ちょいと、スマホからの投稿をテスト^^;
画像は、こんなのを貼り付けてみるか。もう秋だしね。
あ、僕は元気ですよ~!(^^)
Y幼稚園のご父兄、子ども達と教会側が交わり合える、年に一度のクリスマスミサ後の
パーティーが、今年はどうやら行われないような動き・・
幼稚園側と一緒のバザーも来年度は中止。
そのワケは、確かにそれはそれで有るのだけれども・・
だからと言って・・。
昨年ミサに参加し、そして一緒にイエス様の誕生をパーティーの席で僕らと一緒になって
笑顔で喜んでくれた父兄、子どもたちの顔が今も心の中にそのまま残っています。
「また、次の時にも会おうね!」約束した子どもたちが一杯・・OBの大人方達だって!
バザー、クリスマスパーティー、そして別の時、別の場所で、
「楽しかったです!ありがとうございました。」と言ってくれた人たちの想いを、
ここから、どこに向かわせる場所が有るのだろう?
先日ミサ後、こんな話し合いが班会という中で行われたあと、一人のひとが
ぼそっと呟きました。
「この教会の、カラーが変わってしまう・・」
それも神様のご意向という人の意見有り・・。
確かにそれはそうで有るのかも知れないのだけれど・・、
それでも、何かそれに替わった事が出来ないか?と、
まだまだ僕は諦め切れず、今は試行錯誤でいる次第・・。
長い間、このブログの更新のために必要なパスワードというものを忘れてしまってた。
まあ、こんな時はパスワード確認のための要請をメールで送ればいいのだけれど、
その返事が中々来ない・・。
中々来ないので、「あのぉ、返事を頂けてないんですけれども・・」といった内容の
メールを再度送ったら、「○月○日付けで返信済です。もう一度ご確認ください。それでももし確認できないようでしたら、
誠にお手数ではございますが、再度パスワード確認のための要請をしてください。」といったような返事が来た。
「ウ~ム・・」と思いながら、その日付に遡ってメールをチェックしてみたものの、やはりそれに該当するような着信メールは何も無く。。
渋々、再度の要請をするしか無いか・・と一瞬思ったものの、でもなんだかそれは、
結局同じことの繰り返しになるような気がしてならず、「え~い!」とばかりに開き直り、思い付く限りのパスワードを色々と試してみた。
何回目かで、あるパスワードがヒット!もう忘れるものかとパソコン内に直ぐにメモ書き。
初めっから、そうしておけば良かったのだけれども・・(苦笑)
ブログに限らず、今や世の中パスワード・暗唱番号の類だらけ。
似たようなことで困ったことが有る人は、たくさんいるハズ・・
ああ、ったくパスワードという奴は・・。
そのうち公衆トイレに入るにも、「公衆トイレご利用のためのパスワードを、お応えください。」
などといったメッセージが入口あたりのスピーカーから流れ、応答用のマイクに正しいパスワードを
答えなければ、「残念!入場拒否!」なんてことも有り得ることになるかも知れない・・。
そして非情にも公衆トイレのスピーカーはこう告げる。
「公衆トイレに入るためのパスワード確認、または新たなパスワード発行のためにはメールで申請を。
受け付け終了後24時間以内にはこちらから返信致します・・」
なんだか星新一のSFショートショートみたいだな。
でも現実に、世の中そんな方向へと向かっちゃいないか??
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想像を巡らすついでに、ならば幸せに生きるためのパスワードとは何ぞや?と考えてみた。
「愛」「誠実」「希望」「忍耐」・・僕にはどれもピンと来ない。
なんだかそんな漠然としたものじゃ無く、もっと簡単な言葉のような気がするのだけれど・・
この世に生れて来るときに、ちゃ~んと神様から貰ったはずのパスワード。
でも僕らはそのパスワードを忘れている・・。
その忘れてしまったワードを思い出そうとすることが、
実は生きるということ・・?
そうして、やがて天に召されるときには、どうなのだろう?
どんなワードで正しく天に召されるのだろう?
