24日朝6時、半分まだ眠っているような頭で、
カミさんと二人、娘(中3)のいる伊佐市のM学園へ奉仕作業のために車で出発。
小雨の中、走り出してすぐに大きな虹の出現!
少しの間、車を止めて見入ってしまった。
そしてそれから1時間半後、伊佐市内に入った途端に、
またもや全く同じような巨大な虹が姿を見せ・・。
僕はなぜだかその時、出発地と到着地で2度も同じような虹を見てしまったのは、
幸運というよりも、それはむしろ、あまり良くないことなのかも知れないな・・と、
心の中でそう思った・・。
M学園に到着すると、もうすでに作業は始まっており、
僕も車に積んだ草刈り機を急いで降ろし、皆に交って作業を始めた。
途中、近くにいたカミさんの妹の携帯に電話有り・・。
それは伊佐市の親戚Yさんからのもので、同じ親戚のTさんのご家族の、
今年になってから、入院していた94歳になったばかりのHさんが
亡くなったという知らせだった・・。
娘はそのことを知ると「え?信じられない・・」とつぶやき、
カミさんは「今日このあと、せっかくだからお見舞いに行こうと思っていたのに・・」と肩を落とした。
今夜が仮通夜だと聞き、夕方近くにみんなで弔問。
こういった場の、重たい空気を予想していたのだけれども、
不思議とそんなものはどこにも無く、落ち着いた安らぎの気配といったようなものが
部屋には漂っていた。
おそらくその事の理由は、ご家族をはじめ、弔問に来られる方たちの胸の中に、
「Hさんは有りっ丈の命の全エネルギーを使い、
生きることを存分にやり遂げて満足して逝ったのだ!」といったような、
そんな共通した想いが有ったからに違いない・・。
部屋に置かれたHさんの遺影は、家族が知らぬ間に、ご本人が生前に用意されていたもので、
朝、Hさんの部屋で息子さんのMさんが偶然見つけられたのだという・・。
そんな話を聞きながら、大往生という言葉の本当の意味は、
ただ長生きしたから・・というだけものじゃなく、
その生き様・死に様に何の未練も残すことなく
静かに旅立つ様にやはり有るのだな、と思った。
その後、娘の帰寮時間もあって、早々にT家を失礼し、
寮で必要な娘の日用品その他の買い物を済ませ帰寮。
鹿児島への帰り道、今朝、虹を見た辺りで、
「ああ、朝の2度のあの虹は・・あれは決して不吉なものじゃ無く、
Hさんが僕たちに見せてくれた、贈り物だったのかも知れないな・・」と、そう思った。
Hさんのやさしい心づかいや楽しいエピソードを聞いたり、「人が亡くなると、故人がみんなを集めて、みんなに同じものを食べさせて、みんなで食べるから簡単なご飯もおいしい」というつぶやきを聞いた通夜にもたくさんの人が参列されてました。
きっと奥さんの元にも愛車のチャリンコで四十九日より早く到着されるように気がしました。
いや、疲れるどころか、むしろ元気を貰って帰ってこれたのでは?
カミさんがfacebookで、Hさんの竹カゴの写真と想いを綴ったのですが、そこに頂いたある方のコメントに
「仁慈を尽くすと、旅立った跡もそういう気持ちで居てもらえるんですね。良いお手本ですね。」と有りました。
Hさんは、淡々飄々と周囲の人達に、慈しみ恵みを与えてくれてたんですね・・。
あとから思ったのだけれど、あの日見た虹は、Hさんが自転車で天国へ行くための“架け橋”だったのではないかと思います。
そしてTAKAさんが言うように、30年前に先に旅立った奥さんのもとへと、今頃は笑いながら自転車をこいで向かっている事でしょう。