kazさんの日々彩々2

どうして花は咲くのだろう?どうして小鳥はさえずるの?
やさしい想いや言葉にふれて、どうして人は泣くのかな?

ひとりごと・2

2009年02月24日 | 「想」の彩り
先日、ある集いの場で、
“味わう”ことの大切さを教わった。

以下、自分なりに味わえるものを
思いつくままに・・。

喜びを味わう
悲しみを味わう
苦しみを味わう
幸せを味わう
不幸を味わう
風の冷たさを味わう
火の暖かさを味わう
お日さまを味わう
雨を味わう
怒りを味わう
憎しみを味わう
裏切りを味わう
救いを味わう
感謝を味わう
情けを味わう
嘘を味わう
誹謗を味わう
偽善を味わう
無力を味わう
優しさを味わう
愛を味わう
過去を味わう
今を味わう
空腹を味わう
満腹を味わう
富を味わう
貧困を味わう
香りを味わう
疲れを味わう
癒しを味わう

フ~、上げて行ったらキリがない・・

結局のところ、全身全霊の限りを尽くし、
天から授かった命の働きをしっかりと感じて味わう!
生きること、生かされているということは
そういうこと・・??

焼酎ばかり味わってる場合じゃね~な~。

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“楽しみ”の種

2009年02月14日 | 「想」の彩り
数週間ほど前に、梅の花が今年も元気に咲いてくれた。
先日の春一番と昨夜の雨で、
もうほとんどが散ってしまったけれど、
毎日、その香と可憐さに癒された。

下の写真は、花が満開の頃、我が家のお父さん犬ハクが、
梅の木の下で気取ってポーズを決めてるところを
カミさんが携帯で撮ったもの。
この梅の木が気に入ってるのか、しょっちゅうこの決めポーズをとっている。
「ほら、オレ、絵になってるだろう?梅の花が似合ってるだろう?」とでも
思ってるんだろか??



この光景を見ていたら、ふと、
「花咲(さ)かじいさん」の話を思い出した。

“ある所におじいさんが住んでいました。ある日、飼っているポチが畑で
 「ここ掘れ ワンワン、 ここ掘れ ワンワン」と鳴き始めました。
 ポチがあまり騒ぐので優しいおじいさんが言われた通りに掘りました。
 すると小判があとからあとから出てきました。
 たちまち、おじいさんはお金持ちになりました。
 それを見て隣の欲張りじいさんが・・・”

と、始まるあの話し・・。

我が家のハクも、毎日「ここ掘れ ワンワン!」と
言っているのか、よく吠える。
「それならば!」と庭を掘って、大判・小判がザックザク~~!
なんてことになったら、これはもう本当に“幸せ”なんだろうけど、
まあ、こいつの言うことをまともに受けて、どうせ地面を掘ったとしても
出て来る物は、娘が毎朝与えるパンの耳か、
さもなくば、いつの物だかわからない
豚の骨あたりが関の山に決まってる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

先日、畑にジャガイモの種イモを植えた。
大きな物を半分~三分の一に切り分けていったら60個にもなった。
種イモ1個に5個の新ジャガが実ったとして全部で300個!
「そんなに貯蔵する場所も無いのに、どうしよう?
アノ方を真似て“定数給付イモ”と称して、付近にバラ蒔こうかしら??」
などと、捕らぬタヌキの皮算用でいい気になっているのだけれど、
どうせ、本物の大判・小判は無理なのだ。
せめて“大ジャガ・小ジャガがザックザク~~!”の夢ぐらい、
見てもバチは当たりますまい?

どんなにささやかな事でもいいから、
近い将来のために“楽しみ”の種を蒔いておくこと。
これも一つの“幸せ”だね。



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ウォーキング・その2

2009年02月11日 | 「想」の彩り
てなワケで、行きは良い良い、帰りはコワイの、
往復15、6キロほどのウォーキングの開始。
どうせ行くなら、目的を決めて行こうという事になり、
それならば!と、ご存知、あのフーテンの寅さんの
ロケに使われたことがある、両棒餅(じゃんぼもち)のお店、中川家さんで
両棒餅を食べて帰って来ようということになった。
(実は僕とカミさんは、隠れ寅さんファン。娘は両棒餅が大好きなのだ)
少々食い意地のはった、ちょっと情けない家族全員一致の目標に向けて、
いざ出発!

