われそうである。パンクロック好きな人は英語が喋れる人が多いが、自分はパンクロックが好きというわけではない。あまりよく知らないジャンルだ。

 

デリックよ。何故お前は英語でしか喋らないのだ。(フランス語だけで歌っている曲もある)

 

それには“英語至上主義”なるモノを感じる

 

 

テュル活民になりたければ、大学に入学して、テュルク系言語を専攻する学徒になるか、トルコ語などを学習する教室に入学するかしかない。

 

必ずしも何かに”所属“していなければならない。

 

自分は“所属”などに縛られていたくはない。

 

ホリエモンの言う①の文化サロンのような、自由で縛りのない“同志”が欲しいと思ったがその考えは甘いのだろうか。

 

“同志”という言葉の意味合いとしては「戦友」という色が強い。やはり、「部活」に舞い戻ってしまう。スポーツとか武の世界だ。それは、社会主義時代の軍国主義支配の影響による。

 

自分が甘かった。SUM41の古参は、本当に「戦友・同志」であると思う。自分はニワカなのでそれとは関係がない。古参にしか理解出来ない世界がある。順を追ってライブ映像を集め、古いライブ音源を集めてはいるが、古参の気持ちは理解出来ない。

 

自分が本当に欲しいのは同じ知識を持つ「知り合い」であった。

 

知り合いだったら無限に作りたい。友達のような同調圧や束縛がないから。知り合いには自分の意見を言える。友達のように、自分の意見を言ったら口をきいてくれなくなるような事はない。

「私達、お友達だよね」という煩わしい確認もされない。その代わり、自分の意見を言って、気に食わなくなれば、容赦なく関わりを断絶される。それで良い。その人とはそれまでなんだと割り切れる。

 

 

テュル活を本気でやろうと思うなら、

 

ウズベキスタンダンス、トルコ語教室、トルコ料理教室、カザフ刺繍。

 

ダンス、トルコ語教室、料理教室のなどは主に土日である。たまに平日もあるが、自分の休みの曜日とは被っていない。自分は平日休みである。

 

ゆるいテュル活なら、トルコ語独学か、カザフ刺繍を独学で縫うかクックパッドをみてトルコ料理を作るなどをする。

 

同志を求めるなら、きちんと部活のように”所属“して、みんなで一丸となって足並みを揃えて目標に向かって戦うこと。それしか道はない。同志というのは甘い環境では作れない。

 

長文のご精読ありがとうございます.

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既視感の正体についてのあれこれ考察

2024年12月08日 | 日記

実際にしないけど、「超旅ラジオ」にこんな内容の葉書を送ってみたいと考えた。

 

「自分はカナダ🇨🇦(北米)の市街地ではなく、都市近郊の郊外の景色を動画で初めて見た時に謎の“既視感”を覚えました。自分はカナダに一度も足を踏み入れたことはありません。

 

ひとつ原因があるとすれば、自分の住んでいる所が相模原市である事も関係すると思います。都市近郊は世界中どこもそんなに景色は変わらないのでしょうか?相模原が、米軍基地を中心に、北米風に土地が区画整理された可能性がある事。その上日本人市民が、近年流行りの北米風デザインの戸建てに建て替えた事で、景色の北米化が進んでしまった事なども関係すると考えています。

 

さとるさん、岡田さんも初めて足を踏み入れた地域、または無編集の散歩動画などを初めて見た時に謎の既視感を感じたご経験はお有りでしょうか?」

 

偶然目にした地域に既視感を覚える… もしこれが本物の旅だったらどんなに幸せか。

 

家から一歩も出ずに、YouTube で無編集の4K動画を観ているだけで、既視感という栄養を得られて、楽しかった。未知との遭遇であるが、既視感があったという何とも不思議で非日常な体験だった。

 

とある中央アジア関連のアカウントの人のツイートによると、「中央アジアをフィールドする人間にとって、平壌の街並みは既視感がある。」と言って、ウラジオストクから平壌の旅行動画を添付していた。このツイート(ポスト)がキッカケで、カナダ(北米)への謎の“既視感”についての記事を書こうと思った。ネタとして面白そうだったので。

 

という事は、相模原市在住の自分にとってカナダ(北米のもみじ)の郊外の街並みは既視感があるというリクツは間違いではないのかも知れない。米軍による北米化の影響でこうなってしまったのか?!

