幕内力士北青鵬関の暴力事件は誠に遺憾である。
宮城野親方(元白鵬関)の監督責任についても同様である。
北青鵬関の処分は甘いと思うのは自分だけか?暴力は犯罪である。
こういう事が起こるとカナダホト🎪の事とか書く気が失せる。
暴力事件のせいで「モンゴル人とはこういうものである。」と多くの日本人から思われたくはない。在日モンゴル人に多大な迷惑と誤解を招く。日本に於いて肩身が狭くなってしまう恐れがある。
角界が悪い。
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牧民の営地選定は、ここ日本では一筋縄には行かない。
自分も遊牧遺構探しが非常に難航している。石囲いの映像は本当に有難い。
想像しても分かるはずがない。これは本当に石囲いであった。ウェブ上で石囲いについて幾らググったところで、あれは出て来ない。Xの@aribintala氏の投稿が無ければ、知る事は出来なかった。
@aribintala氏有難うございました。
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牧民は身一つとゲルテント、家財道具だけで倭国へ渡航し、土地勘の全くない所で活動範囲を決め、生活を確立しなければならない状況である。
自分は倭国在住だから倭国の地理環境を知り、自然環境を知る。
倭国人目線で「営地選定はそんなに難しくないよ。だって倭国だもん。」と簡単に言ってしまうかも知れない。
しかし、もし自分たちが家財道具以外家畜も何も持たない牧民で、航海技術に長けているはずの女真族の船が、手違いで北米大陸の西岸🇺🇸カルフォルニア辺りに漂着してしまったとする。
さて...
これからどうする?どう生きて行く?馬は?狩猟対象の獣は?騎馬に使う馬具はどう調達する?
鏃は?武器は?鉄山は?掠奪相手の人民はいるのか?家畜は存在するのか?
皆目検討もつかないはず。
北米西岸なら、その前にネイティブアメリカン居留地に誤って踏み込んでしまえば皆殺しにされている。
そんな感じである。
倭国だから何とかなると、私達はおもうけれども、*カネディアン🔱の立場で見れば、我々にとってのアメリカと同じである。。。
未知の土地での牧民の営地選定の苦労は計り知れない。
《カネディアン🔱: 金田(カネダ)地区という蒙古集落の痕跡が残る集落に定住する人達の祖先。》
カナダホト🎪(金田地区)という立地に*オボー跡(*天神祠)がある。
《オボー☸️🕉️: モンゴル人が神や先祖を祀る祠のようなもの。》
《天神: 牧民が信仰する天の神。テングリと言う。》
おそらく牧民は、日本海沿岸に着いたのであろう。
カナダホト🎪はどちらかといえば、太平洋側である。
カナダホト🎪は夏営地の特徴を有している。
それで、そこは*ゲルテント🎪が集中しやすい一時的な村落共同体的な場所だったのではないか?
と思い込んでいるが、違うという可能性も否定出来ない。
《ゲルテント🎪: 牧民の移動式住居。》
*カナダ地区にゲルを置き夏営する牧民もいたであろう。
何故このカナダ地区が宿営地集団(一時的な村落共同体)の地域だと思い込んでしまったのだろう?
よく考えたら、カナダ地区にオボー☸️🕉️がある為、そう思えた。という事だった。
しかし、オボー(天神祠)と、宿営地集団というゲルが集中しやすい場所との関係が書いてある文献は見当たらなかった。
オボーがあるからそこが*ホトだと考えていたが、全てがそうとは限らない。
《ホト🎪: ゲルテントが集中する場所。一時的な村落共同体。》
ロシアのトゥバ共和国首都、クズルの例を挙げる。
クズルはかつてクズルホト🎪と言われていた。
エニセイ川という大きな川沿いにある。クズルホト🎪も夏営地だったのであろうか?
ここにクズルのオボーがある。ここは川沿いの高台に設置されている。
対岸に街が見える。おそらくこの対岸の街がクズルホト🎪というゲルテントが集中する場所だったのであろう?
