斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

中央アジア北部の風を感じるもの

2021年10月22日 | 中央アジアその他

中央アジアに興味を持ったのはニワカです。

何で中央アジア?と疑問に思うかもしれません。

コロナ禍がきっかけで執着という価値観から、ノマド的な柔軟な生き方に世の中の価値観が変化して、それに対応すべきだと思い知らされて、遊牧民に興味を持ち始めた。ってのは大きな理由です。

 

それとは別にもうひとつ。インスタ。

今年の4月ぐらいに、インスタの検索のページでマヌルネコの写真に出会った事。

あまりに美猫だったので、つい開いてしまった。

マヌルネコの撮られた場所はカルガリー

垢の名前はここから来ている。

マヌルネコの写真とカルガリーという地名がしっくり来過ぎて、マヌルネコのいるべき本来の場所だと、ネコ自身が訴えかけているようだった。

 

その撮影者はカルガリー動物園という所で雪彪や色んな動物、カルガリーの街、その近郊、冬景色などをupしている。

冬景色は素晴らしくて、見入ってしまう。フォローしたら、他の関連のアカウントが現れてそれもフォロー。

 

カルガリーは雄大な山脈からそんなに遠くはない。広大なステップ地帯のど真ん中に作られた近代都市。

そして寒冷地である。雪山とタイガ樹林とステップと湖沼が好きなので、このあたりの写真は一日中見ていられた。

カルガリーは大都市だがその近郊や同じ州の別の所は田舎だった。

郊外と田舎の空間利用の仕方というか、人工的な部分真っ直ぐな道や、宅地と穀倉地帯の位置関係、周辺に置いてある建物、区画etc…

自分の心の原風景って言っていいのかわからんけど、似たところが実在していると思った。

 

カルガリーって何処だろう?と思ってググろうとしたが、ググッて知ってしまうと深入りしてしまう。原風景とも思える力強い所なので深入りして下手したら一生それに振り回されてしまうのではないか?という怖さもあった。

 

でも気になる。ググらずに、自分で推理して大まかな位置や国を特定しようと思って、勝手に場所当てゲームを始めた。

でも大体見当はうすうすついていた。

カルガリーという地名から、これはテュルク系言語の地名ではないか??

それにマヌルネコ。

 

色々憶測などを重ねて重ねて、アバウトに国と場所を特定。山脈はアルタイ山脈。ステップはカザフステップ。緯度はおおよそ北緯50度前後。

オーロラが出る事もある。何の天変地異か?近年はユーラシア大陸の北緯50ぐらいでもオーロラが見られることが多くなったとか。

 

カルガリーは、カザフスタンの北東部にある経済特区である!断定出来ないけど。

もうひとつのシルクロード草原の道“”ステップロード“”アイアンロードとも言う道とばっちりかぶる!

 

とは言っても未だに「カルガリー」という名前ド直球で検索をしていない。

アルタイ山脈が見えるステップは古くは、突厥の故郷といわれている。カルガリーは紛れもなく「突厥の故郷」だと思う。

カルガリーを起点にインスタや、Youtubeで貨物動画や4Kなどを色々見ていくうちにこの国の色々な地名を覚えた。カルガリーと○○は同じ国だと確信出来る所が増える。そのうちにアルマトゥイまで辿り着いてしまう。

*突厥(とっけつ):トルコ系遊牧民

カザフスタンという所はカルガリー郊外に限らず、郊外や地方の人工的な部分は全土的にどこも似たようなものであった。この国の中身や社会がどんなものか全然知らんし、行った事ないし、住んだ事ないし、国民気質は多分私とは全然違うと思うが、ダウンタウンを除いた郊外など、私の心の原風景が実在しているように見えた。

そんなんで、カザフスタンに思い入れが出来た。

 

