風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

宮崎へ

2008-02-19 00:14:04 | 1996~97原付日本一周
思い出の地、宮崎市内に入った。
1993年以来で1996年当時、3年振りの訪問だった。

見慣れた町並みが懐かしい。
駅前はかなり整備も進んだ。
懐かしくて、懐かしくて胸がいっぱいだった。

思い出す限りのありったけの場所を回った。
約半年の滞在中に住んでいた、タイヤ屋さんの2階の家。
広島通りにある、ゼロ戦のカウリングが目印の模型屋「とやま」。


滞在中に遊びに来てくれた友人が泊まった旅館。

若草通り、ボンベルタ橘、寿屋、サンリブ、ジョイフル、
もう一件の模型屋「ホビーショップ宮崎」etc...

ほとんど変わっていなかったが、無くなった店もあった。
何度か通った銭湯は、駐車場になっていた。
当時潰れかけていたコンビニは、案の定潰れていた。

自分が滞在中、よく現像に出していた店も、携帯電話の店に姿を変えていた。
セルラーショップがやたら目に付く。
携帯電話なんざこっちには無縁だね。
(しかし、この数年後、自分も携帯電話を持つようになるとは・・・)

市内にあった南海部品は健在で、店に入ってみた。
パンクで使い果たしていた、ゴムのパッチを買った。

最後に、絶対外せない場所。

宮崎県立芸術劇場

今のところ、人生の中で最も強烈な体験だった思い出の場所。
本当は中に入ってホールの大オルガンを拝みたかったのだが・・・
芝生の広場で、どうしようか非常に悩んだ。


「こんな薄汚い格好では、門前払いがオチかな・・・」

結局あきらめた。
本当に残念だったが。

宮崎芸術劇場の大オルガンには、とても思い入れがある。
これについては、また次回書きましょう。

さて、宮崎市内で宿が取れたらもっとゆっくりと見れたのにな。残念だが仕方無い。
大淀川の河原にテントを張っても良かったが、銭湯が潰れてしまっていた為、風呂にありつきたいので、さらに前へ進む事にした。

青島まで行くのが良いところだろう。
飛び込みは嫌がられるのだが、青島のユースホステルに泊まる事にした。

ともかく風呂にありつき、部屋で地図を眺める。
次の行路は都井岬に鹿屋・・・はむりかなー。
ああ、金がほしい。

どっちにしろあと少しで鹿児島だ、そして沖縄への可能性が見えてくる。

新田原基地

2008-02-12 21:21:20 | 1996~97原付日本一周
キャンプ場からジェットエンジンの轟音を遠くから聞いていた。
自衛隊の戦闘基地がある新田原(にゅうたばる)に近いからだろう。

せっかくだから基地を見に行ってみようと思った。

その前に西都原の古墳群を見にいく。
ここは1992年にも一度訪れている。

古墳とか好きなんですよね~。

古墳と言っても、教科書に出てくるような前方後円墳とかではなく、こんもりと小山があるという感じ。

ここからは有名な埴輪がいくつも出土している。
たしか、「踊る人」もここじゃなかったけな?
いいなあ埴輪。

西都原を出発し、いよいよ新田原基地へ。
看板によると翌日はオープンハウスらしい!
見たいけどなあ・・・
時間も金もないし残念だなあ。

そんな事を思っていると、F-15が上空をかすめ飛ぶ。
今日はいい天気。
青空にシャープな機体がシルエットになって美しい。


明日の展示飛行に備えての訓練でもしているのだろうか、見事な編隊飛行やちょっとした曲技飛行もやっている。

しっかし、ものすごい轟音だ。
うるさいを飛び越して、腹に音波が響く感じ。
耳栓をして見ていた。
飛行機ファンが少しはいるのかな?と思ったが、金網越しに眺めているのは自分だけ。

バイクのエンジンを止め、荷を降ろし、カメラを構えて待っていたら、15分ほどでF-15が2機着陸してきた。

やがてさらに4機が着陸。
駐機場に向かう為、タキシングを始めた。

目の前、本当に目の前をF-15がキーンという金属音を響かせながらゆっくりと走って行く。
それをちょっと興奮気味にカメラのファインダーごしに見ながら、シャッターを切る。