昔、ある日本の哲人が、いよいよ息を引き取るその際に、
取り囲む友らに、こう言いました。
「皆、今までありがとう・・。」
「なんと幸せな、天への旅立ちだったことか。」
後日、友人らはそう言いました。
天に召されるときのパスワードが、
もし「ありがとう、感謝」だとしたなら・・
日々を幸せに生きるためのパスワードも、
それと同じなのかも・・。
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今年の夏、庭に元気にヒマワリが咲きました。
咲いて見せてくれた、そのヒマワリを始めて見たその瞬間、
思わず口から出たその言葉は、
「咲いてくれて、ありがとう!」
僕は・・きっと・・
幸せである。
イエズス君は、お伴の子鳩のポポと一緒に、みんなの笑顔を見るために、
いろんな国々を旅して周る小さな吟遊詩人。
さて、今回のお話は・・・
ある日のことです。
まだ少し薄暗い朝の光の中を歩いていたイエズス君とポポは、
突然、どしゃ降りの雨にあいました。
ポポは慌ててイエズス君のふところの中に潜り込み、
困ったイエズス君はずぶ濡れになりながら、雨宿りできる場所を探しました。
すると、ちょうど道の角を曲がったところに、
小さな教会が建っているのを見つけたので、
「神様、おはようございます!ここで少しの間、雨宿りをさせてください。」と言いながら、
その中へと駆け込みました。
教会には、ちょうど朝のミサが終わったあとだったのか、まだ3人の人が残っていました。
けれども、びしょ濡れになって駆けこんで来たイエズス君にタオルを差し出してあげるどころか、
その姿に気付く者さえ誰もいません。それというのも、皆、自分達の話に夢中になっていたからです。
そして、その話はというと、そこにはいない同じ教会仲間の、あまり良くない噂話であったり、妬みや僻み
といった心無い話ばかりなのでした。
イエズス君は、そんな話を聞いているのはつらかったので、
教会の庭の大きな木の下で雨宿りをすることにしました。
ポポが言います。「教会で、あんな話をして、きっと神様に叱られちゃうね?」
イエズス君は少し考えてから、首を振ってこう言いました。
「神様は、きっと叱ったりなんかしないよ。叱るどころか、いつも許して下さっているんだよ。
いつの間にか忘れてしまった大切なことに、またもう一度気付いてくれるようにと、そう願いながらね。」
「忘れてしまった大切なこと?それは何?」ポポが聞き返します。
「うん、それはね・・」そう言いながら、イエズス君はギターを抱え、
教会に向かって一つの歌を歌い始めました。
1.きれいなこころに ぼくもなりたい
イエズスさまのこころに ならいましょう
2.やさしいこころに わたしもなりたい
マリアさまのこころに ならいましょう
3.つよいこどもに みんなでなりましょう
おめぐみください イエズス マリア
4.ひかりのこどもに みんなでなりましょぅ
おみちびきください イエズス マリア
(カトリック聖歌より)
その歌は、話に夢中になっていた3人の耳にも届きました。そして歌を聞いているうちに、
「ああ、確かに自分もそうだった!幼い頃には、イエス様、マリア様のような
綺麗な心、優しい心になりたいと願っていた自分だった!その願いが有ったからこそ
今まで教会に来ていたはずだ。それなのに今、自分の心は・・」と、
忘れていた大切なことを3人は思い出し、さっきまで自分達が話していたことを、
心の底から恥ずかしく思い、神様に許しを請い始めました。
その様子を見てポポがイエズス君に言いました。
「おや、イエズス君、なんだか3人の顔が輝き始めたよ、目もキラキラ輝き出した!」
それを聞いてイエズス君は、
「あ~良かった、みんな大切なことを、きっと思い出してくれたんだね。
あれ?ちょうど雨も降り止んできたよ!」と、嬉しそうに言いました。
教会の3人は、それぞれ神様へのお祈りを終えたあと、ハッとした表情になり、
「あ!ところで、さっきのあの天使のような歌声は、いったい誰の歌声だったのだろう?
庭の方から聞こえて来たようだったけれども・・」と思い出し、
あわてて教会の外へと飛び出しました。
けれども、そこにはもうイエズス君の姿はなく、雨上がりの水色の透き通った空に、
一本の大きな虹だけが、優しく静かに立っていたのでした。
おしまい。
今月から、Y幼稚園での新たな年中組さんたちとの絵画教室が始まった。
初めて顔を会わせた皆を前にして、僕は絵画の先生というよりも、
ただ、皆の仲間、一人の友だちとして加えてほしかったので、
お絵描き指導の要所々で、そんな想いと言葉を伝えつつの約1時間・・。
絵画の先生としては・・、おそらくこれは失格。
けれども、年中組さん受け持ちの幼稚園の先生が、昨年と同じU先生なので、
絵画の時間もまた御一緒。心強い事この上なし!
