夢色

集めてるもの 見たもの 書きたいものを 思いついた時に。
基本ネタバレ注意。
火月 神の気まぐれ よろずメモ。

<食べて、食べて、歩いて、笑って~長崎旅行3日目・・・の、その3。>

2016-03-23 | Travel

ちんちん電車で向かった先は、昼間に一度来た思案橋。
 昔の思案橋跡から、 このアーケードを潜り、テクテクと。
なんとなく、ちょっと・・・田舎な新地、みたいな感じ? 
アーケードの両脇の電柱には、異人さんや芸子さんみたいな色んな人の切り絵様なデザインがあって、見てると楽しい
   日も暮れてきました。

途中、 福砂屋さんの本店。
運転手さんには、同じ福砂屋さんでも長崎で買う方が、卵が濃厚だよってオススメされたんだけど、いっぱいカステラ買っ・・・たと思ってたから、今回は買わなかったんだ~
家帰ってお土産開けたら、いつもの如くで、あれ?こんだけだったっけ?って思うのは、なんでなんだろう・・・

丸山公園隣にある派出所は、レトロな建物! 
この辺りの町名は、大体同じ職業の人が集まっていたそうで、鍛冶屋町とか油屋町、籠町などなど、町名に名残が残っているんだって。
 日が暮れると、花街の少し妖しげな空気に代わります。

そして、今日お伺いすることにした卓袱料理のお店は、 史跡料亭「花月」さんです。 
いくつか卓袱料理のお店はあるんだけど、こちらでは昔の古い建物を使い、坂本龍馬が付けた刀傷を見ることが出来たり、史跡としての価値もある料亭だったため、奮発してこちらに寄せて頂きました。
・・・といっても、うちの在阪大蔵省が払うんだけどw

  門をくぐって、大きな古い日本家屋の入口へ。
もともと長崎の丸山は、吉原、島原と並ぶ天下の三大遊郭として栄えた場所でした。
そこに遊女屋引田屋として開業し、引田屋を廃業した後、その場所で料亭として営まれています。
歴史の香りがしながらも、なんとなく艶っぽい雰囲気でした。 
 
 床の間のあるお部屋に案内していただきました。
龍馬の刀傷が見れる大広間は二階にあるのですが、団体のお客さんが宴会をされているそうで、お料理が終わってから案内していただけることになりました。
 卓袱料理は、色々と変わった作法があって、面白いです。
和華蘭(わからん)の名前の通り、料理は中国とオランダの要素を取り入れ、和風にも混ぜてアレンジされています。

身分関係なく皆でご飯を食べるという意味で、円卓テーブルとなります。
そして、大皿に盛られた料理を直箸で食べ、基本的には取り分け用のお皿はたくさん出てきません。正式には2枚までなんだって。
というのも、家庭でもてなすための料理なので、洗い物が沢山でないように、という気配りだという。

最初に女将さんがご挨拶に来られました。
乾杯や挨拶の言葉などは、御鰭をいただいてからになるそうです。

料理は、女将の「御鰭をどうぞ」の言葉が始まりの合図です。
鯛の胸鰭が入った吸い物を御鰭(おひれ)と言い、「お客様1人に対して、鯛一尾を使っておもてなしさせていただきます」という意味が込められているんだって。 

なので、一番最初に椀物が出てきて、具も入ってるのにそれを食べきるまでは女将さんがテーブルの横に付いたままという・・・(笑)
 結構これ、、、気まずいんだなー
急いでモグモグモグモグ・・・・・と必死に飲み込む私w

お椀を食べ終わると、そこでようやく乾杯となり、お料理が運ばれてきます。
  初めて食べた・・・クジラの肉・・・
コリコリしてて美味しかった!
美味しいお肉は、おいしいんだね(笑)
薄いベーコンみたいな。
     お料理色々。