 

中央アジア諸国や北朝鮮も、社会主義の影響で共通の街並みなり、雰囲気が出来てしまった。

 

しかし、カナダと相模原のそこら辺を実際に比較すると全く似ていないという事に気づいた。相模原とカナダの郊外、強いて言えば、空の広さと建物の高さ、平地の広さとの関係だろう。

 

カナダと日本の相模原市の平地面積を比較するのも変である。カナダといっても全てではなく東部のケベック州の郊外の景色などは、これにはあまり、当てはまらない。いくら広い平地で、空が広かろうと、相模原のような雰囲気ではないのが異様に不思議である。ケベック州の鉄道4Kも偶然見た事があるが、相模原味が強くないのである。これに関して説明が上手く出来ない。

 

相模原味が強い傾向にある景色動画は、オンタリオ州、マニトバ州、アルバータ州が多い。市街地部には既視感を感じない。新興の宅地にもあまり既視感を感じられない。どちらかと言うと、古いタイプの宅地群やその周辺、カナダの広々とした景色には既視感が発生する。

 

名古屋近郊の住宅街とカナダ郊外だって似ていてもおかしくはないというリクツになるが、カナダから名古屋の住宅地を連想する事はできなかった。それも不思議である。

 

よく考えると、相模原市のそこら辺を見て、”ここらへんカナダみたい!“とはならない。もちろん自分はその国に足を踏み入れた事がなく全然知らないので、初めからそんな事を考えるわけがない。

 

カナダの4K見た時に、不思議な”既視感“体験が起こり、そこに“相模原”を充てがっているだけかも知れなかった。“既視感”があるという事は、それに対応する類似品と対にならなければ成立しない。行った事もない全く知らん国に“既視感”はあり得ない。因果関係が成立しなければならない。

 

ツイートの人も、北朝鮮に対する既視感の類似品は、行った事のある中央アジアだと言う。

 

先日、千葉へ行った。自分は昔千葉県にも住んでいた事もあるが、千葉の雰囲気が記憶の片隅に残っていて、それもカナダへの謎の”既視感“へと繋がっているのではないかと期待していたが、これのどこがカナダだ?というのが正直な感想。カナダの”対“を探す旅に出たわけではないが、そういう”旅“があっても良い。

 

 

千葉の左上(千葉市を含む)は東京よりのどかではあるが、相模原や厚木ほど田舎ではない。東京近郊多摩も半月程前、外大の文化祭のために行ったが、これも全く。

 

この日本にはカナダ(北米)ソックリな場所などどこにも無いのかも知れない。

 

 

 

以前カナダ既視感について考えた事を昔の記事で書いた。読み返すと随分オカルト(超常)的な事を書いていた。

 

よく聴くパーソナリティの声によって自分に「刷り込まれた」パーソナリティ氏の過去の記憶。

 

リングか….

 

リングより怖いで😱

 

東京FM ブルーオーシャンの中でパーソナリティはカナダ🇨🇦言い過ぎなので、“暗示”はあると思う。

 

自分の意思で行った場所にはカナダに似た場所など無い。

 

幼少時、親に連れて行ってもらった場所なら、ソックリな場所がある可能性がある。自分の幼少時ぐらい昔の日本の郊外など、どこも現代のカナダの平地の郊外や田舎と似たものだったのだろうか?

 

幼少時の事、はっきりとは覚えていないので何とも言えないが、幼少時に目にした物が記憶の底のデータに残っているのかも知れない。あるいは自分が実際に訪れたのではなく、自分がよく見た絵本の舞台がカナダの郊外だったり、親に連れられて、よく訪ねた家などに飾ってある絵画に、カナダの郊外などが描かれていたのかも知れない。いずれにせよ、脳内の記憶の視界分野にデータとして蓄積されている。

 

あるいは、幼少時でもカナダそのものを描いた物を目にしたことなどないのかも知れなかった。

 

 

 

AIの生成機能と同じような人間の脳の機能によるものではないか?とも考えられる。

 

AI(人工知能)は人間の脳の機能をモデルに作られている為、人間の脳にも画像生成AIと同じ機能があるのではないか?という事。

 

人間が生まれてから現在に至るまでに目にしたものを記憶し、脳が勝手に合成する。それが個人の“原風景”となる。人は無意識のうちにそれを持つ。その個体の“原風景”と近似値にあるものを目にした時、謎の”既視感“が生じたりする。

 

人間の脳はそれだけいい加減なものである。

 

自分の場合、それが偶然YouTubeの殆ど無編集の4K動画のカナダ郊外編を見た時それが生じた。

 

実際カナダに行った事もないのに“既視感”が生じるのである。脳は嘘をつく。まぁ、誰にも迷惑を掛けない嘘なので、“浪漫“を愉しむ。

 

これは”デジャヴー“体験にも同じ事が言えるのだろうか?デジャヴーは、視覚だけではなく”体験“を伴う。

 

ロシアの郊外の風景を見て、謎の”既視感“を覚える人もいるであろう?

 

自分もYouTubeの殆ど無編集の4K動画で、ロシア郊外編を見た事があるが、残念なことに、謎の”既視感“は生じなかった。とても寂しかった。正直な事を言うと、ロシアの構図を把握するのが難しかった。これも非常に説明が難しい。

 

ロシアにおいても、この“嘘”の愉しみを覚えてみたかった。

 

ロシアの音楽をよく聴いているのに、“既視感”には繋がらなかった。耳から目というのは繋がらない。耳で聞いて想像して目に繋げるというのは非常に難しい。だから「名曲アルバム」なる番組があるのかとも思う。言葉と文字は繋げられるが、音楽と風景は無理ゲー。

 

ロシアの風景に“謎の既視感”が生ずる人はどんなモノを幼少時から見て来たのだろう?

