斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

テングリ信仰の跡地だと思える場所を発見!!

2023年02月25日 | 自己満

これは、日本での話です。

日本国、アルタンボラグ。この集落内で、テングリ信仰の跡地だと思える聖地と邂逅しました!

テングリとは、トルコ、モンゴル族における天神。天の神。

 

先日の記事でアルタンボラグのコンビニ寄った時、月餅の取り扱いが無かった問題で「ここはアルタンボラグだから月餅を忌避するのか?!」と書いた。

 

先日、アルタンボラグ地区に月餅という月餅が売っているのか大変気になり、わざわざ確かめに行ったのと、フィールドワークのつもりで実踏した。

 

月餅は売っていたので購入してしまいました。美味しかったです。

 

 

日本国アルタンボラグ。これがどうしても知りたい方は、モンゴル語のАлтという単語をGoogle翻訳機で翻訳すると一文字の漢字が出て来るので、その漢字が頭文字の日本国内の場所です。

 

ここは、鎌倉時代頃にユーラシア大陸から舶来(渡来)した遊牧民の集落なのか?

遊牧民集落という事を仮定して足を踏み入れました。

 

遊牧世界と関連する目ぼしいものが見つかりますように!

 

その時はモンゴルのHIP HOPICE TOPYouTubeで聞いていました。

 

おすすめの動画はランダムで、どういう仕組みで出て来るのか解らない。

 

2曲目に、朝青龍、白鵬、鶴竜について歌った曲に巡り会えた。彼らは力士として日本で成功し、日本に根付いた英雄です。

 

ここに非常に相応しい曲に出会えて楽しかったです。なんか歓迎されているような気がしました。ここは、モンゴル人の領域のようにも思えてくる。

 

これを書いている221日はツァガンサール・旧正月です!

この集落の住人ももしかしたらツァガンサールを祝う家庭があるのかも知れません。

 

 

アルタンボラグ、まるでスラム街のように非常に入り組んでいて迷い込んで、日が暮れたら出られない怖さがあった。

 

丘陵地帯でもない、比較的平坦な土地でこれまで入り組む理由があるのか?

迷路みたいでぐちゃぐちゃだった。多分※ゲル地区に足を踏み入れても似たような感覚に陥るのかもしれない。

 

ゲル地区:モンゴル、ウランバートルで遊牧民が移住して、同市周辺に形成されたゲル(移動式テント型住居)や簡易な家の居住区。

 

ここも700年前から800年前はゲルテントばっかだったのかも知れない。そんな事を妄想するとビリビリする。

ここは、ゲル地区の名残りを感じる区画。

 

ゲル区画を真っ直ぐな道が斜めに貫通している。

 

妄想歴史秘話だが、鎌倉時代に舶来した遊牧民がそこら辺で比較的自由に定住牧畜生活をしていたが、鎌倉幕府が遊牧民をここら辺一帯に強制移住させて集積させた。人工的に作られたゲル地区。

 

元寇の時代よりだいぶ前で、侵攻目的で来た兵士とは違い、世帯持ちや血族の繋がりのある遊牧民の一グループだと思いたい。

国家国民として、攻めて来たわけではないと思う。

 

区画はゲル地区のように家屋の置き方がぐちゃぐちゃだが、家屋自体は立派で、古くから住む世帯が多い印象。

まさか700-800年前から代々住んでいる人は流石にいないだろう。住んでいる人の見た目はそこら辺の日本人と何も変わらない。彼らの中にその遊牧民の血を引いている人はいるのだろうか?

