kazさんの日々彩々2

どうして花は咲くのだろう?どうして小鳥はさえずるの?
やさしい想いや言葉にふれて、どうして人は泣くのかな?

ありがとう!そして、またよろしく!

2009年12月29日 | 「想」の彩り
さてさて、
“泣いたり笑ったり”だったこの一年も、
今さらどんなに“泣いても笑っても”
残すところ、あとわずか・・。

やり残したこと、
できなかったこと、
気づかされたこと、
気づいたこと・・

そんないろんな思いを、
今年もまたたくさん引きずりながらの
年越しとなりそうです・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日、秋口に娘(小5)がプランターに植えておいた
チューリップの球根が、早くもきれいに並んで
小さな芽を出しているのに気づきました・・。





僕らが、一喜一憂、泣いたり笑ったりしてる間に、
何も言わずに黙々と芽を伸ばしたチューリップ・・。
「えらいな〜」と、これにもまた何かを教えられる思い・・。
はしゃがず騒がず、淡々黙々と、
来年は自分も、何か小さな芽を伸ばすことが
できたらいいな〜と思います。

そして皆さんも!

来る年に、一つでも多くの幸せのタネを蒔くことができますようにと
お祈りさせていただきます。

一年間、本当にありがとう!
そして、また来年もよろしく!

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メリークリスマス!

2009年12月24日 | 「想」の彩り


テーブルに置かれた、
ま〜るいクリスマスケーキ、
その周りを囲む、子供たちの顔も
明るくま〜るい笑顔・・。
いや、大人たちも!

今日は、世界中に笑顔があふれる日。
ま〜るい地球が、喜びに満たされる日・・。

神様の大きな大きな、
そしてやっぱり、
“ま〜るいま〜るい”
愛の輪の中で!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

皆様の上に、神様の豊かな恵みが贈られますように。


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生まれた生まれた、サンタさん

2009年12月22日 | 「想」の彩り
さてさて、その後、あのノッポの男はどうなったのだろう?
ちゃんと、“小さな教会物語”のお話通り、銀モクセイのサンタ人形を作ることができたのだろうか??

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どうやら、ノッポの男は頑張って、なんとか15体ほどのサンタ人形を
作り終え、教会へ置いてもらうことができたようだ。
神父様をはじめ、教会の人達も、それをとても暖かく迎えてくれた。
それは、ノッポの男の、あの銀モクセイに寄せる想いを
皆が“汲んでくれた”から、“理解してくれた”からだろう。
ノッポの男は、きっとそのことを、皆へ心から感謝しているに違いない・・。







(全部のサンタ人形が完成したのは、この冬、初めて雪がちらほら舞う日だった・・。生まれたばかりのサンタ人形が、喜び招いた雪だったのか?
それとも、遠い北国からの本物のサンタクロースからの贈り物だったのか??)

けれども、ノッポの男のサンタ人形作りは、
これで終わったわけでは無いらしい。

銀モクセイは使い切ってしまったけれど、
他の木の枝を使って、今度は夜な夜なたくさんの
小さな、サンタ人形を作り始めているようだ・・。



いったい、それをどうするつもりなのか?
それはもう少し待ってみなければ、わからないことだけれども、
もしかすると、クリスマスミサの夜、教会を訪れる子供たちへの、
ほんのささやかなプレゼントにでもしようと考え、作っているのかもしれない。

大好きな焼酎を飲むのも(ちょいとばかり)控えながら・・。(笑)



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本音で懺悔

2009年12月21日 | 「想」の彩り
前回の記事に対して、
「とても悲しかった。kazさんが、そんな思いでお酒を
飲んでいたとは・・」といったような、ご意見有り。

どうやら、書いた内容をそのままストレートに
受け取られてしまったようで苦笑い。
あれは、酒ぎらいと言った意味で書いたワケではなく、
あまりにも酒好きな故に、その“言い訳”として、
自分自身を皮肉って書いたまでのこと。
そのつもりだったのだけれど、それが上手く伝わらなかったのは、
我が文章力の足り無さ、稚拙さのため。
う〜む、文章書くって、やっぱムズカシイね〜。

焼酎を二日絶ったのは、有ればグイグイと飲んでしまう自分への
ちょっとしたチャレンジ。
本音を言えば、その二日間はホントつらかったし、
二晩共、ムスッと不機嫌になっている自分が
よくわかった。(やせ我慢はよくないね。)

三日目には、てっきりカミさんが仕事帰りに焼酎を買って来てくれるものと
ばかり思っていたのだけれども、これは実は全くの期待外れだった・・。
帰って来たカミさんが「焼酎、やっぱりいるの?」と
聞いてきたので、「いる!」と、眉間にシワ寄せ、すかさず答え、
自らすぐさま酒屋に!
二日開けての、ひとくち目の焼酎の味は、いや〜、格別だった!