憶測の域を出る事を出来ないが。。。
実際にカナダ地区に行ってみると、この広大な土地は、ナーダム会場だったのではないか?という気さえする。
金田神社についての記述にある、中世の長距離競馬神事は金田から上依知だったのではないかと考えられる。カナダオボー☸️🕉️がスタート地点だったと考えている。
江戸期になって、依知神社の神事で、それとは逆の上依知から金田までの神輿渡御神事に変わっている。
しかし一方、カナダ地区という所は実際にホトで、放牧地だったとしてもおかしくはない。
寧ろ放牧地として非常に適している場所とも言える。
カネディアン🔱(モンゴル人)にとってカナダ地区というものがどれぐらいの範囲であるのか正確には分からないが、おそらく直径4-5km圏内だろうと考えられる。これは自分が割り出したのではなく、宿営地選定に関する文献によるもの。
モンゴル牧民は、大体直径4-5km圏内を同じ地区だとみなすようである。
何故そこがホトで、良き放牧地なのか?
その理由のひとつが、崖っぷちではないこと。クズルホト🎪のように川に臨んだ平たい土地であり、広大な土地である。家畜が水を飲みに行くのや、牧民が水を汲むのに都合が良い。
その上湿地帯ではない。現在では清掃工場が立ち、将来的にはもう一基建ち、2基稼働予定である。そして化学工場も建ち、巨大倉庫なども建っている。
これは地盤が固い事を意味する。軟弱地盤の湿地帯だった場所には通常、このような建物は建てない。
対岸の海老名などは川に臨んだ広大な平地だが、湿地帯であった。湿地帯では宿営や放牧は適していない。
相模川も中津川も、崖っぷち或いは河原の平地が極端に狭く、河原即崖の場所がほとんどである。平地であっても、湿地帯であった所がほとんどである。
川の増水時に逃げ場が無いような所は放牧地に出来ないし宿営も出来ない。
もう一つの理由は草生が良い事。防災マップを見ると、金田地区は水害地域に指定されている。
それは川に臨んだ平地である事と関係している。川の氾濫時に浸水し易いという事。崖っぷちで、高台ならこんな事はない。
金田地区は相模川と中津川に挟まれている。川が氾濫するという事は水害であり、一見悪い事のように思えるが、牧民にとってそれはとても良い事である。
川の氾濫は、上流からミネラル分を多く含んだ土壌を運び、堆積する。そのような土壌からはとても良質な草が生える。仔畜が良く育ち、牝畜の搾乳をする夏の時期には、この様な土地がとても好まれる。
ゲルテントや家畜が多数寄り集まっても問題が起こらなさそうな広大な場所である。
牧民は、雨が多く、水害のとても多い梅雨の時期、秋雨の時期は運良く別の場所を拠点にしている。
自分は今まで黄金原、上三増、角田を歩き、様々な場所にバスで行ったが、この辺りで金田地区ほど夏の宿営に適した場所はないと思える。
騎馬民族は、製鋼の拠点を活動圏内に持っていたと考えられる。その拠点は一つの世帯だけではなく、複数世帯の牧民が共有していた。
騎馬民族は、銜や蹄鉄などの馬具や、武器などの鉄器を使う。
それらをどう調達したのか?という問題が浮上する。
図書館の郷土史によると、カナダ地区の金田という土地の由来は、鉄を量産する所という意味が有力である。
ネット上では、厚木市金田についての記述は、戦国時代には金田の名はあった。大永年間に愛知県西尾市に移住したという事しか書かれていない。
多分だが、鍛治集団が戦国時代の情勢下で逃走と分散を繰り返していたのだろうと考えられる。
厚木市以外の金田という所にも数ヶ所、そのような表記が見られた為、鍛治集団の移動、分散ではないかと考えられる。
この厚木市金田地区は、先に書いたように川に臨む広大な平地である。
金田という場所が、古代製鉄(タタラ製鉄)の鉄穴(カンナ)地形のように崖や谷戸ではなく、更に言えば絶えず風のある所である。
このような非常に風通しの良い場所で産鉄を行う事は、少なくとも古代倭製鉄(タタラ製鉄)ではない。
タタラ製鉄は更に言うと、古代に始まり、戦国時代や江戸時代でも行われていた、倭人の伝統的な製鉄方法である。
金田は戦国時代から記録のある地名なので、縄文時代からある野ダタラではない。
金田地区は、アナトリア(トルコ🇹🇷)の荒野ほどの強風ではないものの、他の場所と比較して、絶えず風のある場所である。
それと、この様な風のある場所を製鋼の地に選ぶという発想が、倭人ではないと考えられる。
大陸の荒野や草原の出身の者の発想ではないかと思われてならない。
戦国時代に現れた鍛治集団を自分は「金鎧人」と名付けた。
カネディアン🔱はチベット仏教&テングリ信仰(天神信仰)の蒙古系牧民だが、金鎧人はどうか?という問題がある。蒙古系の可能性もあるし、違う系統の牧民の可能性もある。牧民ですらない可能性もある。モンゴル帝国には蒙古系以外にも雑多な民族が存在していたので、それはどうとも言えない。ただひとつ言えるのは、大陸から渡来した人達であるということ。
カナダオボー☸️🕉️と金鎧人は無関係である可能性がある。
カネディアン🔱が初めてあの場所にオボーを作ったという可能性もある。
金鎧人は、丹沢山塊の山北町辺りで鉄鉱石を採掘し、丹沢山塊の森林から薪や木炭を入手し、風の強い金田地区で製鋼をしていたのではないか?という可能性がある。
丹沢には鉄鉱石の鉱脈があり、荻野川(厚木市)では砂鉄が採れるという説もある。
大陸の距離感覚で言えば、丹沢・山北町から金田まで、そんなに遠くはない。
金鎧人たちは、大永年間(1521〜1528)には厚木の金田からは立ち去っていた。
金鎧人が鏃などを量産している様を傍で見てその地区を倭人が「金田」と名付けた可能性もある。ということは製鋼の炉もあったという事か?