遊牧民の後孫はどこかへ行ってしまったのだろう。

 

もし本当にこの集落が、本物の遊牧部落であれば、日本と遊牧世界の水入らずのプライベートな繋がりの拠点である。

 

川に向かって歩くと、穀倉地帯にぶつかる。

 

 

アルタンボラグの奥にあるこの穀倉地帯は元は穀倉地帯などではなく、定牧の場、今ドキの言い方だと牧場のような所だっただろうと思わされた。柵で囲ってその中で牛馬、山羊、羊、駱駝、ヤクなどの家畜を入れていた。という憶測。

 

穀倉地帯の端の方に、松を植えた「天神」を祀る一角があった。

 

 

野晒しの原野の隅の一角に「天神」として祀られているさまは、まるでテングリ信仰の石が積まれた司祭場の跡のようにも思える。

 

 

「国土を守護する天乃神と学問を奉ずる天神とを相殿にし….

 

とある。後者の学問を奉ずる「天神」は菅原道真の祟りを鎮める為に、「天の神」として祀った、本来の天上神とは根本的に違っている。

 

前者の「天乃神」とは、テングリ信仰のことを指しているのか?

もしかして、テングリ信仰とは国土を守護するという要素もあるのか?

 

ちきゅうの暮らしかた/カルムイク人幸せの秘訣

 

カルムイク人幸せの秘訣

 

いつかここに、テングリの儀式をしに行こうかしら。

 

 

 

この日が晴天だったら良かった。

 

五穀豊穣を祈願して創設された。とある。

 

元々はこの狭い空間に石がうず高く積まれていたのだろう?倭人は石積みを解体し、跡に天神杜を創設したのだろうか?

倭人は、テングリ神をも農耕神として扱ってしまう。

いつ石積み状態から、このようにされてしまったのだろうか?しかし、木の周りや祠の周囲に石が置いてあるところを見ると、石が積まれていた頃の名残りなのか?現在に至っても石を積みたいと強く望むこの辺りの住民がいるのかと思いました。

 

テングリ信仰では蒼天そのものに対する崇敬から天の神格化が行われた。

この地に移住させられた民はここで、草原の空を想い故郷を強く慕う。

 

「草原の空を想う」は実際にこの場に行った時に降ってきた言葉です。

 

穀倉地帯を離れると、水路がゲル地区を斜めに直線に貫通する道沿いにある。穀倉地帯用の水路か。水路ひかれたのは、早くても江戸時代からだろうか?

いや、そんな事はない。年貢を納めなければならない倭国税制度の下では水路を引いて穀物を作らなければならない。その為か知らんけど、鎌倉時代にはもう開通していたという。

牛久保用水

 

 


 

穀倉地帯は冬枯れの最も美しい時期なら、黄金に輝き非常に美しいと思う。

この集落の正式名称の由来は文字通りのGolden 穀倉地帯なのだろうか?

 

「アルタンボラグ下宿」のバス停から駅方面に50mぐらい歩いて少しゲル地区に踏み込んだ所に、アルタンボラグ及び下依知付近の地域の入り組んだ道についての説明書きがあった。

 

 

本間氏とは、アルタンボラグ神社(当時船来田神社)を建てた地頭という役人である。アルタンボラグに750年間も代々居住し続けている本間氏という者がいるらしい。

おそらくそれが、それだと思う。

地頭は鎌倉時代の警察のような暴力機関と言われていたが、この本間という人物は集落の人民の敵ではなかったようだ。

定住生活を始め、時を経るに従って定住の知恵がついてくるようで、本間氏宅を衛る為に複雑な道が作られたらしい。城下町のように。

 

本間氏はここらへんの領主だったらしい。

この事柄で日本の歴史と、当時の13世紀前後の遊牧社会についての知識を得る必要があると思いました。

ガバガバな遊牧アディクト目線が勝手な妄想をすると、本間氏という人物は多分、アルタンボラグ牧民の首長であったのではないかと思われる。

遊牧首長についても勉強しないといけない。遊牧首長は、世襲制なのか?役人などのように一代限りで終わりなのか?