両棒餅って何?ってお思いの方はここをクリック!

前回も書いたように、高台に有る我が家から海岸までは、ほとんどが下り道。
息を切らすこともなく、途中で見つけたドングリなどをポケットに拾い集め、
また、三人であれこれ話しながら歩く・・。
けれども僕は内心、“帰りがな~・・この道を反対に歩くということは、延々と登り坂を歩くということ・・ハア~”と、重たい気分になったりもしたのだけれど、途中、遠目に見えて来たキラキラ輝く真っ青な海を見て、“思い悩むな。帰りの道の事は、帰りの道自らが思い悩む”だ。余計なことは考えずに、とにかく歩こうと、そう自分に言い聞かせながら歩いた。

海が遠目に見えてからは、あっけないほど早くに海岸近くまで辿り着いた。
界隈に有る史跡・旧跡などを軽く見学し、そのあと、そこから少しの所に有る、
中川家さんへと向かった。

両棒餅の老舗、三代目を数えるという中川家さんが有る、この道沿いには、
他にも何件もの両棒餅屋さんが立ち並んでいて、
沿道には各お店の売り子さん達が、その手に両棒餅の皿を持ち、
立ち売りをしてたりする。この付近は、時間帯によってはちょうど車が
渋滞する場所なので、そこを狙った商売というワケだ。
見ていると結構な勢いで、車の中から注文を受けていた。
言ってみりゃ、“ナチュラルドライブスルー”といった感じですな。

目的とする中川家さんは、立ち並ぶ店の端に有った。
外観、店内の雰囲気は、なるほど寅さん映画の雰囲気にピッタリだ。
壁には、カレンダーや色んな物と一緒に、もう色褪せた当時のロケの様子の
写真が無造作に何枚か飾って有った。
他に、ここは寅さんが来た店!などと言ったような宣伝文句のような物は無く、
その、いい意味での商売気の無さが好感が持てた。

中川家さんについてはこの方のブログもご覧有れ。店内の様子もわかります。

「そうか、そうか、ここで寅さんも両棒餅を食べたのだな。」と、
感慨ひとしお・・。
出て来た両棒餅の味は、言う間でも無く旨い物だった。

腹ごしらえを終えて、すぐ近くの海岸へ。
正面には、逆光を浴びた桜島がど~んとそびえ、
岸では釣りを楽しむ家族の姿や、若い男女の姿が有った。
僕はそれを見て、急にまた帰り道のことが不安になって来た。
「あの人ら・・、きっと車で来てんだよな・・。
帰りは車で帰るんだよな・・。車、車、車・・・」

まあ、いつまでもそんな事を思っていても仕方が無いので、
「さあ、頑張ってそろそろ帰ろう!」と腰を上げた。
帰りは別のルートで帰ってみましょう、とカミさんが言うので
それに付き従ってみたのだけれど、その道はどんどんと細くなり、
山道となってきた。心細く思いながら歩いていると、
フキノトウを発見!よく見ると辺りはフキノトウだらけ。





それを摘み取りながら尚も歩いて行くと、
ついには行き止まりとなってしまった。

「ま、こんな事が有るから面白いのさ。アハハ!」と
負け惜しみを言いながら、後戻り・・。
結局、来た道をまた歩いて帰ることにした。

帰りは、最初の急な坂道を登ってしまうと、あとはこれまた意外にも
それほど苦痛では無かった。
一歩一歩進むたびに、確実に我が家に近づいているのだと思うと、
歩くピッチが、むしろどんどんと上がって来てる気さえした。

けれどもカミさんは娘のピッチに合わせてゆっくりと歩いている。
「さては、さすがの娘もここに来てバテてきたか?
ムリをさせるのも良くないな。幸いこの道にはバスが通る。
おっ、あそこにちょうどバス停が有る!
仕方が無い。助け船を出してやるとするか。
そうすれば、自分もバスに乗れるし!」と、思い娘に優しく聞いてみた。
「だいぶ疲れただろ?よく歩いたね。ここからはバスに乗って
帰ろうか?ほら、ちょうどあそこにバス停が・・」
「エ~~?なに言ってんの~!アタシぜんぜん大丈夫だよ~!バスに乗りたければ、お父さんだけ乗って帰れば?」
「ギクッ!・・」

