斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

いつまでも繰り返し書いてしまうネタ

2024年11月17日 | ザ・日本人の気持ち

いつまでもこういうネタを卒業出来ない。

 

テュルク友の会いいなぁと思っているが、私は友達など要らない。欲しいのは“同志”。友達って何話したら良いか分からないし、どう関係を構築して良いのかも分からない。自分は用が無ければ自分から話しかけるタイプでは決してないし、自分から人助けをするタイプでもない。但し、これはヤバいと思った時や、“人”として自分はどうなんだろう?という時には人助けをする場合はある。愛や思いやりなどではなく「義務感」で動く事が多い。

 

テュルク友の会は、「友」ではあるが「同志」の色が濃いので好もしい。「同志」の世界では、いわゆる「友達」、「仲間」、「みんな」と言った関係にありがちな「村八分」とか、「絆」で人を縛り付ける、「同調圧」などは存在しなさそうである。古参、新参、俄かなどの序列的な位置はあるが、それが良い。古参から教えて貰えば良いのだから、それだけで関係は成立する。古参が生理的に合わない奴だったらしょうがないが、気にならなければ良い。

 

趣味友達を作れば良いと大人たちからアドバイスされるが、友達を作る為に興味のない「趣味」をわざわざ作らなきゃいけないというのは疲弊するので、出来れば興味をそそられる分野での「同志」が欲しい。

 

自分の興味を唆られる分野というのは、非常に限定的で、大多数の日本人が興味を持たない分野である。

 

それが「テュルク」言い換えれば「突厥(トッケツ)」

世界史の授業に出て来る北方遊牧国家の、あの「突厥」である。“トルコ”という意味でもある。その後裔が現在も連綿と続いている。突厥族は、アルタイ山脈が故地である。アルタイ山脈は金や鉄鉱石が豊富で、突厥の民は鉄鋼技術に優れていた。遊牧民族は製鉄民族とも言われる。

 

 

何故テュルクか?その発端はSUM41(かつては蒙古斑と呼んでいた)

SUM41の音楽は素晴らしく、大衆ウケすると言われる(キャッチーと言われる部類)が、同時に、テュルク音楽でもある。テュルクのルーツを持つ人間から紡ぎ出されるメロディー。これは貴重な事だ。これが世界でウケている。辺境の民族が世界ウケという数奇な運命。

 

SUM41の公式プロフィールには「北米出身」と書いてある為、聞く側の刷り込みで、キャッチーでポップに聞こえるが、これの作曲者がテュルク系民族だと知るとキャッチーに留まらず、なかなか深い味わいがあるように聞こえる。自分でもテュルク贔屓だと感じるところだ。

 

SUM41 はトロントでレーベルと契約したので、トロント出身とされている。

 

SUM41の同志と親密にすれば良いと思ったが、彼らは2025/1月を以て解散に向かう。もし解散せず、続くのであればファン・サークルに入り、日本ライブを毎回参戦する予定だった。

 

テュルク友の会については、後でじっくりと読む。自分はテュルクについても「俄か」である。

 

テュルク系民族は、同じ語族の人間が国境を超えて世界的に存在する。テュルクというアイディンティティで生きている。そして、同じテュルク系民族には、何事にもいち早く手を差し伸べる。ユダヤ人というのと似ているが、ユダヤ人と違うのは、テュルクという語族や血統で繋がっていること。ユダヤ人はユダヤ教という宗教で繋がっている。

 

 

日本人という生き方とおおよそ真逆である。日本人は、“日本”という国民国家の民だから“日本人”である。それは、”アメリカ人“とか”中国人“と言っているのと同じだ。

日本は“ひとつの民族ひとつの国家”だと言われている。日本人は日本語を話す人しかいないので、単一民族とされている(が、沖縄には琉球語、北海道にはアイヌ語の話者がいるので、単一民族というのは適切ではない。)。

 