 

遊牧民 首長

マナープ - Wikipedia

 

例としてキルギスの遊牧首長、マナープについてのWikipediaです。

 

遊牧社会の首長と、倭国の領主と、非常によく似ていると言っても過言ではないようです。

遊牧してれば首長。定住してれば領主。

 

鎌倉幕府は、ソ連のようにパネル住宅を建てて、強制移住させた人民をそこに住まわせるなどという事はしていないと思われる。

パネル住宅の個別の決められた部屋に強制移住させられた遊牧民は、首長制というのが途絶えてしまった。

 

鎌倉幕府は、船田地区の一画に遊牧民を集積しただけだろう。その為か首長制が途絶えず、長年続いたのではないかと思われた。

 

もしも本間氏が遊牧民首長で、強制移民後アルタンボラグ地区の領主だったとしたら?!厚木市アルタンボラグという部落は、日本の定住社会におけるガチの遊牧部落である。

 

これはガバガバな憶測の域を出ませんが、大陸、中国、韓国、モンゴル、中央アジアなど、頭文字に「金」と着く地名が多い。ここもそうだ。

厚木市遊牧部落はどこから何処までかはっきりとは分からないが、依知郷とよばれる辺りではないかと思われる。領主(首長)の本間氏の居住している地域はアルタンボラグ地区という。

 

本当に憶測だが「金」の地名の由来とは、部族の首長や、汗などの王がいる(或いはいた)あたりに「金〜」と名付けたのではないのか?とも思える。

ジョチ・ウルスではカーン(可汗)の座を「金の玉座」とも言ったそうです。

 

これは古代中華思想の影響かも知れませんが、陰陽五行説四神の関係での中央の色が「金」(黄)北が「黒」南が「赤」東が「青」西が「白」

 

ベラルーシの国号は「白ロシア」だが、この「白」というのは、タタール軛時代(ジョチ・ウルス支配下時代)にタタール人(モンゴル人?)が持ち込んだ風水の影響だとも言われる。

 

それと同じように。

 

元々は船田と言われた地域であった。それがいつの間に「金田」と言われるようになっていた。

砂金でも採れたか?とか色々思った。金が採れるような場所は、付近に金沢など、他の「金」とセットになっている場合が多い。この金田周辺には金と着く地名は見当たらない。

 

それともタタラ製鉄や刀剣製造など金属加工に携わる部落なのか?

とも思えた。その場合、「金田」の読み方が少し変形してna になるのではないかと思える。

金物を「かなもの」と読むように。

 

アルタンボラグは「かねだ」(ne)と読む。

 

金田…..という漢字表記は、このブログを読む皆様に「金帳(キプチャク)」を連想させると思い、紛らわしくさせると悪いので、極力使って来なかった。アルタンボラグの牧民は、ジョチ・ウルスを知らない。だから金田(“きぷちゃくとも読めてしまいそうな)特定の国を連想させる表記は避ける。

 

歩き廻って、タタラ製鉄跡地の碑などが見つかれば今までの憶測が全て覆る。

 

それでもいい。

 

砂金でも金物やタタラでもないのであれば、何故?と疑問が湧く。

 

この部落が目についたのも、遊牧アディクトの目線で見れば頭文字が「金」で始まる為、もしかして

と気になった。アルタンボラグ神社の説明書にも非常に気になる事が書かれていたのでWで、もしかしたら….

 

アルタンボラグ地区の相模川に近い場所で、清掃工場の建設をしていた。

 

穀倉地帯に立て看板があり、こう書かれていた。

 

「アルタンボラグは充分協力してきた。清掃工場建設は絶対に反対」

 

とある。

 

この地域はまるで自治共和国のように見えなくもなく、そういう偏見で見れば、長年、倭国や倭民族と様々な軋轢があり、和解と共存が非常に難しい歴史を歩んで来たという印象を受ける。

 

ウクライナ、ロシア戦争の影響は大きい。今までこんな考えを持った事は無かった。この戦争の特殊性でもある。

 

戦争が始まって約1年が経つが、今思う事は

 

