斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

コロナ禍の後遺症

2023年06月28日 | ザ・日本人の気持ち

コロナの後遺症ではなく、コロナ「禍」の後遺症のネタです。コロナが5類に引き上げられ1ヶ月半以上が経ちました。ラジオのネタでもコロナ禍から変わらないもの、変わったものについて話していて、マスクを着用するしない問題、オフィスでアクリル板が付箋貼る場所などに実用化されて今更、撤廃出来ないなど。

マスクについて言えば自分は外さない派。これから第九波、第十波、第十一波が来る懸念と、マスクを外した顔晒すのが非常に恥ずかしいため。

 

自分がコロナ禍が治まりつつあるにも関わらず、コロナ前には戻れないもの。それはソーシャルディスタンス。

 

コロナ禍のソーシャルディスタンスのせいで、自分のパーソナルスペースが広くなり、コロナ前のスペースには未だ戻れない。駅とか社会全体が自分と同じように互いに物理的な距離を取り、互いのパーソナルスペースを尊重し合うようになればこんな悩みは全くなく、寧ろその方が良い。

 

市井の人間はコロナ前のパーソナルスペースに完全に戻ったのだった。戻るのは早いように感じた。

 

コロナ禍中に就職が決まった。駅や道など徐々に活気が戻ってくるにつれて、ここってこんな狭かったっけ?と変な違和感を覚える事がある。

コロナ前はどうだったのかよく思い出せない。

人混みでも割と気にせず歩いていた様な気もするし、満員電車にも乗れていた。

 

今コロナ前のパーソナルスペースに戻れないのは、感染が怖くて人に近付いて欲しくないのではなく、人、殊更他人に身体的に近づいて来られるのが非常に不快なのである。

 

自分から人に近づくのも困難で、1人しか通れない道に他人がいる所を無理やり通る事が以前よりずっと困難になった。

 

他人も自分と同じことを思っているのかと思い、接近したら相手も不快だと思い込んでしまう。

 

そうして狭い中で、ソーシャルディスタンスを維持しようとするのである。意識的にではなく、本能的に。

 

ソーシャルディスタンスの距離が心地よくなってしまい、そこから脱皮出来ない。

 

道や駅のホームなどが狭くなったような気がしたり、レジで並ぶ時、前の人と距離を置いて並ぶが後ろの人がやたら自分に近づいて真後ろに並ばれる。自分前に行くと、やたらと詰めて来られる。

 

バスで隣と距離を置いた場所に立つが、乗って来た人に詰めろと言われたり、広い場所であるにもかかわらず、ど突かれるかと思う程自分スレスレの所をもの凄い速足で追い抜かれたり、ガードレール内の細い道を歩いてたら自転車侵入して来て、自分スレスレの所を猛スピードで追い抜かれたりと、とにかく人の通行、車内などに関する事で不快になることがやたら増えた。

 

他人に不用意に接近されたり、こすられたりする事にもの凄い恐怖を覚える。

 

市井の人間からそんな悩みは聞いたことがない。

だからラジオにそんな悩みを投稿したら、非常に変わった人かと思われるのではないか。

市井でこんな事を言う人はいないのではじめから取り上げられない。

 

市井の人々の本音を聞きたい。そのように感じる人は多いのでしょうか?

 

もうひとつ思うのは、コロナ前に比べて人の挙動がガサツになり、無駄に焦っているようにも見えるし極端に追い込まれているかのような神経質な動きをする人が増えた気がする。

コロナ後、実際に社会全体が荒んで悪くなっているの事もあってこうなってしまったのではないかとも思える。

 

以前は人の挙動がもっと大ざっぱで、そんなに鼻につかなかった気がする。

 

以前に比べ道行く人々は他人のパーソナルスペースを配慮しなくなった気がする。きっとそこまでの心のゆとりが無い為だろう。歩きスマホをしていない正気な人間でも、配慮がない。

 

会社に大勢いる、私と唯一の海外との繋がりである実習生は他人のパーソナルスペースを配慮するという概念がない。会社が狭いからどうしようもない事だが、それにしても人にぶつからないように曲がる角では徐行するとか何も考えずにヘラヘラ走っている。心のゆとりの有無以前だ。

 

コロナ禍後のこういった後遺症について、メンタルクリニックやカウンセラーに行ってる人は多そうに思える。ラジオやマスコミや周囲の人からは、パーソナルスペースの悩みについて聞いた事がないが、実際には多いのではないかと。

 

昨年から考えているが、この原因はコロナ禍のソーシャルディスタンスに起因するのではないか?と答えらしいものは出た。

 

パーソナルスペースは、男女で生まれつきの違いはあるがそれ以外は環境次第で変わるらしい。

自分の場合、パーソナルスペースをもっと狭くして心理的苦痛を軽減したい。

 

自分でも駅などで人との物理的距離を縮めるように努力をしているが、気づくと距離を取っている。

 

これは誰に相談すれば良いのか?

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旅についてのお悩み

2023年06月24日 | 旅行

自分が旅先に選びたい、好きな国や興味のある国や地域は、中国内陸部・モンゴル・中央アジア・ロシア・東欧を含む旧東側諸国に偏っている。

偏りといっても広範囲なので偏りというほどではない。

 

しかしそれらの地域は一般的に、西側(西欧、北米)やアジア(中国沿岸・台湾・韓国・東南アジア)、太平洋地域(豪・ニュージーランド含む)を旅行し飽きた層が行きたい地域だと言われている。

 

自分の行きたい地域は、初心者には難しいと言われる地域だ。友人にそれらの地域に一緒に旅行しようと誘っても、行きたくはないと言われた。行くとすれば一人で行く他はない。

 

自分は海外旅行というもの自体をした事がない。そういう機会がなかった。一人海外行った事がないので、一人海外旅行初心者でユーラシア大陸内部は危険なのか?

 

モンゴルやユーラシア内陸のパックツアー、あるにはあるが、自分には到底手が出ない金額である。個人旅行をした方が非常に安い。

 

西側やアジア一人旅で慣れてから、ユーラシア内陸部を一人旅した方が良いのか?