テュルク系民族はというと、説明するのが無茶苦茶難しい。テュルク系民族は、突厥国の末裔。トルコ人を始めとし、トゥバ人、タタール人、バシキール人、チュヴァシ人、サハ(ヤクート)人、カザフ人、ウズベク人、ウイグル人その他含まれる。夥しい数の言語分岐があるが、皆テュルク系民族という自認(アイディンティティ)である。そして多様性もある。

 

テュルク語族とは、ウラル・アルタイ語族→アルタイ語派→テュルク語系。話される地域は、アナトリア、中央アジア、中国西部、シベリア南部、シベリア東部など。広範囲に居住しているが、何百年経っても突厥国の末裔という事が維持されている。

 

日本語は、残念ながらウラル・アルタイ語族では全くなく、完全な“孤立言語”。

 

朝鮮語はウラル・アルタイ語族→アルタイ語派→ツングース語系の下位言語である。

 

 

日本人については、最近の研究でやっと分かって来た事がたくさんある。それも、次から次へと色んな説が出て来て、次々と覆される。

 

自分が以前書いた記事では、日本人の大半は、太古人種の血の方が大陸からの渡来人の血より濃いという。

 

しかし、これを覆す研究結果が次々出て来た。学術論文でも色んな事を唱える人がいて、日本人のルーツについては未だ謎のままだ。これは多分、永遠の謎である。

 

蒙古襞(モウコヒダ)という目頭のヒダがある人が新モンゴロイド(大陸から渡航した弥生人)。無い人が古モンゴロイド(縄文人)という文献はなかなか説得力があると思っていたのだが。

 

文献によっては天皇家も縄文系だという。

 

もう、滅茶苦茶だ。

 

日本人のルーツについての論は幾ら覆されようと、我々の根底には美しい縄文の血が流れていて、縄文太古からの“和”の精神が生きている事実は動かしようがない。

 

 

昨年、自分の遺伝子をマイ・ヘリテージ社で調べたら“100%アジア日本”だった。何をもって100%日本人と言っているのか?これは勝手な解釈だが、これは100%縄文人という事なのではないだろうか?と考えた。でも、よくわからない。

 

縄文人と言っても単一種族ではない。北方の大陸から氷河期に移住して来た人の一部は、ケルト人などと血縁的繋がりがあると言われている。こういう遺伝子を検知しても100%日本人という結果を出すのだろうか?

 

日本人のように孤立言語を話し、自分たちのルーツが分からないという国民は世界中どこを探しても存在しない。ただひとつ言えるのは、日本民族というまとまった種族的集団が、どこかから一度に渡って来たわけではないという事。

 

アメリカ人でも自分のルーツはケルト系とか、イタリア系とかそういう事を良く分かっている。尤も、歴史の浅い国だから自分のルーツがまだ分かる。

 

日本人は日本人というアイディンティティ以外何も無くても、生きていく上で何も不自由はしない。何とも不思議なのが、大半の日本人は自分の根源的なルーツについて考えないし、そんな話題を口にする者がいない。そんな話をする事自体がタブーなのかと思えるが、そういうわけでもないようで、自分の根源的なルーツという発想が無いようなのである。大半の日本人はそんな事を考えることなく、生涯を終える。

 

テュルク系民族に限らず、欧州人、中国人、朝鮮人などは、一千年以上昔のルーツについて、一族で情報が共有されている、という話はよく聞く。

 

サカナクションのアイデンティティという楽曲がたまにラジオで流れる。これを聞くたびに、自分の事を言われているのかと思う。

 

日本でのアイデンティティとは、メンタル面での自立や、自分の道とか、自分のライフワークという意味合いである。自分はまだ、メンタル的な観点での「アイデンティティ」を確立してはいない。

 

周囲の人間に民族的ルーツのアイデンティティの話をすると、そんな下らない事考えてないで、自分の道見つける事の方が優先だよ。

 

老後の心配したら?。勉強したら?。そんな事より周囲の顔色気にした方があんたの為だよ。人と会話する事覚えなよ。

 

頭の中幼稚だね。他にもっと考える事あるでしょ。そんな事気にしなくてもいいよ。

 