後にこの地を訪れたカネディアン🔱というモンゴル族は、金鎧人が残した製鋼の炉を見つけ、ここは製鋼に適していると判断した可能性がある。
金鎧人が去ってカネディアン🔱が訪れた。
カネディアン🔱は幕藩体制により、土地に縛りつけられ、幕府(藩)による財産没収により製鋼が不可能になる迄はやっていたと考えられる。
カネディアン🔱はモンゴル族である。モンゴル族は自らの手で土を掘り起こす事を極端に嫌っていた。そんな彼らがどうやって鉱石を入手していたのだろうか?これは多分、商人から鉱石そのものや、*銑鉄を買っていたのだろうと思われる。
市の郷土博物館には、家を建てる際の発掘調査の記録を書いた書物が集落毎にあるが、金田地区の川沿いの広い土地、製鋼の痕跡あってもおかしくはなさそうな場所での発掘調査は行われていないらしかった。だから何とも言えなくて残念。
製鋼の場は囲いなどをして、家畜が入れないようにした可能性がある。
鉄鉱石、武器、鎖帷子、炉、道具….の一切を幕府(藩)に没収されたとすれば土に炉が埋まっている可能性が低い。スラグや鍛造剥片やカスなどの廃棄物が埋まっている可能性はある。
金田地区は、牧民にとって良き夏営地で放牧地であり、ナーダム会場でもあり、製鋼の拠点でもあった。
カナダオボー☸️🕉️の聖域は、家畜が入れないように囲いがされていたのだろうか?
通常、これらが同じ地区に存在する事は、モンゴル本国では非常に珍しいのかも知れないが、狭い倭国の事情から考えると、こうなってしまったのだろう?
カナダ地区にオボー☸️🕉️がある事が納得が行く。
郷土博物館で特別に見せて貰った本によると「金田地区」の由来は、元々は「金なにがしか」であったと書かれていた。それが、田地にされてしまい、金田となったという。
図書館の郷土資料では「鉄を量産する所」と書いてあるものの方が多かった。
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カナダ地区: 金田地区。カネダと読むが、これをモンゴル語として扱う為、カネダをカナダにしてしまった。この記事では金田地区が、ホトであると断定出来ないという前提で使用された用語。今後も「カナダ地区」を使う。「金田地区」は倭人の行政が作った区画。「カナダ地区」はモンゴル牧民目線でみた地区の一つ「カナダ」という地区。
モンゴル語の母音の法則によればカネダ(Kaneda)という語は存在しない。
男性母音(a,o)と女性母音(e,u)は同じ語に共存出来ない。中性母音(i)はどちらとも共存出来るという。島村一平先生が文春の記事で教えてくれた。
モンゴル人に「カネダ」と言わせても「カナダ」或いは「カノダ」と言ってしまう。いずれにせよカネダに違和感があると思う。
金田はカナダ🔱とも読めるので問題はない。
という事で金田の読みは蒙古読み優先で「カナダ」に変更する。
銑鉄: (センテツ、pig iron)は高炉や電気炉などで鉄鉱石を還元して取り出した鉄のことである。
銑鉄を生産するプロセスのことを製銑(セイセン)と呼ぶ。
古くは銑(ズク)と呼ばれた。
カナダホト🎪について
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カネディアンの宿営地について - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる
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カネディアンの宿営地について2 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる
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ご精読ありがとうございました😊