 

自分は、ロシアの音楽を聴くと「懐かしさ」を覚える。カナダの音楽にはあまり関心がない。ジャスティン・ビーバーぐらいしか思いつかない。

 

日本人の大半は、ロシアよりカナダに既視感を覚える人が多いのではなかろうか?

どういうリクツか知らんけど、所属するグループによる既視感の偏りなどがあるのかも知れない。

 

この件は、自分が日本人である以上はしょうがない事かも知れないなーと割り切ることにする。

 

 

人間の脳内にAIの画像生成機能と同じものがある。AIは人間の脳を超えることは出来ないような気すらする。人間の脳はいい加減だが、生成AIはそれ以下のスペックで更にいい加減である。

 

真面目に研究する人に非常に失礼な記事を書いてしまいました。これはあくまでも科学的な裏付けのあるプロの意見ではなく、憶測で勝手な事を言ってるだけなので、鵜呑みにしないように願います。

 

前世北米インディアンだったとかその系の自分でも分からない、辿れない過去世関係のオカルト要素を排除し、現実的な原因を考えてみた。

 

 

長文のご精読ありがとうございます😊

 

 

ひとつ考えられる、ロシアとカナダの違いは、ロシアの映像はトラックドライバー目線の高さである事。それに対してカナダの映像は乗用車目線である事。

 

カナダの郊外↓

《Sunday Drive & Music/Driving Manitoba-Altona, MB》

 

 

ロシアの郊外↓

《МИШАНЯ DRIVER 152/ПО ХАБАРОВСКУ НА ФУРЕ. НЕОБЫЧНЫЙ ГРУЗ》

 

 

ウラジオストク→平壌↓

《PoletMe Aviation Videos/高麗航空 Il-62 | ウラジオストクから平壌へのフライト | 平壌を歩く》

 

この事柄について自身のブログをかいつまんだ文章

 

単なる思い込みに過ぎないと思うが、ひとつ確証がありそうな理由として、考えられるのは東京FMブルーオーシャンのパーソナリティー、住吉美紀さんによる「刷り込み」の可能性がある。

10年近く彼女の声を聞いていると、刷り込まれている部分もあると思う。自分は他人の見聞きしたことを自分の記憶として、取り込んでしまっていたという事が時々ある。

私は感受性が非常に強く、人の影響を受けやすい為、そうなってしまうのかも知れない。住吉美紀さんはバンクーバー。私は内陸カナダを勘違い?!住吉美紀さんは、かの地にいる時内陸カナダのあの雰囲気を感じた事があるのかも知れません。それがラジオを通して刷り込まれてしまった?!私はカナダには行った事がない。それなのに既視感的なものがあるのはどう考えても理解が出来ない。考えあぐねた結果、一番あり得るのが「刷り込み」

こういう、どう考えても原因が解らない事柄の本当の原因は、人や周りにある。私はそう信じている。人からの影響だったり、モノからの影響だったり、外部から攻撃して来るもの。自分には何も問題はない。だから取り敢えず、住吉さんのせいにでもしてこの件が片付けば円く収まると思っている。それ以上は深掘りしないつもりでいました。

《斑爾里ちゃんねる-大いなる勘違い- 抜粋》

 

トロントという大都市と郊外を繋ぐMetro LINXのGO Transitの4K動画を見た限りでは、湖岸東線の終点Oshawa(もみじオンタリオ州・トロント郊外)あたりまで行くと非常に相模原らしいと感じる。この沿線の景色は、外国のものとは思えない。トロント中心部に近づくにつれて、ここは日本ではないんだなーと感じるが、郊外、さらに田舎へ行くにつれて相模線の一角などのような雰囲気になり親近感が湧く。しかし社会構造や様々なシステムや慣習は全く異なる。YouTube 切り取りマジックに掛かってるのかも知れない。実際に行ってみると、親近感も既視感も懐かしさも全く無いのだろう。しかし飛行機で13時間もかかる地球の裏側なのに車窓が似ているというのは不思議である。日本に洋風な戸建てが増えたことにより、トロント近郊の車窓に近づいてしまったことも考えられる。大都市近郊というものは、世界中どこもそんなに景色変わらないのだろうか?ひとつ考えられるのは、相模原が、米軍基地を中心に、北米風に土地が区画整理された事。アメリカン・スタンダードに基づく国土改編。米国が侵食して来ている。その上日本人市民が、近年流行りの北米人が住むデザインの戸建てに建て替えた事で、より北米化してしまった。もみじの郊外よりアメリカの郊外の方がもっと相模原に似ているのかも知れない。

《斑爾里ちゃんねる-姉妹都市・友好都市- 抜粋》

 

 

 

 

 

 

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