そして、実は今年、母が還暦を迎えます。

予約の電話をしたときに、「何かお祝い事とかはありませんか?」と聞かれて、
私「・・・・うーん(゜-゜)?」 
花「例えば、誕生日とか・・・御還暦とか・・・」
私「!!!Σ(゜Д゜;  母が還暦ですっ(`・ω・´)」  となったという(笑) 
なので、御還暦用にお赤飯とか準備しておきますと言ってくださっていたので、「わーい、お赤飯お赤飯~(*´▽`*)」と私一人で思っていたのですが。
お部屋に入ったら、なんと、赤いちゃんちゃんこが・・・
な、なんと・・・有難い・・・
ということで、娘はただ便乗しただけという(笑)  おめでとう。これからも元気でね。 
乾杯用に日本酒を注いでいただきました

 珍しい「バスティー」 。
パッと見・・・アップルパイみたいだから、何か甘めのものなのかな?って勝手に思ってたら、普通にご飯だった(´・ω・`)笑。
上のパイを崩すと・・・ スッポンとかキクラゲとかシイタケとか、出汁の利いた料理  
・・・なんといえば伝わるのか分からんけど←
薬膳っぽい味?なのかな?
ちょっと苦みが・・・大人の味でした・・・ ←お子ちゃま舌

  こんな可愛い盛り付けで、 また大人の味。笑。
 角煮~
最後はお赤飯に   デザート
でも、卓袱料理は「椀に始まり、椀に終わる」というそうで、〆は  お汁粉でした


上の階ではお座敷に芸妓さんを呼ばれてるみたいで、テンツク 風情のある三味線や太鼓のお囃子が流れてきたり、楽しそうだった
今の時代にも、芸者遊びを出来る人が居るんだなぁって、私、こういうところに来るのは初めてだったから、興味津々。
私たちのお部屋が2人にしては広いので、遠くから聞こえてくる音を聞きながら黙々とお料理頂いてると、、、
なんだか、隣でどんちゃん騒ぎをしてるお大尽に「けっ お金持ちは羨ましいこった」とか悪態吐きながら、ヤサグレて徳利傾けつつ 湿気てる弥次喜多道中・・・みたいなシチュエーションが面白すぎた(笑)
こういった芸妓さんを呼んだときは、お座敷が終わると、玄関でお酒や唄、お囃子でお見送りをするらしく、玄関のすぐ横のお部屋だったので、お座敷で流れていたお囃子とはまた違った、賑やかな音が聞こえていました。

 お部屋から立派なお庭が見えます。

そして、上のお座敷がお開きになったので、仲居さんが建物の中を案内してくださいました。
登る階段がすごく急でビックリした!
もっとびっくりしたのが、階段どうぞ上ってください、と言われて上に上がったら、何故か仲居さんが着いてたこと(笑)
スタッフ専用の階段があったり、お部屋もお客さんが出入りする襖と お料理を持ってくる仲居さんが出入りする襖が、別々にあったり。
こういう料亭だから、鉢合わせしちゃいけないお客さんをテレコで通すための通路とか、色々ありそうだな~って思ってました( ´艸`)
忍者屋敷みたい?笑。

  二階のお座敷は広間になってました。
  長崎は坂の街だから、敷地内にも高低差があるようで、二階からお庭を見ると、下にあるんじゃなくて、同じ高さにあるのがなんとも不思議です

そして、この床の間の柱に、龍馬がつけたという刀傷が残されています。 
 こちらでございます~(笑)  数か所、キッチリ刃が入ったものや、かすり傷になってるものなど。
こういう花街に通って、遊ぶだけじゃなくて情報交換や会合を開いたりして、歴史を動かしていったんだろうな~。

他にも、歴史的なものが「集古館」に色々と展示されているので、連れて行ってもらいます。
 新館もあるみたい。
   色んな掛け軸とか。
映画「長崎ぶらぶら節」で有名になったという名妓・愛八さんの諸々とか  
 焼き物や、 孫文直筆の書、 お龍さんが好んだという月琴。
 そして、坂本龍馬直筆の書。
イカルス号事件の際に、花月で飲食していたはずの海援隊士に嫌疑がかかったことについて、奉行所へ苦情書を送るための下書きだそうです。
推敲した後がいっぱいあった。

