ぐんぐん綺麗に伸びてく 飛行機雲 見送って
昼間は二人の卒業式だったんだね
今日は昔のオーベンとご飯会@ラ ターブル ド クラージュ
グルメだから、すごいところ知ってるんだよね、このお姉様・・・
羊が食べたいと言ってたみたいで、仔羊を使ったコースで誂えてもらいました。
キャビアが乗ったカルパッチョ。
本日の魚料理ということで、プリプリのエビを春巻きみたいに巻いて揚げてるもの。
「天然白身魚と白さ海老のパリパリ包み焼き アメリケーヌソース」
今日のメイン、仔羊 3部位出してくれましたが、どれも柔らかくて美味しかったです。
オススメの赤ワインをお供にほろ酔い加減
デザートは「ルビーグレープフルーツの蜂蜜マリネ ヨーグルトのムース添え」
久しぶりに色々とお話した~。
恋愛偏差値低い私がアドバイスする羽目になったり(笑)
自分のことになると、分からなくなるねん!!!って力説された(笑)
楽しかったぁ
改めて書くのは違うかなと思い、公開後に試写会日に追記しようかと思ったんだけど、書きだしたら長くなりそうだったから、別記にした。 ←正解(笑)
大分と辛口なので!
岡田君ファンなのに!
ごめん!岡田くん、ごめん!
映画楽しかったから読みたくない!って人は、読まないでください!
これ読んで、観行くかどうしようって思う人は・・・是非一度観てみてください(笑)そして、感想を教えて・・・(笑)
特に、良かったよ!っていう人の声が聞きたい
原作読んで私、めちゃ感動したんだ。
上巻は、時系列が飛んだり、山の用語が分からないから、なかなか読み進められなくて、最後まで読めるかなぁって心配になってたけど、最後の方でようやく深町と羽生が出会い、話が進み始めてぐいぐいのめり込んで。
下巻は3時間くらいで一気に読んだ。
高所での酸欠によって幻覚を見たり、死に誘われる時間。
常に自問自答して、山では 生きると死ぬの間。
街では、野心と諦めとの間で 揺れ動いて、日々過ごしてる。
それがジリジリとした焦りみたいに、乾いた渇望感というか、淡々とストーリーの奥底にずーっと燻ってた。
ぶすぶすと 火種みたいに。
本来の「生きる」という 生命の原始的な熱量は、熱いとかいう程度じゃなくて、焼け焦げるような、ふと気を緩めたら 本人の命自体をも 灼き尽してしまうような、それに負けないようにしなければ死へ転がり落ちる崖っぷちを 這いつくばって進むような。
そういうものが「生きる」ということなんだって、思い知らされたというか。
そういうお話だった。
ジョージ・マロリーが「なぜ山に登るのか」と聞かれて「そこに山があるから」と答えた。
私は昔から、イマイチ納得できなかったんだ。
和訳の問題もあるかもだけど、少し本質とズレた答えのような違和感を感じてた。
だから、羽生が「そこに山があるからじゃない。ここに、おれがいるからだ。ここに、おれがいるから、山に登るんだ。」
そう言った時に、すとん と、そうだよ、そうなんだよ!!! って 思った。
別に山登りしないけど(笑)上手く説明できないけど(笑)
そこに私が居るから、山に登る。
そのほうが当然のことのように 納得した。
そうだったんだよ、って思った。
そして、羽生が残した手記。
『やすむときは死ぬときだ。
生きているあいだはやすまない。
やすまない。
おれが、おれにやくそくできるただひとつのこと。
やすまない。
あしが動かなければ手であるけ。
てがうごかなければゆびでゆけ。
ゆびがうごかなければ歯でゆきをかみながらあるけ。
歯もだめになったら、目であるけ。
目でゆけ。
目でゆくんだ。
めでにらみながらあるけ。』
『もう、ほんとうにこんかぎりあるこうとしてもうだめだったらほんとうにだめだったらほんとうにもううごけなくなってうごけなくなったら――
思え。
ありったけのこころでおもえ。』
涙が止まらなかった。
言葉足らずで誤解を招き、それでも生き方を曲げなかった羽生が、正しいとは思わない。
大切な人を残して、自分の生き方を生きた、それが正しいとは言わない。
でも、生きるってこういう事なんだって思った。
大半の人が出来ない生き方を、選ぶ人が居た。
命を燃やさないで生きてる自分からしたら、憧れのような眩しい生き方だった。
