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それを時代毎にブロック毎に分けて解説 古代史ハルキー@YouTube
@YO-high
これは素晴らしい。魏志倭人伝の「ソース」の分析ってのは大事だと思います。
で、陳寿は「倭」と「呉」の関係性を意図的に外してるんじゃないかな?
「呉の大伯の子孫」の部分で「呉」を抜いてるし、倭からの影響はあるようにだけ書いてるようです。
追加で書いた部分とわざわざ抜いた部分も両方あるように思うんですよね。 これは陳寿の「偏向」かなぁと少しおもっております。
@takedaharuki
ありがとうございます。岡上さんの影響もあって、最近はこのあたりについて深く考えるようになりました。確かに魏志倭人伝には「呉」の記述が全く出ていないです。興味深いです。やっぱり、歴史書というのは歴史家の主観が入るものなのかも知れません。
@katumoku10
YOさん、こんばんは!魏略ですが、いつ完成したのか、三国志の後の可能性もあると知って驚きました(wiki「魏略」)。
でも先に完成していたら、「倭人は太伯の後」を陳寿は無視したはずです。だって、陳寿の目的は西晋の創業者の司馬懿を上手に持ち上げることですから。
それで、太伯の話は正しいと思います。太伯の父が古公亶父です。ですから亶州は倭国ですよ。もろに「日本の父」という名前なのです。夏王朝を興した禹の末裔で、新唐書・宋史 王年代紀の初代奴国王天御中主は、つまり禹と同じヘビ神(ナーガ=奴、中)ですから、皇室の祖先です。
倉敷市楯築王墓の神社のご神体が人面蛇体の亀石(弧帯文石)ですから、被葬者は第十九代奴国王天照大神尊で先代旧事本記の天照国照彦天火明櫛玉饒速日命ニギハヤヒ大王です。107年に後漢安帝に朝貢した倭面土(伊都)国王師升(奴国宮廷楽師)に殺された十八代奴国王素戔嗚尊の弟です。奴国を逃亡し吉備を平定して吉備で奴国を再興し、ヤマト王権の基礎を築いた人物で、今上陛下の祖先ですよ。
隋書 倭国伝に見られるアメノタリシヒコの政治理念から分かりました(詳細は「【刮目天の古代史】今年の大発見(その2)!」参照)。お邪魔しました(;^ω^)
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