一番最後のお客さんだったみたいです  日もどっぷりと暮れてます。
 最後は女将さんも一緒にお見送りしてくださいました。
良かったら、、、と提灯を持たせていただき。
せっかくのお祝い事なので、とお箸と手ぬぐいまで頂いてしまいました。


決して上客ではない私たちなのに(笑)、丁寧におもてなしして頂いて、本当に素敵な長崎の夜を過ごすことが出来ました。
ただのお料理屋さんではなくて、史跡としての価値を次の世代に繋いで行かなければならないという、大きな責任を背負って務められているのだと思います。
これからもずっと大切に伝えて行っていただきたいなぁと思いました。

こういうところには行ったことが無かったから、色んなお作法とか分かってないし、どうにも個人的に、こういう女将さんとか こういう場所にやたらと緊張してしまうため、行く前にはどうなることかと思ってたけど(笑)お料理だけでなくて歴史もお茶屋さんの雰囲気も楽しむことができて、良かったです

お腹も心もいっぱいになって、ホテルへ帰ります。。。 


<食べて、食べて、歩いて、笑って~長崎旅行3日目・・・の、その2。>

2016-03-23 | Travel

次いで、出島へ行きました。

・・・実は、私、教科書で習った時のイメージしかなかったから、初めに見た時は、全然わからなかったんだー
前日ちんちん電車で通りながら、「・・・・・・?! もしかして、これ、、、出島?!」ってなった(笑)

普通に町中にあるんだね・・・  
もともとの出島から、川の流れを変えて今の出島があるみたいで、これからもう一度工事して、もとの形に戻すみたい。
 道路にあるマーキング。 四角いところが本来の出島があった位置。

  波に千鳥の紋。

入ったところにモニュメントと、 出島のミニチュア模型がありました。 
 旧出島神学校が見えます。
 お庭には、シーボルトの里帰り植物が何種類かありました。 
日時計とか、 大砲も。
 本来の出島は、この表門だけで出入りしてたそうです。
中では商人が商いをすることが出来ないため、出入りする遊女などに頼んで、流行りの物とか食事の事とか色々と情報収集してたんだって。
遊女も、着物の袂にお菓子をコッソリ忍ばせて持って帰って来たリ。 

  中は色んな資料館になってました。
  食事や生活の様子。
綺麗な壁紙の模様。 
 門番さんと記念撮影したり(笑)
外壁はこういう石のまだら模様になってました。 
グラバー園でも思ったけど、この青磁っぽい青色って、なかなか日本の建築物には使わないから、不思議な感じ。
そういや、N.Y.のビルはこういう色が多かったな~。 

 輸入品の砂糖を測る大きな測り。


長崎で思ったのは、とっても面白くて不思議な街だなってこと。
キリスト教とかオランダの西洋の文化。
寺社も点在してる日本の和の文化。
そして、中華街や中華風なお寺に見られる、中華圏の文化。 
この3つがごちゃ混ぜになって存在してる感じ。 

それを、「和」「華」「蘭」・・・・「わ」「か」「らん」・・・わからん・・・分からん!というそうです。笑。
ごちゃ混ぜ ちゃんぽんして混乱してる様子が、「分からん」なんだって。

分からんって、関西弁だと思ってた(笑) 

ということで、次は国宝の門があるという「崇福寺」へ。 
 長崎に居る唐人の要望で建てた中華式のお寺なので、日本のお寺とは全然違います。
屋根も中華風。 
三門の前には白人さんがいっぱいツアーで来られてて、でも白人さんってちゃんと気遣い出来る人が多いんだよね(笑)
諏訪神社でも相変わらずアジア系の観光客は、参道の階段に大人数で座って陣取ったりとかしてホント迷惑だったんだけど、白人さん達お互いに声かけあって譲ってくれたり、代わりに写真撮ってあげたりした。