それともうひとつ、カザフとは関係なく日本のそこらへんでもなんとなく中央アジア北部の風を感じる、ピンとくるとこがある。

例えば相模線沿線の穀倉地帯。相模原市新磯野の一画。同市の麻溝台のある通り沿いなどは、ふとここ中央アジア(大陸の内陸)っぽいとよぎる時がある。木造で形が特殊なアパートがあるが、これも、中央アジアか内陸の人間が建てそうな様式。

とよぎる事があったし

それらは、私が遊牧世界やカルガリー・カザフスタンと出会う前

から存在していた直感的なものだった。

 

潜在意識に中央アジア北部というものが存在してるのか。

私にそんな一面があるとは認めたくはなかった。蒙古斑(仮)をモンゴル人だと認めたくないのと似ていた。

 

中央アジアや大陸なんて、私のキャラにない。

だって私は生粋の日本人、日本生まれ日本育ち。性格もノーが言えない、物事をはっきりと言えない、怒れない、おっとりしてる、おとなしくてきまじめなおんなのこ。大陸とは異質なもの… まず。住んだことないし。

もう一つ中央アジア北部の風を非常に強く感じるものがある。

Age FactoryRIVERって曲

これは曲調がどことなくせつない上に、歌い手の声といい、寒風吹荒ぶ夜の草原のようである。

この曲もビビっときた。

どうやら私は夜の草原を感じるものにビビっと来るようだった。これのPVは穀倉地帯とも草原とも夜とも無関係な、大都会の東京湾付近。

これは相模線沿線で聞くと幸せな気分になる。

中央アジア北部草原のど真ん中にいるような、せつない感覚の絶頂。

最後の「孤独であれ….」のしめは、孤独なディアスポラだが、実はお前は独りではない遥かムコウに家族・兄弟・幼馴染がいる。というふうにきこえる。

 

これのどこが中央アジア北部なんだか、全く繋がりがわからんが、大陸の風を強く感じる。

Age Factoryは北部トルキスタンの草原でインスピレーション受けたんか?と思う。こんな曲どうやって何を考えて作ったんだろうと思う。

この曲全てが遊牧世界の無常を言ってるようにしか聞こえん。

 

原風景に似た世界が実在しているとなると、日本ではないのだとしたら、アジアであるべき!!

広大な世界なのでユーラシア大陸であるべき!!

なぜならば私は東洋人であるから。

絶対に大陸である事は譲れない。死守すべきだと思った。

 

という事でパカパカ〜

 

 

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ペリメニのレシピ

2021年10月07日 | グルメ

超久しぶりにレシピのブログを上げます。中央アジア・ロシア料理を作る機会を作るのが難しかったので、期間が空いてしまいました。

ペリメニのレシピです。ペリメニはロシア、シベリアの郷土料理でモンゴルのブリヤート人から伝わったそうです。

生地の皮で帽子形に具を包むのが特徴です。今回はペリメニのスープです!

★ペリメニのスープ

材料

小麦粉(薄力粉)200g (強力粉)50g

塩 適量(ひとつまみ)

玉子 1個

水 80g

*水の量は目安です。少なければ足して、多ければ薄力粉を足してください

 

具の材料

合挽肉(牛豚)250g

玉ねぎ 半球

塩 適量(ひとつまみ)

黒胡椒 約1g

 

スープ(一度目に作ったスープ)

味付け

水 適量

塩 小匙1杯

胡椒 約1g

固形チキンブイヨンスープの素 2個

スナップエンドウ 3個

玉ねぎ 半球

ディルウィード 適量

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

スープ(二度目に作ったスープ)