そうしたら。

向こうがこっちを見て手を上げた。


後を振り返って見たが誰もいない。
まぎれもなく自分に向かって合図してくれたのだ。
嬉しさは最高潮に達した。

手を上げてあいさつしてくれたのは1人だけでなく3人もである。
うれしくてうれしくて、どう表現して良いか分からない。

今度はF-4ファントムⅡが上空をパスして行った。


もう自分の心はお祭り状態だった。

明日のオープンハウスは見れないが、今日だけでも充分堪能できた。

パンク修理

2008-02-03 14:19:01 | 1996~97原付日本一周
廃車の軽バンで一泊し、翌日、車屋の電話を借りてバイク屋さんに来てもらった。

チューブはズタズタで修理のしようが無いという事で、交換になった。
ついでにチェーンの張り具合とか、チェーンオイルの量の事なども見てくれた。

後輪を手で空転させて、チェーンとスプロケットの摩擦音がマイルドになるくらいがチェーンオイルの適量だそうだ。

おじさん本当にありがとう。

また、一晩廃車の中に泊めさせてくれた車屋のおばさんにも礼を言った。
そうしたら、焼餅を一箱くれた。
本当に感謝するばかりである。


さて、荷物を積みバイクを一路宮崎へ向けて走らせる。
天気が良かったので、寒いけど気持ち良い。

活字が読みたくなり、本屋に入って4冊ほど文庫本を買った。

さあ、あと少しで宮崎だ。

金の残りがだいぶ寂しくなってきているので、旅を急がねば。

延岡・日向を通りすぎ、高岡市の蛇口公園内のキャンプ場に泊まる事にする。
電車がちょっとうるさいが、季節からか、泊まりに来る人もなく、静かだ。

翌日。寒くてシュラフから出たくない感じで、本を読んでいたら時間がどんどん過ぎていく。
と、いうことでもう一泊することにした。
貯金を見て、これからの旅路について考えてみた。

九州から沖縄へ行くには、16000円かかる。
往復で32000円。
これでは、山陰周りではかなり寂しくなる気配。
かなり切羽詰っている。

考えてしまうとどうにもならないので、考えるのをやめた。

そんな焦る心とは全く関係なく天気は良かった。


パンク

2008-02-01 23:18:56 | 1996~97原付日本一周
大分から宮崎に向かって走っていた時だった。

突然、ケツが振られたので、あわててバイクを止めた。


4cm位の錆びた釘が、ブッツリと後タイヤに刺さっていた。
プライヤで抜き取り、チューブを出したら、穴ではなくて、裂けたようになっていて反対側まで貫通していた。
ゴム糊とパッチで傷を塞ぐ。


さあ、これでOKだろうとタイヤを戻し、空気を入れるが、ちっとも膨らまない。
再びチューブを、今度は全部引っ張り出した。
リムに当たっている所のチューブが裂けたように穴が開いていた。

パンクをして、重い荷物を積んだ状態で50mほど引きずったため、チューブが傷んだのだろう。
他にもないか点検したら、小さい穴がいくつもあった。

一応見える所はすべてパッチで塞いで、再び元に戻し、今度は平気だろうと空気を入れたらまたダメだった。
おかしい。
虫ゴム?他に穴があるのか?

時計は16:00を回っている。
日が落ち始め、焦りが出てくる。
チューブの予備は無い。

「バイク屋だな・・・」

あきらめて、近くの酒屋に助けを求めた。
電話をしてくれたが、どこも休みだった。
無理も無い、日曜だったから。

店の人の勧めで、近くの自動車整備場のドアを叩いたが、ここも休みだった。
しかし、ああそうですかと引き下がるわけにもいかず、この近くにテントを張らせてほしいとお願いする。
明日になっても良いから、待つことにした。

そうしたら、店の反対側に廃車が数台あり、この中で寝ればテントより暖かいだろうと言う店の人の勧め。

ありがたく軽のバンに一泊させてもらう事にした。
寝る場所は確保できた。
こんな所でパンクしてしまうなんて。
まあでも仕方無いさ。

雨の中パンクしなくて良かった。
夜になって、車の中でラジオを聴いていたら、雨が降ってきた。

荷室の床のリブがゴツゴツしているが、ぜいたくは言えない。

軽のバンは、良い生活空間になるな、などとうつらうつらしながら考え、眠りに入った。