 

 

自分がトゥバ共和国を調べて以来出会った「旅のラジオ」を聞く層がすげー奴ばっかだ。インドのヒップホップ聞いてる奴とか興味関心ある国がインドとか中東とかアフリカとか旧東側の奴ばっか。そして実際に高難易度地域を旅行する。

 

旅ラジは私の興味関心のありそうな国・地域を取り上げてくれる素晴らしいラジオだ。

民間のラジオが滅多に取り上げない広大な穴場を開拓するのでめちゃめちゃ面白い。

 

自分が海外に目覚めたのはコロナ以降。それ以前は日本の外という世界の存在を意識する事は皆無だった。それは生まれ育った家庭の影響もある。

 

自分は海外には全く関心がなく、海外に縁もゆかりもない家庭環境で育った。そのせいか、社会に出て上司から言われたことは「古式ゆかしい」

 

上司の観察眼によると、思考・行動が先進的なコは、海外と縁もゆかりもある家庭環境下で育ったコだと。

上司自身によると先進的なコに対し、どう接すれば良いのか解らず、厳しい言葉を吐いてしまうんだとか。自分はその上司からそんなにむやみやたら厳しい言葉をいわれた事はなかった。

 

家族と見る映画は日本映画ばかりだった。音楽などはあまり聞かない家だったが、買うレコードは邦楽ばかりだ。

食に於いては洋食的なもの(四つ脚動物の肉)もたまに食べる。でも火の通った魚介以外の和食が多い。四つ脚動物の肉は、あまり好んでは食べない。嫌いというわけではないが、母の育った家庭では四つ脚動物の肉と魚介類と生野菜は、食卓に並ぶ事は無かったという。その影響でそうなった。

 

特に外国が嫌いというわけではないが、関心が全くないのである。日本が全世界、更にいえば「世間」が全世界、全宇宙だと考えるしかないという感じだった。

 

両親はこの2-3年、中・韓ドラマを観るようになり、母は友人の誘いでフラダンスを始めた。そのせいか、中韓とハワイがこの世に存在するという認識が出来るようになった。

 

「世間」にそれらの外国が入って来ない限り、解らないのである。ある意味、非常に正しい生き方、在り方である。

 

まだモンゴルやロシアが世界に存在するという事を知らない。

 

自分も実際に行って見たワケではないので、そんな世界が実在するかどうか分かっていないのである。

 

自分がユーラシア内陸を旅する場合、宿から100km単位の活動圏で行動してしまう可能性があるので、それに賛同出来る女友達がいるとは到底思えないのである。

 

女子旅というと、友達と行く場合、相手は心を開く親友で行き先はアジアなどの日本から近い所、宿からの行動範囲が狭く、観光名所と美味しい食べ物、ショッピングなどである。主にする事はお喋り。

相手と喋るネタが解らない。雑学知識はふんだんにあるが、それで相手が喜ぶとも限らない。私は一体どうしたらいいんだ。となる。相手が一方的に喋る女性なら、ひたすら聞き役に徹すればいいので楽。

 

中央アジアの交通機関乗り継いで遠出したいという女はいなかったのである。一緒に行く相手が私だから拒んだというのもある。相手が面白い奴ならいいが、私なんかでは到底面白くもなんともない。まぁしょうがない。

女子は人間的に面白い奴でも、一緒にいてつまらない人間とは一緒に旅をしたいとは思わない。

 

まず、自分から女子に声をかける事自体とても覚悟がいる。挨拶ですら。

相手が不機嫌な場合、挨拶や返事が返って来ない場合が多々ある為、自分からはまず声を掛けれない。

 

中央アジア旅行の件は、相当な覚悟をして誘ってみたが、無下に断られた。その友人は同じ職場の別の友人とカナダやアラスカなど無茶苦茶遠出して、私に聞こえるように「行ってきて楽しかった話」そこらへんの人に喋っていた。その友人からお土産も貰った。彼女は何とも思っていない。

自分も粘着するのはおかしいので、笑顔でお土産にありがとうと言って、その事には触れなかった。それにしても何かモヤる。

 

自分が真面目過ぎるのか?尋常な人間はそんなもんなのか?と思った。

 

海外に関心がほとんどない家族には、海外旅行に一緒に行こう、ましてや中央ユーラシアなんて言えない。

 

自分が昔、母から聞いた話。母の友人の息子がオーストラリアに留学した。彼は高校を主席で卒業した大変優秀な頭脳であった。彼は、日本にはない多様な人間環境に身を置くという人生経験がしたかったという。

母は当然、オーストラリアなどに全く興味がない。それでこう言った。

 

「人間なんてどこの国でも同じだよ。日本にも変な人間とか優秀な人間とか色んな性格の人間がいるから、何も外国に行ってそれを学ぶ必要はないんじゃない?

むしろ日本で色々な人と関わりを持って、嫌な奴とも積極的に関わる。その方がよほど勉強になる。何も金出してまで留学する事はない。」

 

と言った。自分の家は中の上くらいの経済状況で決して貧困ではなかったから経済的に海外旅行に行かれないという事はなかった。ただ考えが保守的というか、まだ江戸時代ぐらいの感覚な所があって、留学とか海外旅行とか言うと「幕末の志士の欧羅巴視察団」の感覚で捉えていたのだろうと思う。

 

母の友人のご子息は、留学の後大学に進みその後一流の商社に入った。

 

私の両親は英語の点数が1桁でも全く怒らなかった。

「英語は使う機会がないからね」とよく言われた。

その代わり、国語や数学の点数が悪いと激怒された。

 

家族、友人に限らず周囲に私の好きな国や興味のある地域を理解されない。

 

もう知らんと言った感じだ。

 

そもそも自分の生きる世界(枠の中)には海外という存在が無い。海外と全く何の繋がりのない惑星である。

 

貴女にとって海外に渡航するという事は筋道ではない。理論上あり得ない。

そういう宿命だと言われているような気さえする。

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トゥバ共和国 クズル

2023年06月15日 | 中央アジアその他

一生に一度は行ってみたい海外の旅先。

それはトゥバ共和国!!!

 

トゥバ音楽ばかりをよく聞く。なぜトゥバ音楽を過剰に聞くのか。それは、自分の癖(ヘキ)や偏りに刺さる旋律と、トゥバ独特の和音、フーメイなど、言葉で表せない耳の気持ちよさがある。

 

先日解散宣言を発表した「自称カナダ出身のパンクバンド」の歌い手と、ベース担当は*トゥバ族であると強く感じている。

 

トゥバ : 韓国のTXT(TOMORROW X TOGETHER)ではなく、ロシアの構成国の一つの主流民族。トルコ系民族のひとつ。

 

底辺の英雄という曲は、歌詞も旋律もトゥバ色が濃厚だ。ビビッと来るのは当然!