外国人ルーツがあっても現世の人間には何の影響もない。暇だね。そんな不毛な事に時間を割くのは無駄。ずいぶん変わったこと考える人だね。

 

怒った事ある?。不思議な人。そんなんだから友達出来ないんだよ。気持ち悪いなぁ。

 

などと言われ、ないがしろにされる。この頃の周囲とは、高校の同期。

 

それに懲りて、それ以来、周囲にはこんな話を一切しなくなった。

 

日本人にはその手の話はアホらしくてタブーのようだ。人間の根源的な問題なのに、否定される。

 

日本には、そのようなものは存在しない。

 

 

昨年、両親にこの話しをしたら、昔の征服王朝説を言う。大陸にいた“倭(和)民族”が天皇家を頂点にして、縄文時代に、馬に乗って日本列島を侵略し、縄文人を北と南に追いやった。北がアイヌで南は琉球。琉球人を先住民と言っていた。未だそういう認識である。縄文人を日本人と見做していなかった。学校の教科書で習った通りの事を言う。

 

自分の遺伝子検査の結果が、100%日本人と出たのでこれは100%縄文人の家系決定だと思うが、当の両親は全く考えもしない。その事を伝えたら、純粋な“和族”なんだろ?日本人なんだから当然。ぐらいの答えで笑っていた。これ以上もう、何も言う気は起きなかった。

 

神棚を飾る慣習が無い事自体が、うちは、縄文系であると思うが。神棚に祀られている神は「天神」「地祇」で言う「天神」に属する方で「タカマノハラの神」である。これは“和族”が大陸から持って来た神である。両親は、自分たちが縄文ルーツであるのに、それも自認してないのか。何も先代から伝承されて無いのか。哀しい。

 

マイ・ヘリテージの結果も、正しい意味がよく分からないので、自身が100%縄文(うちが縄文家系)なのか?本当のところは何も分からない。

 

私を否定、卑下した高校同期の人たちは自分のルーツについてどう思っているんだろう。多分、そんな暇じゃないと思うので、そんな事は生涯考えもしないのだろう。

 

その中の数人は、弁護士になったり、ファイナンシャルプランナーになったり、一級建築士になったりした、らしい。同期事情に詳しい同期から聞いた。

 

彼女らは、そんな無駄な事を考えずに、自分の将来を見つめ、勉強して自分の道を見つけたのだろう。それこそ、日本で言う、アイデンティティを確立している。私は何ものでもない。何にもなれなかった。

 

自分の根源的な民族的ルーツが分かれば、自分のライフワークや道を見つけるなど、何か開けてきたり、前へ進めるのだろうかと考えていた。

 

 

自分は子供の頃より将来の夢が無かった。将来の職業というものが、何をどうやってもどう考えても、考えつかなかった。何にも興味を持てなかった。当時はネットがあったわけでは無かったし、自分には情報交換が出来る友達というものがいなかった。

 

高校の時の担任の英語の先生は、ある時、自分の何代か前の先祖はロシア人だと授業中に言い出した。彼女にはロシア的な特徴など皆無だった。それなのにロシアンルーツがあるのが不思議だった。

 

そして、何を勘違いしたのか自分にもロシアンルーツがあるような気がしてきたのだった。先生は、自分の血統を長年恨んで来たという。その気持ちが全く理解出来なかった。

 

自分のアイデンティティ(民族的自認)に悩みがある人がとても羨ましかった。

 

自分にはそもそもアイデンティティが無い。“日本人”というのはアイデンティティではない。世界からの寄せ集めであって、日本という国民国家の民であるというだけ。自分は何処から来て、どのような本性を持っていて、どう生きるべきか。自分の本性に沿った生き方をしたいので、そこを知りたいが、それが叶わない。“日本人”というアイデンティティで片付けられてしまうと、“神経質なムラ社会”から逸脱出来ない存在にされて、縛りつけられているように感じる。アンタはそういう存在だと決めつけられているというか。もちろんこの意味の日本とは、戦後日本を指す。

 