戦争を一度始めたら終わる事はない。

 

ドンパチ戦争が終わったとしても、この先、潜在的で見えにくい戦争犯罪の応酬と応酬の戦争が始まるような気がしてならない。

 

ロシアとウクライナは長年の歴史で、和解と共存の道を探し苦悩してきた。火種は数百年前に遡り、目に見える戦争が終結しても潜在的な泥沼戦争は続いていたという。

 

ドンパチ戦争は今に始まった話ではない。という戦争の苛烈さを感じました。

 

所で、話を変えます。

 

現代のウランバートル郊外のゲル地区は、社会構造がどうなっているのかさっぱり分からんが、アルタンボラグ地区のようにぐちゃぐちゃである。

 

中世モンゴルと現代モンゴルでは、違うのだろうか?

 

アルタンボラグ、遊牧集落説はあくまで仮説に過ぎず、まだ仮縫いの段階で自分の憶測や妄想や好き勝手な歴史を言っている段階。

 

これから知識増やして、整合性があるのかどうか?検証をしていきたい。知識を増やす毎に幾度かここを訪れると思います。

 

アルタンボラグ地区が遊牧部落であろうと無かろうと、このブログネタを機に日本にはこのような遊牧部落の可能性のある地域があると考えられるきっかけになれば良いと思います。

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アジア太平洋地域と内陸アジアの分断。なぜ今、アルタン部落なのか。

2023年02月18日 | 自己満

ブックレット《アジアを学ぼう》17

「海を渡った騎馬文化」

を購入して、読み始めました。

 

少しネタをばらしますが、これは私が望んでいる内容ではありません。

騎馬文化は日本に伝来したが、騎馬民族は日本に移住していなかったという事を証明する、挑戦的な論文のようです。

 

まだ読み始めて間もないですが、日本人は遊牧騎馬民族と混交していないのでしょう。

 

知らんけど。

 

一方で近年、騎馬民族が日本に渡来して大半の日本人が大陸の出身の末裔であるという論より、日本人は海洋モンゴロイド。海の民。南太平洋と東南アジアからのルーツが大半であるという論が主流になりつつあります。

知らんけど。

 

今ドキは日本人と、現存する大陸、半島、内陸アジアの人民と血縁関係があまり無いとの見方が支持されているようです。

 

今ドキの日本人自身は海洋モンゴロイドという論に親近感を持つ者が増えているようです。

 

私に言わせれば「海洋モンゴロイド」って何?モンゴロイドと呼ぶ以上は大陸出身だろ?

と思います。

 

ところで「ヤポネシア」と呼ばれる事に非常に抵抗があります。

「ネシア」苦手です。差別しているわけではなく、見下してるわけでもなく、そんな意識皆無でも、苦手です。彼女らは、戦々恐々と近づいてきて、背中を触ってくる、腕を掴んでくる。といった感じです。私は彼女と面識があるわけではありません。

 

個人的にネシア系やオーストロアジア系と親密になれば苦手意識は無くなると思います。

 

会社に量産型のネシア系やオーストロアジア系が大量にいるという状況がそれの原因です。

この状況が変わればネシア系、オーストロアジア系への意識も変わると思います。

 

ヤポネシア論では、日本人は太古の大陸の人種、古モンゴロイドと、オーストロアジア系、ネシア系の混血であるとの見方が強い。

私達は狭い会社に大量にいるこの人たちの子孫なのか?