 

底辺の英雄が入っている底辺の英雄というアルバムは、カナダ人のサウンドが入っていない。更に言えば1人のカナダ人の要望に応える必要が無くなり、転調して、肩の荷が降りた作品になっている。

 

この時期はメタルギター担当のカナダ人がバンドから抜けていた時期である。

 

底辺の英雄の頃のバンドメンバーは、全員トゥバ人だった。よってこのアルバムは、水入らずのトゥバンロックという非常に尊い存在である。

 

このアルバムの歩く災害という曲が美しくも切ない曲である。これは歌い手の自身の家出経験に基づくものと思われる。

 

トゥバンロックは決してトゥバ民謡のカバーなどではなく、オリジナルの曲である。

 

洋楽の旋律とは全く違う。西洋人にはこんな発想が出来ないだろうと思う。モンゴルのハルハ人にもこんな発想出来ないだろうと思う。ふとしたところにトゥバ式フーメイ(喉歌)音階が練り込まれている。

フーメイ自体はしないが、フーメイを彷彿とさせられる。声もダミ声である。

 

民族楽器ではなく、ロックに使われる楽器でトゥバ音楽を演奏するとこうなるのか。

 

歌い手のかつてのアズレな妻も、このトゥバ男の影響を受けているのかと思われるトゥバ的な旋律をサンプリングしたような曲を作っている。しかしその妻とは4年で破局している。

 

かなだに干渉されないトゥバ人とは、こんなにも美しい音色(おんしょく)を作る人達なのだと心底思い知らされた。

 

「自称カナダ出身のパンクバンド」は、実際にはモンゴルのエルデネト出身。彼らの人格形成に強く影響したエルデネトにも行ってみたいが、彼らのルーツであるトゥバへ行ってみたい。

トゥバ共和国へ。

 

自分で書いたの文章読み返してみて、トゥバ人の運命って…..いつもこうなんだなぁ。て

支配するやつがロシアであろうと清であろうとモンゴルであろうとカナダであろうと、必ずいつも彼らには支配者が君臨する。そして奴らに人生が振り回される。

しかし、とても素晴らしいものを持っている。

 

🐂🐂🐂🐂🐂🐂🐂🐂🐂🐂🐂🐂🐂🐂🐂🐂🐂🐂🐂🐂🐂🐂🐂🐂

トゥバ共和国とは、ロシア連邦を構成する共和国の一つ。首都はクズル。公用語は*トゥバ語、ロシア語。

シベリア連邦管区、東シベリア経済地区。時間帯、クラスノヤルスク時間。アジアの中央に位置する。

 

トゥバ語 : ウラル・アルタイ語族-アルタイ諸語-*テュルク諸語-シベリア・テュルク語群-トゥバ語

 

ハカス語、アルタイ語、ショル語とともに、シベリア・テュルク語群に属する言語。ロシア・トゥバ共和国を中心にロシア・ブリヤート共和国、モンゴル国、中国・新疆ウイグル自治区などに住むトゥバ人の間で約30万人によって話されている。

 

テュルク諸語 : または突厥諸語(とっけつ)。トルコ系民族の言語。

 

この地域は、清代のタンヌ・ウリャンハイ。漢字表記:唐努烏梁海に相当する地域で、元滅亡後はオイラトのジュンガル・ホンタイジ国とホトゴイドのハルハのアルタン・ハン国に支配され、清国にも支配される複雑な歴史を送ってきた。

 

1839年になるとロシア帝国がこの地域に入植を開始しサヤン山脈に2つの金鉱山を開いた。それでも1911年の辛亥革命まで名目上は清の領土であったが、ロシア帝国のトゥバ人の分離主義運動を扇動しトゥバを形式的に独立させた。1914年ロシアの保護領とした。

 

1917年のロシア革命に伴う混乱はトゥバを再び独立させた。1921年にロシア共産党によって一般的にはタンヌ・トゥバと呼ばれているトゥバ人民共和国が建国された。

 

トゥバ人民共和国は、1944年にソ連に自治州として編入され、196110月には自治共和国に昇格した。

 

短い期間だけ、独立していた。

 

2022年ロシアのウクライナ侵攻が始まるとトゥバ共和国出身の兵士がウクライナに向かい、多くの負傷者、戦死者を出した。

 

中華民国は、現在でもトゥバが自治領であると主張しており、最近まで発行されていた官製の「中華民国全図」には、自国領として中華人民共和国の統治区域・モンゴル国などに加えトゥバが含まれていた。当時の地図では「唐努烏梁海」という表記であった。

<ウィキペディアより引用>

 

トゥバ共和国の情報だけ見ると、どんなところなのか全く解らない。インスタなどでトゥバ共和国の写真を見ると、風光明媚で素晴らしい。プーチン大統領のお気に入りの観光地という。

さぞかし素晴らしく、このような土地では美しい音楽が生まれるだろうと思われる。

 

しかし、ロシア人のインスタ文章などを見るとトゥバ共和国は牛が沢山いて、犯罪率がとても高い所だという意見や、治安がとても悪く、ロシア最凶だという意見もちらほらあるが、トゥバ共和国の首都クズルは安全で夜歩いても平気だという意見もある。

 

実際にはどうなんだろう?

トゥバ共和国について動画で見てみよう。

一部の物好き()にはユートピアのように言われている。

そしてホテルが異常に高い。フライトルートが限られている。モンゴル/トゥバの国境は外国人は通れないらしい。

行くとしたらロシアのシベリアの都市からの小型機の直行便しかない。

 

そもそもトゥバ共和国の地域はモンゴルの一部だった。モンゴルが清から独立した時、トゥバもモンゴルから出て行った。その理由が、モンゴル人とトゥバ人は言語系統が違うという事。言語系統によって自分たちはどこに所属しているか考える傾向がある。

 

動画ではモンゴル人とトゥバ人は顔つきが同じだと言っていますが、私の目から見れば、モンゴル人とトゥバ人の顔つきは違うように見える。

 

ロシア内ではチェチェン共和国とトゥバ共和国が一番の問題児らしい。

 

動画内で紹介されている動画↓

これを見て、トゥバ共和国の首都クズルはロシア最凶の都市だという事が確実になった。ひとことで言い表わすと、旅行者にとっては無防備なサファリ。街全体がスラムとか、そういうレベルではない!大変危険だ。

 

ロシアの地方の一部地域では、ゴミの散乱が激しい。どこかの市ではゴミの収集がされておらず、地域全体がゴミ、ゴミ、ゴミ!!