絵画の時間は、この先生が居てくだされば大丈夫。
この日、皆に描いてもらったのはペチュニアの花。
生れて初めて描いた水彩画のその花は、皆のびのび元気に描かれていて、
新たなこの年中組さんたちと一緒に過ごす、絵画の時間が
今年は何だか一段と楽しみに思えて来た。
お絵描きが終わり、お片付けの時間。
一人の子が僕のところにやって来て、こんなことを言ってくれた。
「〇〇先生、あのね僕ね、センセーはね・・僕、友だちになれたと思うよ。」
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翌日、
「そう言えば、ペチュニアの花言葉は何だろう?」と思い、調べてみた。
出て来た花言葉は・・、
・「あなたと一緒なら心が和らぐ」
・「心がなごむ」
・「心のやすらぎ」
・「咲きたての笑顔」
神様に祈ります・・。
どうかこの花言葉通りに、絵画の時間をこれからも楽しく嬉しく、
可愛い天使たちと共に過ごせますように・・。
さてさて、先日5日、予定通りに“野宴”決行。
とはいうものの、やっぱり今年の春はなんだかおかしく、前日までは快晴だった天気が
一転しての、いきなりの雨・・。
どうしたものやら・・と思い悩んでいたら、なんとか皆が集まる午後からは
小降りとなり、そのまま止んでくれたので一安心。
けれども、畑の地面はぬかるんでしまってるので、今回は庭先とリビングをつなげての、
“野宴”ならぬ“家宴”ということに。
どうせ部屋を使うのなら、少しでも居酒屋ムードにと
こんなものまで作っちゃいました(笑)
当日集まってくれた青年の教会仲間は8人。
プラス大人2人と我が家の3人で計13人、延べ時間約10時間の“家宴”。
笑いの中にも時には涙も有りの、とてもいい分かち合いが出来た時間となった。
途中、調子に乗って青年たちと腕相撲を。
すべて惨敗・・。恐るべし青年パワー!
もう一週間経つというのに、腕の筋肉痛、いまだ治まらず・・(苦笑)
教会の青年たちは、僕ら壮年たちにとっては我が子のような存在、
父と子の関係。
・・親子なのだから、互いにもっと理解し、協力し合えるようになりたいもの!
けれども・・
昔から、父親、オヤジというものは、そう思えば思うほど
子供からは煙たがられ、距離を置かれてしまう存在になるようで・・。
「そんなオヤジには、オレはなりたくないな!」と思いつつ、
筋肉痛の腕を苦笑いしながら、さすっている。
今年の春は、おかしな春だ。
お!これぞまさしく春の日和!春の青空と思いきや、
翌日はいきなりの曇天、冷たい雨まで降り出す始末。
加えて今年の桜の忙しかったことよ・・
あまりにもパッと咲き、パッと散り・・。
そんな春だからなのか、実はなんだか自分の気持ちも落ち着かず、
出会いや別れ、周囲の人たちとの交わりの中で
一喜一憂、悲喜・哀感の悶々とした日々・・。
けれども、ただ一日、
今年の春を嬉しく楽しく感じることができたのは、
教会仲間のグラさん・グリさんお誘いのランチタイムでのひと時・・。
二人の優しい想いと楽しい会話の中に、
僕はすっかり春の気分に満たされて、
そして、自分がこの人たちと共に居られる場を作ってくれた神様に
心の中で秘かに感謝した・・。
僕は、面と向かってお礼を言うのがヘタクソなんで・・
グラさん・グリさん、この場を借りて
「ありがとう!」
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さてさて、そんな感じでグラさん・グリさんは僕にとっては、
ときには母のようでも有り、姉でも有るような存在。
(母というには、あまりにも二人ともお若いのだけれども・・笑)
それと同じように教会仲間(家族)には、僕の弟・息子もたくさん有り。
5月5日午後より、そんな若き楽しき野郎共と、
ヒョンな事から今年も“野宴”予定!
今回はあくまでも青年主体の“野宴”にと思ってはいるものの、
青年にヘタな説教をしない自信とお時間の有る方は、
どなたでも遠慮無く、おいであれ!
・・て言うか、一番ヘタな説教タレそうなのは僕自身??(苦笑)
さあさあ、
まだまだ春よ、やって来い!
まだまだ皆の想いの中に
やって来い!