*味付けは一度目に作ったスープと同じ

韮 適量

ネギの青い部分 適量

大葉 適量

*大葉はミントと味が近い(勝手に思い込んでいる)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

作り方

1生地を作る。小麦粉250gに対して水約80g 塩適量、玉子1個を入れ、均等な固さになるまで混ぜる

2捏ねた生地を丸くまとめボウルに入れラップなどで覆い、室温で30分休ませる

3具を作る。玉ねぎをすりおろす。ボウルに合挽肉、玉ねぎ、塩、胡椒を入れよく混ぜて、冷やす

4ペリメニの形を整える。台に打ち粉をして生地を棒状にして、金太郎飴状に切る。めん棒で円形に2mm程度に薄く伸ばす

5具を生地の中央にのせて包む

餃子の皮を包む要領で半円形に折り畳み、両端を、どちらかを上にしてくっつける。

*写真のペリメニは、市販の餃子の皮で包みました

6ペリメニを茹でる。水の中に固形チキンブイヨン2個と塩・胡椒を入れ、沸騰させる。ペリメニを加えペリメニが浮き上がってから約5分茹でる。

7具の野菜等を茹でる。最後に香草類を入れ、器によそる。


市販の餃子の皮だと帽子形の原型をとどめていない.....

次は小麦粉を捏ねて作らないといけないね。

その日の夕飯。ペリメニというよりはワンタン。

しーまんさんとこ、シルクロードベーカリーシェルさんから通販で購入したウズベキスタンのノンをスープにつけて食べました。

それとポテトサラダ。麦茶です。


後日、小麦粉を捏ねて作ったペリメニのスープ(二度目に作ったスープ)

帽子形はとどめていますが、逆に生地がモチモチし過ぎてすいとんといった感じになる。

ほど良いペリメニのスープはまだまだ修行が必要。この闘いはいつまでも続く。


ブログ書いてる時に地震起きてヤバかったです。長かったし、早く終わって欲しかった。震源地が千葉県西部だと、スマホの緊急地震速報が鳴ると勝手に思い込んでいます。その他の震源だと鈍いような気がします。精度を上げて欲しいと思います。

都心部でこれだけ大きい地震は久しぶりです。この時間帯仕事をしている方は無理に帰らなくてもいいかなと思います。場合によってはまた強い揺れが来ることがあります。

次回から、揺れの時間を数えるようにしたいと思います。時間で地震の被害状況を冷静に考えられるので、その後の対処を考えるもとになると思います。

という事でこの後もどうか警戒を続けてください。

パカパカー

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ヒップホップモンゴリア買っちゃった

2021年10月01日 | 日記
 
自分にはモンゴルのヒップホップにハマる要素が元々あるのではないか?
と思える。
ポチった知られざるモンゴルのリアル。青空と草原の遊牧民の国-それは理想化されたモンゴル像にすぎない
ヒップホップと口承伝統・伝統宗教との接点etc…
 
ヒップホップの生まれた背景が詳細に書かれている。
この本をポチったキッカケが
私には、好きなモンゴル人パンクグループの、蒙古斑(仮)というのがいる🐎🐫
《蒙古斑(仮)》にはアンチが多いので実名を伏せる。》
蒙古斑(仮)が生きる世界の環境的な背景と、その歌詞を照らし合わせた解釈を愉しみたい。
蒙古斑(仮)と出くわしたのが2015年夏。
「下層民の英雄」という曲が東京FMで偶然流れて、ビビッと来た速攻ポチった。
全て英語歌詞のロック曲でアメリカ人はこんな曲作らんだろ!みたいな美しい曲です。蒙古斑(仮)についてググッたら彼らの出自が何故かモンゴル🇲🇳エルデネト。えっ?!ガイジンさんが作った曲じゃないんだ。なんかガックリ。
そりゃアメリカ人はこんな曲よう作らん
当時の自分はモンゴルが嫌いだった。お相撲さんと一重瞼と蒙古斑(赤ちゃんがお尻が青い方)の国。凄く東洋的で演歌みたいな曲ばっかのダサいイメージだった。
曲はいいけど顔は見んとこ。。。
歌い手が白鵬そっくりだったら落胆するのは目にみえていた。国をディスる理由としては至らなかったが、モンゴルを心の中に封印していた。というか忌避していた。出来るだけこの真実から目を背けたかった。
蒙古斑(仮)に深入りせず時が過ぎた。
 