という記事をツイッターで見た。ゴミ溜めに群がる犬も🐕。あしやが言う「犬」が怖いというのはこの事なんだなぁ。

 

クズルもゴミの収集がされていない可能性が高い。

 

撮影者は2度襲われかけた。クズルは明らかにロシア最凶であるにも関わらず、在住のトゥバ人達はゴミを含めそれらが見えていないような対応。本当に安全なのか?とそこら辺の人に何度も訪ねるシーンがあるが、どの人も、子供でさえ、問題はないと否定している。

 

これにはかつてのソ連的要素を強く感じさせられる。自分は実際にソ連に行ったことはないが、本で読んだ内容でソ連はどこへ行ってもこんな風に目に見えているヤバい事を部外者には決して口外しないという傾向がある。と。部外者でない相手にも言わないという。

 

その理由を撮影者は、

ここの事を「ヤバい」と言ってしまって、クズル在住のヤバい人(ヤバい奴ばっか)に知られたら、どんな目に遭わされるか解らないという「圧」がかかっているのではないか?みたいな事を言ってた。なかなか闇が深い。。。

 

ゴミがそこら辺に散らかって廃材置き場になって石がゴロゴロしている公園などで子供がやたら健全に遊んでいる姿に闇を感じるというか、怖さを感じる。

 

トゥバ共和国について語るラジオ↓

チルギルチンというトゥバ民族音楽グループについて。

 

トゥバ人は世界で一番初めにトナカイの飼育に成功した民族である。

 

白黒写真だと、日本人とトゥバ人はそっくりに見えるらしい。

 

最後の一文、わかるー😆😆😆

なんか….分かる気がする。自分は日本に残る遊牧遺構を探していた事もあって….この一文は非常に感慨深い。自分の場合、馬ではなく、地域住民だが...

 

タンヌ・トゥバという独立国だった時に奇跡的に行けた人による紀行文。

 

ロシアに支配され、被差別部落のデカいのみたいな扱いをされた共和国だから、トゥバ共和国は荒廃してしまったのではないか?と思っていたが、どうやら100年前からロシアの廃村のようである….. 農業従事はせず(別の記事で書いた気がする一文)男は働かず、女は働き家の事など全てする….. それとは裏腹に、トゥバ人は誠実であり律儀であるという。

トゥバというのはロシア云々ではなく、元々そうであるのか??

遊牧民というのは、街などに無理矢理住まわせるとこうなる傾向なのか?

モンゴル・ウランバートルのゲル地区、金田地区、そしてトゥバ共和国首都クズル……

ウランバートルと金田の方は、まだ人民が商売をしたり、大都市で労働したりという意欲がある。

 

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話は最初に戻って

「自称カナダのパンクバンド」の、かなだに干渉された曲も本当に素晴らしいものだ。

 

かなだは歌い手兼リーダーが衰弱するほど、彼に完璧を求め追い込んだようである。リーダーは何かの曲で「自分はもう疲れた。1人でやりたい」という内容を歌っていた。

これでは酒の量も増えるはず。

元々アル中だったリーダーは、更に重篤化したのではないかと思わずにはいられない。

 

かなだは外ヅラは良いが完璧主義な為、扱いが困難だったのか、バンド初期メンバーはリーダー以外全員辞めている。

 

しかし非常にセンスが良く完璧なサウンドを紡がせていたようで、売れている曲は全て彼が関与している。かなだ入りの曲は聴いてて面白い。

 

人間を特定の国の名前で呼ばないこと。

 

「自称カナダ出身のパンクバンド」はトゥバ共和国ほど酷くはないのか、それと同等なのか。そういう環境で育まれたから、そうなってしまったというのが嫌でも分かる。

 

モンゴルにおけるトゥバ人部落で生まれ育ったのかも知れない。

 

モンゴルの底辺出身なのは間違いない。異民族集落というのはどこの国でも酷い。

 

金鎧部落(アルタン部落)を数度にわたり足を運んだが、全体的に荒れた村だった。人心荒く、そんなに遠くない過去、スラムの様相を呈していたというのがよく分かる。そしてインフラが整備されてなかったのではないかと思われる。正直言って、どうにもならないという感じだった。

それは日本におけるモンゴル人集落である。

 

結構、衝撃的だった。日本にこんな場所があるのがショックだった。更に東京近郊にあるのが….. 遊牧拠点集落跡地を探して、出会えたのが嬉しいと同時に、実際に向き合うとなんで日本なのに???と相入れない感情が湧く。

 

清掃工場を2基建設され(既存が1基。現在2基目を建設中)

将来的に2基稼働予定。

歴史的に古い集落という割には、道路や縁石やマンホール、ガードレール、ミラー等不自然に新しい。

電柱がない。バス通りなど見える所だけにはあるが、ぐちゃぐちゃに入り組んだ住宅区にはない。という事は近年整備され、地中に埋められている可能性がある。

市コミュニティープラザとは名ばかりで、単なるゴミ焼却場。それに付随するプール、植物園等人民に還元するモノはない。

リサイクルセンターもある。

川沿いの歩道の草が刈っていない為、階段を降りると背の高い草の為通行不能。草刈りは市の責任。他の地区は綺麗に草が刈られていた。

あるひとつの川側の河川敷、ゴミ、ゴミ、ゴミ。不法投棄の嵐。

川の中にガラス破片ばっかやたらと捨てられている。子供が遊べるほどの浅瀬である。

この集落もゴミ収集が行われていない可能性がある。ゴミ収集の曜日の紙が存在しない。ゴミ集積場も存在しない。自分で家庭ゴミを清掃工場に持ち込めという事だろう。

全く邪魔にならない所を歩いているのに、自家用車に執拗にクラクションを鳴らされ、煽られた。自家用車はこの集落の住民。若い女でも口調が荒い。公立の小中学校、幼稚園はない。その代わり児童館はある。子供はめちゃくちゃ遠い通学を強いられている。

無住職寺がある。後でネットで調べる🔍🔎と衝撃の事実。住職宅に放火され、住職と母親が焼死。犯人は古くから住む地元住民。そして現在無住職寺。この寺は檀家を多く抱える。歴史的人物の歴代の墓もある。結構由緒ある寺だ。

地元住民は、この住職に差別などをされていたのだろうか?

