お母さんを亡くしたばかりの、歌舞伎の名門である市川家の御曹司、勸玄くんを父の海老蔵氏が七月大歌舞伎に出演させるということです。大変疑問におもいます。昔風にいうなら、元服しているぐらいの年齢なら何もいうことはありません。でもまだ勸玄くんはわずかに四歳です。まだまだお母さんが恋しいし、なによりも、お母さんが亡くなったことの実感もまだ混沌としているのではないでしょうか。父と一緒にとはいえ、宙乗りもするとか。とても頑張ってとかは言えないです。どうしても出演させるのなら、負けないでと言いたいです。
いつも晩ごはんのおかずなどを買いに行く、スーパーの近くの水田です。時間帯にもよるのでしょうか、カエルさんの合唱は聞こえませんでした。苗はもっと青々としているのですが、ガラケーのカメラが悪いのかこの程度しか写りません。また近く、もう少し育った苗の様子をアップします。
(注) 文中、「お母さん」とあるのは妻のことです。
先日、私も人生稀な年齢とやらに達しました。佐藤愛子さん風にいうなら、「何が目出度い」です。お母さんはいつも言ってましたね。「私はお父さんよりは一日だけ長生きして、ちゃんと見送ってから死にたい」って。でもお母さんは一昨年、がんで先に逝ってしまいました。白いご飯も炊いたことがない私のことがきっと気になっていたのでしょう。大丈夫です、ご飯もちゃんと炊けますし、おかずなどはスーパーで買ってます。マイキッチンは出来ないけど何とか生活しています。去年、大動脈かい離でもう少しでお母さんのところに行けたのに、まだちょっと来てはいけないと断られてしまいました。あとどれくらいで、そちらへのパスポートがもらえるのでしょうか。
先日、私も人生稀な年齢とやらに達しました。佐藤愛子さん風にいうなら、「何が目出度い」です。お母さんはいつも言ってましたね。「私はお父さんよりは一日だけ長生きして、ちゃんと見送ってから死にたい」って。でもお母さんは一昨年、がんで先に逝ってしまいました。白いご飯も炊いたことがない私のことがきっと気になっていたのでしょう。大丈夫です、ご飯もちゃんと炊けますし、おかずなどはスーパーで買ってます。マイキッチンは出来ないけど何とか生活しています。去年、大動脈かい離でもう少しでお母さんのところに行けたのに、まだちょっと来てはいけないと断られてしまいました。あとどれくらいで、そちらへのパスポートがもらえるのでしょうか。
スリー・グレイセス/山のロザリア
乳がんで闘病されていた小林麻央さんが亡くなりました。まだ34歳でした。でも麻央さんは「まだ若いのに」とか「小さいお子さんがいるのにかわいそう」とかは、思ってもらいたくないとおっしゃっていました。開設されていたブログの最後のことばは、「皆様にも、今日 笑顔になれることがありますように」でした。やすらかにお休みください。
乳がんで闘病されていた小林麻央さんが亡くなりました。まだ34歳でした。でも麻央さんは「まだ若いのに」とか「小さいお子さんがいるのにかわいそう」とかは、思ってもらいたくないとおっしゃっていました。開設されていたブログの最後のことばは、「皆様にも、今日 笑顔になれることがありますように」でした。やすらかにお休みください。
今日は、一年の中で最も昼間の時間が長い「夏至」でした。二十四節気の一つです。でも昨夜来の雨で昼過ぎまで小雨。夕方にはようやく雨も上がりましたが、お天道さまの顔を見ることがなかなかできませんでした。これからは秋分の日に向かって昼間の時間が少しずつ短くなっていきます。一年ももう約半分過ぎたのですね。