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【必見!】考古学と民俗学からわかる日本の建国!(#^.^#)

2025-02-27 21:32:15 | 古代史

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#2020-02-11 13:06:31に「【祝】日本建国(令和二年)」という表題で記事にしましたが、リンクが切れていたので修復し、その他新たな知見を加えて整理し直したので、標記のタイトルに変えました。よろしければ、またお付き合い下さい(#^.^#)

卑弥呼の死の直前の247年の状況から三世紀末に奈良県桜井市纏向遺跡で初代ヤマトの祭祀王として応神天皇が即位する、ヤマト王権成立までを考古学や民俗学の成果などから推理しましたので、以下に概略を説明します(注1)。

ヤマト王権成立を「記紀神話」では紀元前六百六十年に神武天皇が九州から大和に乗り込んで武力で征服したとしていますが、三世紀後半の纏向遺跡で出土した外来土器に九州のものはほとんど有りませんから(あっても1%以下)、神武天皇が東征したのではないことが分かります。同時に、九州に在った邪馬台国が東遷したのでもないことも分かります

三世紀の奈良盆地に戦争の跡は見られませんから、九州の人々が押し寄せて武力で建国した証拠は存在しません。三世紀以前に奈良盆地に王権があったとわかる王墓も存在していませんので神武天皇の話は虚構です。

逆に、下図で示すように、三世紀の終わりには列島各地の集落の環濠や溝から鉄鏃・銅鏃が出土していますので、一方的に纏向遺跡の勢力が敵対する列島内の勢力を武力で制圧して日本が建国されたことが考古学の成果から分かる事実です(詳細は「【検証19】日本建国のための戦いだ!」参照)。

それでは、纏向遺跡の勢力に平定されたのはどういう勢力かを見ましょう。

下図は鍛冶製鉄遺構の分布を示すもので、在来の鍛冶遺構の勢力と、半島南部との交流によって高温鍛冶技術を導入した倭国の勢力が対立していたことを示すものです。

上で述べたとおり三世紀の纏向遺跡に、北部九州の伊都国や奴国などの倭国の人々が来ていないことから、纏向遺跡で行われた重要な祭祀に倭国の人々が参加していないので、纏向遺跡は邪馬台国ではないと分かります。むしろ邪馬台国と敵対する勢力だったと考えられるということです。つまり邪馬台国と対立する狗奴国は南九州ではなく、纏向遺跡にあったと考えられます(^_-)-☆


このことから、魏志倭人伝にある卑弥呼の死後に男王が立ってそれに不服な勢力と殺し合いになって、千人が死んだ事件は、その勝者が倭国王に立って、外交上13歳の台与を卑弥呼の宗女として女王に立てて、魏を後ろ盾にして纏向遺跡の狗奴国と対立した人物だと分かります。そして列島主要部を傘下にしたこの人物が、記紀神話で大国主命とされた人物だと分かります。最初に男王に立ったのは記紀で仲哀天皇とされた尾張王ですが(纏向遺跡の外来土器の約半数が東海のもの)、大国主に討たれてしまいます。台与は記紀で神功皇后のモデルとされた、応神天皇の母です。応神天皇の本当の父は、後で示しますが、仲哀天皇ではなく、大国主だったのです。



記紀神話で大国主と呼ばれた人物は、山陰や越を根拠地としたムナカタ海人族を束ねた王でした。楽浪郡と交易し、半島南部の鉄も独占して高温鍛冶技術も導入し、傘下に惜しげもなく分け与えて大国主は人気者でした。倭国は狗奴国を圧倒するほど強勢になりました。魏志倭人伝で狗奴国の官狗古智卑狗(豊岡市久久比神社の祭神で木の神久々遅彦、最後の奴国王スサノヲの子孫の出雲・丹後国王の襲名)で、記紀では神功皇后に寄り添う三百歳の老臣武内宿禰です(注2)。

しかし、尾張王建稲種命(熱田神宮祭神、日本武尊のモデル)が九州に遠征し、苦難を乗り越えて大国主らを討ち、仇討ちを成功させたのです(詳細は「【検証20】景行天皇が建国の父だった!(その1)(その2)(その3)(その4)」参照)。そして最初に見たように三世紀末に纏向遺跡の狗奴国勢が列島を統一して、全国に纏向遺跡発祥の前方後円墳が六世紀ころまで各地で営まれています。大国主・台与の倭国を滅ぼしてヤマト王権が纏向遺跡で成立した証拠ということです。

初期の前方後円墳での祭祀は、主に吉備の祭祀が中心となり、北部九州や出雲、そして近畿に由来していることが判明しています(「弧帯文は龍蛇神(ナーガ)の文様だった!(^_-)-☆」参照)。

奴国宮廷楽師の師升らのクーデターで宋史王年代紀18代奴国王スサノヲが殺されました。その王子イタケルが、奴国を逃れて日本海沿岸部を根拠地とするムナカタ海人族を束ねる出雲王久々遅彦(王の襲名)となりました。そして、その子・孫(八束命・日高彦)が倭国大乱で活躍しました。さらに先ほどの内戦に勝利した曾孫の大国主高野御子が師升の子孫難升米からの倭国を取り戻しました。 この史実を記紀では日向三代の神話を創って徹底的に隠しました(詳細は「【刮目天の古代史】出雲・丹後王国の謎!(@_@)」参照)。