日本の八百万の神(アミニズム)が連綿と残っているところ、日本人特有の、人の心の奥の奥を読んで行動する所や、和の精神も素晴らしい。日本の美しい自然にも恵まれているし、日本人に生まれたことを感謝している。そして日本の文化は外国人からも評価されている。

 

しかし、「私は日本人です。」と対外国人に言い切れる程、繊細な神経の持ち主では決してない。日本人は空気を読んだり、察したり出来る、非常に細やかな神経の持ち主であるが、それが素晴らしいと評価されている。自分はそこが、全く当てはまらない。日本人の得意とされる分野は、自分にとって苦手である。

 

 

その頃の自分は多分、変身願望に近いものを、ありもしないロシアンルーツに求めていたんだと思われる。それと、海外への都合の良い勘違い。外国人はハッピーで、気さくで、村八分や束縛や干渉などをしないおおらかな人たちだと思っていた。

 

偏狭で、少しでも空気読めなかったりしただけで村八分にされる、人間関係が不自由な、戦後日本要素が嫌いだった事もあった。当時の日本の学校文化。右へ倣え。みんなおんなじ。同調圧力。協調しなさい。などが馴染めなかった事もあり、自分の中に海外ルーツがあったらいいなぁ。と夢想していたのだと思う。周囲の人間に嫌われ、人間関係が構築できなかった、変わり者の自分をありもしない「海外ルーツ」のせいにしようとしていた。しかし学校には、フィリピンハーフの子もいて、彼女は友達も多く、違和感なく周囲に溶け込んでいた。

 

自分が興味のある事は周囲の女子が全く興味がなく、周囲が興味がある事は、自分が全く興味がない。どうしても話が合わない。何を話したらいいんだ?自分は人の欠点に関心が無いから、人の陰口の同調を求められても、「そうなの?」と言うぐらいで応じる事が出来ない。変に陰口に同調して、自分の信用を失墜させるのは良くない事なので、高校同期の軽はずみな陰口には非常に警戒していた。そうしているうちに、いつの間にか村八分を喰らい、集団無視されてしまった。それ以来、その学年が終わるまで、ぼっちで行動するようになる。

 

クラス中で、カルガリーさんは会話成立しないしキモい人だから…と言われていた。用があって話し掛けても完全にシカト決め込まれていた。クラス全体で集団無視。クラス中から常に監視されて、定点観測されていた。空気が読めない人への制裁であった。女子校では日常茶飯である。

 

自分の10代後半は、とにかく周囲と噛み合わなかった。学校には友達がいようといまいと、勉強をしなければいけないので、皆勤で通っていたが、学校からはその年、皆勤賞で表彰されなかった。泣き寝入りしたが、担任側もこんな奴目障りだし来て欲しくは無かったのだろう。私立は依怙贔屓激しいと思った。嫌いな生徒は評価しない。

 

冷静に考えて見れば、16-17歳の年頃の女子の目から見れば、自分の根源的なルーツの話なんかを同い年がしてたらかえって不気味に映ると思う。いい歳をしてこんな事、普通の人間は口にしない。

 

 

遊牧趣味から得られた興味関心は、畜産業や鉄鋼業や鉱物である。これが自分がまだ高校生ぐらいだったら、親に懇願して、ロシア(Санкт-Петербургский государственный горный институт (технический университет)имени Г.В Плеханова《サンクトペテルブルク国立鉱山大学》)

やカナダ(北米)(Haileybury School of Mines《ハイレイバリー鉱山学校》)の鉱山学校に留学したいと言っていただろうと思われる。日本に帰って来ても就職先は無いと思うが、ロシアなどで就職し、結婚し、家庭を築いて、骨を埋めているだろう。

 

この歳になっても自分に「海外ルーツ」を求めるなどという幼稚な事をしてしまう。気が緩んだ時などは、寝る寸前に自分の中に海外ルーツが流れているのではないかと考えてしまう。そういう時は仕事上のミスをやらかしたり、スランプの前触れである。気を張っていればそんな幼稚なことがよぎったりしないが、ダラけて来るとすぐそちらに逃げてしまう。

 

長文のご精読ありがとうございます😭

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