門の天井にも年季の入った龍の絵が残っていたり。
掛かっている「聖壽山」の額は、隠元禅師の筆だそう。
この隠元禅師が日本に持ってきたのが・・・インゲン豆なんだってさ

続いて、こちらが国宝の「第一峰門」
 「四手先三葉」という組木みたいな造りは、中国のほうでも珍しいんだって。
軒下には、縁起の良い吉祥模様が色鮮やかに残っています。
 門戸には、蝙蝠と牡丹の花。

 この境内にある大釜は、NHK大河の龍馬伝でも映ったんだって。
その時のロケの話を、売店のおばあちゃんが延々と話してくれたけどすみません、私先にお参りがしたい・・・(しかもまちゃファンではない
ロケ中にまちゃと写真撮らせてくれなかったとか、放送後にまちゃファンがいっぱいきたとか、どうのこうの・・・ってめっちゃ話してた

大雄宝殿も国宝です。  
「逆凝宝珠束」という、良く橋の欄干で見るような形のものが、軒下に逆さまについています。
黄檗宗の建物に特徴的だそう。 

 こんなに大きな「魚板」
魚は目をいつも開いてるから、惰眠を貪るなという戒めの意味があるらしい・・・
ぎょえー いつも半分寝てる私にはツライ(笑)

海を渡って日本に来る船を守ってもらうための 媽姐を祀ったお堂や、関聖帝を祀ったお堂など、中国のお寺だったです。


グラバー園に行く前に、孔子廟を車窓から眺めて。 



次は西洋を見に行きます。
・・・の前に、一瞬 思案橋を通って丸山公園にある龍馬像を。
 こちらの龍馬像は、袂に手は入れておらず、右手に懐中時計、左手に刀、ブーツを履いています。

さ、そしてこちらがオランダ坂。
・・・ほんとにねー、長崎市内はホントに坂が多い!!!
大きな通りのすぐ横が、急な坂!
だから自転車をあまり乗らないんだって・・・
坂が急すぎて、私が車運転したらコロコロと転がっていきそうで(笑)

こちらから大浦天主堂へ向かいます。
  綺麗な花も咲いてました。 
信徒発見のレリーフがここでも。 
大浦天主堂は、正式には「日本二十六聖殉教者天主堂」と言い、さきほどの殉教した二十六聖人に捧げるために建てられたものです。

 入り口正面のマリア様。優しくて凛とした お顔。
新しく聖母に捧げられたものではなく、もともと日本の教会は聖母の加護のもとにあったんだというプチジャン神父の言葉から、「日本之聖母像」と言われています。
 足には悪魔の化身のヘビを踏みつけています。 

教会の横を通る「祈念坂」は、映画「解夏」のロケ地にもなりました。
 フェンス越しですが・・・
よく遠藤周作先生が好んで歩かれていたそうです。
運転手さんは小さい頃、よく先生にお会いしたらしい

教会内には、信徒発見の時に「サンタ・マリアの御像はどこですか?」と聞いたその聖母子像だったり、綺麗で素朴なステンドグラスが一面にはめられています。 

教会を出て、 旧羅典神学校の横を通ると、グラバー園に行けます。
グラバー園も広かった~
  壁の模様は、オペラのお蝶婦人の楽譜になってる泉の広場。

 綺麗なお花もたくさん
  出島でもあったように、壁の色が日本ではあまり見かけない色合いです。
 温室には・・・  可愛らしい狛犬があり、この狛犬がキリンビールのアイコンの麒麟のモデルとなったと言われてます。
グラバー夫人部屋の廊下の天井には、 なんと隠し部屋があり、倒幕派志士を匿ったとも言われているそうです。  
武器商人としての裏の顔もあるグラバーさん。
  ちかくに大きな樹齢300年のソテツも。

