kazさんの日々彩々2

どうして花は咲くのだろう?どうして小鳥はさえずるの?
やさしい想いや言葉にふれて、どうして人は泣くのかな?

婦人パワーで、“教会バザー復活”!

2010年07月12日 | 「想」の彩り
先日10日、我が町の“小さな教会”のお隣にある、Y幼稚園のバザーが行われた。
このバザーには、毎年“小さな教会”も、幼稚園の一室を借りて出店している。




けれども、幼稚園側の足を引っ張ることになってはいけないという気遣いからか、なんとなく消極的なバザー参加というスタイルが続いていたように思う。
教会の方の中には、「今も教会がバザーに参加しているなんて知らなかった!」という人もいたほど・・。

「これではいかん!今年はもっと積極的に参加しよう、盛り上げよう!」の呼び掛けの元、ご婦人方が中心となり、たくさんの出品物が集められるのと同時に、皆が定期的に集っての手作り品の製作も始められた。
そして、この週に一度の手作り品製作のあとに設けられた、“お茶の時間”というのが、なかなの名案!手芸が苦手であったり、高齢であるために「協力したくても何もできない。」とおっしゃる方のために、ただ、お茶の時間に参加して、コーヒー代(ケーキ付き)100円をバザー益金に提供してもらうというものだ。

何もできない人でも「お茶のみに参加する」だけでバザーへ参加協力でき、また、お話好きだけど、独り暮しでいるお年寄りの方などの楽しみの場ともなったのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

当日、小さな教会のコーナーを覘いてみると、お菓子やケーキ、手作りのバッグや竹炭などがズラリと並び、売れ行きも好調!料金100円の数字占いコーナー(?)には、50人の人が並んだとか・・。





バザー終了後、益金だけで言えば、なんと昨年のおよそ10倍!
思ってもみなかった数字だ。
バザー開催のために、皆が想いを一つにした結果だろう。
出された物に対してのアレコレや、また、その他いろいろと反省点も
これから出て来るのだろうけど、それらを必要以上に取り上げて、
一人ひとりのせっかくの想いが消されることがなければいいがと、
そう思う・・。



「昔は、バザー開催ともなると、“小さな教会”の前には、
幼稚園の父兄、近隣の地域の方々が列を作って並んだものよ。」と、
お歳を召した、ご婦人が言う。
その頃は、バザーを通じて教会というものを、
今よりももっと身近に感じてもらえてたことだろう・・。
昔はそうであったものがいつの間にか失われ、
また元の様に戻すのは難しい作業かも知れない。
けれどもそれは、きっと出来るはず!
今年のこの意気込みを、このまま消さずに繋げて行ければ・・。

さてさて、今年はご婦人方が中心となって頑張った“小さな教会”のバザー。
「次回は、男性陣も何かおやりになれば?」と、
そんな声が聞こえて来そうな・・?




ポチっとよろしく。→ブログランキング・にほんブログ村へ

スッポンの遺言

2010年07月06日 | 「想」の彩り
早朝、車を走らせていると、路上に平べったい不思議な物体が・・。
「何かな?」と思いつつ、スピードを落とし、じっと目をこらして見てみると、
なんとそれは、仰向けになってバンザイの格好になった、
大きな死んだスッポン・・。

道のすぐ側には川が有る。
おそらくは、この連日の雨に浮かれ過ぎて、川面から揚々と這い上がり
道を横断しようとしてたところを、運悪く車に引かれてしまったのだろう。
現場には、それを証明する血痕が数滴。
(写真を撮ろうかとも思ったが、絵的にどうかと思われそれはやめた。
また、「こいつを鍋にして・・」と、持ち帰ることも・・)

車に引かれて永久の眠りについたスッポンというのも、
なかなか世の中には珍しいのではないか?と思うのだけれども、
スッポンを知ってか知らずか、車で引いてしまった人というのも、
世の中にはそうはいないのでは?
それだけに、なんだかこれは悲しい事故。
そんな気がする..。

このスッポンがスッポンではなく、カメであったならば・・
もしかしたら、こんな悲惨な事故にはならなかったのかも知れない。
それは硬くて厚い甲羅が有るからだ。
頭と手足を甲羅の中に縮めたカメは石になったも同然。
無傷とまではいかないまでも、命はなんとか確保できたのでは?
その点、スッポンは実に不幸であった・・。
不憫であった・・。

甲羅のような物は背中に背負ってても、
それは軟質のもので、おまけに薄い・・。
自分の身体を守りようが無かったのだ。

けれどもスッポンは、その最後の時、カメを羨む事はしなかった。
いや、自分の姿と似てはいても異なる、硬くて厚い甲羅を持つ
カメという生き物の存在すらも知らなかったはずだ。
そしてそのことが、このスッポンにとっては最後の幸いだった・・。
似て非なる者を、羨み妬んでなんになる?

「我、全ての物を羨まず妬まず、天寿をここに全うし得し!」
道路に仰向けになって、バンザイをしているその格好は、
スッポンが無言で示した、そんな遺言だったのかも。

ポチっとよろしく。→ブログランキング・にほんブログ村へ

私の傘、知りませんか?

2010年07月02日 | 「想」の彩り
梅雨最中、毎日雨が降ったり止んだり・・
じとじと、じめじめ、すっきりしない。

そんな日が続くものだから、
なんだか気分も、じとじと、じめじめ・・。

ほんの些細な煩い事も、
大事となって頭を覆う・・。

そんなカビの生えたような気分でいたある日のこと、
携帯電話に知人からの電話。

優しい口調で話される、その相手の方の用件は
あることに対してへの、僕への感謝のことば・・。

わざわざ電話をしていただくほどのことでも無かったのに、
その心遣いがとても嬉しく思え、こちらもまた感謝。

相手の方と話しているうちに、
じとじと、じめじめとしていた気分は消えていき、
晴れやかな心持ちにさえ!

その一本の電話は、
梅雨の最中、雨に濡れて立ちすくんでいた僕のために、
横からそっと差し出された傘のよう・・。

さり気なく、
自分の“思いやりの傘”を
他人の肩にそっと差し出せる人は
ホントに素敵・・。

そんな傘を・・、
僕も以前は持っていたような気もするのだけれど、
骨は折れていないか?
穴は空いていないか?

それでもどこかに有ればいいのだけれど、
自分のことばかりを考えて、
そうして日々をバタバタ過ごす中、
どこかに置き忘れているのでは・・。

どなたか、
私の傘、知りませんか・・?


ブログランキング参加中。→ブログランキング・にほんブログ村へ