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【海外の反応】「世界的に比較しても日本がおかしいんだ」イギリス学者が長年の研究で発見した縄文時代の真実に世界中が絶句
JAPAN日本の力 @YouTube
@katumoku10
すばらしい情報をありがとうございます。
最後のストーンサークルの話ですが、ストーンサークルとしては知られていましたが、造成時代がほとんど知られていない、実は弥生時代後期から古墳時代初頭のものを発見しています。謎の日本古代史研究の中で得られました。
首長霊信仰のはじまり、つまり古墳時代の起源のような、人々の信仰心が大きく変化した時期に、縄文時代の天文観測目的ではない、更に発展した形態で、神秘的な現象の霊ライン(レイラインの作られた目的が霊に拠るもの)を発見しています。
もしもご興味がわけば、「米神山と佐田京石の秘密」・「【刮目天の古代史】霊ラインの謎?」をご参照ください。お邪魔しました(;^ω^)
【関連記事】
(1)久々遅彦の霊ライン
ほとんどの方は気づいていないようですが、狗奴国は南九州ではありません。二世紀末から三世紀初頭の倭国大乱で活躍した狗奴国の官狗古智卑狗は、山陰から越を根拠地とする縄文海人ムナカタ族を束ねる王久々遅彦(王の襲名、奴国宮廷楽師の師升に殺されたスサノヲ大王の子孫の出雲・豊後王国の王)です。久久比神社の本殿略記(右)に、「胸形(宗像)大明神と称され木の神久久遅命を奉斎した」とあります(^_-)-☆
米神山と佐田京石の秘密( ^)o(^ )
巳年に因み大国主の住む米神山の話です!
米神山で大国主の化身にお会いする不思議な体験をしました(#^.^#)
(2)スサノヲの霊ライン
スサノヲ大王は丹後半島で奈具神社の末社で新羅明神として祀られていますが、倭国東北一千里のタバナ国出身の倭人と伝えられる新羅4代脱解王のモデルでした。丹後半島から豊岡市にかけてスサノヲとその子孫の出雲・丹後王が活躍した史実を隠すために、伊勢神宮外宮で祀られる豊受大神(内宮で祀られる天照皇太神大国主久々遅彦の妃の女王台与・神功皇后のモデル)をこの奈具神社の主祭神としていますが、地元のスサノヲ・大国主所縁の人々は末社「新羅神社」でしっかりと祀っていました。
古代史ロマンを壊すようで申し訳ないですが、丹後半島や列島各地の天女の羽衣伝説や列島各地の神社伝承なども史実を隠す目的で藤原氏が作った伝承だと推理しています。しかし地元の方々のご努力によって、摂社などで本当の祭神を祀り続けているようですよ(;^ω^)
日本の古代史の悲劇は、奴国王伊弉諾尊と縄文海人ムナカタ族の姫伊弉冉尊との政略結婚で生まれたスサノヲが奴国王となった後も、母方のムナカタ族と共に辰韓の鉄の支配(慶州市隍城洞遺跡)や丹後半島の玉造工房の整備(奈具岡遺跡など)などのために奴国の王宮(須玖遺跡群 春日市奴国の丘・熊野神社)を留守にすることが多く、そこで慣れ親しんだ縄文式のでかい銅鐸を奴国の伝統的な宮廷祭祀に持ち込もうとしたことによって、宮廷祭祀の楽師たちの反乱を招いたことが原因と推理しました(霊ラインの端点の豊岡市気比銅鐸出土地は気比大神スサノヲゆかりの土地でした)。
古事記にも、捕らえられた乱暴者の神スサノヲが八百万の神たちから拷問を受けて高天原から追放されたとあります。日本書紀でも奴国を儺県(なのあがた)として追儺(鬼やらい)があったことが示唆された地名になっています。スサノヲは日本の疫病神の元締めとして、平安時代から熊野信仰や御霊信仰・祇園祭などが行われています。
古代から伝わる現代日本人の精神文化を深く理解するためには、残された大きな古代史の謎「霊ラインの秘密」の解明が必要なのですよ(^_-)-☆
【刮目天の古代史】霊ラインの謎?( ^)o(^ )
(左クリックでGoogle MapのMy Mapで見ることができます。そこからさらにGoogle Earthに飛ぶと3D地図になり楽しめます)
以下の二つの記事は現地を調査してきた話です。
もしもご興味がわけば、現地に行っていろいろと調査してレポートしてください。よろしくお願いいたします(#^.^#)
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
初めての方は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」に基本的な考え方を説明していますので、是非ご参照ください!
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