そして、グラバー園には、3つのハートが隠されていました! 1つ目~
2つ目~ 
3つ目は、長崎伝統芸能館を抜けた先の、売店のテラスに出るとあります  

伝統芸能館には、長崎くんちで実際に使われる龍踊りの白龍や青龍、そして各町の奉納踊りを先導する「傘鉾」が展示されています。
  大きい阿蘭陀船や南蛮船などそれぞれ一つずつ違っていて、持ち回りで各町で曳くそうです。
提灯がそれぞれの町名になってます。
  子供用の子クジラもあって、これは中に子供が入って潮を吹き上げるんだって可愛い~
お祭りの時には、「準備が出来てますよ~」と、それぞれの家でお披露目をする。 
そして、  実際に使われる龍たち。こちらも子供用のチビ龍が


運転手さんには、お願いしていた時間よりも大分と延長をお願いして色々と連れて回っていただきました!
いろんなお話や穴場スポットも教えてもらったし、キリスト教の方に案内して頂いて、勉強になりました。
うちは両親ともに仏教だけども、幼稚園がキリスト教だったみたいで、今でも教会に入るときは「天と子と精霊の御名において、アーメン」とやるから、私もやるし、でも運転手さんはそれを知って驚いてた(笑)
「アーメン」は、「きっとそうなりますように」というお祈りの言葉だって 
本当は、何かを信じ、自分も愛する人たちも皆が幸せになれるように想う気持ちは、どんな宗教だって同じなんだけどね。。。 

運転手さんには、本当にお世話になりました! 
グラバー園を出たところでお別れ。
最後に車に張り出してた名前の紙を記念に下さいました(笑)

 グラバー園を出たところで、売却物件が

グラバー通りをブラブラとして、お土産物屋さん入ったり・・・お昼御飯がまだだったけど、大分時間過ぎてて、夜は卓袱料理に行くことが決まってたから
 角煮まんじゅうのお店「岩崎本舗」で、小腹を満たす
・・・って!  この角煮まんじゅう、超絶美味しかった!!!
私、魚もお肉も脂身が苦手で、沖縄でも角煮食べたけどあの脂身がちょっと苦手で、寧ろ煮込んだタレだけで良い・・・って思う事もあったんだけど(笑)
ここの角煮、めちゃくちゃ美味しいんだって!
苦手な私が言うくらいだから(笑)あと3つくらい食べられるって! ←やめなさいw
角煮を挟む蒸しパンもフワフワモチモチ
もう是非是非!一度食べてください!
そしてこちらの、角煮を刻んだ「長崎角煮まぶし」を あったかホクホクの白ご飯と一緒に食べると、天国です(`・ω・´)
こちらもぜひ(笑)

 グラバー園の入り口の方に辿り着きました。
もうそろそろ足がパンパン
卓袱料理のお店に行くまでに、どこか座ってお茶したい~ということで、ちんちん電車で駅に出る事にしました。

長崎市内の路面電車は、全国のいろんなところの車両を譲り受けてることもあるそうです。
乗った車両に、履歴書みたいなのが貼ってあるのもあったよ  
  切符には日付も。

駅のA/Tでアフタヌーンティーセットをシェアしました  ・・・でも正直頼みすぎたかも(笑)
休憩した後は、お店に向かいます。
 駅前にあるポストには、可愛い長崎くんちのイラスト。
駅前の大きな陸橋では、市内の名所がタイルでその方角に寄せて示されています。
    こういうの好き( ´艸`)

ちんちん電車の車両にも色々なタイプがあって、 ちょっとハイテク風味なカッコいいものや、
 いかにもちんちん電車!みたいな車両が、3方向連続して到着(笑)
長崎くんちのイラストが描いてるものも。 
駅のホームには、 紫陽花、和名:おたくさ のステンドグラスを模したデザイン。
 もう一度出島の前を通りました。