まあ、そんだけ元気があるなら大丈夫だろうと思い、
その後はあまり二人のことは気にかけず、
途中で走り去るバスを何台か横目で見ながら、
自分の歩きやすいピッチで歩き進んだ・・。

全員無事に、何とか家に辿り着いたのは夕方前。
カミさんと娘に、よく頑張ったねえ!と声をかけ、
“そして俺もよく頑張ったよ~”と一人心の中でつぶやきながら飲むその日の焼酎の味は、いつにも増して旨かった。

目標・目的は何であれ、家族が一つとなって
行動する時間を持てること、
過ごせること・・。
これも確かに“幸せ”な事に違い無い。

写真は、山道で拾ったドングリと、海岸で拾った貝を、
娘が、“おくるみに包まれた赤ちゃん”に仕立てた物。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

記事中でご紹介した中川家さんが出てくる寅さんの映画はここをクリック
奇しくも“寅さんシリーズ”最後の作品、渥美清さんの遺作となった。
余談ながら、天に召される一月ほど前に、渥美清さんがクリスチャンになっていたという事は、意外と知られていない事実なり。

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おバカな家族のウォーキング

2009年02月09日 | 「想」の彩り
カミさんが最近ハマッていることが有る。
それは、短い足で長い距離を歩くこと。
名付けて“短足長距離ウォーキング”

これは、以前記事に書かせてもらった、
“グリとグラさん”のお二人の影響によるもので、
(このグリさんグラさんの歩行距離とそのスピードは半端じゃない!
“一旦歩き出したらどこまでも!止めれるもんなら止めてごらん!”と言った勢いなのだ。)
カミさんは足の長さも違うのに、そのお二人と一緒にこれまでも何回か、文字どおりの足手まといとなりがら、長い道程を歩いたりしている。

そんなカミさんを見て、僕は「ま、健康のためには良いことだ。
好きなだけお歩きなさいな。」と、他人事のように思っていたのだけれど、
ある日曜日、「今日は午後から歩きましょう!皆で一緒に!」と、
娘(小4)と僕に言ってきた。
「どこまで?」と聞くと、「海岸まで!」という。
アホかいな!?

我が町は海抜200~500メートルの高台に有り、しかも我が家はその頂上と言ってもいいほどのところに有る。
つまりは山のてっぺんから海岸までを歩いて行こうと言うのだ。
“何が悲しくてそんな事を・・行きはまだいいさ、下りだからな。
でも帰りはどうすんだよ!ず~~っと登りだぞ~~!”と、心の中で叫びながら、
“こりゃ、どうせ娘は反対だろう”とそう思ったので、その言葉を期待しつつ
娘にそっと聞いてみた。
「お母さんは、ああ言ってるけれど、どうする?
お父さんが思うには、そうだなあ~・・ちょっと小学4年生にはまだムリ・・」
「大丈夫!!おもしろそ~~!家族皆で行こう~~!」
「・・・・・・」

かくして、おバカな家族の無謀なウォーキングの決行と相成りまして・・。
この続きは、また次回。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

家族が健康であるという事。
これも本当に“幸せ”なことです。
カミさんのように、“健康すぎる!”と言うのは、
如何なものかとは思いますが・・


次回も見るよ~、早く書いてね~!と
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ひとりごと

2009年02月09日 | 「想」の彩り
大体“幸せ”なんてものは、誰かも言ってたとおり、
「自分の心が決める」ものなのだ。
自身を不幸と思えば、限り無く不幸であるし、
逆に自身を“幸せ”と思えば(思えれば)、
世界一の幸せ者にだってなることができる。

何をもって“幸せ”と言うか?という事は難しい。
Aさんにとっての“幸せ”は、Bさんにとっては
取るに足らぬつまらぬ事かも知れないのだ。
けれどもまあ、“幸せ”っていうものは、
案外そんな屁理屈をコネなきゃならぬほどの、
大袈裟なものでも無さそうな気もする・・。

感謝することだ。

人に、

日々に、

神様に・・。

感謝する素直な心のその裏に、
“幸せ”に気づく、小さな明かりが灯される。


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