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#2025-01-25 07:14:48に記事にしましたが、先ほど別の記事を誤ってアップしてしまい一日一本のマイ・ルールに違反したので、便宜上前日2025-01-24 07:14:48の記事として登録させてください。申し訳ありません(^^;)
現在は奈良県奈良市の富雄丸山古墳(径110m)に抜かれましたが、つい最近までは全国一位の円墳でした。こうした巨大円墳を遮るものなく見ることができるのは実に貴重です。おそらく築かれた当時もこんな感じで人々は見たのではないでしょうか。埼玉古墳群は円墳より格上の前方後円墳が8基もあるなかで、唯一丸墓山古墳が円墳、しかも超巨大です。なぜなのでしょうか。そんなことを考えながら古墳公園を散策するのもよいのではないでしょうか。金錯銘鉄剣出土の稲荷山古墳と丸墓山古墳の位置関係図はブログにあります。こちらです。https://kofunwodougademiru78.publog.j...
いい情報、有難うございます。 富雄丸山古墳よりも大きい円墳が3つも見つかっていますから、この古墳は全国5位になります。
3位は宇佐市安心院町宮ノ原遺跡の奥城(おくじょう)古墳(約120m)
1位は安心院町宮ノ原遺跡の三柱山古墳(約150m)
この墓が土を高く持っただけの百余歩の冢(ちょう)ですから卑弥呼の墓の有力候補です! 愛宕神社古墳は卑弥呼の弟赤坂比古(魏志倭人伝の掖邪拘)のものと推定しています。 奥城古墳は卑弥呼の父赤坂比古(魏志倭人伝の伊聲耆)のものと推定しています。現在ブドウ園の展望台になっています(*´Д`)
巨大円墳は弥生終末期から古墳時代初頭の和邇氏の祖のものです。天理市和邇坐赤阪比古神社の祭神が現在宗像氏の祖阿田賀田須命と宗像女神市杵島姫命とされていますが、元は赤坂比古が祭神だったので名前が残っています。和爾氏は縄文海人ムナカタ族の有力な氏族です(詳細は「消された和邇氏の正体が建国の謎を解くカギ」参照)。*
4位の富雄丸山古墳は初代ヤマトの祭祀王応神天皇の皇太子菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)が被葬者と推定しています。母は日触使主(ひふれのおみ)の娘宮主宅媛(みやぬしやかひめ)ですが、日触使主は卑弥呼の弟と推理しています。
近江八幡市日牟禮八幡宮で卑弥呼と共に祀られていました。裏山の八幡山は日触山といいます。藤原不比等が詣でて日群社(ひむれのもり)と社名を変えた歌が残っていますので、元は日蝕社(ひはえのもり)と推理しています。藤原氏によって祭神は隠され、卑弥呼は現在近江八幡市大嶋神社奥津嶋神社に遷されていますが、卑弥呼が日食によって暗殺されたことを示唆しています(詳細は「卑弥呼はいつ、どこで日食を見た?」参照)。
(左クリックで拡大)
丸は和邇氏を指し、丸山は和邇氏の円形墳墓という意味になります。4世紀前半の宇治天皇の時代に和邇氏は全国に広く展開して、各地の宗像神社・厳島神社などで市杵島姫卑弥呼を祀っています。神仏習合して弁財天としても祀られています。
丸墓山古墳は6世紀前半のものとありますで、5世紀末の稲荷山古墳の後の武烈天皇の時代で和邇氏の勢力が陰りを見せたころです。上で述べたように8世紀には藤原氏によって衰退し、春日氏・小野朝臣・粟田氏などに改姓させられています。家系図も相当改ざんされているようですので、被葬者は今のところ不明です。お邪魔しました(;^ω^)
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