先程、母方の伯母さんが、ついに危篤という報せにkazは、まったりとした気分で少々疲労…
伯母さんは、kazの母にそっくりで、裏表も無く、特に飾らない性格で周囲からは、一見するととても温和である様に語られている。
が、母同様に伯母は、その実 とても頑固な反応を繰り返してきたという事をkazは知っている…
苦労というモノは、時に 独特の忍耐力を育む為か 否、恨みを募らせ懐にしまいこんできた為に、やや屈折した腐敗した長年の情動として、事あるたびに、擦り切れた懐から垣間見せる…
彼女はいったい何を恨んだのだ?
今は亡き姑か?若くしてアル中から身体を壊して亡くなった父親か?
今、正にこの世とあの世との架け橋に立ち父親と和解すべく 何か を語らうのか?
今日まで、伯母は、ほとんど自己破滅的な自殺に似た行動に出た。
まだ、単なるポリープに過ぎない シコリ を自覚してから5年もの間、放置し続け、体から膿が流れ出ても尚放置し、家族にも隠し通していたのだ…
その事について、本人は「死にたいから」であった。。
擦り切れた懐から膿が流れても、
決して、風に当て それ を風化させてしまおう等とは思わなかった。。
そもそも、苦労を 笑って 何もなくなっちゃいました~(^^;; 等と呑気に語るkazの方が やはり尋常ではないのかもしれない…
かつて、(今でも)kazには度々あるのだけど、突如、「スト~ん!!」か「ズド~ン」か表現し難いのだが、これは、本当に 瞬間的に 肩の辺りから激しく 何か が背骨を熱い湯が流れたかの様にそれは 脚を通り土踏まずの辺りから「抜け落ち」る感覚に 「目醒める」体験がある。。覚醒なのだ。
興味深い事に、その瞬間なのか、その直後なのか、とにかく時間の感覚すら超えて感じ入る為によくわからないし、視界は真っ暗闇の中に光を見たり(^^;;
もう、普通なら、スピリチュアルだの意識 の話だが、kazは慣れっこなのと、脳機能の周辺事情を幾つか知っているからなんでもない話なわけでスルーしてしまいますが…
とにかく、そこで初めて「 抜け落ちて無くなったからこそ その瞬間まであった 何か に気付かされる」モノが多々ありました。。
無くなったから 存在に気づかされる
これが、不要な情動です。
これについても、様々なコンテクストで語らえば 際限ないのでいたしませんが…
これが、癌 だと思うのです。
未来の癌の素、味の素。(^^;;
また、同時に悟るわけです。
なるほど、西洋心理学的論理では
「気付き」の重要性が強く言われ、気付けば 抜ける という発想は 「それが、当人に合っていれば」の話で、少なくともkazには、全くの真逆の体験こそが、深く浸透し、後に幾多と助けられる体験となっている。
また、実際、kazは、鋭く膨大な 気づく為の自己探求、いわゆる勉強をしていたし、その当時ならではの洗練された語りもできたはずです。
がしかし、これが、全く 記憶の何処か遠く、遥か彼方に風と共に去りぬ~です。。
で、いわば、そういうモノさえ 海に流れ出てしまうこれが、初めて「気づき」の「気づき」に気付いたわけです。。
そういう体験は、案外、意外な処に存在します。
さぁ、それは、何処にあるでしょうか?
答えはもうお分かりですよね…
必ず、あたたかい対人関係の内から、浮かび上がる事もあるし、
キビシ~つらい境遇から、ふっと、浮かび上がる事もあります。
が、それ は、いつも …
余談は置いて、伯母さんは、今、やっと、風になるのですね…
もう、ツライ思いをしなくていいんだよ…
iPhoneからの投稿
伯母さんは、kazの母にそっくりで、裏表も無く、特に飾らない性格で周囲からは、一見するととても温和である様に語られている。
が、母同様に伯母は、その実 とても頑固な反応を繰り返してきたという事をkazは知っている…
苦労というモノは、時に 独特の忍耐力を育む為か 否、恨みを募らせ懐にしまいこんできた為に、やや屈折した腐敗した長年の情動として、事あるたびに、擦り切れた懐から垣間見せる…
彼女はいったい何を恨んだのだ?
今は亡き姑か?若くしてアル中から身体を壊して亡くなった父親か?
今、正にこの世とあの世との架け橋に立ち父親と和解すべく 何か を語らうのか?
今日まで、伯母は、ほとんど自己破滅的な自殺に似た行動に出た。
まだ、単なるポリープに過ぎない シコリ を自覚してから5年もの間、放置し続け、体から膿が流れ出ても尚放置し、家族にも隠し通していたのだ…
その事について、本人は「死にたいから」であった。。
擦り切れた懐から膿が流れても、
決して、風に当て それ を風化させてしまおう等とは思わなかった。。
そもそも、苦労を 笑って 何もなくなっちゃいました~(^^;; 等と呑気に語るkazの方が やはり尋常ではないのかもしれない…
かつて、(今でも)kazには度々あるのだけど、突如、「スト~ん!!」か「ズド~ン」か表現し難いのだが、これは、本当に 瞬間的に 肩の辺りから激しく 何か が背骨を熱い湯が流れたかの様にそれは 脚を通り土踏まずの辺りから「抜け落ち」る感覚に 「目醒める」体験がある。。覚醒なのだ。
興味深い事に、その瞬間なのか、その直後なのか、とにかく時間の感覚すら超えて感じ入る為によくわからないし、視界は真っ暗闇の中に光を見たり(^^;;
もう、普通なら、スピリチュアルだの意識 の話だが、kazは慣れっこなのと、脳機能の周辺事情を幾つか知っているからなんでもない話なわけでスルーしてしまいますが…
とにかく、そこで初めて「 抜け落ちて無くなったからこそ その瞬間まであった 何か に気付かされる」モノが多々ありました。。
無くなったから 存在に気づかされる
これが、不要な情動です。
これについても、様々なコンテクストで語らえば 際限ないのでいたしませんが…
これが、癌 だと思うのです。
未来の癌の素、味の素。(^^;;
また、同時に悟るわけです。
なるほど、西洋心理学的論理では
「気付き」の重要性が強く言われ、気付けば 抜ける という発想は 「それが、当人に合っていれば」の話で、少なくともkazには、全くの真逆の体験こそが、深く浸透し、後に幾多と助けられる体験となっている。
また、実際、kazは、鋭く膨大な 気づく為の自己探求、いわゆる勉強をしていたし、その当時ならではの洗練された語りもできたはずです。
がしかし、これが、全く 記憶の何処か遠く、遥か彼方に風と共に去りぬ~です。。
で、いわば、そういうモノさえ 海に流れ出てしまうこれが、初めて「気づき」の「気づき」に気付いたわけです。。
そういう体験は、案外、意外な処に存在します。
さぁ、それは、何処にあるでしょうか?
答えはもうお分かりですよね…
必ず、あたたかい対人関係の内から、浮かび上がる事もあるし、
キビシ~つらい境遇から、ふっと、浮かび上がる事もあります。
が、それ は、いつも …
余談は置いて、伯母さんは、今、やっと、風になるのですね…
もう、ツライ思いをしなくていいんだよ…
iPhoneからの投稿