また、スサノヲの弟ニギハヤヒもクーデターを逃れ、裏切り者の吉備の勢力を討って奴国を再興し、倉敷市楯築王墓に葬られ、19代王天照大神尊と呼ばれました(先代旧事本紀の天照国照彦天火明櫛玉饒速日命、詳細は【検証7】桃太郎はニギハヤヒだった?(*^▽^*)参照)。ニギハヤヒ大王の子孫が王都を遷した纏向遺跡が狗奴国と呼ばれた旧奴国だったのです 狗奴国王卑弥弓呼(記紀の崇神天皇)が大国主の倭国を討って日本を統一しましたので、崇神天皇はハツクニシラススメラミコトと諡されました。

ところが、魏末期に司馬懿(179-251年)の次男司馬昭がまず蜀を滅ぼし(263年)、さらに魏の帝位を禅譲された司馬懿の孫司馬炎(236-290年)の西晋(265-316年)が、呉を滅ぼして(280年)、後漢(25ー220年)の末期から続いた動乱の時代がようやく終わります。

西晋に朝貢していた大国主と女王台与の倭国を狗奴国が滅ぼしたので、次に狗奴国が西晋に討伐されると卑弥弓呼大王崇神天皇は恐れ、民も動揺しました。日本書紀では三輪山の大物主大神(大国主)が祟ったため、大国主の子オオタタネコを探し出して、大国主の祭祀をさせると祟りが収まったとあります。最初に述べたとおり初代ヤマトの祭祀王が応神天皇です。箸墓古墳で母台与を改葬し、さらに桜井市外山(トビ)茶臼山古墳で父大国主を改葬して、邪馬台国の後継国として、狗奴国をヤマトと呼ぶことにしたのです(注3)。西晋の仕返しを避けるための知恵でした。

建国時に狗奴国のせいで不慮の死を遂げた三柱の貴人(卑弥呼・大国主・台与)の祟りを大和朝廷は最も畏れました。地震や落雷などの祟りを抑えていただくように、三柱のゆかりの地である邪馬台国のあった宇佐神宮で祀りました(詳細は「【刮目天の古代史】卑弥呼の謎!
」参照)。特に、国譲りをした大国主高野御子については、三輪山大神(おおみわ)神社で祀り、後に出雲には日本最大の杵築大社を造り祀りました。それ以外に神話で創作された様々な神は、実は史実を隠すために、ほとんどこの三柱の別名・分身を祀っています(詳細は「古代史のカギを握る神々の正体?(^_-)-☆」参照)。

今上陛下までの歴代の天皇陛下には皇祖神(天照大神尊ニギハヤヒ大王)の霊(みたま)と一体になる厳しい修行によって、国家の安泰・国民の安寧をひたすら祈り続けていただいています。天皇に関する儀式は日本国憲法第7条に定める国事行為がありますが、それにあてはまらない公的行為として、wiki「皇室の儀式」にある皇室に関する様々な儀式が定められています。参加したことがないので詳しくは存じませんが、儀式の名称だけ見ても、また数もとても多く、内容も大変なものだと想像しますので、自然と頭が下がりますね(^^;)


 

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(注1)古事記が日本書紀で隠された史実を暴露する暗号書であると分かったので、古事記の崩年干支から応神天皇の即位が293年と判明しています。詳細は「空白の世紀と倭の五王の謎(その1)」をご参照ください。


(注2)大国主の父は倭国大乱で活躍した英雄日高彦ですが、スサノヲを殺して倭国王となった師升の子孫の伊都国男王難升米に討たれました。詳細は「【検証18】倭国大乱の痕跡だ!」をご参照ください。

(注3)「記紀」では応神天皇の父は仲哀天皇とされているが、「日本書紀」の記事から計算すると仲哀天皇は父ヤマトタケルが薨去して38年後に生まれたという勘定になる。住吉大社の伝承では仲哀天皇のモガリに神功皇后と住吉大神が夫婦の密事を交わしたとあり、仲哀天皇が応神天皇の本当の父でないことを暴露している。関祐二さんは本当の父親は常に皇后に寄り添っていた武内宿禰ではないかとしている。武内宿禰は五代の天皇に仕えた三百歳の老人という設定になっているが、魏志倭人伝で狗奴国の官狗古智卑狗が狗奴国王卑弥弓呼よりも先に紹介された狗奴国王の臣下の中でも最重要人物であることから「記紀」の中で武内宿禰とされた人物だと推理した。詳しくは、「狗古智卑狗という人物?(^_-)-☆」をご参照ください。

以下の図は上で示した三世紀後半の鉄鏃・銅鏃の出土状況で判明した日本建国の戦いの史実が、日本書紀の崇神天皇の四道将軍の遠征から応神天皇即位までの約350年間の話として引き延ばされていたことが分かりました。また、大国主神話の国譲りとしていることも分かりました(詳細は「国譲り神話は都合の悪い史実を隠すためだった!」参照)。

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【関連記事】

王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆






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