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庄原市の日本ピラミッド葦嶽山と吉備津彦神社のストーンサークルはニギハヤヒが祭祀を行ったと推理していましたが、以下の動画で楯築王墓の南側の真宮(しんみや)神社に立派なストーンサークルがあることが分かりましたので、嬉しくてコメントしました。お付き合いください(#^.^#)
貴重な情報をありがとうございます。楯築王墓は王年代紀(宋史)第19代王天照大神尊とされたニギハヤヒ大王が被葬者です。詳しくは拙ブログ「【刮目天の古代史]楯築遺跡は師升の墓か?」を参照ください。この真宮(しんみや)神社は18代奴国王スサノヲを祀っていることは分かっていましたが、牛神様、薬王大菩薩はスサノヲの本地仏ですので間違いありません。同様のストーンサークルは吉備津彦神社にも見られますが、弥生後期後半(二世紀前半)に作られたものだと思います。真宮神社でニギハヤヒが兄のスサノヲを祀り、王位継承儀礼を行った痕ではないかと思います。実は日本ピラミッドが庄原市葦嶽山にあり、その山頂にもストーンサークルが見られます。その拝殿が東側の鬼叫山にあり巨石群が見られます。麓の蘇羅比古神社の祭神は山幸彦となっていますが、その社名から本当はニギハヤヒであると推理しています。今回の情報からニギハヤヒがこれらのストーンサークルを作ったと確信しました。どうもありがとうございました。
詳細は拙ブログにありますので、よろしければご参照いただき、コメントしていただけると幸いです。
真宮神社は楯築王墓の南側の王墓山の南端にあります。王墓山古墳は6世紀に築造されたもののようです。多数の副葬品が出土しています。その時代にヤマト王権の基礎を築いたニギハヤヒ大王の子孫(物部氏)によって奴国王スサノヲを祀るために築造されたと、真宮神社の存在から推理できます。ですからこの古墳には当然ですが奴国で殺されたスサノヲの遺骸はなかったと考えています(^_-)-☆
【関連記事】
【刮目天の古代史】楯築遺跡は帥升の墓か?(@_@)
【検証7】桃太郎はニギハヤヒだった?(*^▽^*)
日本ピラミッドの謎?(改訂版)
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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