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古代史が謎だらけなのを多くの皆さんはロマンと思っているようですが、身近な話を考えてみればすぐに気づきます。あいつが言っていることは物証がないということならば、アイツは嘘ついていると直ぐに気づきます。
ところが古代史は、現存する最古の歴史書「古事記」も正史「日本書紀」も「天皇の歴史書」という刷り込みがあるので、事実、つまり考古学や民俗学などの成果と文献が異なっていても、何らかの事実が書かれているはずだと、何となくロマンだと思っているようです!(*´Д`)
そうなんですよ。日本書紀は天武天皇が編纂を命じたのですが、何と崩御34年後に完成しているのです。当時の権力者は藤原不比等だったのです。藤原氏にとって都合の悪い三世紀までの建国時代の史実を神話にして誤魔化して、人代もかなり改ざんしていることが事実から分かってくるのですよ。
先に完成したとされる古事記ですが、実は九世紀の学者多人長(おおのひとなが)が突然表に出してきたものなのです。正史に記録はありませんし、日本書紀が参照した形跡もないのですよ。
古事記は平安時代中期(弘仁三年812年~康保二年965年)に大学寮の学者が講師となって行われた日本書紀の「日本紀講筵(にほんぎこうえん)」でサブテキストとして使われたようですが、その後はほとんど読まれず、祭祀関係の氏族が細々と伝えていたのです(日本書紀完成の翌年の養老五年721年を一回と数えるようですが、史実を知っている人間がまだ生きているので、単にお披露目だったようです。弘仁三年の講師が多人長)。
それを江戸時代の国学者本居宣長が発掘して絶賛したのです。その影響を受けた神道家平田篤胤が記紀神話に基づく復古神道を唱え、それが幕末の勤王の志士らに人気になりました。
それまで日本書紀の神話が神仏習合、修験道などの影響を受けたナーガ(龍蛇神)信仰の中世日本紀という神話に変貌していたのですが(斎藤英喜「読み替えられた日本神話」(角川選書)参照)、明治になって、神仏分離令が発令されて、全国で廃仏毀釈運動が起こったのです。神様を祀っている仏教寺院が打ちこわしに遭い、僧侶は無理やり還俗させられる暴力的なもので、日本版文化大革命だったのです。後に、フェノロサなどの活躍で寺院が復活されるようになったので今のような形になっているのです。そして、記紀神話に基づく国家神道が創設されて、学校で国史が教育されたので戦後の日本人も記紀神話が日本古来からの伝承だと洗脳されているのですよ。
「記紀は天皇の歴史書」が古代妄想?(;^ω^)
多くの方は記紀神話や日本書紀に基づく話や藤原氏に支配された神社の伝承から古代史の仮説を作りますが、考古学の成果などで検証をしないで、反論を受け付けないでその仮説に固執すると古代妄想ということになるのです(*´Д`)。
ですから、それに気づけば話は簡単で、事実に基づかない神話や神社伝承が何のために作られたのか不比等の意図を推理すると、古代史の真相が解明できます。
真相解明のヒントが古事記です。基本的に日本書紀に沿って書かれていますが、所々、無視したり、違う内容になっているのです。日本書紀が隠した史実を暴露する暗号書だったのです。この暗号を解けば空白の150年に隠された二人の天皇が判明し、富雄丸山古墳の被葬者も分かりました。また、倭の五王の系譜も分かりました(詳細は「空白の世紀と倭の五王の謎(その1)・(その2)・(その3)」・「富雄丸山古墳に何故葬られたのか?(@_@)?」参照)。
出雲口伝や竹内文書などの古史古伝も、古事記と同じ目的で作られているのです。藤原氏に悟られないように荒唐無稽な話を創り、その中に真相を入れたものだと思いますので、これに基づいて仮説を作ってもいいですが、事実で検証しない仮説は単なる空想に終わります。
藤原不比等が日本書紀の中で不都合な史実を隠ぺいし、そのために歴史を改ざんしたことに気付けば、仮説を考古学や民俗学などの成果で検証する科学的な推論法アブダクションによって解明するしかないのですよ。詳しくは「【刮目天の古代史】古代史を推理する」をご参照ください。
【発見!】仁徳天皇の怖い秘密?
何故、初代神武天皇の話を創作したのか、それは初代ヤマトの祭祀王応神天皇の崩御後の史実を隠すためだったのですよ。では、なぜ隠さねばならなかったのか?それが不比等の真の目的です。権力を握るために行った悪事は隠さねば権力の正当化はできませんからね。詳細は以下の記事で詳しく説明しましたよ(;^ω^)。
神話が隠した不自然な史実
【関連記事】
いくつも同じような内容の記事を書いていますが視点が違う部分もありますので、お好きな記事から、ごゆっくりとお楽しみください(#^.^#)
権力者が歴史書を作る目的は何?(;^ω^)
古代の権力者が何故、歴史書を編纂したのか、その意味をしっかりと認識する必要があります。これは、古代に限らず、権力者の持つ習性みたいなものだと思いますが、人々の過去を縛ることにより、現在と未来を支配するためだということに気付く必要がありますよ。詳しく解説しました(^_-)-☆
【付録】に古事記が暴露した主な史実について解説していますのでどうぞ( ^)o(^ )
正史は正しい歴史なのか?|д゚)
王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆
10世紀に東大寺の僧が入宋して、日本神話を正す日本の王年代紀を献上したので、「日本は古(いにしえ)の倭の奴国」として日本の国号が正式に認知されました。藤原不比等が作った高天原は北部九州の倭国のことだったとシナ人が認めたからなのですよ(#^.^#)
日本神話は八世紀の創作ですよ!(;´Д`)
卑弥呼が正史から消された理由?(^_-)-☆
卑弥呼と天照大御神が同一人物?(@_@)?