 

日本人はどう見たって大陸モンゴロイドの末裔だろ?と思います。ネシア、オーストロアジアはどう見ても人種が違う。極論すれば、日本人と白人ほど違う。ネシア系、オーストロアジア系は我々日本人に比べて、白人やインド人に近い顔をしている。印欧系に近いから苦手なのかも知れない。おんなじアジアの仲間とは思えない。しかし米国及び英連邦の連中のような腹黒さや下心は感じられない、純粋な人達だとは思う。

 

「海洋」扱いをされる事に非常に抵抗があります。日本人は「海洋民族」という決めつけに物凄い抵抗があります。日本人全員が、海に馴染みがあるという勘違いにものすごく違和感を覚えます。

日本人でも海に全く馴染みが無い人もいます。私もその一人です。両親が内陸出身で、海というものに全く馴染みがありません。食卓に魚介が出るとすれば鮭。しじみ。

火を通さないものもなかなか食卓に並びません。

生野菜ですら。トマトとキュウリと果物だけは生でも食べます。

 

両親の左遷の関係で沖縄に住んでいた事もありますが、海など見えない内陸です。現在は神奈川県座間市在住ですが、神奈川県でも、海側の方がヒエラルキーが高く、内陸は低い。これは神奈川県だけではなく日本全体に言える事です。内陸県をイジることが何だか気にqわない

(神奈川県座間市、何故内陸県なんだ…)

 

何で日本が海洋民族なのか、全く分かりません。

まるで日本人が海賊みたいな言われ方で非常に気にqわない。

 

なんで日本人っていうだけで私が海賊って言われなきゃならないの?

 

本物の海賊は、ブリカス(英国🇬🇧)だろ?奴ら島国のくせに、資源ないくせに、それこそネシアや東南アジアから奪って搾取し先進国になった。そしてそれらの人々を物凄く差別する。日本人は苦手意識があっても差別はしない。

 

日本は海を越えないと辿り着く事が出来ないが、これだけでは海洋型国家の条件にはならない。

 

造船技術や航海技術はブリカスをはじめとする英連邦には到底及びません。

 

英米人は日本語を孤立言語として扱い、まるで原始人が住む惑星のように考えている。

 

優生思想による差別主義により、アジア人は進化していない劣っている存在。日本人は更にそれよりも原始的でより劣っていると考えている。これは本当。原始的だからおとなしい。身体が小さい。要領が悪い。金を稼ぐのが下手糞でコミュニケーション弱者として心底馬鹿にしている。これも本当。それで殴られたり、唾を吐かれたり、殺害されたりしている。これも本当。英米系国の人は日本人を嫌ってはいない。しかし、心底馬鹿にしている為、猟奇的な悪戯をしたり、キチガイじみた態度をとる。無責任に日本人をやたら褒めたり優しくしたりするのもその為である。全くをもって偽善者でもある。

日本人は原始的だから、知能が遅れているので、狡猾な計算が出来ない人種だと思っている。これも本当。

 

それに比べ、中国人や韓国人に対しては馬鹿にしているというより、嫌ってヘイトしている。いわゆるアジアヘイトだ。

 

日本語だけはJaponicだけという扱い

 

 

英米から惑星扱いされている事に何とも思わないというのも問題である。

 

日本人は大陸アジアで話されている、ウラル・アルタイ語族、あるいはツングース語族である。しかし、英米の学者は「孤立言語」として扱う。

大陸嫌い、アジア嫌いな日本のウヨク・ネトウヨなどは「孤立言語」とされて満足している。

 

私は、日本人は大陸人のディアスポラだと信じているが、英米はそんな日本人と大陸・内陸アジアを分断しようとしている。

日本人を、アジア太平洋地域として「海側」に扱っている。英米も言うまでもなく、「海側」。

軍事関係だけはしょうがないと思う。しかし今ドキの、大陸騎馬民族王朝征服説を遠ざけ、ヤポネシア説を推し進められているのも、英米の意図や工作が感じられてならない。

 

何故日本人は、大陸に同族が沢山いるのに、英米によって引き離されなければならないのでしょうか?