で、まだ終わらない事に気づいて、つづく・・・


<食べて、食べて、歩いて、笑って~長崎旅行3日目・・・の、その1。>

2016-03-23 | Travel

大分と日が開いてしまいました・・・。

今日は一日長崎観光&卓袱料理という第2のメインイベントデー
 朝ごはんをいっぱいで 元気をいっぱい!
・・・って今朝もまたもや お腹いっぱい・・・(後悔)
長崎のお味噌汁、やや甘めのお味噌で アオサをたっぷり入れて 気に入りました
あとは、角煮まんじゅうもお試し。

部屋から、こんな変わったものが対岸に見えてて気になってたんだけど・・・ 
どうやら倉庫?の屋根を稲佐山から見るとこんな風に見えるようにアレンジしてる?らしい。。。
面白い( ´艸`)

せっかくレンタカー付きだったものの、長崎市内の運転がちょっと怖くて駐車場も分からないし、ちんちん電車にオラオラやられると困るので(←大阪でも経験済み。笑)観光タクシーをお願いしました
行きたいところをいっぱい言って、適当にアレンジしてもらったんだけど、初めは目を白黒させてた運転手さん(笑)
普通は大体お任せだもんね

ホテルを出てからすぐに、途中にある福山雅治さんのご実家の前を通りました。
止まってくれたけど、まったく まちゃファンじゃない私なので、ふーんってなってたら、あれ?ってなってた(笑)
ごめん、それほど興味なかった(笑)
でも、どの運転手さんもホテルの方も まちゃの話をしてて、とっても長崎の方には感謝されてるみたいでした。
必ず帰ってくるし、MCなどで長崎の話もしてくれるし、本当に感謝してるって喜んでました。
地元に愛されるって、すごい良い事だなぁ。


そしてまずは、浦上天主堂へ。
 途中にも、原爆の爆風で吹き飛び 落下した鐘楼が道の横で保存されています。
長崎市内はいろいろなところに、原爆の跡がひっそりとそのままで残されています。
日本人として、忘れてはいけないこと。

 残された一部たち。 爆心地から500mに在ったため、ほぼ全壊となったそうです。
大きいけど、素朴な雰囲気の教会でした。
 大浦天主堂での「日本の信徒発見」150周年記念の碑。
豊臣~徳川幕府時代にかけて長らく迫害されてきたキリスト教ですが、浦上にも密かに信仰を守り続けてきた 隠れキリシタンが居ました。
しかし海外では、日本におけるキリスト教はもうすでに滅んだと思われていたそうです。
鎖国が解かれた後、在留外国人のために大浦天主堂が建てられましたが、そこに見物客に紛れてこっそりとサンタ・マリアに会いに来た隠れキリシタンの一団がありました。
プチジャン神父にそっと近づき、「私の胸は、あなたの胸と同じ」「サンタマリアの御像はどこですか?」と小声で聞いたそうです。
それが、日本ではもう居なくなったと思われていた信徒発見の瞬間となりました。 

こちらには、被爆したマリア像が保管されています。
だがしかし・・・小声で。
実は、現在聖堂にある被爆マリア像はレプリカ。
実際に被爆したマリア様は、奥に信者さんだけが入ることのできるマリア様の聖堂にいらっしゃいます。
後でわかったのですが、運転手さんがキリスト教の方だったため、そっと覗かせていただけました。
中では信者さんがお祈りされていたため すぐに出ましたが、レプリカよりももっともっと優しく慈愛に満ちたお顔をしていて、全然怖くなかった。
ですが、本来は入れる場所ではないので、勝手に入るコトはしないでくださいね。。。