先日のY教会ミサ後、突然、M神父様ご自身の口から、
「新年度より、他教会へ異動します。」とのお話有り。
僕ら信者にとっては、これは正に青天の霹靂、
一瞬自分の耳を疑った・・。
M神父様は、隣接するY幼稚園の園長でも有る。
異動は上からのお達し。
その内容は、
「若い神父様(s神父様)に、このY教会に来てもらい、同時にまた
カトリック幼稚園の園長先生としての勉強をしてもらいたいから」とのこと。
僕ら信者、そしてY幼稚園の先生方も、この出来ごとに対し気持ちは同じ。
「あ~、さびしい、行かないで!!」
けれども、神父様のもとに届いた異動通知のその理由には、
隠れた想いもきっと有り・・。
おそらくそれは・・
もう司祭職は引退してていいほどの高齢の神父様を、
教会司祭、幼稚園園長という兼任職から解放してあげたいとの想い。
そして、若きS神父様への期待感。
今日、幼稚園の先生方とそんな事で話をしてたら、
「でも、M神父様は子どもたちと接し合えていたからこそ、お元気だったのだと思う。
そんな神父様が子どもたちとの触れ合いを無くされたら・・?」と、心配な様子。
あ!確かにそうかも知れないな!と、僕もそう思った。
けれども、そう思いながらも、どこか気持ちの片隅で、
あ~、もしかするとM神父様ご自身も、いろんな意味でご自分の限界を悟り、
自分の後を追いかけて来た、若き司祭のために退くことで作られる道こそが、
自分と、その司祭が歩む、「一本の同じ花道となる。」と信じて決断したことかも
と知れないと、そんな気がした。
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後日、M神父様のまかない役(いや、それ以上に教会、幼稚園のために働いて下さった!)
Yさんも、M神父様とご一緒にこの教会から去るのだと知った・・。
それを知って、「あ~、やっぱりな・・」と思ったけれども、
でも、もう「さびしいな・・」とは思わないことに決めた。
だって二人とも・・
力強く進むべき道を誇らしく、
一生懸命前向きに、新たに歩いて行こうとしてるのだから・・。
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どんな花にもまして、こんな寒さの中で元気に強く、
「春は来る、春は来る!もう少しの我慢だよ。」と言いながら
毎年咲いて見せてくれる庭の梅の花・・。
あ~、今、役目を終えたその花が・・
冷たい風に吹かれ、激しい雨に打たれ、
抗わず逆らわず、ハラハラ、ひらひら散っている・・。
「さあ、前向きに!」と、
散り去る勇気を見せている・・。
車のエンジンスイッチのキーが突如として回らなくなってしまった・・。
「カギの摩耗のため?」と思い、スペアキーで試してみても同じ・・。
どうやら問題はカギ側ではなく、差し込み口のシリンダーにある様子。
エンジンをかけられない車なんて、あ~、ホントにただの鉄の塊・・。
そんな鉄の塊を前にして、いつまでも呆然としてても仕方無いので、
町内の同級生がやっているY自動車に電話。
潤滑剤スプレーなどを試みてもらっても結果は同じで、
やはりシリンダーの交換が必要ということに・・。
新品のシリンダーは、本体だけで3万円もするというので、
「できるだけ安くて状態のいい中古を!!」と、必死のわがままを言わせてもらい・・。(笑)
そして早速手配してくれたらしく、2、30分後、
「いいのが見つかったよ!早ければ今日の夕方までには
交換できるかも」との有りがたい連絡をもらい、
お~!やはり持つべきものは、良き友なり!と、感謝した。
どんなに大きな車も、小さなカギ一つが回らないがために、
スイッチが入らなければただの鉄の塊。
車に限らず、パソコンやエアコン、電灯など、普段当たり前のようにやっている
いろんなスイッチのon、off。もしそれが、突然出来なくなったら・・。
スイッチが入る、入れられるということの大切さを
しみじみ実感・・。
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スイッチのon、offができる、できないの大切さは、
なにも機器類だけに限らず、それは僕らも同じかも。
「やるときゃ、やるぜ!」で、スイッチon!
「ここでちょっと一服」で、スイッチoff!
必要な時に気持ちのスイッチの切り替えができず、
ダラダラしてる自分だとしたら、それは鉄の塊ならぬ肉の塊。
いえいえ、これは自戒を込めて・・。
そう言えば、今年の春から高校生となる我が家の娘は、その入試を前にしても
「中高一貫の学園だから大丈夫、落ちることは無い」と、タカをくくっていたのだけれども、
先輩や先生たちの話から「いや、落とされることもある。その場合は春休み返上での補習授業!」
と聞かされ、今年になってから、苦手科目に重点を置いて、やっと猛勉強を開始。
これは遅すぎるスイッチon!(苦笑)
結果は無事合格できたとはいえ、もう少し早くスイッチを入れるべきだったと、
本人も慌てたようだけれども、まあ、このことが切っ掛けで、
苦手な科目の勉強も少し楽しくなったと言っているので、よし!としよう。
“サクラ サク”は少しオーバーな気もするし、ちょうど庭の梅も咲いているので
“ウメバナ サク”といったところ?
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鹿児島は、ここ数日「このまま春になるのでは??」と思ってしまうほどの暖かさ。
でもこれも今日までで、今夜あたりからは急に冷え込む様子。
また始まる寒さに備えて、気持ちのスイッチ、切り替え時です。