そこら辺の通行人も、すれ違う時、わざわざ避けているのにわざわざ寄って来てぶつかって聞こえるように舌打ちをする。

 

全体的に閉じた集落といった感じだ。

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話はモンゴル・エルデネトに戻す。

かなだ氏については完全な私観だが、エルデネトという土地柄カナダの採掘会社の従業員のご子息だと思う。他のメンバーよりは裕福だったのかも知れない。

 

貧困国と先進国の間には溝がある。

 

かなだ氏は、貧困国民を見下して、隷属させていたのかとわだかまりが残る。モヤるというか。

 

「自称カナダ出身のパンクバンド」は、西側に渡ったからこんな曲が書けるのだと思う。トゥバ共和国在住や、エルデネトのトゥバ人部落であれば、酷い真実は歌えない。

 

自称カナダ出身と称する闇は深い。欧米のアジアヘイトだけかと軽く考えていたがそれ以上に深い東側の闇を、これらのトゥバ共和国動画がその可能性を物語っている。

 

しかしこのパンクバンドはモンゴルの底辺の劣悪な環境下で、よくあれだけ美しい旋律の神曲が作れるのかとても不思議である。

 

あわせて読みたい記事()

蒙古斑(仮)の解散宣言💔 - カルガリーちゃんねる

それでもトゥバ共和国に行きたいかというと、躊躇する。

 

長文のご精読をありがとうございます。

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スフバートルコーヒーの移転💔

2023年06月11日 | 日記

自称カナダ出身のパンクバンドが解散宣言をした翌日。

 

スフバートルコーヒー☕️がインスタにて移転宣言をした。

 

この日は5月初旬だが、スフバートルコーヒーのこの店は23/5/31()を以て閉店し、6月末に移転先にオープンするという。

 

スフバートルコーヒー自体が無くなるのではない。それだけが拠り所だ。

 

ただ残念でならないのは、神奈川県 県央の原野のどまんなかにあるこの場所から無くなってしまうという事である。

 

この立地がどれほど尊かったか。

 

スフバートルコーヒーについて書いた記事

スフバートルコーヒーというお気に入りのカフェについて - カルガリーちゃんねる

 

 

スフバートルコーヒーで絨毯展に行ってきた。 - カルガリーちゃんねる

 

 

原野と穀倉地帯のどまんなかにあり、散歩の中途に寄って勉強が出来、帰りも明るければ原野を歩いて帰れる。

 

 

暗くなる時期はバスでも帰れる、非常に好立地だった。

 

原野のどまんなかの為、外に誘惑がない。店内に本もwifiもない。倉庫だったので非常に広く、隣席と遠い為、気にならない。

 

とても雰囲気の良い木目調のカフェ。店員さんもうるさくない。広い事もあり、長時間居ても干渉しない。

 

最高の時間と空間だった。

 

コーヒーと小さなスイーツを頼んで、食べた後、勉強、難しい書類、相続関係の書物、税関係の書類、難しい論文、難しい本など、自宅や図書館では向き合うのが非常に苦痛で困難であるが、ここでは、精神的に非常に安楽に、集中して取り組む事が可能だった。

 

17:00に閉店する。この店は決して単価が安くはない。コスパを考慮すれば無駄な時間を自然と過ごせなくなる。

 

時間が限られているのだから、追い込まれる。だからといってストレスは感じない。精神と時の部屋の様相を呈していた。

 

スフバートル前後の原野・穀倉地帯も非常に良いものであった。

 

穀倉地帯をとは認識していない。田とは認めたくはなかった。これは草原だと思い込む。だから田植えの時期は余り嬉しくはなかった。

 

一日中部屋に篭って書類しろと言われても、外でかなりの時間歩かなければ、一日を無駄にしたような錯覚をする。この立地は素晴らしかった。

 

散歩と難しい事柄に割く一日の時間配分に悩んでいたのでこの立地はその悩みを解決する唯一の鍵だった。

 

ここの閉店宣言も余りに急な話だった。宣言をしてから20日で閉店。

 

どうして閉店するのだろう?新設店舗を開店して、ここを閉じなくても良いのにと思う。

この場所に開店してまだ3年しか経ってないのにとても残念。非常に勿体ない。

 

自分の知る限りでは、常連客やヘビーユーザーも数多くいて、昼時には賑わっていた。

自分は、たまにしか行かない客だがその盛況振りは分かる。土日はもっと混むという。

 

閉店は多くの客に惜しまれていた。自分も最後に行った日には、閉店を惜しむ言葉と、感謝の意を伝えた。

 

移転先は原野・穀倉地帯などではなく、町場だ。

7月頃には新店舗に足を運ぼうと思う。

 

もう原野店舗の木とコーヒーの薫をかげなくなる。もうあの席に座れなくなる。もうあの店には二度と行かれない。

 

スフバートル☕️ロスをどうしたら良いか解らない。

 

休日など何をどう過ごせば良いのか悩む。スフバートルが無ければ穀倉地帯を散歩する意味もなく、金鎧集落も活動圏内ではなくなる。

勉強場所は今後どうしよう。

 

スフバートルさん、今まで優しい接客と美味しいコーヒーと、極上の時間と空間を提供して頂きまして、ありがとうございました。新設店舗にも赴きますのでこれからも宜しくお願いします🎶

 

 

自称カナダのパンクバンドの解散💔とスフバートルの移転💔

が立て続けにあった。

2者に共通するのは、不審な終わり方。終わってしまう理由がわからない。

自称カナダ💔の方は若い世代にパンクが流行っていて、自分の曲をカバーする人が沢山いてるし、パンクはこれからだ!と言った矢先の解散宣言。

スフバートル🇨🇦の方は、盛況で今後もここで続けていきます!