そしてコロナ禍へ…
仕事に向き合う正しい姿勢を教えて頂いた職場をコロナ禍を理由に辞めざるを得なくなり、去るはめになる。コロナ落ち着いたら同じとこに再就職出来るかどうか毎日が心配で、復職に対する執着心に次ぐ執着心に苛まれていた。
辞めたのが2020年5月。それから数ヶ月にわたり苦手な断捨離をダラダラとする。自分はモノを捨てるのが嫌い。モノに執着する。
 
頼る情報がラジオかテレビしか無かった。これから先がどうなるのか誰も解らない不安な時期で、コロナ後の世界は江戸時代から明治時代ぐらいに変わると言われ、時代に合わせて変わらないとこの先生きていけないと誰もが言った。自分はそれでも執心を貫き変わってたまるかと抗っていたが、部屋が片付き落ち着いてきた頃に、ノマドという価値観が尊重され始める。ノマドとは遊牧民などの非定住者を指す。
 
その頃から遊牧民というものに徐々に興味を持ち、モンゴルというモノに興味が湧き、ノマドの価値観に自分の執着心をなんとかして欲しかった。価値観を変えたかった。すがるような想いだった。これからは本当に柔軟な生き方しかダメだと世界が確実なモノになってきた。
 
あれ?モンゴルといえば蒙古斑(仮)やん!
5年以上経過すればモンゴルを忌避して目を隠してた頃の想いはだいぶ薄れていた。
蒙古斑(仮)のノー・リーズンをポチる。これも全歌詞英語だ。蒙古斑(仮)英語は遜色ないようだが米語発音と比較すると強いクセがある。モンゴル人特有の訛りだ!聞けばきくほど中毒性のある訛りです。
 
ノーリーズンのサビの旋律は、ボロディンの「中央アジアの草原にて」のひとつのパート部分に似ている。ボロディンは中央アジアの持つ2つの要素を旋律にしたという。シルクロードとステップロード。蒙古斑(仮)のノーリーズンはステップロードを連想させられる方の旋律に似ていて、馬で駆けているようだ。
 
ノー・リーズンの内容はざっくり言えば、嘘をつくのは辞める。俺たちは変われるという。
私に当て嵌めると、自分の目からモンゴルというものを隠すのはやめて直視すること。価値観は変われる。
モンゴルが目に入ってても、これは違うと自分に嘘をつき封印していた。酷い嫌いようだ。その封印を解いたら本当に人生が変わったようだ。
 
蒙古斑(仮)の歌い手は本当に白鵬に似ている!白鵬がまだ若く痩せていた頃の顔になんとなく似ている。
 
森の中で縄張りを死守する生き方から開かれた草原へ、独立不羅の精神を持つ生き方への憧れを持つようになる。
 
遊牧民への憧れから、自分を少しずつノマドへと移行していく為に生活を中央アジアやモンゴル化しようと思った。その結果食事→中央アジアやモンゴル料理に挑戦してみようと思い、始めた。そして今に至る。
 
しばらくして、ラジオのネタで、初めて買った洋楽レコードの話があった。
私が初めて購入した洋楽は、ヒップホップのミュージシャン、スノーの初めてのアルバム。高校の時だった。その頃のスノーの曲はカッコよく、ヒップホップを聴いてるだけで自分イケてる気がしていた。そんな昔の事を思い出した。当時もの凄い中毒性があった。現在の蒙古斑(仮)以上に。
 
ヒップホップモンゴリアという本を知っているし、あれはモンゴルのヒップホップ。
蒙古斑(仮)とスノーとでは、モンゴルとヒップホップ。中毒性のあるモノ同士つきあわせるとモンゴルとヒップホップになった!
私にはモンゴルのヒップホップにハマる要素が元々あるのではないかと…
 
私は元来、匈奴や突厥に心酔する傾向があるのか?
自覚なしに匈奴・突厥に心が牛耳られていた。
 
時々ふとした時に中央アジアの風を感じる時があるが、それはまた後日
 
長々とご精読ありがとうございます
パカパカー
 
 
 
 
 
 
 
 
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