 朝一番だったので人が少なく、かわいいニャンコがお見送りまでしてくれましたバイバイ


次に、私が絶対行きたかったのが「山王神社」です。
こちらには、被爆した大楠と、一本足鳥居が残されています。
 参道から見上げる一本足鳥居。一の鳥居は事故で倒壊してしまっています。
爆風によって微妙に捩れた状態で佇んでます。 
 柱に刻まれた名前。爆心地側が熱風で溶けてしまってました。
吹き飛ばされた左半分は、境内に向かい途中に横たわってます。   
 被爆の大楠。樹齢5~600年と言われてます。
 鳥居を潜ったあたりから、静かな空気で満ちてる。
悲しみもつらさも何もない、ただ在るという空気。
被爆した時は枯れ木同様だった大楠は、2年程して新芽を芽吹き、今はどっしりとした姿を見せてくれています。

爆風で巻き上げられた無数の大小の石が幹にある空洞に入り込み、今もなお残ったままです。 
大楠の横にある階段を登ると、3mくらいのところにある空洞。  
 中に見える、たくさんの石。
この石は2006年、2回目の治療の時に空洞から取り出されたそう。  こんな大きなものまで。

お参りして、御朱印を頂こうと思ったけどちょうど宮司さんがいらっしゃらないようだったので、大楠保存のための募金になる タヌキの手ぬぐいを頂きました。

 

また車を走らせて、西坂公園に向かいます。
日本二十六聖人殉教地で、記念碑と記念館があります。  
秀吉の命により、京都や大坂・堺の宣教師6人と信徒20人が処刑された丘です。
関西から24人が捕らえられ、左耳を落とされ、その後長崎まで裸足で31日間歩き続け この地に辿り着き、途中で2人が加わり、計26人が処刑されました。
宣教師たちによってゴルゴダの丘に似ているということで、この地を選ばれたそうです。 
 最年少の子は12歳でした。  
信仰を棄てるように言われても、一瞬の命のために永遠の命を捨てるわけにはいかないと、拒んだそうです。
14歳の子は、年下の子たちが怖がらないよう、最期まで讃美歌を歌い続けたそうです。
31日間歩いたということで、広場に入る階段は31段ありました。
レリーフは、信徒発見の舞台となった大浦天主堂の方角を向き、裏手に資料館があります。

   隣に立つ聖フィリッポ西坂教会。
双塔に埋め込まれたのは、長崎までの道すがら26人が使ったというお皿の破片だと運転手さんはおっしゃってました。
罪人として処刑されるので、そういう罪人が使った食器などは穢れているということで、誰もその次に使う事がないから、とのことです。
時間が無くて、資料館と教会の中には入りませんでしたが、次に訪れる機会があれば行ってみたいと思っています。

正直に言うと 私には一神教が合わなくて、道端の石ころにさえ神が宿るという八百万の神様、の方がしっくりくるため、キリスト教徒ではない。
だからといって熱心な仏教徒でもなくて、まぁ、典型的な日本人的なごっちゃ煮宗教。
キリスト教の、死んだら天国に行ける、神のお傍に行くのだから死ぬのは怖くない、という感覚も、命より信仰が大事という感覚も、理解しがたい。
個人的には他人が何を信じてようと、強制するつもりは無いけど、世界のこれまでの歴史から言うと、遠い海を渡って来たキリスト教の強い団結した信仰は、国を治める者からすると自分たちのシステムを根底から覆す大きな脅威になるだろうことは理解できる。
それに、あの時代、日本に派遣された人達が、日本を乗っ取るためにキリスト教を布教させた可能性も十分あると思うから。 
だから、何が正しいかとかは分からないけど、でもこういう歴史があって、自分の信じるものを守ろうとした人々が居て、今も守り続けてる人が居るということは、ちゃんと分かっとかないといけないなって。 

運転手さんも、最初は私たちがどういう人間か分からないから、はっきりとはキリスト教徒だとは言わなかったけど、この辺りから色々とお話をしてくれました。
お父様はもともと代々神道のお家だったのだけど、コルベ神父の機関紙のお手伝いをしていたとか。
そして赤紙が来た時に、コルベ神父の勧めで従軍チャプレン(教会などに属さず、組織の中で働く聖職者)にお手紙を書いてもらって、出征先で洗礼を受けたそうです。
通信兵だったため伝令のために乗り込んだ列車で、ロシア軍の検閲にあい、隠れていた藁に銃剣で刺しながら捜索されて、周りの兵士は刺されて亡くなったがお父様は無事だったとか、終戦後にシベリア抑留されたが、なんとか帰国できたのは、神さまのご加護のお蔭だと話されていました。