といきまいていた矢先の移転宣言。

スフバートルコーヒー外観

 

さようならスフバートルコーヒー原野の店。

 

 

 

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蒙古斑(仮)の解散宣言💔

2023年06月07日 | 自己満

本当に自己満足な記事。糞長いので、読まなくても良い。

 

ただ吐き出したいから書く。それだけ。蒙古斑()というパンクバンドが誰なのか知ることも詮索も共感も必要がない。

ただこの記事では、モンゴルと向き合いモンゴルへの先入観を覆し、好意を抱いていく過程にも触れている。好意を増す為に“蒙古班(仮)”というパンクバンドという存在は大きな手助けとなった。

 

蒙古斑()が、5月吉日(この場合吉日として良いのか。)解散宣言を報じた。蒙古斑()とはモンゴル🇲🇳エルデネト出身で、トロントに拠点を置いていた。現在はロサンゼルスに拠点を置いている。2000年台に一斉を風靡した、世界的超人気のパンクバンドである。日本にも十数回から20数回来日している。

日本でまず、知らない人はいない。

 

彼らの言葉を借りれば

1996年から蒙古斑()で活動し、私たちは人生で最高の瞬間を迎える事が出来ました。

(中略)

蒙古斑()は解散する事になりました。

まだ、現在予定されている全てのツアー日程を終え、最後のアルバムをリリースし、それを祝う最後の世界的ツアーを行います。

(以下略)

 

という解散宣言を、吉日の朝蒙古斑()のツイートにより知る。

 

解散宣言をしたらパッと解散して、以後のツアー予定も辞めて、アルバムも辞めてそのまま解散するバンドも決して少なくはない。全て予定通り約束を達成してから解散する。この姿勢はとても誠実な在り方。外国人にしては日本人のように律儀である。

 

「蒙古斑」という名称は、正しくはない。一斉を風靡しただけあって恐らく、市井で知らない人はいないであろう。その為、蒙古斑のアンチも非常に多い為、正式名称を伏せる。

 

の時点で、蒙古斑とは誰なのかバレてるかも知れない。全く伏せ字になっていない。

 

自分は蒙古斑のファンではない。ファンという資格がない。俄かだ。

 

ただのニワカ。

それだけ。

 

ただのニワカのくせにアンチから攻撃を受けるのを予防する。アンチは非常に面倒くさい。ガチ勢から攻撃される可能性もゼロではない。ガチ勢も面倒くさい。

 

自分は本当にニワカで、蒙古斑の曲を購入し、積極的に聞き始めたのは2020年の11月頃からである。

 

実は2015年暮れに、ラジオで蒙古斑の「底辺の英雄」という曲が流れた。この曲にビビッと来て、一目惚れ購入。

 

後で「蒙古斑()」について検索した。多分ウィキペディアではないものだった。

当時の自分としては衝撃的な事が書いてあった。

蒙古斑()は、モンゴル国エルデネトという第2の都市出身である。

 

「底辺の英雄」という曲は歌詞が全英語歌詞である。英語曲なのに何故モンゴル?!

めちゃめちゃカッコイイ曲なのにこれを平たい顔族が作って、一重瞼の力士みたいな男が英語で歌ってるのか❤️‍🩹

ショック😨

 

メンバーの顔を見たいという気にもならなかった。どうせお相撲さんみたいなんやろ??

曲はカッコよくも美しくもあるのに、夢が台無し😑

「底辺の英雄」という曲は、確かにアメリカ的というか、洋楽的、更にいえば西洋的には聞こえない。やっぱモンゴルか。。。蒙古か💧

 

当時の自分は、日本という東洋国の産まれ育ちながら、同じ東洋国であるモンゴルを忌避していた。

 

それは多々理由があって、当時は今とは真逆だった。モンゴルが大嫌いだった。

モンゴルに対してはステレオタイプしか無かった。

不細工なお相撲さんと、はんにゃみたいな見た目、ムクリコクリの鬼、一重瞼、*蒙古斑が消えずに一生ついてる。女も日本人よりも可愛くない。めちゃくちゃ性格がキツい。男女共に血生臭い肉を好む。などの偏見だらけだった。

 

*ちなみに自分は赤ん坊の頃、蒙古斑が無かった。妹にも無かった。父もその兄弟にも無かった。母にも無かった。母方の祖母にも無かったらしい。他所の赤ん坊を預かった時に生まれて初めて蒙古斑を見て、虐待の痣かと思い、家族中で驚き、児童相談所に連絡しようか悩んだ。蒙古斑が成長に従って消えると知ったのは20歳を過ぎてからである。

 

容姿や食習慣などに対する偏見よりも更に強い偏見があった。それは、歴史的なもの。

モンゴル帝国による支配のやり方は、共産主義支配の原型。戦勝史観。頭の中が未開で、世界平和は気に食わない奴を殲滅する事から始まるとしか考えてないのではないか?頭の中身がネイティブアメリカンと同じで、大量虐殺とか民族浄化とか文化大虐殺とか、子殺し、断種手術etc….など、ありとあらゆる戦争犯罪しか考えてないのではないか?とにかく、野蛮極まりない人種で、同じ人間だとは思いたくなかった。

 

とにかく、モンゴルと向き合う事に異常な抵抗があった。

 

5年もの間、蒙古斑()を見ないように見ないようにしていた。

当時、自分がもっと賢ければ「国は国、音楽は音楽」と分けて考えられたのかも知れない。

 

蒙古斑()は、モンゴル人であるという事実を絶対に認めず(じゃあ蒙古斑はなに人?)別の国の人間だとバイアスが掛けられる程の知恵が欲しかった。

 

そんな知恵、あるはずも無く、音楽とかカッコよさよりも気に食わない真実が勝った。

 

そんなモンゴル嫌いが、好きに転換する迄にはきっかけがあった。5年経っていきなり治癒した訳ではない。

 

チンギス・ハーンという元凶のやり方が、思ったより人道的だと思えた事が、転換する契機となった。ネイティブアメリカンと同じ頭の中身かと思ってたが、それは誤解だった。

 

抵抗する者は徹底的にぶっ潰すが、服属する者には許し、手厚くする。

捕虜も皆殺しをしない場合がある。ハーン一族は戦争犯罪をする事しか頭にない訳ではなく、国の発展に貢献した。

 

書くとキリがなくなるので今は割愛する。

 

その他に英米諸国の偽善と比較した、モンゴル帝国の露悪

これも長くなるので今は割愛するが、英米諸国の悪行の積み重ねはそもそもモンゴル帝国のそれよりも数多く、質悪く、それを偽善で以て隠すという行為の方が、モンゴル帝国の露悪より、一層罪深いという事を知った為。

英米諸国と比較した結果、モンゴル帝国の方が善良だった事を知る。

そして、余りにも酷い事をネイティブアメリカンに書いたが、あれは有名な話で、世界一戦ってはいけない相手だ。それは、事実のようだ。しかしそれは仕方のない事で、ネイティブアメリカンは、長い時間そのような生活をしていた為に、そうなってしまった。ネイティブアメリカンは露悪にしては、悪過ぎるが、英米加に比べても少しはましである。英米加は近代国家を樹立してからこっちの世界線である。ネイティブアメリカンは、言って良いのか分からないが、長い時間を石器時代とあまり変わらない生活をしてきた。罪の意識なども近代国と比べて、違うのは当然。他部族を浄化する事は罪ではない。殺らなければ殺られるという、国境なき世界で生きている。彼らは先祖に物凄く感謝をする。