 

これは積年の身悶えでした。

 

英米系は、日本人が世界の中で最も孤立し、天涯孤独である事を望む。天涯孤独で一人でなんにも出来なくて可哀想だと言わんばかりに手を差し伸べているようだが、実際には日本人を利用し搾取することを考えている。

日本人とは何か?和の精神とは何か?何故日本人は和病傾向にあるのか?大陸から日本への渡来は一桁世紀で終わってしまったのか?何故日本人は単一民族として扱われるのか?渡来人は沢山いるのに、民間に同化させられて今の日本人のメンタリティが成立したのか?などと疑問が後をたたない。

 

日本には、舶来(渡来)遊牧民がいるのではないか?遊牧部落の痕跡があるのではないか?

日本人と遊牧民の混交はあると強く信じている。

 

そんな事を強く願っていたら、スフバートルコーヒーから本厚木駅に向かうバスで通り掛かったあるバス停の名が目に留まった。

 

そこは、日本国アルタンボラグという集落。

アルタンボラグとは前記事を参照して下さい

「アルタン部落についての続きと、古墳について、舶来牧民に関するもの」

 

以降アルタンボラグとしか呼ばない。

 

何故アルタンボラグにこだわるか?というと、そこ自体が遊牧部落の痕跡のような気がしてならない。何度も言うように私は遊牧アディクトだから、アディクト目線で見れば、遊牧部落にしか見えないし、どう考えてもそれ意外考察出来ない。

日本国アルタンボラグは、日本と遊牧国家水入らずのプライベートな繋がりみたいで重要拠点。

日本各地に、アルタンボラグのような遊牧部落が沢山証明されれば、日本とユーラシア大陸の繋がりが世界に証明され、日本を大陸の一部として世界から認められる。そうすれば英連邦が手を出すのにも躊躇するだろう。どういうリクツか知らんけど、そんな気がする。

 

見逃せない由々しい都市伝説で、英国が日本を英連邦直轄地に編入することを目論んでいるらしい。都市伝説なんていつも、バーカ!ハハハ!と聞いているがこればかりは、素通り出来なかった。日英同盟が結ばれれば、日本円は無くなりポンドに💷なり、戦争も起こる。

明治の世でも日英同盟後、日露戦争が起きた。

 

英連邦と対峙する為にも、海側勢力(シーパワー)と対峙する為にも、これからは大陸の協力が必要不可欠である。大陸側から相手にされる事は重要である。

草の根過ぎて微々たる力ではあるが、日本の学者さんが日本と大陸の血縁的繋がりを証明すれば世界はほんの少しでも動く気がする。

テュルク系国家は同胞には優先的に手を差し伸べる。日本人は、血縁的に無関係な英連邦、米国なんかより大陸の同胞と助け合うべき。血が繋がっているんだから。辿れば、同じ親から生まれた。

英連邦&米国はどう転んでも他人だ。信用なんか出来ない。

 

 

私は英国を始めとする英連邦や米国出身者による洋楽を好んでは聞きません。

ラジオで耳に入るのはしょうがないけど、カネ出してまでダウンロードして購入しません。

英連邦や米国、母国語が英語話者の作るメロディー性の良さがよく解りませんw

ホカとこ出身(母国語が英語以外)で英語歌詞歌ってるが、作曲も彼らの音楽は、メロディー性の良さが解ります。トルコとかトゥバとかフランス語圏などの出身者の紡ぐ旋律は、例え英語で歌われても琴線に触れます。これは国の好き嫌いを超越した生まれつきのものかも知れません。

 

それだけ日本人と母国語英語圏とはかけ離れているという事ですね。

 

知らんけど。

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アルタン部落についての続きと、古墳について、舶来牧民に関するもの

2023年02月04日 | 自己満

前記事遊牧アディクトだからしょうがないの続き。

 

遊牧アディクトだからしょうがない - カルガリーたん

 

:部落差別的な意味は毛頭ございません。「集落」と同様に地域の単位を表す。

 

前記事で、日本国金田(日本国Алтанталбар)(ジャパン、アルタンタルバル)という集落にある商店には月餅という月餅が売っていないんちゃうか?