その強烈な生命力に、心が焼かれて、その夜は熱にうなされるような気がした。
おそらく、大半の人、を代表しているのが深町だと思う。
皆、世の中の大半の人は、野心が無いわけじゃない。
だけど、才能がある人間は一握り。
運を掴む人間も一握り。
大体の人間は、何となく生活を送り、憧れの生き方を、見て見ない振りしながら、日々が過ぎていく。
生活するのに精いっぱいだから。
そんな皆の代表である深町が、羽生にあてられて、変わっていく。
羽生ほどの才能も覚悟もないけれども、どうしようもなく「生きる」という原始的な欲求に抗えずに、引きずりあげられて、「生きる」ようになっていく。
そこに、何とも言えない、男性的な魅力が感じられて、目が離せなくなる。
そして、山屋じゃない女性から見ても、彼らには一抹の母性本能をくすぐられる様な弱さがある。
雄としての男らしさと、どうしようもない弱さとしての男らしさ。
男って、そういうもんだと思うから。
それを埋めることが出来るのは、生命の「母」としての懐の深さというか、そういうものが「女」にはあるのかもしれない。
たまらなく彼らを、その弱さを、愛おしく抱きしめたく思う瞬間がある。
さらに、山を知らなくても、本作を読んでいれば、どれほどの過酷な状況に挑もうとしているのかが分かる。
自然の苛烈なほどの壮絶な美しさ。
それが「神々の山領」で。
山を取り巻く 登場人物のそれぞれの立場や、強さと弱さが同居する事実。
それが人間なんだっていうのを、本質として理解することが出来る。
:
:
:
そんな本だった。
実際にエヴェレストに登って作られた、邦画史上初の今作。
実力派揃いのキャスト達に、弥が上にも期待は高まった。
だから。
・・・うーーーーーーん・・・ハードル上げ過ぎたかな、と・・・(^^;)
どうやってもあの大作を2時間に収めるには尺が足りなさすぎるのは分かってはいたけれど。
出だしの、深町たちの登山隊のエピソードから すでに。
日本への帰国を引き留めようとする深町に、すごく違和感だった。
・・・あれ?深町ってこんなに野心味が強かったっけ・・・?って。
確かに、カメラマンとして、一つ大きなヤマを当てたいという気が無いわけじゃないと思うけど、もっと深町って、何というか、ヘタレ寄り(笑)な人な気がしてたんだよね。
野心を抱えつつも、自分が生活するのに精いっぱいで、それで仕方がないと思ってる、そこら辺に居る私たちと同じ「常識」を持った人間。
そういうイメージだったから、遺族やメンバーの心情を慮るよりも 本を出すことを声高に主張したり、マロリーのカメラについて羽生を調べて行く過程など、ちょっと違うって感じるくらいに、キャラクターが単純化された気がした。
マロリーのカメラについてのドタバタ劇が盛大にカットされてるのはある程度仕方が無かったと思うけど、だったら、「マロリーのカメラの謎を追うカメラマン・深町」っていう肩書はいらないんじゃないか、ってくらいにカットされてて(笑)
マロリーのカメラが出てきたがゆえに、「野心家のカメラマン」にせざるを得なかったんじゃないかと思ってしまうくらい
もちろん羽生と出会うために必要な導入なんだけど、なんか・・・あっさりしてた(笑)
全体的に、原作読んでない人や山をしない人が、どのくらい理解できたのかなと思う事がいっぱいある。
この深町が、どれほどのスゴイ謎に迫ろうとしていたのか。
羽生が、どれほど有り得ない事に挑戦しようとしていたのか。
ザイルパートナーの事も、山屋がいかに生死と隣り合わせで生きてるのか。
などなど、文章で読んだときよりも、カットがさらりと描写しただけで過ぎてしまうから、知ってる人は知ってるんだろうけど、素人が観た時に そのすごさは半分も理解できないんじゃないか・・・。
視覚的な情報も 前知識が無かったら、「・・・うん、山だね (`・ω・´)」で終わっちゃうしね。
あとは、試写会でも、「専門用語多すぎて分からん」って言ってる人も居たし、舞台としては万人受けは難しいのかなぁと。
撮影の季節が違うとか、装備がどうとか、リアリティがないとかは、私には分からないし、映画なんだから別にそこは置いといたらと思うけど。