 

それに比べて英米加はどうか?という問題。

ネイティブアメリカンは、人様に偽善などを説いてはいない。

英米加は、殺るか殺されるかというほど深刻な状況下ではない。近代的な宗教や法の概念があり、その上で悪行を重ねに重ねている。寧ろ猟奇的で面白半分罪を犯している様にも思え、本当にサイコパスだ。アングロサクソンはどういう生き方をして来たらこんなになるのか。遺伝的なものに起因しているとしか思えない。同じ人間とは思いたくない。

 

そしてコロナ禍に突入。コロナ禍からこっちは、遊牧民のように縛られない生き方をしなければこの先、生きてはいけないという風潮と、

フリーランスがカッコいい。みたいな風潮になる。

 

世間が遊牧民の生き方に注目し始める。遊牧民は戦争だけではない。という事を知る。今まで遊牧民の生き方に着目するという発想は無かった。

 

コロナ禍真っ只中の202011月。モンゴルを意識し始める。嫌という程忌避した反動か、今まで負の方向に過剰な意識を向けていただけあって、正に向かうのも早かった。

 

モンゴルといえば蒙古斑()やん!!

 

という事で蒙古斑()の曲をダウンロードして聴き始める。めちゃめちゃカッコいい!!ビリビリ来る!蒙古斑()て全体的に神曲ばっかやん!!

 

1曲だけ当たりで、あとは糞というワケでは決してなく、神曲が多く耳も心も気持ちがいい。遊び心の要素もあり、青春が羨ましいという想いにもなり、聴いてて清々しい曲から、病んだ曲迄あり、振り幅がとても広い。

 

曲は全て英語、否、一曲だけフランス語の曲もある。こいつは言語モンスターか?!と思う。発音が蒙古訛りがあるのか、洋楽の米語などの発音とはやや違う。

 

何より騎馬民族らしい。ザッザカ、ザッザカ、ザッザカ、ザッザカという馬が駆けるリズムとホーミーになる手前の歌い方をする。歌い手のダミ声が大好きだ❤️

 

蒙古斑()のフロントマンは、貧困出身のアル中の男だ。現在はだいぶましになったという情報を元に、初めてYouTubeでお目にかかる。どんな姿でもと覚悟を決めて見た。

 

妄想してたのと全然違う。貧困出身アルコール依存症男は、若い頃は白鵬関のまだ若くて痩せていた頃の容姿に何となく似ていた。この容姿であのダミ声を出す。

 

彼も含め、蒙古斑()というグループの容姿は、巨デブはいなくて全員がスッキリとした出たちだ。ド東洋モンゴル人という容貌ではなかった。むしろ露人ミックスか露人に見える。うち3(アル中男含む)は、ブロンド髪や金髪だとタタール人に見え、1人は、コテコテの露人に見え、残り1人は浅黒く、中東人かトルクメン人かウイグル人のようにも見えた。

 

懸念していたド東洋はいなかった。ただ、タタール人的な3人は黒髪にした状態の時はモンゴル人に見える。不思議だ。

言ってみれば全員イケメンの部類である。顔というより佇まいが。

 

YouTubeでライブ映像を見ると本当に面白そうであった。客がどのライブでも満員。

日本でのライブ映像も結構ある。客が満員。2000年台に日本で一斉を風靡したというのはどうやら本当だったらしい。日本でもまず彼らを知らない人は誰もいないだろう。

 

知らないのは自分だけであった。

 

自分が知ったのは2015年に初めてその存在を知った。

 

例えるなら、ジャニーズの嵐の存在を知らないのと同じであった。

 

それくらい蒙古斑()は超有名だったらしい。全盛期にはテレビでも芸能・エンタメニュースでほぼ毎日報道されて、ラジオでもほぼ毎日かかっていたらしい。映画音楽にも結構使われていたらしい。

 

パンク好き界隈だけでの人気ではなく、全国的に一般的な知名度だったらしい。

 

それだけマスコミで取り上げられても、なぜ全く気にも留まらず、目に留まらず、存在自体知らなかったのであろう?

 

2015年になって蒙古斑()の話をしても、もう終わったコンテンツとして、懐かしいと語られていたのかも知れない。蒙古斑()カッコ良かったね。今どうしてるんだろう?まだ存続してるの?

 

と。

 

拠点を置くトロントなどの北米では更に人気であったらしい。

 

ロシアやウクライナでも超有名であった。世界中でも超有名で、知名度はビートルズ級の大御所だったらしい。

 

非常に哀しい。出来る事なら2000年頃に戻って蒙古斑を推したい。知る機会が欲しかった。

知る機会は幾らでもあったのだが。

無かったのは、縁。

 

蒙古斑()と本当に縁が無いと思えるのは、知れなかったという事よりも、下らない理由で5年間も避けていた事だった。

 

コロナも明け、昨2022年は全米ツアーなどの北米ツアーや欧州ツアーもおこなった。昨年、自分は仕事や試験勉強などで忙しかった為、ろくに蒙古斑()に向き合えなかった。コロナ中も、就職活動や片付け、整理、試験勉強などで、ろくに蒙古斑()に向き合えなかった。20233月に試験に合格し、さあこれから蒙古斑()に向き合うぞ!