という妄想をして、ビリビリ、ワクテカになってしまいました。アディクトだから仕方ない事なのです。Алтанталбарという集落については前記事の終わりの方に書いてあります。

 

金田という集落はАлтанбулаг(アルタンボラグ)と読んでも良いのではないか?と思います。

(Алтан) (Булаг)

日本の地名でいう田とは単に田んぼという意味だけじゃなくて、集落や部落や村や町などのように地域単位のニュアンスもある。

 

Булагは、部落に相当する?のかと勝手な憶測するしかありませんが、部落という言葉は漢語にもあり、ブラグだかブログという発音に近い為、モンゴル語でも漢語の影響を受けている可能性があったりするのかもとか思ったりするが、実際にБулаг(ボラグ)とはどんな意味なのでしょうか?

集落や部落や村の様な地域単位を表すとすれば、田とБулагは近似値。

 

よって金田≒アルタンボラグ……ロシアとの国境どこ?

 

実際にロシアと国境接している場所にАлтанбулаг(アルタンボラグ)という街が有ります。

↓Wikiトラベル

アルタンボラグ - ウィキトラベル

 

ウランバートル郊外、トゥブ県にも同じ地名があり、日本にも同じ地名がある?!

超ビリビリ来る!!!

 

もう、アルタンボラグって言っちゃっていいんじゃないかと。

 

バス運とかも「アルタンボラグ神社前です」「アルタンボラグ」「アルタンボラグ下宿」と言ってしまっていい。

 

全然話違うけど横綱、稀勢の里が蒙古力士にしか見えない問題が発生!!!これ下書きしてる時にフジテレビ見ててぽかぽか見てて、稀勢の里親方が出られてました。

 

その前にワクテカの意味が分かんないとかいうコメントが来そうですけどね。

 

ワクテカとはネット死語で、wktk とも書かれる。「期待している様子」を表している。

 

稀に内容に関係ない事を指摘して来る人がいるので。

 

ビリビリは私の造語で、中毒アンテナが強烈に反応する意味。

アディクトとは中毒・依存症。

 

今日本当は、相模原市の「谷原古墳群」に行く予定だったがよく考えたら怖くなって急遽中止にした。

 

谷原古墳群の発掘調査中に、剣が見つかり、それ以後次々と不幸に見舞われたという実話があり、剣を祀ったという神社も古墳付近にある。

 

古墳群や、相性の悪い寺社に行っておかしくなった人が多数いる。

変な石祀を拝んで憑依された人や、変な石祀を拝んだ後、家などでラップ音が鳴り始めた。などの話は後を絶たないらしい。

 

石祀:石の祠。祠とは神を祀る小規模な舎。

 

古墳群のある場所には「鬼」と着く地名が多い。

「鬼」が着く地名は霊的にやばい所が多く、用がないのに行く必要がないと言われる。

 

幸い、谷原古墳群は「鬼」とはつかないが、地名なんて後で変えられるので、元々は「鬼」と呼ばれていたのかも知れない。

 

多分ひと気のない所だろうから、辞めた。

 

情報&写真 猫のあしあとさんHPより。

 

 

 

 

 

地図にある金山神社について(猫のあしあとより)

 

 

 

 

話変わって、元々船田だったのが、いつの間にか金田と変わっていたように、地名は変わるものです。どうやら船田という範囲は厚木市から愛甲郡に跨る広範囲だったらしい。

その中での一画が中世に金田となってしまった。

 

遊牧民が「金(アルタン)」と名付けた以外では、タタラ製鉄が行われたからこうなったのか?あるいは金が採れたからこうなったのか?

 

日本の他とこでもこの漢字の地名は多々あるが、金沢など他の金とセットになっている場合が多い。ここのアルタンボラグは周辺に金と着く所がない。不思議だ。やっぱ牧民が金田と名付けた?!