だってホントに頂上に行くとか無理じゃん。
もう少しCGが上手な監督さんだったらとは、勿論思ったけど(笑)
羽生が戻ってこなくて、日本に帰った深町と涼子。
その後の放心状態の深町にも、うーん、なんか思ったのと違うと思ってしまった・・・。
なんやかんやと力を貸してくれる宮川に、「どうでもよくなった」って。
撮った羽生の写真を火にくべて。
・・・ここ、あまり原作を覚えてないけど、深町ってこんなんだったっけ?(^^;)
カメラマンのはしくれとして、こんな人だったかなぁと。
羽生が生きた証を、そんな簡単に投げ出す人かなぁ。
なのに、急にまたエヴェレストに行くって、・・・え?!って。
原作では少し間空いてたもんな。
その間に頂上へ到達できるように、訓練して、準備して。
だから、思いつきで行く印象が否めないし、エヴェレストに再訪したときのアン・ツェリンとの結びつきも、なんで?って感じちゃう。
羽生を通して、深町の事をそれなりに認めてくれたから、アン・ツェリンも親身になってくれた、と私は理解してたから。
で、最後の話の一番大事な所で、一気に醒めてしまった
天候が崩れるからというアン・ツェリンの忠告を振り切って「俺は、頂上に立ぁつっ!」
・・・って、ちょっと待って、そんな無茶できるほどの技量は深町にはないでしょ・・・(-_-;)
高度が上がったが故に、正常な判断が出来ないほどの過酷な状況に深町の体がなってしまっているのか。
ただの意地張ってのナチュラルハイなのか。
演技から読み取れなかった。
→ と思ったら、「もう駄目だ・・・もういい・・・」。
原作ではもう少しあれやこれやがあったから、それだけの状況だと理解できたけど、これだとただの我が儘ヘタレじゃないか
→ なところで突然、深町を呼ぶ羽生の声が。
・・・もう、台無しだよ・・・
これじゃファンタジーじゃん。
せっかくの深町と羽生との心の絆が、羽生が魔法使いになってテレパシー送ってるみたいになっちゃったよ。
→ 息絶えた羽生とご対面して、「お前はなぜここに来た」「・・・分からない・・・」
・・・分からんのかーいっ!
→ とツッコんだ次の瞬間には、羽生に「一緒に帰ろう」
・・・ってちょっと待って、待って、もう無理・・・
なんか、深町がただの情緒不安定な人になってる
オステリー(←男のヒステリーの造語。笑)か?ってくらいに、上がり下がりが かっ飛ばし過ぎて、全然深みが感じられなかった
→ 極めつけが「そこにお前が求めてるものがある。ジャケットの中だ。」
って、RPGで都合よく主人公に教えてくれる人みたいになっちゃってるよ(´・ω・`)
→ そして結局「もう良いんだ。」
って、ええんかいっ! Σ(゜Д゜;
という感じに、なんか・・・・なんだか・・・・・・深町、こんな人じゃないのに・・・っていう感じになっちゃった。
もっと、なんというか、私たちと同じように弱い人なんだけど、だけどそれでも一歩一歩進んで行く。
悩みながら、怖がりながら、一進一退で それでも進もうとする。
その弱い人だからこそ、強く見えるから。
だからこそ、背中を応援したくなる、そんな人だと思ってたんだけど。
全て駆け足過ぎるから、深町の気持ちも、羽生の気持ちも 表面サラッと撫でただけで浅く感じちゃった。
実際に文章で読んでる時は、お互いの心情もぐいぐいと心に迫って、取り込まれたけど、実際にアテレコみたいになると変なファンタジー感が
ダイジェスト版を観てるようで、むしろ予告の方が感動したくらい。
絶対に泣くだろうな、と思っていたのに、「ありったけのこころで おもえ」の羽生の声で、うるっと湿ったくらいで終わっちゃった。
終わり方も、あの途中のところで終わるのがベストだったとは思うけど・・・。
ゼロの時みたいに、宮部と一緒に息を詰めて 心が突き刺されて、あぁ・・・って涙する最後にはならなかった。
何より、BGMが壮大過ぎて、「今!今盛り上がる所ですよ~!ほら、盛り上がれ~!」って煽られてる気がして、逆にドンドン引いてる私・・・
だめだ。
だめだ、こりゃ。
私は岡田くんが好きだから観に行ったけど、単なる映画好きの友達にオススメかどうか聞かれて、胸張ってオススメだよ!って言えない自分に愕然とした。