 

233月にパンクの春の祭典に参戦した。

しかし蒙古斑()はキャンセルをした。蒙古斑()の生の演奏を聴きたかった。やっぱ自分は蒙古斑()とは縁がない。来年こそはパンクの春祭りに出演してくれる。と思い、安閑としていたら5月吉日、解散宣言。

 

推しは推せる時に推せとはよく言うが、あの5年間は無駄だった。

 

解散は、解散宣言をした時点で既に解散である。

 

もっと早く出会いたかった。

 

解散に伴うツイートのコメントを見ると

 

「青春をありがとう」

 

という声があり、非常に羨ましかった。自分も蒙古斑()と共に青春を過ごしたかったし、人生を歩みたかった。

 

アルバムを発売した年を見ては、この頃自分は何をしていて何を考えていたのだろうと感慨に耽る。

 

解散後、もう遅いが、蒙古斑()の歌詞の訳に真剣に向き合い始める。

 

売れてる曲の歌詞の多くは、戦争を連想させられるものが多かった。その次は、自分たちの置かれた貧困層という環境について。貧困層出身の親友のHIV感染、別の貧困層出身の親友の自殺。自身の家出。自身のアルコール依存症。などについて書かれていた。それと、彼女の浮気、不信、別れ。米国非難。

 

現在も終わらないロシアとウクライナの戦時下のロシアという国について書いた曲かと思えるようなものもある。

 

歌詞の中には若さ特有の苦悩なるものがあり、自分が若い頃に悩んでいた事とも重なる。

若い時に蒙古斑()に出会っていれば、リアルタイムで共感出来たかも知れない。

 

彼らは、貧困から抜け出す為にロックの道を歩んだ。だからか解らないが、日本のロックのような、大の男が愛だの恋だのノロケだの、そんなのの繰り返しではない。それが良い。何より「僕が君を守る」などという束縛的な気に食わない発言をしない。

 

それが良い。

 

蒙古斑()のフロントマンは波瀾万丈に富んだ人生だった。*生まれた国からして波瀾万丈だが、バンドを始めてからの人生も過酷である。蒙古斑()の曲は、フロントマンの人生を実にリアルに再現している。決して夢や妄想ではない。

 

*社会主義時代や、ソ連崩壊後の自由主義への過渡期・混乱期

 

今、解散してしまった後のこのグループの足跡(ソクセキ)とフロントマンの人生を、順を追って追っている。

早くに出会ってリアルタイムで追いたかった。

 

解散後、閉店セールに赴くように、グッズを買い込んでいる。こないだは、可愛いTシャツを日本のロックTシャツ屋で購入した。そして公式ショップではもみじ🍁をあしらった蒙古斑()という文字の入ったキャップ帽を購入。そして昨日は初期の初期のDVDを購入した。

自分は以前、蒙古斑パズルを購入している。

 

彼らがデザインした絵などは、遊び心に満ちていてとても可愛いらしい。

 

ところで何故、蒙古斑と言うに至ったのか?

 

彼らの好青年ぶりから着想を得た。気のいい奴らで、人からモノを頂いた時の反応が良かった。公式の場での誠実な対応。

 

蒙古の好青年。青年や青二才という言葉の語源は蒙古斑から来ているという説がある。

モンゴルの好青年蒙古斑

となった。

 

兎にも角にも、蒙古斑の曲もデザインも、中毒性がある。

 

自分が、遊牧世界にハマってしまう契機となった大きな要因のひとつが、蒙古斑のサウンド。

 

その美しい旋律とリズムの虜になる。神曲!

良いものはいい!!世界中に受けるに決まっていると思えるほど、素晴らしく聴こえた。

 

蒙古斑の旋律の民族的ルーツは何処なんだろう?

という歴史アディクト的な疑問を持つ。

蒙古斑の他にモンゴルの音楽を多数聴いたが、ハルハ族の紡ぎ出す旋律は、演歌調が多く、同じモンゴリアンロックでも、演歌ロックになっているものが多すぎる。

 

蒙古斑はパンクスなので、もしかすれば英国に寄せているのかも知れない。何故なら、古き良き英国がそこにあるようにも感じられた。

 

そういう曲もあれば、蒙古斑らしい曲もある。初期の頃はポップパンクらしかった。

ただその頃はドレミ音階に当てはまらない曲も多かった。蒙古斑の紡ぎ出す旋律はあまりにハルハからかけ離れていたが、曲のノリはモンゴルらしかった。

 

蒙古斑の旋律の民族的ルーツを探して、モンゴルやブリヤート、カザフ、アルタイ、トゥバ、ハカシア、タタール、バシコルトスタン、ウイグル、ウズベク、チュバシetc…の音楽を聴きまくった。

 

その為か中央ユーラシアにも明るくなってしまった。

 

そして辿り着いた自分なりの結論が、蒙古斑の旋律の民族的ルーツは、トゥバ音楽に最も近い。

 

トゥバのフーメイ:喉歌(ホーミーと同じ意)の旋律と、蒙古斑の歌のパートの旋律は酷似している。

トゥバ民謡での歌唱の和音が素晴らしいが、蒙古斑はそれを受け継いでいるように思える。似ている。

 

これは本当に私観だが、蒙古斑のフロントマンと、長身のベース担当はトゥバ人なのではないかと思う。この2人は、元々黒髪なのかブロンドなのか解らないが、ブロンドの時はタタール人に、黒髪の時はモンゴル人に見える。その上、トゥバ人の顔にそっくりである。ハルハ系の顔には見えない。

 

以下は私観ではなく、プロフィールにあった情報。

メタルギターの浅黒いトルクメン人に見える人は、実はインド系カナダ人である。

ドラム担当のコテコテの露人に見える人はアメリカ人である。

ギター担当は、白系カナダ人である(カナダ白人)

 

ワケわかんねーバンドである。

 

蒙古斑の出身地は、トロント近辺であるとしている記事もあり、そのように報じるラジオもある。

 

蒙古斑の出身地はモンゴルのエルデネトでは??

 

エルデネトと記された記事はまだ存在しているのかは不明だが、空白の5年間は帰って来ない。

 

さあ、どうしてくれる?

 

ウィキペディアでも、出身地はトロント近郊という内容である。

 

実際にはどっちなんだろう?

 

トロントに拠点を置き、このアジアヘイト・クライムが非常に盛んで危険な国で安全に生きていく為には、自らの出身国を隠す必要があったのかも知れない。

 

という以前にモンゴル人は様々な事情で己の出身地を誤魔化したり嘘を言う人が多いという。

 

とはいえあの2人は見てくれ的に、ド東洋の顔立ちではない。比較的安全だとは思うが、見てくれではなく肩書きなのかもしれない。

 

それで、蒙古斑は自称カナダ出身としてしまったのではないかと思われる。公的な人物だからしょうがないのかも知れない。

 

彼らの中には哀しいトゥバの血が流れていると思うと非常に感慨深い。

 

短い間でしたが、素晴らしい時間を共に過ごすことが出来て感謝しかありません。新アルバムを記念したワールドツアーを楽しみにしています。

 

まだまだ若くまだ全然やれると思うので解散しなくても良い気がするが、余りにも急な解散宣告だったので残念でなりません。

さようなら蒙古斑(仮)👋

 

これで、蒙古斑の話は終わりです

 

🔚

コメント
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