 

アルタンボラグ(金田)神社は昔、船来田神社と言われていたらしいが、厚木市の他の所に船喜田神社というのがある。アルタンボラグ神社はそこの別院とか、分社的なものではなく、全く関係のない社であるらしい。

 

船喜田神社は、祭神が分かっている。アルタンボラグ神社は、元々は祭神が分かっていなかった。

遊牧アディクト妄想だが、日本の神界に存在する祭神などおらず、集落の人民の先祖霊が精霊として後孫に降臨し、語らせていたのではないかと思っている。

遊牧民のシャーマニズム信仰である。

舶来(船来)/シャーマニズム/金(アルタン)という地名にいつの間にか変わっている。

 

どう考えても、それとしか考えられない。

遊牧中毒は、もうそれ以外考えられなくなる。

 

アルタンボラグ神社は無人神社で、黒呪術神社の可能性もあるので結構やばいはずですね。

祭神は名目上、豊玉姫という海神になっています。

 

3週間程前に初めて参拝したが、怖いとかヤバいとかいう感覚は全くなく、ラップ音とか、吐き気とかゲップとか怠さなどの不調も全くなく、参拝後に赤信号や人身事故に当たる事もなく、その後特に異変は無かった。

 

ただ2つだけ異変かも?と思った事は、wifi繋げて、元寇の記事とアルタンボラグ神社を並べて表示してアルタンボラグ側の記事が、サーバーダウンした事と、アルタンボラグ参拝後2週間強、蒙古タンメンにありつけなかった事。

 

これも中毒者的な思い込みでしょうね?

 

アルタンボラグ神が嫌がる内容は、ツイッターなどで朝青龍も嫌がっているというという事がわかる。

 

アルタンボラグ神社より、稲荷神社の方がよほど怖さを感じる。

 

アルタンボラグ神の子孫が参拝したら憑依される可能性もあるでしょうか?

正気なら問題ないだろうが、その子孫が薬やってたりしたら憑依されやすいのではないか?とか考えました。

 

金田牧民は、相模川を遡上して入って来たのではなく、モンゴルから東へ、沿海州へ辿り着き、現在のスラビャンカ辺りから、舶で日本海を渡り日本の北陸に辿り着き、そこから信濃、甲斐を経て相模の国の厚木台地に辿り着いた。随分と長旅である。

 

相模川対岸の相模野台地にも金田牧民と同じ系の牧民がいたのだろうか?

 

昔は今のように座架依橋などのような橋は無かった。

 

長野や山梨には、舶来牧民の伝承があるというような話をどこかで聞いた事がある。

 

 

話変わって、金鎧山というモンゴル出身の力士がいるという事をつい最近知りました。

アルタンホヤグの意味を調べたら「金鎧」だったのでググったら、金鎧山古墳とお相撲さんがヒットした。

 

アルタンホヤグ=モンゴルの元首相。

 

長野県中野市にある「金鎧山古墳」

6世紀頃に造られたものだと推定されます。

金鎧山古墳

「朝鮮半島との関係も考えられている」

 

やっぱ「金」から始まっているから半島という憶測なのでしょうか?半島に金(キム)さんいっぱいいるし。

6世紀。1桁世紀だと舶来騎馬部族が盛んで、馬具などと共に埋葬した古墳が数多く造られた頃。

 

大陸の人間が「金」という名称にこだわる理由は、いくら私なんかのアタマで考えても解りません。

 

・アルタイ山脈は「黄金山脈」

 

・キプチャク汗国は「金帳汗国」

 

・「金のオルダ」などというものもある

 

12-13世紀には女真族が「金」王朝を建てた

 

・半島には「金」姓が多い。

 

 

歴史家は「金」というだけで朝鮮半島と結びつけるという妄想をする。

私も「金」というだけで、朝鮮だけでなく、内陸アジアとすぐに結びつけてしまう。

 

歴史なんて実証されない限り、妄想の産物。

 

という事で今日はПока-Пока

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