是非映画館の大きなスクリーンで!と思ってたけど・・・・・・それほどでも無かったか・・・と思った自分にビックリした。
ゼロの、泣き過ぎて死んでしまうかと思うほどの衝撃。
蜩みたいに、しみじみと余韻に浸って 生きることの大切さを噛みしめる空気。
図書戦の、キャーキャー言ったり、カッコよさを堪能できるエンターテインメント。
そういった心に残るものが、、、、ごめん、何も残らなかった。
終わった瞬間、あかん、これはマズイ、これはアカン。
と思った私。
前評判の凄さは何だったんだろう、私がおかしいのかな、と思ってしまう。
演技がどうとか以前に、演出の問題じゃなかろうか・・・
これはちょっと・・・マズイな、と思った。
演技についてはバイアスが掛かるから何とも言えないけど・・・・・・なんで、阿部さん主役にしなかったんだろう
そりゃ主人公は深町だろうけど、これを観て深町主役とは言えないのでは。。。
阿部さんの演技は、すごかった。
凄味があったし、羽生がそこに居た。
それだけは、すごく良いよ!って言えるし、是非観に行ってほしい。
「俺が逃げ出さないように、俺を撮れ」とか、グッと来た。
死にに行くような事をしながらも、一番生きようとしていたのは羽生だものね。
真千子ちゃんも良かったとは思うけど。
原作の涼子と違って、ややウザキャラ寄りだったのかな?
羽生の奥さんと会った後の雰囲気とか、「山に何があるっていうんですか」とか、原作で受けた凛とした女性のイメージよりも、「俗っぽい」「女っぽい」って感じだ。
いや、裏切られてた事になるから、そういう態度になるのも分からんでもないし、山屋を待ち続ける人の気持ちとしても分からない訳じゃないんだけど・・・。
もともとこの話はラブ要素は要らないというか、もっと男と女というより、人と人としてのやり取りだと思うから。
だから、羽生が死んでから、深町と涼子と付き合うのも全然変じゃないと思ったんだけど。
映画では速攻Uターンしてエヴェレスト行くから、その2人の関係を微塵も感じさせないまま何故かまた深町に付いてエヴェレスト行っちゃう涼子。
・・・涼子の存在意義って・・・と思ってしまった(笑)
トルコ石のペンダントの意味も、さらっと流されたし、最後深町が羽生を連れて帰らずに、ペンダントを掛けて山に眠らせる、その想いにグッとくることも・・・出来無かった・・・
死んでるはずの長谷に羽生の事を説明させるのも、謎解きの時間が無いから仕方ないんだけど、無理やりだなぁと。
彼は羽生にとってかなりの敵視してるくらいのライバルだから、こういう形では出てきて欲しくなかったかも。
ゼロは観終わった時に、これは(賞を)取ったな、って思った。
こんなすごい映画を作ってくれて 本当に感謝したし、邦画史に残る映画になると思った。
でも、今回は、これで来年の賞を取ったら・・・ほんまか?って思うと思う。
出来レースだろう、って冷めるだろうし、嬉しくもないだろう。
そりゃ、興行成績が心配だから、親には行くように指令を出しましたが(笑)
ちょっとこれは・・・自分のハードル、上げ過ぎたかも。
観に行った方が楽しんでもらえてたら、それはそれで嬉しいけどね
レビュアーさん達の、好評な意見も沢山あるし。
単なる個人的な所感ですから。
どちらかというと、海賊のほうが面白い作品になるんじゃないかと思ってます。
岡田くん、ごめんって何度も謝るけど、今のところ印象は変わらないかな。
また終わる前には観に行かなくちゃ・・・とは思うけど・・・時期を改めたら、何か変わるのかな。。。
ちなみに、私の好きだった岡田くんポイントは・・・
真千子ちゃんと2人、ネパールの町を見下ろす広場に佇む深町の しなやかな筋肉質の背中 ←細かい。
アニバコンの時はマックスぶーちゃんになってたから(コラ)このロケの時くらいに絞ってる身体つきの方が好き( ´艸`) ←聞いてないし。
あとは、エヴェレストに入る前に、髭を剃ってる顔の方が好き
せっかくの もじゃ田もじゃ男 ですが、私は髭無しのほうが基本的に好みなんですわー( ´艸`) ←だから聞いてないって。
という、好き好きポイントを2つ 書いておきます(`・ω・´)ゞ 笑。