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【邪馬台国の女王】卑弥呼は99.9%福岡県にいた!?【データサイエンスで解き明かす古代史】
レイの謎解き日本@YouTube
魏志倭人伝は三世紀の倭国のことが正しく書かれているはずだから、正しく解釈すれば分かるはずというのは思い込みだったのです。邪馬台国の行程記事には政治的な理由でウソが書かれていると見抜けないから、江戸時代から三百年かかっても解決しないのですよ(#^.^#)
行程記事は意図的に邪馬台国を帯方郡から東南万二千余里で魏のライバルの呉を東海上から挟み撃ちする東夷の大国としたいために政治的に創られたものなのです(詳細は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」「「魏志倭人伝」行程記事の真相だよ(^◇^)」」参照)。
ですから、魏志倭人伝に描かれたその他の邪馬台国の条件を調べれば決定できますが、残念ながら安本先生の手法では邪馬台国を見つけられません。鉄製品や絹織物や玉や鏡など人が容易に運べるものですから、決め手にはなりません。
それよりも、魏志倭人伝に描かれた以下の地理的条件に合致する場所を見つければいいのです。
①倭国は温暖で冬でも生野菜が食べれて裸足で生活できる場所
②「女王国東渡海千餘里 復有國 皆倭種」とあるので九州説なら周防灘に面した福岡県東部だけでなく、大分県豊前地方も該当します。それ以外は該当しません。列島内の纏向説やほとんどの場所は不適合。
③急造りの径百余歩の冢(直径約150mの円形墳丘墓/円墳で、ただ土を盛り上げただけの塚)の存在
④墓の周辺に弥生後期から古墳初頭の城柵のある集落(要害堅固な山城)。卑弥呼は人前に出ず、奴婢百余名が殉葬とあるので千人の奴婢が居る大集落というのは潤色の可能性が高い!纏向遺跡には防御施設は見られない。
これらの条件に合致する卑弥呼の墓を発見しました。
大分県宇佐市安心院町「三柱山古墳」です。周辺に卑弥呼の伝承や遺構・遺物など数多くあります。
卑弥呼は宇佐神宮の比売大神・宗像女神市杵島姫と推理しました。
考古学や民俗学などの成果でいくつも検証して推理しています。
詳しくは「刮目天の古代史 卑弥呼の墓は見つかってるよ!」「邪馬台国は安心院(あじむ)にあった!」などをご参照ください。お邪魔しました。
【補足】西日本有数の生産量を誇る ~安心院ぶどう~(宇佐市公式観光サイト)
- 平均気温が10~20℃程度
- 日照時間が長く、年間日照時間が1300時間程度
- 適度な降水量で、夏に雨が少ない
- 昼夜の寒暖差が大きい
- 冬季は氷点下にならない温暖な気候
最後まで読んでいただき、感謝します。通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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