断言します。
“kazを殺すにゃ刃物は要らぬ。酒を三日も取り上げりゃいい。”
それほど、お酒、焼酎は好き!

これで安心して頂けただろうか?

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有れば飲む・・悪癖の理由

2009年12月18日 | 「想」の彩り
焼酎の一升瓶が空になったのを機会に、
一昨日、そして昨夜の晩と、二日続けて酒を絶った。
毎晩の晩酌だけを楽しみに生きているような、この自分がだ・・。

一日目はカミさんもその事について何も言わなかったが、
二日目になっても焼酎を買ってこようとはしない僕を見て、
「どこか体の調子でも悪いの?」と、不安顔でそう聞いてきた。

「いや、べつに。(焼酎が)有るとついつい飲んでしまう。
なんだかそれが近頃嫌で・・。」と言うと、それを聞いてカミさんは
「エライ!待降節だしね!」とほめてくれた。

けれども僕は、カミさんが思っているような理由などからでは無く、
ただただ本当に、焼酎が有ればグイグイと飲んでしまう自分が
嫌になり、「無ければ飲まずに済むはずだ」と考え、
買わずにいるだけのことなのだ。

もしかしたら僕は、焼酎を好きで飲んでいたのでは
無いのかも知れない・・
焼酎がそこに有るがために、それが何とも目障りで、
一刻も早く処分したいという思いにかられ、一杯ニ杯と口にする。
そして酔うほど更にその思いは強くなり、もう自暴自棄の必死の
思いで、焼酎と格闘しているというのが、本当のところなのではと
思うのだ。

そうでも無ければ・・

一升瓶の焼酎が、5日と持たない理由がわからない・・

似たような話を思い出した。
太宰治の『酒ぎらい』だ。
ついでだから、一部引用しておく。

『・・よそから、もらったお酒が二升あった。私は、平常、家に酒を買って置くということは、きらいなのである。黄色く薄濁りした液体が一ぱいつまって在る一升瓶は、どうにも不潔な、卑猥(ひわい)な感じさえして、恥ずかしく、眼ざわりでならぬのである。台所の隅に、その一升瓶があるばっかりに、この狭い家全体が、どろりと濁って、甘酸っぱい、へんな匂いさえ感じられ、なんだか、うしろ暗い思いなのである。家の西北の隅に、異様に醜怪の、不浄のものが、とぐろを巻いてひそんで在るようで、机に向って仕事をしていながらも、どうも、潔白の精進が、できないような不安な、うしろ髪ひかれる思いで、やりきれないのである。どうにも、落ちつかない。
 夜、ひとり机に頬杖(ほおづえ)ついて、いろんなことを考えて、苦しく、不安になって、酒でも呑んでその気持を、ごまかしてしまいたくなることが、時々あって、そのときには、外へ出て、三鷹駅ちかくの、すしやに行き、大急ぎで酒を呑むのであるが、そんなときには、家に酒が在ると便利だと思わぬこともないが、どうも、家に酒を置くと気がかりで、そんなに呑みたくもないのに、ただ、台所から酒を追放したい気持から、がぶがぶ呑んで、呑みほしてしまうばかりで、常住、少量の酒を家に備えて、機に臨んで、ちょっと呑むという落ちつき澄ました芸は、できないのであるから、自然、All or Nothing の流儀で、ふだんは家の内に一滴の酒も置かず、呑みたい時は、外へ出て思うぞんぶんに呑む、という習慣が、ついてしまったのである。・・』

昨日の夜、夕飯の時間を前に、ぼんやりしている僕を見て
カミさんが「どうしたの?今夜は静ね。」と聞いてきた。
「飲まずにいれば、こんなものさ」と答えると、
そのことを気の毒に思ってくれたのか、
「あら、そう・・。じゃ、明日は飲めば?買ってくるから」と言ってきた。
僕は「そうしてくれ」とも「余計なこと」とも言えずに黙っていた・・。

おそらく今夜は我が家の台所の隅に、
またあの不浄、不潔な液体の入った瓶が置かれるのだろう。
そうして僕は、それを見て、潔白の精進ができない苛立ちと、
落ち着かない気分を消したいがために、
「この物、目障りなこと、極まり無し!」と、
腐敗した芋汁相手に、決死の思いで格闘するに違いないのだ・・。

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