長崎の教会群を世界遺産に、とやってるけど、それは歴史的価値の面をアピールするのではなく、欧米のユネスコに対してなので、隠れ守り続けてきた日本のキリスト教としての信仰の側面から進めていかないと、難しいだろうと。
信徒以外の私たちが知らないこと、私たちでは分からないものが、キリスト教の方の間にはまた在るんだろうな、と思いました。 
そういうものにも耳を傾けていかないと、大切な残すべき物たちが長崎にはあるのにな、と思います。


諏訪神社に行く途中、日本で初めての営業写真館「上野撮影局跡」に寄ってくださいました。
坂本龍馬のあの有名な、袂に手を入れた写真を撮ったのもこの場所だそうです。
 同じポーズで(笑) レトロなカメラは操作難しそう~ 


 諏訪神社は、長崎くんちが行われる、長崎の総氏神様です。
鳥居から境内に向かって参道を進むと、途中に石が3種類 参道の真ん中にあります。
まずは、男石  そして、女石  最後に合体石。 
それぞれ異性の石と最後の合体石を踏むと、ご縁に恵まれるそうです
 えいっえいっ←やめなさい。笑。
昔はこういう陰陽もおおらかで、生活に密着してるものだったんだろうね~。

 往来の激しいこの一帯では、明治時代も迷子が多発したそうで、それを見かねた警察署の警部さんたちがお金を出し合って迷子石を建ててくれたんだって。
「まよひ子志らせ石」の境内側には「たづぬる方」、反対側に「をしゆる方」と刻んであります。
ステキ。

 長坂を登り切ると、大門前の広場に到着。
ここは長崎くんちの時に、桟敷が設けられるところです。
この踊り馬場で神輿を回すので、敷石にはたくさんの傷が付いていました。  重ねてきた歴史の証拠。

大門を入ると見える神馬像は、 平和祈念像の作者・故 北村西望さん作です。
躍動感あふれる神馬 

拝殿でお参り。
隣には、えべっさんと大黒さんの像があり、間を目をつぶって歩いて辿りつけるかどうかで恋占いをするのがありました。
地主神社にも似たようなのがあったなー。
ま、占う相手が居ませんが( ´艸`) ←コラ 

拝殿の左手奥に進むと、止め事成就の狛犬がいます。 
 コヨリを狛犬の脚に結び、禁酒や禁煙、すべり止めなどの止めたい事とお願いします。
断ちたいものは・・・あるような・・・ないような・・・だったけど、とりあえずやってみた(笑)

さらに奥に、 高麗犬の井戸・銭洗い井戸があります。
狛犬の口から出てるお水でお金を洗うと、2倍になって返ってくる、らしい。 
父のために洗ってみた。でもその洗ったお金がどこにいったか忘れた(笑)

そして拝殿裏には、 願掛け狛犬が。
昔、遊女が、海が荒れると漁師が船を出せずに自分のところに来てくれるから、と、海の方角へ向けてお願いをした狛犬なんだって。
なので、石の台座をクルクルと回す事が出来ます。
・・・おちりが可愛かったwww ←2代目おケツハンターと化している。

 境内には、神池もありました。
水辺が好き。

 本当は本殿にお参りする前にこちらに来ないといけなかったかな祓戸神社。
立ち狛犬と逆立ち狛犬という変わった可愛らしい狛犬が居た!
ナデナデしてきたヾ(・ω・*)

 一番参道の入り口にある石灯籠には、昔火を入れるために使ったと思われる、なんと石の階段が!

結構思ったよりも広い境内でした。
長くなるので、続く~