江戸時代にできた記紀神話に基づく仮説が結構、人気ですが、それに固執すると古代妄想なのですよ(*´Д`)
アマテラス大神はヘビだった?
中世日本紀の話です。江戸時代まで民衆も伊勢の神が誰だか知っていたようです(^_-)-☆
隠された倭王と創作された継体天皇?
「隋書 倭国伝」に登場する俀王姓阿毎字多利思北孤(倭王アメノタリシヒコ)が日本の現存する最古の歴史書「古事記」と正史「日本書紀」では推古天皇(第33代、在位593年ー628年)の時代とされています。記紀が「天皇の歴史書」だと思わされているいろいろな方が様々な天才的な発想でつじつま合わせの仮説を立てるだけで、ほとんど検証されていません。事実による検証をしっかりと行わないので、日本の古代史は仮説のジャングルの中で迷子になっていたのです。
言挙げしてはいけない古代史の秘密(;^ω^)
奈良時代から平安時代にかけて、朝廷は以下の四柱の神様だけ皇族に与える特別な位階の神階「品位(ほんい)」一品を差し上げているのです。
伊佐奈岐命 (淡路国 伊弉諾神宮)
八幡神・八幡比咩神 (豊前国 宇佐神宮)
吉備都彦命 (備中国 吉備津神社)
宇佐神宮の八幡神(大国主命)・比売大神(市杵島姫命・卑弥呼)、そして吉備都彦命とされて隠されたニギハヤヒとその父イザナギのこれら四柱にだけ最終的にすべて一品(いっぽん)をお贈りしていますので分かりました。大国主の子孫のヤマトの大王から皇位を奪ってしまったので、最も祟りを怖れる大国主大神を祀る出雲大社にはどなたも行幸して参拝できないのでしょう。代わりに本当は大国主である天照皇大神を伊勢神宮で丁重にお祀りしているのですよ。
日本の古代史の学術的な探求で分かったので、これらの秘密は決して、神社・仏閣に行って尋ねないでくださいネ!葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国ですから(;^ω^)
【参考文献】
吉田一彦「『日本書紀』の呪縛」シリーズ<本と日本史>①集英社新書2016、pp.225-226より引用
『日本書紀』の呪縛を解く
『日本書紀』は日本の過去をありのままに記したような書物ではない。それは、権力の座についた氏族たちが自分の権力の根拠と正統性を神話と歴史から述べた政治の書物であり、過去を支配することを目的とした書物であった。
時間とはどのようなものか。過去は過去だけで存在すものではなく、連続した時間の中で、つねに現在や未来と関連して存在する。『日本書紀』は過去を規定するが、それだけではなく、それによって現在や未来をも規定した。過去を支配しようとすることは未来を支配しようとすることであった。
『日本書紀』の呪縛とは、『日本書紀』が過去を縛るとともに未来を縛ってたきことを指している。天皇を中心とする権力のあり方、天皇を補佐する者による政治の姿、神まつりから仏教にいたる宗教のかたちーー『日本書紀』は国家の形を定め、歴史や政治の原点になる書物として君臨してきた。
私たちは、そろそろこの書物が規定する枠組みから自由にものを考えるようになってもよいのではないか。私たちの新たな未来を構想するには、『日本書紀』に記されるれ歴史が相対的なものであることを認識し、この書物が描く歴史とは異なる歴史が存在することをイマジネーション豊かに内面化することが必要になる。
『日本書紀』の徹底的な分析をめざして
『日本書紀』は、今からはるか遠い過去の養老四年(七二〇)に完成した書物である。そうした昔の本は、現代の私たちとはほとんど関係しないのが普通である。だが、この書物は少し違う。『日本書紀』は二一世紀を迎えた今も、わたしたちの中に一定の位置を占めて生き続けている。
『日本書紀』を相対化することによって、わたしたちははじめて自由に歴史を考える視座を手に入れることができるし、客観的に歴史を認識する方途を得ることができる。それには、この書物が語る思想の特質や成立の過程を解析し、その姿を白日のものにしていく作業が必要になる。それは日本の人文学の大きな研究課題であると思う。私は、私たちの前に存在する『日本書紀』をさらに詳細に読解しなければならないと考えている。
最後まで読んでいただき、心より感謝します。
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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